子供の頃、春がきて急に周りの空気が暖かくなり外に出るのが心地良くなってくると、きまって家の中に小型のカミキリムシが現れた。大きさは12~13mmくらい、大きいものでも15mmはなかった。
背中が青みががった金属光沢をもったのと、薄茶色で少し小型のやつでどこからともなく現れて早足でそこらじゅうを這い回った。すばしこくちょこまか歩きまわるし、幼稚園の子どもでも簡単に捕まえられたから、家の中でうろついているのを見つけては小さな空き缶に入れて楽しんだ。
小学校に上がった頃には彼らがどこから現れるのか突き止めた。当時はどこの家庭も炊飯に竈をつかい、そのため家には大量の薪が置いてあった。薪には、クヌギやナラ等の落葉広葉樹の枝や幹を小割にして束ねた「堅木」と杉や檜の針葉樹の木っ端材を小割にして束ねた「コワ」がある。
まだ学生の頃に作ったヒメスギカミキリの標本。嘗ての標本箱を見ると昔は虫も多かったなあとつくづく思う
こいつらはそのコワから大量に湧き出してきた。まだ杉皮のかぶっている平べったいコワを良く調べてみるとそこ此処に彼らが外へ抜け出た穴がある。杉皮を材から無理やり剥がしてみると、材に平たい虫食いの溝ができている。中にはまだその溝の中に入っているやつまでいた。何匹か捕まえて缶の中に入れておくと、茶色い背中のに青い背中のやつがおぶさって一緒に這い回り出す。
こんな時は下にいるのが雌なのだ、とは近所の上級生に教わった。名前は「ヒメスギカミキリ」で、これは何時しか自分で調べた。背中の色に多少の変化があって、青色の雄でも肩のあたりが赤くなっているのがいる。
春真っ先に出てくる甲虫だったから私の気に入で、なるべく大きいやつを見つけるのが楽しみだったが一週間もするとほとんど姿を見せなくなるのだった。毎年標本にしょうと思いながらついつい忘れてしまい、思い出した頃には何時も姿がない。お粗末な話で小学6年の間、毎年夏の標本箱の中に並んだことがなかった。
上の標本は1968年4月16日採集したものだが、彼らのおかげで小1の頃から虫は夏だけではなく、虫の中には春先から姿を見せるものが色々いることを知った。ヒメスギカミキリ同様に幼虫が杉の外皮と内皮の間を食害するスギカミキリも桜や菜の花の咲く時期に姿を見せる。
スギカミキリ こちらは4月10日撮影のもの。昆虫標本を作るようになってから甲虫の中にはハネカクシやゴミムシの仲間などまだ寒い3月から姿を見せるものも多いことを知る
五月連休も過ぎ、あたりが緑の若葉に包まれて、学校の行き帰りに様々な生き物が目につくようになると、土曜の帰り道などに眩しい日差しの中を小さな赤色のカミキリムシが飛んで来る。飛び方もやさしく割と簡単に捕まるので毎年この時期には何匹も捉えた。他の小昆虫と一緒に野ばらや生垣の花に来ていることもある。
赤色の虫は少ないし、なにより可愛いので籠に入れて飼ってみるのだが、カブトムシのようなわけにはゆかず、直に弱ってくるから結局逃がしてやる。ベニカミキリと云う名前もその姿に似つかわしくて好きだったが、小学上級生になると、こいつの仲間にごく稀に赤い背中に二つの点々を持ったのが混じっていることに気づいた。
当時小学校にあった甲虫図鑑にはこのカミキリのことが載っていなかったので、もしかしたらこれは新種で私が見つけたのかもしれないと喜んだが、その年の秋、市内の小学生の夏休み作品展の展示標本の中にこの虫の標本があり、ちゃんと名前も付けてあつたからやっぱりなーと納得した覚えがある。
上翅に薄い紋をもったベニカミキリ。斑紋のある類似種で前胸部の周囲や上翅会合部が黒いヘリグロベニカミキリがあるが上はベニカミキリの変種
竹の枯材に入っているベニカミキリの蛹。9月11日の写真で秋のうちに成虫へと脱皮し成虫で冬越ししてよく春に姿を現すようだ
ベニカミキリの幼虫は枯れた竹の材を食べて成長するから、垣根や作物の添え木、物干し竿など身の回りに様々な用途で竹を使用する我が家の周りでは今でも春になると良く見かける虫の一つになっている。変わり種は竹にははいらないようだけれど、レッドデーター指定の県はなさそうだから、まだこれからも出会う機会が有ることだろう。
愛嬌のあるベニカミキリとは反対にむやみにでかくて恐ろしげなやつがいる。シロスジカミキリと云う日本でも最大級のカミキリムシで小三の初夏、クヌギにいたのを初めて捕まえた。雌の大きなやつは体長6cm以上もあり、なんでかいなと思ったものだ。
