鈴鹿山脈北部・石灰岩の山

 ホームページTOPへ  雑記帳へ  カメラの楽しみへ

前のペ ージへ 鈴鹿の山の魅力へ

鈴鹿山脈北部・石灰岩の山  目次 以下のリンクをクリックすると目次の項目へ飛びます

鈴鹿山脈の東部が花崗岩質の地殻なのに対して、山脈北部には赤坂石灰岩と呼ばれる古生代から中生代に付加した環礁成石灰岩のカルスト地形をもつ藤原岳、御池岳、霊仙山などが広がり独特の地形を形成しています。

霊仙山 ・カルストの世界

鈴鹿山脈最北に位置する霊仙山。霊仙山最高点1094mを筆頭に経塚山、南霊山など1000mを越える山々が連なります。山頂部はなだらかな起伏のカルスト高原が広がり、ピークに立てば360度の展望。琵琶湖から近江盆地を眼下に望みながら進む尾根道は、足場の悪さも歩きの疲れも忘れさせてくれるだけの魅力に満ちています。

数ある鈴鹿の雄峰の中でも霊仙山ほどに開放的で雄大な広がりを持つ山は他にもないでしょう。山頂部には多数のピークがそびえ時間さえ許せばどこまでも歩いて見たいとの思いを抱かせます

経塚山 ( 北霊仙山 ) 1040m より見た霊仙山避難小屋。山と雪渓社・鈴鹿の山 昭和55年版 によると霊仙山の山頂や山麓周辺に一大仏教地帯があり白鳳元年 ( 672 ) と慶雲元年 ( 704 ) 山頂に霊仙寺が建立されたらしいとあるのですが、壬申の乱の頃まだ国分寺さえ造られていない頃であり出典も記載されていないのでこの年代が確かなのかは怪しいものですが、霊仙や経塚山、権現谷、行者谷などの名からは、この一帯が幾多の宗教史跡の名残であることが想像されます

無数の石灰岩塊が突き出た尾根道は決して歩きよいものではないが360度の絶景に疲れも忘れる。北に伊吹、東には養老山地、南に下ると烏帽子・三国から鈴北・御池・藤原さらに南には御在所、雨乞、綿向へと連なる鈴鹿山脈の稜線が遥か彼方に霞む

霊仙山への登りは、大きく榑ヶ畑から西南尾根、今畑・落合への周回ルートと経塚山を経由して柏原・梓川方面からのルートがありますが、多くは距離の短い榑ヶ畑や今畑からの登山道を利用するようです。

春の霊仙山・笹峠~西南尾根

西南尾根へは今畑登山口より登りますが、山中にある今畑の廃村跡には九輪草の群落が方々にあって5月半ばには美しい花をつけて登山者を楽しませてくれます。

嘗て今畑は山を生活の糧とする人たちの村落であったようですが、生活の不便から村民は既に都市部へと移住し、後には毎年美しい花を咲かせて、何時の日か彼らが戻るのを待ち続けているような花が残されています

今畑廃村跡からしばらくは植林帯の中に切られた急傾斜の林道が続きますが、道が大きく右に折れ、左手に深く険しい権現谷を望める辺りから笹峠までは緩傾斜の苔むした石灰岩露頭の間に茂る夏緑広葉樹林帯へと変わり心地よい歩きが楽しめます。

今畑から笹峠まではゆったりとした森林の登りですが笹峠の先で夏綠広葉樹帯は終わり、その先には近江展望台まで最大斜度40°を越えるカルスト斜面300m近い西南尾根・西南陵の急登が待ち受けています。

西南陵を登りきると近江展望台から霊仙山最高点へと続く西南尾根にでます。尾根上は石灰岩塊の悪路が続きますが稜線の北西斜面は琵琶湖を抜けて吹き付ける湿った風の恩恵を受けて森林帯が広がっています。森林帯の下部には登山者も訪れることがないため多数の鹿が生息する鹿の楽園が広がります。

西南尾根の北西面の樹林帯の下部は高木のまばらな平原状で鹿の楽園になっていた

五月中旬には林の中に分け入ると多数の山芍薬の花を見ることが出来ます。山が広大であるため逆に花を見つけるのは手間がいりますが、丁寧に探すと方々で可愛い花が見つかります。

新緑の5月、西南尾根の北西斜面では山芍薬の群落がみられる。この季節には稜線と林の境界あたりには結構色んな花が見つかる

山の花は面白いもので、なぜか多くの女性に愛され、もてはやされてカメラに収められる。家の周りに咲く雑草でさえ彼らよりも遥かに美しいものも多いのだか、わたしは雑草の写真を撮る女性を目にしたことがない

