猪の鼻トーナル斑岩

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猪ノ鼻トーナル斑岩

鈴鹿峠より国道一号線を京都方面に下り、新名神の高架を抜けると直ぐに土山町猪ノ鼻に出ます。猪ノ鼻の北部田村川沿いの狭い範囲に猪ノ鼻トーナル斑岩の岩脈が存在します。半深成岩的性質を有し、その岩質や分布形態等犬神花崗斑岩との類似性から青土トーナル岩同様に、湖東流紋岩の活動末期に貫入した花崗岩類と考えられています。

五万分の一地質図幅 亀山によれば「本岩は,ほぼ南北方向に伸びる幅数100mの小岩体及び岩脈として,古生層を貫く.・・・本岩は,灰色―灰褐色を呈する半深成岩で,主に角閃石黒雲母トーナル斑岩(カリ長石をほとんど含まない)からなるが,採石場北方の岩体はこれよりやや珪長質の黒雲母花崗閃緑斑岩である.本岩の多くは,顕著な熱変成作用を被っており,その熱源となった花崗岩体(鈴鹿花崗岩)が猪 ノ 鼻地区の地下比較的浅処に伏在するものと考えられる.」

またサンプルの岩石学的特徴として「斑晶鉱物は,斜長石>石英>黒雲母>角閃石で,全体で約50%(容量比)を占める.黒雲母は六角薄板状結晶(長径2-5mm)をなし,しばしば劈開面がキンクバンド状に屈曲する.多色性はX=淡黄色,YZ=赤 色である.角閃石は長柱状結晶(長さ 1cm以下)をなすが,外形を残すのみで,熱変成作用により微細な黒雲母(斑晶黒雲母よりやや淡色,鱗片状)や炭酸塩鉱物・不透明鉱物などの集合体に変化している.斜長石は,自形短柱状(長さ5mm以下)を呈し,しばしば集斑晶状に集合し,累帯構造が顕著で,アンデシン―オリゴクレース組成をもつ.石英は,自形又は融食形を示し,径2-3mmのものが多い.石基は,微粒の斜長石・石英・黒雲母からなり,グラノブラスティック組織を示している.」とあります。

田村川の南部では大規模な土砂の採掘が行われていて、多くの岩盤の露頭が有るのですが採掘現場へ勝手に入るわけにもゆかず、川の北岸、山側斜面の転石を集めることにしました。

採集地点の地図は青土トーナル岩のE・Fです。川沿いの林道から沢をたどって北側の山へ入ると、過去に山上部から崩落したとみられる巨大な転石が幾つも見つかります。これらの石は、層理で割と簡単に割れるのですが内部まで風化が進んでいて、内部も酸化した鉄錆色で覆われています。

標本を取ろうか迷いましたが、マサ土の様な感じで、見るからに石の鮮度が低いため諦めました。

標本 E

結局沢の入り口にある堰堤に溜まった石の中から新鮮そうな石を選びました。この石は地質図幅にある岩色とはかなり違うのですが火山岩であることに違いありません。

E:猪の鼻トーナル斑岩。石基は暗緑色の部分と風化して茶色い部分がある。再結晶化が進み石英脈が走る。

E:薄片では石英脈に近いせいか石英斑晶が目立つ。研磨の際砥石で一部を削ってしまいましたがなんとか見られます。

E:以後の写真の視野は約10mm✕6.7mm、最初がPPL 後の写真がXPL

石英以外の鉱物も綺麗な斑晶を見せます。石基の明るさからが粒間を埋める細粒石英の再結晶化が分かります。

石英のバンドを除けば、全体に保存の良い溶岩・脈岩のサンプルです。有色鉱物は変質していますが黒雲母は綺麗な結晶が確認できます。強い累帯構造を持った斜長石が散見でき、やや斑晶の大きい石英の比率が高そうですが全体として猪の鼻トーナル斑岩の特徴に沿うものでしょうか。

E:以下の拡大写真の視野は約3.3mm✕2.2mm 最初がPPL 後の写真がXPL

融食形の石英も多く、石英バンドの発達からも分かるように熱変性を受けたことが分かります。表面観察では角閃石と思える鉱物が確認できましたが、鏡下では有色鉱物がは黒雲母が殆どです。

石英の破砕された様子や石基にみられる一定方向に流れたような模様からは火砕流堆積岩のような印象を受けます。

標本F

F:この林道では青土トーナル岩に似てより完晶質の石も拾いました。小さな堰堤のあった沢が林道と接するあたりの山側路肩に転がっていたもので、Eよりは遥かに明るい灰褐色をしており岩色は地質図幅の記載に近いものです。

地質図幅記載に有るように六角板状の黒雲母結晶が眼視でも石の表面に多数確認できます。中・粗粒斑晶と細粒の部分に分かれていますが、全体に完晶質で花崗閃緑岩~石英閃緑岩のような印象です。

F:目視では黒褐色の六方形黒雲母結晶や黄色い粘土鉱物に変化している部分がよく目立つ

斑晶の量比も地質図幅のように斜長石>石英>黒雲母ですが、角閃石はルーペで見ても存在が分かりません。

F:以後4枚の写真の視野は約10mm✕6.7mm最初がPPL 後の写真がXPL

石英以外の鉱物も綺麗な斑晶を見せますが有色鉱物は殆どが黒雲母のようにです。安濃川上流部の石英閃緑岩に近い。

F:以下の拡大写真の視野は約3.3mm✕2.2mm 偏光顕微鏡下で最初がPPL 後の写真がXPL。

地質図幅の記載にあるように斜長石は顕著な累帯構造を示します。カリ長石がほとんど見られないこと、石基は見られず完晶質であることから黒雲母トーナル岩に近いようです。

湖東流紋岩類の石集めも、この猪の鼻トーナル斑岩で最後です。十数枚の標本を作って見てきましたが、中には鉱物の変質交代が激しくて初期鉱物の原型を留めないものも多く有る中で、最後のこの石は全体にかなり綺麗な結晶形を残していてくれました。

こうした時代の石を眺めていますと、これまで見てきた火山岩や脈岩が実際に活動していた時代・中生代に、巨大火山の活動する南中国大陸の壮大な自然環境の一部として、この辺りの大地が存在していたことの不思議を思わざるを得ません。

当時の凄まじい火山活動によって広範に地表を覆っていたであろうこれらの火山岩や火山性堆積岩は、その後に続く新生代境界に生物の大量絶滅をもたらした天地異変すら、こともなげに経験したのでしょう。数億年の時を経てもその姿を保ち続ける石や岩にとっては、その上で生きる生物など、誠にちっぽけでひ弱い存在と写っていることでしょう。

その後この大地は地殻の断裂と云う大異変にさらされ、大陸であったはずの大地は引き裂かれて大洋の沖へと押しやられ、かろうじてそこに踏みとどまって今日の日本列島となるわけですが、大陸の身内から引き離されて海の彼方へと追いやられてしまったこの大地は、どんな思いをもって日本海の拡大を経験したのでしょうか。

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