鈴鹿山脈西部  中・古生代の山

花崗岩の露頭が多く荒々しい東部・県境尾根の山々に比べて西部には雨乞岳、イブネ、クラシなど草木に覆われ平坦な準平原と見られる古生代・中生代の地殻をもつ山々が連なります。

2021.05.30  御在所山頂からはイブネ・クラシが手に取るように見える。山頂部は定規を当てて綺麗に削り取ったように平たく、日本海が開いた1600万年前ころの海進で水没した際の準平原とみられる

これらの山は、花崗岩の露出を免れて、その地表面を古生代・石炭紀から中生代・ジュラ紀にかけて海洋プレートと共に移動してきた海洋底や火山島が、海溝堆積物などと共に大陸縁の海溝に沈み込み、海溝の陸側大陸に付加した付加体で覆われています。

2011.11.26  東雨乞岳よりイブネ・クラシから日本コバへと続く鈴鹿山脈北西部の展望。山頂部は1000m前後の水平面を保ち、背後の霊仙・御池・藤原の山々も平原状の山頂をもつ

また雨乞岳やイブネ、クラシの山頂部には白亜紀後期から古第三紀初頭にかけて活動し湖東流紋岩類を生んだ巨大火山による岩脈が当時の地殻表層にまで上昇して花崗斑岩となっていま

白亜紀から古第三紀に至る時期は激変の時代で、火山活動だけではなしに隕石衝突によって恐るべき環境の変化が生じ中生代の生物はあらかた滅んでしまうのですが、これすらも地球史の中では一瞬の出来事に過ぎず、数百万年も経過すると地球環境は何事もなかったかのように平穏な時代となります。

日本を含む南中国も白亜紀~暁新世以降の地殻の変化は穏やかであったようで付加体の表面を覆った湖東流紋岩類も徐々に風化浸食されて日本海が拡大する2000万年前頃には準平原に近い地形が形成されていたようです。この時期既に地下にあった鈴鹿花崗岩の一部は浮力によって徐々に上昇し地表面に達していたことが知られています。

2011.11.26  東雨乞岳から雨乞岳を結ぶなだらかな笹の尾根道。背丈を越える笹薮は踏みわけも困難で、ルートを違えるとひどい目に合う

中新世・今から約2000万年ほど前、アジア大陸の東端はプルーム流の活動によって激しい展張場におかれ、大陸東縁にあった地殻はいくつもの小片に引き裂かれて移動を始めて、日本海の開裂とともに今日の日本列島を造り出しますが、この過程で1600万年前頃には現在の鈴鹿山脈に当たる地域は完全に海面下に沈んだ時期があったようです。

2013.09.29 東雨乞岳より見た雨乞岳  やや雲の多い晴れ間、遠景に近江盆地が霞んでいる

海進に伴い、鈴鹿山脈の一帯には中新世の海成堆積物が堆積しますがそれらの堆積物は既に地表露出していた鈴鹿花崗岩や中・古生代の付加体、湖東流紋岩類の表層を覆いました。その大半はその後の隆起による陸化の結果、風化浸食されて失われますが、その一部は山脈の稜線上に残り、堆積当時の地表環境を想像する鍵となっています。私には雨乞からイブネ、クラシ、日本コバ、霊仙、御池などの山頂部の平準化は海進期の海水面の浸食を記憶しているように思われます。

2019.11.13 竜ヶ岳の中・北部は鈴鹿花崗岩の露出を免れて、古生代・石炭紀~ペルム紀の海洋底玄武岩と中生代ジュラ紀の付加体で覆われている。左端背後は石灰岩の山・御池岳

2022.04.09 三池岳より望む竜ヶ岳・南麓。山頂部の尾根の平坦さが良く分かる

付加体を構成する、硬質砂泥質岩、チャート、玄武岩、石灰岩などはどれも花崗岩に比べて鉱物結晶が緻密で、結晶間隙に雨水が浸透しにくく風化に強いため、地殻は古くとも花崗岩に見られるような山腹の風化・崩壊はむしろ少ないと言えます。

竜ヶ岳・重ね岩からの鈴鹿山脈主稜線部分。中央に三池岳、その背後に釈迦ヶ岳、右背後には御在所山が霞む

上は同じく竜ヶ岳南面の重ね岩から展望した鈴鹿山脈主稜線の南部で、重ね岩以降鈴鹿花崗岩が地表露出しており、山腹は深く開析されて山襞が複雑に入り込んでいて、表面が花崗岩質ではない山々とはかなり異なった山容を見せています。

鈴鹿花崗岩の巨大な露頭・重ね岩。花崗岩の山岳地帯では普通に見かける光景

竜ヶ岳中北部ではこのような荒々しい光景は見られず、山頂部から山腹にかけては草木に覆われたなだらかな高原風の地形が連続します。

2020.05.20 竜ヶ岳北部、遠足尾根へと続く登山道。傾斜のなだらかな尾根道は遠足尾根の名をよく表している

シロヤシオ咲く竜ヶ岳北面の山腹。鹿が多い様子でよく見ると鹿の姿を確認できたりする

2003.05.04 水沢峠よりの入道ヶ岳とイワクラ尾根  中生代・ジュラ紀の付加体が覆う入道ヶ岳山頂部と鈴鹿花崗岩が露出するイワクラ尾根では山容の違いがよく出で入る

2012.05.23 馬酔木とツツジの新葉が萌える入道ヶ岳山頂北西斜面

入道ヶ岳においても、花崗岩の県境尾根からイワクラ尾根伝いに入道ヶ岳に出ると、岩塊とマサの変化に富んだ花崗岩地帯から馬酔木・ツツジの叢林と笹や地衣類に覆われた山頂部の穏やかな世界に変わり、歩いていても自然と心も和みます。

2012.05.23 入道ヶ岳のなだらかな山頂部と峻険な県境尾根・鈴鹿花崗岩の稜線部

こうしてみてみると、地質の違いが山の形や植生の違いを生み山の姿を大きく変えてしまうことが良く分かります。ただしこれはあくまでも一般的な傾向であって、当然例外もあります。

御在所山の東斜面は平原状になだらかで、古くからスキー場になっていますし、鎌尾根の南部には入道ヶ岳を思わせるような、馬酔木の叢林が広がる高原風の鞍部があったり、仙ヶ岳南部の御所平はその名のとおり木々のまばらで平らな尾根です。これらは地質図からはどれも花崗岩帯に当たりますが、その山容も植生も花崗岩地形の特徴からは少し外れています。

ただ御所平の周囲の稜線には湖東流紋岩の礫層で覆われた場所がありますから、あるいはこれらの場所は少し前まで中新世の堆積層が覆っていたのかもしれません。