春の霊仙山・カルスト高原

遥か先の岡や稜線迄も見通せる、なだらかな起伏に富んだカルストの台地は歩く疲れも感じさせません。丘を一つ越えるごとに現れる新たな景観はこの山のもつ大きな魅力でしょう。

お虎ヶ池はなんとも不思議な池だ。なにもないただの池の前に霊仙神社の鳥居があり池が祭られている。原始宗教のアニミズムによるものか、あるいはもっと後世の不幸な女性の因縁によるものなのか私には分からないけれど、何度立ち寄ってもまた次には心惹かれる場所だ

上写真は幾つものピークがある霊仙山でも最高高度の霊仙山最高点1094m  三角点のある霊仙山は1084m 以下、経塚山1040m、南霊山1030m、避難小屋1017m、近江展望台1006mと続く

霊仙山  足元の世界

石灰岩柱に覆われた台地から、丈の低い草や笹羊歯地衣類に覆われた草原、陥没地形のドリーネと歩くにつれて次々に変化する光景はそれだけでも楽しいものですが、足元に目をくばり石灰岩の岩間にひっそりと咲く草花や普段あまり目にしない小動物に気づいた時などはまた新たな喜びがあるものです

所々でエビネの群落を見かける。十年も前に目にした場所にまだ頑張っていたりすると、これからもガンバレと応援したくなる

鹿の多い草原では必ず目につくオオセンチコガネ。生息する地域によって色が異なるようで鈴鹿では赤、緑、黒の個体を見かけるが青い個体は見た覚えがない

5月18日 ウスバシロチョウの羽化時期だったようで、とても綺麗な個体がカルスト台地にいた。北方系の蝶で平地ではまず目にしない。鈴鹿北部の山地に多いようで御池岳の周辺でも多数が舞っているのを見たことがある

平地では普通に見かけるキアゲハも1000mの高地では、よく上がってきたなとほめてやりたくなる

こちらはシリアゲムシの仲間のようだが太ったスタイルは名前とイメージが違うな・・

石灰岩・化石の石

石灰岩の中には、よく注意して見てゆくと、太古の昔に石灰岩を生み出した紡錘虫や珊瑚、海百合などの化石が入っていることがあります。ことに高温度の熱変成を受けることが少なかった鈴鹿山脈北部の山において顕著です。

近くにある有名な化石の産地としては、古くから知られた大垣市の赤坂金生山があり、伊吹山や鈴鹿山脈北部の石灰岩はこの地の名を冠して赤坂石灰岩と呼ばれています。金生山の化石博物館に展示されているような立派な化石が見つかるとは限りませんが調べてみると面白いものです。

石灰岩地帯では、時々足元に注意して見て歩くと、結構化石を含んだ石が見つかる。全く見つからないという人もあるから、慣れも必要なのかもしれない

石灰岩ならどれもが化石を含むわけではないから、化石の入っていそうな場所を選んで探さないとなかなか見つからない。これは経験的なもので私は割と感が働くが慣れないと難しいのかも

形の良い小さな石を一個拾ってきてPC机の飾りにしていたが何時の間にか何処かへ行ってしまった。白いキーボードのPCも10年近く前に壊れてこの写真だけが残った

上は石灰岩が完全に結晶化して方解石に置き換わったものだが、その内部に紡錘虫らしい構造が残されている

霊仙山の秋

榑ヶ畑・山小屋かなや に懸かっていた登山道案内板。何時かこれらの道をすべて歩いて見たいと空想するが、残された時はあと僅か・・

2021.11.05  霊仙山・西南尾根より見た行者の谷・南東部  秋は800m標高辺りに帯状に残された夏綠広葉樹林帯が鮮やかな紅葉に染まる。背景に霞むのは養老山地

汗拭き峠を経由する榑ヶ畑道から登ると右手に眼下の大洞谷を挟んで西南尾根から霊仙山の北西斜面を見渡せます。紅葉が山麓を彩る季節には、木立の間から北西斜面の艶やかな紅葉帯を垣間見ることが出来ます。

汗拭き峠から見晴らし台への照葉樹林帯を抜ければ周囲は木々のまばらなカルスト台地へと入ります。左手には大洞谷の渓谷に向けて美しい紅葉帯が広がり、そのはるか先に近江盆地、琵琶湖が霞みます。

上は秋のお虎ヶ池。丈の低い笹・草や羊歯、ふっくらとした地衣類に覆われた高原は歩きやすく心地よい。むやみに足を踏み入れて植物をはぎ取り、表土流出のきっかけを作らないように慎重に歩む