図鑑で名前はよく知っていたけれど模様がクリームががった美しい黄色で少しも白くない。死ぬと色が抜けて白くなるので、生態を知らぬ学者が標本を見て命名したものだろう。
中学に進んだ春、校庭の周りに植わっていた柳の林にこいつらが大量にいるの気づいた。五月連休が済んだ頃、柳の幹を食い破って親指が入るくらいの孔を穿って木の中から次々と出てくる。捕まえようと思えば何匹でもとれただろう。
彼らは既に冬の間に成虫となり芋虫の頃食い広げた生木の材のトンネルの中で春がくるのを待っている。焚付に使う薪の堅木のなかには、まれにこの成虫が入っていることがあった。
しかも彼らの幼虫が穿った穴には冬眠中の巨大なヒラタクワガタの親さえ見つけることができた時代だ。私は風呂や竈の焚付を手伝ったおかげで、真冬でもカミキリやクワガタが生きているのを知って驚嘆したものだ。
梅雨の時期が近づいてくると、家の前の道路の路肩には一面にカラムシ(ラミー:昔はこの繊維から麻を採ったという)の群落が成長してくる。この草の葉の上を探すと緑と黒のとても綺麗なカミキリムシをたくさん見つけることができる。
ラミーカミキリと呼ぶ虫で庭のムクゲや芙蓉にも集まり、その新芽を食害するし、茎に産卵して根上まで食い入って蛹になるから花づくりには困りものだけれど、毎年初夏の訪れとともに道端の雑草の上で可愛い姿を見せてくれるので功罪相半ばすると言ったところか。
私の子供の頃には観られなかった外来種で幕末から明治の頃に九州に現れ、徐々に北へと分布域を拡大しているらしい。私がこの虫に気づいたのはもう30年以上も前のことだから、今ではもう全国に広まっているのかもしれない。
もつとも数匹でも芙蓉の新芽に群れているのを放置しておくと、芙蓉の若い茎を齧って傷だらけにして花も咲かなくなるから、見つけ次第外に捨てに行くことは絶対に必要だ。
目の敵にして殺してしまっても、家の周囲には何百匹と住んでいるから絶対数に大差なく、彼等の仲間が群れるカラムシに放してやるのが一番穏やかな対策であろうと思っている。
ほんらいは、中国南部や台湾に生息していた外来種で幕末の前後に日本に渡来したと云う。私の子供の頃には津市でこの虫を見た記憶はない。1980年以降にこのあたりに進出して定着したのではないかと思う。
梅雨も後半に入り、雲の切れ間から真夏の太陽がのぞいて辺りを照らす頃になると、草むらの野ばらの茂みや庭の柑橘の枝から小型のカミキリムシが飛び立つ。白黒斑の触角を頭の上につきだし、六本の足を広げてバランスをとりながら、どことなくユーモラスで不器用な格好で空中を飛ぶ。
しばらく目で追っているとそのうちに丈の低い木立や草に着陸することが多くて簡単に捕まる。その模様からゴマダラカミキリと名が付いているが、よく見かけるカミキリムシの代表だろう。
子供の頃は夏になると最もよく目にしたゴマダラカミキリ。カミキリムシの種の多くは雄より雌の方が大きくてずんぐりした体形をしており雌の触覚は雄よりも短い。上写真左が雌、右が雄
上級生にカミキリムシの名の由来はその口で髪の毛でも切ってしまうからだと教わって早速試してみたが、髪の毛どころか草の茎もあまりうまく噛み切らないので嘘ではないかと憤慨した覚えがある。
ゴマダラカミキリは蜜柑を初め色んな花木について木の材を食い荒らすので園芸家にとって害虫の代表みたいな虫だが、夏の訪れを告げる虫として私は嫌いではなかった。
蜜柑やバラの枝で一匹見つけたらまず他にも何匹かいると考えたほうが良い。放っておくと産卵されて大事な庭木を穴だらけにされるから早めに捕まえて駆除するなりどこか山中へでも捨ててしまうかだ。
細い木なら強く蹴飛ばしてやると地面に落ちてくるから捕まえるのは簡単だ。家の蜜柑の木にも毎年何匹も集まるが、さすがに放っておくわけにもゆかず可哀想だが見つけ次第殺している。
今では全く見られなくなってしまったけれど戦後暫くの間、この辺りの農家では養蚕が盛んで蚕の餌となる桑の畑が方々に作られていた。私がこの土地に来た頃にはもう養蚕農家も殆ど無くなっていたけれど、その名残の桑畑は未だ沢山残されており、その後30年以上たった今も荒れ地となった桑畑の名残が結構残っている。
