佐目溶結凝灰岩

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佐目溶結凝灰岩

永源寺ダムの南部に注ぐ佐目子谷川上流の両岸には佐目溶結凝灰岩と犬神花崗斑岩の岩体があり、その下流では基盤岩の玄武岩質緑色岩に混じって多数の湖東流紋岩類の転石を目にすることが出来ます。佐目溶結凝灰岩堆積の当初は谷の中央部も火山岩によって埋められていたと思われますが、その後の隆起侵蝕の過程で侵蝕程度の弱い谷両側の峰部分のみ現在まで残ったようです。

佐目子谷川下流部 基盤岩の緑色岩・泥岩・チャート・石灰岩と共に湖東流紋岩類の転石がある

同じ岩相に属した石でも堆積環境や風化条件の違いによって色・斑晶の大きさ・異質岩片等の様子は全く異なる

白っぽい転石の多くは湖東流紋岩類ですが、実際に拾い集めてみると実に様々な色をしていて、斑晶と石基の組み合わせも様々です。これは火山岩の産状における特徴の一つで、火山の噴火と共に吹き上げられたマグマ片と火道周囲に存在して破砕された岩片は大気中に吹き上げられ、その重量や比重によって選別淘汰されて、重いものは火道周辺に、軽いものは遠方に落下します。

また同時に時間的な選別淘汰をうけて軽いものほど長期間大気中に滞留しますから堆積層の下層ほど大きく重いものが集中する傾向にあります。すなわち堆積する岩相は堆積層の上下方向と同時に水平方向にも選別が行われ堆積するため、場所によってまるで異なった見かけを示すようになります。そこに岩体崩壊による火砕流が発生すると、これら垂直・水平方向の堆積物が更に混在します。この様な環境に谷が刻まれると、下流には様々な岩相を示す転石が見られるわけです。

五万分の一地質図幅・御在所山による佐目溶結凝灰岩の記述によると「本層は,ほぼ例外なく熱変成作用を受けている.新鮮な部分では暗灰色の,やや風化した部分では,灰色を示す溶結凝灰岩からなり,極めて堅硬である.長径数cmの偏平化した本質レンズを含み,石基との色調の違い(基質部より暗色もしくは明色である)により肉眼で区別できる.本層を構成する溶結凝灰岩は1-3mm径の結晶片に富み(容量比40-50%),その量比はほぼ石英≧斜長石>カリ長石>苦鉄質鉱物の順である(第21図).破断面では清澄な,あるいはわずかに一部白濁した光沢の強いカリ長石が目立つ.佐目子谷西側の岩体中軸部で厚さは400m以上である.」とのことです。

A:佐目溶結凝灰岩 地質図幅の記述に有るように新鮮な断面はガラス質で暗灰色。風化面は白~白褐色になる

岩相は複雑に変化しますので、この記述からは大きく異なったものも存在します。地質図幅には佐目溶結凝灰岩の最下層部の記述は「石質岩片は通常極めて乏しいが,基盤から数mの範囲には多量に含まれる.石質岩片は径数cm以下のものが大部分を占め,その岩質は中・古生層に由来する砂岩・泥岩・チャートからなる. 基盤と接する部分では細粒の結晶片に富むようになり,これを西川ほか(1979a)は最下部層として区別している.」とあります。

B:最下層に近い岩相をみせる佐目溶結凝灰岩 色は非常に黒くチャート・泥岩・砂岩等の異質岩片が挟在する

切り出した標本は上の二枚の写真に上げたA:B:のふたつの石です。佐目子谷川の転石には貫入岩の犬神花崗斑岩も混じり合いますので、火山岩類の岩相変化の幅が広がり識別が難しくなります。私も詳しくは区別できないので、この二種類を標本とすることにしました。

最初はA:暗灰色の断面を持つ石ですが、下の切り出し面の写真ではかなり褐色ががっています。

A:切り出しが悪くて、研磨中に1/3程度になってしまう。それでも多数の石英斑晶や異質物が確認できる

A:以後4枚の視野は約10mm✕6.7mm、偏光顕微鏡下で最初がPPL 後の写真がXPLです。

PPLで透明感の高い石英斑晶がよく目立ちます。一・二枚目中央右下には再結晶化が進んだチャート(と思います)があります。長石の多くは痛みや変質している様子です。

3~4枚めの写真では、迷光の影響もありますがPPLでほぼ不透明な部分でもXPLでは結晶質で僅かに透過光があり着色して写っています。細かく見ていくと、更に色んなことがわかります。