 1084m 三角点のある霊仙山山頂、1098mの最高標高点に基石を据えなかったのは、三角測量の際、他の測量点の見通しが悪かったのだろうか

霊仙山  秋の西南尾根

西南尾根が最も美しい姿を見せるのは、行者の谷の上部に残された夏綠広葉樹林が五色の色合いに染まる10月末から11月の初めにかけての季節ではないでしょうか。紅葉の色合いは、新緑の若葉が見せる柔らかな色彩の変化とはまた異なった艶やかさがあります。

足元には目だった花もめっきり少なくなり、トリカブトやベニバナボロギクも殆ど花を終えていますが、ナギナタコウジュやフウロソウの仲間が時折ひっそりと花をつけています。そんな中で青い花をつけるワスレナグサの仲間だけはあちこちに頑張って咲き、いまだ蕾のものも見つかります。

行者の谷周辺ではかろうじて植林の伐採を免れた夏綠広葉樹の林が点在し、この季節ばかりはその存在を自己主張している

西南陵の登り降りはこのルート最大の難所。石灰岩の露頭を巧みに利用して滑らないように一歩づつ着実に登り降りする

下から見上げると西南尾根・西南陵がいかに急勾配か良く分かります。斜度もきつく、300m近い高低差があるため上り下りには十分な注意が必要です。

秋の笹峠・高木林 ミズナラ・ブナ域

琵琶湖に面して日本海気候の影響が強い霊仙山では標高680mほどの笹峠周辺に、御在所や国見岳の辺りでは900m前後に分布するミズナラ・ブナクラスの夏綠広葉樹林の高木が茂り美しく紅葉します。落葉が始まった広葉樹林は明るく開放感に満ちて山歩きの心地よさを味わえます

苔むした石灰岩塊の中に林立する苔むした高木の姿はいかにも石灰岩の山

春の藤原岳・福寿草

藤原岳は霊仙や御池と並び鈴鹿山系の中でも代表的な石灰の山で、その東斜面は古くから太平洋セメントの藤原鉱山によって採掘がなされ、地元に多大の富を生んできましたが、その代価として山腹は山頂部まで削り取られ山の景観はうしなわれてしまいました

階段状に山腹を削り取り、セメントの原料の石灰岩を採掘する。石灰岩は石炭紀からペルム紀にかけての環礁が付加したものだからその歳月たるや2億年以上の時をかけて自然が作り出した山なのだが、人の手にかかるとたちまち彫り取られてしまう。背後の高峰は白山

太平洋セメント・藤原工場 ( 旧小野田セメント )  かっては満足な産業とてなかった地元にとって、この工場がもたらした富と雇用は計り知れないものがあったのだろう

藤原岳は山頂付近に福寿草の群落が広がる山として知られています。残念なことは奥村さんの絵地図からも、鈴鹿北部の山を私に案内してくれる良友の話からも花が徐々に少なくなってゆくことが伺えます。山を愛する登山者の進入が山の土を削り、山道周辺の土を踏み固めて植物の生息環境を変えてしまい植物を衰退に追い込んでいるのであれは誠に皮肉な話です。

現在はあまり人の踏み込めない9合目前後の山腹に群落の多くが残されている様子ですが、この辺りにも株の減少が及ぶようであれば、残念ですが伊吹山のように植物の群生地には徹底して登山者の立ち入りを制限し環境の保全を図る必要があるのでしょう。

現在も苔むした石灰岩の間を埋める土壌には多数の株が茂り美しい花をつける。早春の間は丈の低い福寿草も初夏になれば葉や茎を茂らせて雑草と変わらなくなる

その年の気候によっても変化しますが、藤原岳の福寿草の開花時期は概ね3月中旬から4月中旬辺りかと思います。場所により日照時間や地温が異なるので多少のばらつきは出ますが、まだ寒さの残る3月では株のしまった、葉の小さい冬の寄植えに見られるような福寿草に出会えますし、4月に入って気温が上昇するとみるみる葉が茂って大きな株に花をつけるようになります。

御池岳・不思議の森

藤原岳の西、滋賀と三重の県境にまたがって聳える御池岳・鈴ヶ岳は、嘗て鞍掛トンネルが開通し峠がトンネルで結ばれるようになるまでは、鈴鹿山系の秘境とまで言われた奥深い山です。

御池岳山頂は標高1247mの最高点という以外今一つのポイントですが、山頂部の深い苔に覆われた登山道を歩めばこの山の自然の懐の深さが自然に伝わります。

ボタンブチより観た天狗の鼻。御池岳の南西斜面は石灰岩壁が100m以上も急勾配で落ち込む岸壁。養老山地と同じ方向性を持つこの急傾斜の原因が御池川の浸食によるものか、鈴鹿山脈の傾動地塊を誕生させた地殻内応力場によるものなのかは、私には不明です