A:以下の写真の視野は約3.3mm✕2.2mmです。

中央は再結晶化した砂岩か過去の火山岩か。石基もムラがあり右上では結晶化が進んでいる

長石の斑晶と中央右下は角閃石。全体に有色鉱物の斑晶は少なく、石基に溶け込んでいる様子

石英も内部に細かい亀裂が沢山ある。右端に黒雲母。石基の中央部は左右に圧縮された感じ

石基には泥岩・砂岩・チャート等の微小岩片が無数に混在していて土砂が火山灰と共に泥流状に堆積した様子

褐色と緑の多色性を示す黒雲母の綺麗な結晶。石英は中央右のように綺麗なものが多いが長石は変質汚損が酷い

PPLで暗い部分は様々な微小岩片の集合体で変質や再結晶化も進行している

こうしてみますと、顕微鏡で観察できるのは岩石の極々僅かな部分に過ぎないのですが、それでもその中に残された岩片や鉱物の有り様から、その岩石が生まれた状況をある程度は想像できるような気がします。

石基の状態をもう少し詳しく見るため更に高倍率の対物レンズ(M PLAN 10x)で石基部分の拡大写真を撮ってみました。

A:視野は約1.5mm✕1mmです

変質の進む長石や雲母に交代してゆく角閃石斑晶の粒間を微細な石基の粒子が埋めている:PPL

PPLでは等質に見える石基部分も細かい濃淡の差が生じ鉱物の再結晶化が進んでいる:XPL

PPLの透過写真を見ると、石基部は様々な微小異物片を含んでいますが、全体として微細な等粒物質の集合体のような印象を与えます。しかしXPLの写真では均質に見える部分も複雑な濃淡の差を持つた微小結晶の集合であることがみてとれ、一時期は石英の再結晶も可能な環境条件に置かれたことが窺えます。

石基中には部分的に多数の微小な異質岩片が混在していて、麓の土石を巻き込んだ火砕流堆積物であることを理解できますが、転石を割ったガラス質の硬質な石の端面を眺めているだけではなかなかそこまでの想像はつきません。かっては湖東流紋岩類全体が学者によつて溶岩が火道の途中で冷え固まった斑岩・脈岩と見られたのも故なきことではないと良くわかります。

B:続いて石基が黒色の堆積基底部に近いと思われる石を標本にしてみました。石基は青みを帯びた黒色ですが研磨してみると全体に緑がかった暗色となり、塩基性岩の薄片のような色になりました。斑晶はAに比べて確かに細粒ですが、基底部のものかは不明です。

B:以後4枚の視野は約10mm✕6.7mm、偏光顕微鏡下で最初がPPL 後の写真がXPL

Aの石同様にPPLで透明感の高い石英斑晶がよく目立ちます。石基は全体的にこのBのほうが均質な感じを与えます。異質岩片も見分けられますが、全体に破片が小さくてAより見にくいです。

3倍に拡大して細部の構造を見やすくしましたが光源と絞りの性能が悪いため部分的に迷光が生じてボヤケています。

以下のの写真の視野は約3.3mm✕2.2mm

B:上写真 中央はチャートか。再結晶した石英脈が綺麗にでている

B:上写真 中央上部は泥岩らしい黒塊。中央には石英質結晶の集合体のような物質がある。深成岩片か

B:上写真 左上と中央右に溶結凝灰岩片の様な岩片。この石が固結する前にも火山活動があったのだろう

B:上写真 異質岩片が多く長石や有色鉱物は変質して鮮明な結晶はほとんど確認できない。

Aと比べると、こちらの方が斑晶や岩片の淘汰が進みより細粒で全体に均質な印象です。下の拡大写真でもわかりますが石基の周辺には微細な斑晶や岩片がびっしり取り巻いていてAより石基の占める割合が低そうです。石英の斑晶だけ見ると、こちらの石の方が痛みが少ない印象ですが角閃石等多くの有色鉱物は緑泥石や粘土鉱物に変質している様子で、Aのように痛みの少ない角閃石や雲母の斑晶はあまり見られません。

B:石基部分の拡大写真。視野は約1.5mm✕1mmです

拡大写真では石基が占める面積は、Aよりも少ないことが良くわかります。この程度の拡大率ではまだ見にくいのですが、それでもXPLでみると石基部分についてはAと同じように部分的に濃淡が生じ微細な結晶化が進んでいます。

A、B二種類の石が共に佐目溶結凝灰岩に属するものなのかどうか、谷の転石を拾ってきて覗いているだけの私には確証が持てませんけれど、集めた場所と地質図幅の記述を頼りにすると、これらの石が佐目溶結凝灰岩ゆかりのものとみても良いのではないかと思っています。

佐目溶結凝灰岩の堆積時期は湖東流紋岩類の中でも最も古く90Ma(9000万年前)頃と見られていますから、ちょうど白亜紀に起きた大造山運動によって中国大陸の南東側大陸縁に沿って幅300km・長さ3000km以上に及ぶ火成体動が生じた時期で、当時中国大陸の一部であった西南日本の陸塊にもこの運動による火山がいくつも誕生し、湖東流紋岩を生んだ火山もその一つであったわけです。

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