T字尾根より見上げる天狗の鼻。1200mを越える標高を持ち天候に恵まれれば鈴鹿山脈の北部から中部の山々が一望できる

T字尾根より見上げた御池西南壁。天狗の鼻・ボタンブチ・ボタン岩へと連なる石灰岩露頭の断崖

山中深くまで自動車道が整備された今でこそ、御池岳も北の鞍掛側や南の君ヶ畑側から日帰り登山のできる山となっていますが、嘗ては山を生活の糧にしていた山の民でもなければ安易に立ち入れる山ではなく、戦後間もないころなどは、まだ探検などという空々しい言葉さえ聞かれたものです。

御池岳山頂の東部、奥の平から東の奥の平にかけての高原地形、御池山頂部には日本海拡大期の準平原とみられるカルストの平坦地形が続く

嘗て秘境と言われた御池岳も、道路の開通と自動車社会の到来によって私の様な山の素人でも一日で行き来できる山へと変わり、そこそこ山歩きを楽しむことが出来るようになったのは喜ばしいことですが、それが同時に山の環境を変化させ生態系の破壊につながることを思うと忸怩たるものがあります。

ことに御池岳のように今でも山に分け入れば、そこかしこに不思議な魔法の国の様な雰囲気を持つ山の場合にはなおさらのことです。

苔や羊歯に覆われた湿った森は分け入るのも憚られるような厳かな雰囲気がある。この森の背後には私など想像もできないほどの多くの生命を支えているのだろう

御池岳周辺に咲く花

そんな神秘的な山には藤原岳や霊仙山同様に石灰岩地帯を好む好石灰植物群集と呼ぶ独特の植物集団が春先から様々な花を咲かせて登山者を楽しませてくれます。奥村光信さんの絵地図を見るとこの山の持つ豊かさが良く分かります。

ことに4月から5月にかけての登山道周辺には奥村さんの絵地図に見られるようにニリンソウ、イチリンソウ、イチゲ、エンコグサ、ヤマブキソウ、カタクリ峠からの稜線部にはカタクリ、タチツボスミレ、シハイスミレ、イワカガミ、ハルリンドウなどが次々に花咲きます。

また春から初夏にかけては、運が良ければスジクロシロチョウやウスバシロチョウなど山地性の蝶も見ることができます。

御池岳  動物の森

またシマリスをはじめとしてシカやアナグマなどの哺乳類にもよく出会えるのも、この山の自然の豊かさの現れだと思えます

鈴鹿南部の山ではまれに二ホンリスを見かけることがありますがシマリスには出会った記憶がありません。シマリスは大陸からペットとして持ち込まれたチョウセンシマリスで、現在では完全に御池岳周辺の環境に適合して安住の地を得ているようです。

池の御池岳

御池の名が示すように、この山にはドリーネに水を湛えた池が散在し、奥村さんの地図には名のあるものでも16の池が記載されいてます。草木におおわれてはっきりしないものも含めればもっと多くの池があるようです。

傾斜の緩やかな高原上の山頂部では、岩盤の石灰岩は水を浸透しにくいため草木とともに地衣類が表層を覆って水分を蓄える役割を担っているようです。数十センチもある杉苔の絨毯は踏み込むことも憚られるまでに美しく見事な眺めです。

霊仙山や藤原岳、御池岳に限らす、この国にある石灰岩の山地は自然が数億年の気の遠くなるような時をかけて生み出してくれたものです。いったん破壊されれば、浅はかな人間の力によって再現することは不可能です。既に多くのものが失われつつある今、これらの山々の姿がいつまでも変わらず保存されることを願ってやみません。

鈴北岳より望む霊仙山。平坦な山頂部のカルスト高原の様子が良く分かる

アルプスの遠望

関ヶ原を挟み鈴鹿山脈の北に聳える伊吹山 ( 1377m ) 霊仙、御池などと同じく古生代  石炭紀・ペルム紀の環礁が付加した赤坂石灰岩からなる山で霊仙や御池同様に山頂部は平坦な高原地形

伊吹山の遥か背後には雄峰  白山が聳える。

白山の右後方には飛騨山脈。左端より黒部五郎岳、中央左笠ヶ岳、中央右槍ヶ岳、その右穂高、右端烏帽子岳。

左端槍ヶ岳、その右穂高、中央烏帽子岳、その左乗鞍。

こちらは独立峰の御嶽山

その右には中央アルプス、木曽駒ケ岳、三沢岳が霞む

美しい風景の中に採石のため削り取られた山肌を見るのは悲しいものです。人の営利はさりげなく自然を破壊して行き、いつかは人の生活基盤までも破壊しつくしてしまうであろうと思われてなりません