この桑の木に好んで付くカミキリムシが何種類か居る。その代表がキボシカミキリで、その名の通り体に黄色の斑点が沢山あり、ゴマダラカミキリよりは一回り小さく彼らよりはスマートな体型をしている。
全体にスマートで触覚も細くて長く、カミキリムシ中でも優美な体型の持ち主か
今でも初夏になって桑の木の周囲を探すと割と簡単に見つけることが出来る。当然桑の木に取っては大害虫で彼らに取り憑かれると桑の幹からオレンジ色の樹液が出るので養蚕の盛んな頃は見つけ次第殺されたものだが、桑の木がただの雑木と成り果た今では、嘗ての大害虫のカミキリムシも、もはや忘れ去られようとしている。
市街地ではあまり見かけないけれど、キボシカミキリに似た体型をもち真っ赤な地に黒い斑点を持つカミキリムシが居る。ホシベニカミキリと呼ぶ種でカシやタブ、ニッケイなど常緑樹を好むので山里の農道を散歩していると時折見かける。
両者の斑紋は黄と黒で色が異なるけれど、その配置のパターンはかなり良く似ている。これにかぎらず生物では異種間でその色彩や紋様のパターンに著しい類似を見せるものが多い。
その要因としてベーツ型擬態の効果によって模倣者の生存率が向上することが上げられるのだけれど、この二種の場合擬態にあまり意味が無いから斑点パターンの類似には何かもっと違った要素が介在しているのだろう。
桑の木に付くカミキリムシの横綱級はそのものズバリの名を持つクワカミキリだ。でかいものではシロスジカミキリに近い大きさで5cm程も有るやつがいる。
桑の若木の樹皮を食害するクワカミキリ。
家庭のイチジクにも好んで付くので、うっかりしているとイチジクの幹を巨大な孔だらけにしてしまう大変な害虫で、我が家のイチジクも毎年彼らのお陰で散々な目にあっている。
カミキリムシに産卵されてその幼虫が木の幹に入ると、表面からは見えないためなかなか分からず、幹から大量の木くずと樹液が出だして初めてそのことに気づくのだが、時既に遅きに失して幹の内部は巨大に成長した幼虫に食い荒らされて空洞だらけにされている。
クワカミキリ同様大型のカミキリムシにミヤマカミキリがいる。クヌギやナラを食害することでよく知られ、メスはクヌギの若木を好んでその樹皮に産卵する。子供の頃はカブトムシ採りに櫟の樹を回ると、樹液を出している大抵の木の幹にはカナブンやスズメバチと共にこのカミキリムシが樹液をなめに張り付いていたり樹皮をアバタのように噛り産卵していたものだ。
クヌギ酒場の主人ともいえるミヤマカミキリ。だいたいにメスは大きくて5~6cmの体長がある。カミキリムシは大抵の種で雄より雌が大きい。
ミヤマカミキリやシロスジカミキリが産卵すると孵化した幼虫は樹皮下を食い進むが、その結果樹皮の表面に樹液が染み出して、カナブンやカブトムシなど発酵したクヌギの樹液を好む昆虫が集まってくる。
カミキリムシの幼虫が開くクヌギの酒場はカミキリムシ以外にも樹皮に産卵する蛾の仲間やケシキスイ類も樹液が出るのを助け、様々な昆虫の存在に依ってクヌギの酒場が維持されてゆく様子だ。
酒場の盛りは7月はじめから8月はじめ頃までで、お盆の頃になると樹液の出も悪くなり集まる昆虫もだんだん余生を終わって姿を消してゆく。中畑から向山へ抜ける雑木林にて撮影
ミヤマカミキリはカミキリムシの中ではノコギリカミキリやウスバカミキリ、キマダラカミキリ等とともに強い走行性を持つ昆虫で、多分その不幸な習性のお陰で林野の近くにグラウンドや高速道路ができ水銀灯やキセノンランプの強力な人工照明が点灯すると、成虫の多くは光に引き寄せられて街灯の周りに集まり、翌朝にはカラスやヒヨドリなどの鳥の餌になってたちまち個体数を減らしてしまう。
自宅の前の牛谷の坂道周辺は明の里山が広がっており、坂の上には明小学校がある。30年以上も前、長男が小さい頃には明小学校の裏山にはたくさんの昆虫がいて、7 ~8月の風のない蒸し暑い日の宵に小学校まで散歩すると、小学校裏の照明には大抵何匹もミヤマカミキリが集まって居たものだ。
明小学校裏の蛍光灯に集まったミヤマカミキリ。以前は夏の宵に小学校まで上がると大抵姿を見られたが、今ではほとんど集まることもなくなった
家の息子もそうだったが近所の子供達はカブトムシやクワガタムシが灯火に来ていると喜んで持ち帰るがミヤマカミキリはあまり好まれない様子で大抵数匹のミヤマカミキリが灯火の周りの壁に止まっていたものだ。なぜか彼らはそのまま壁に張り付いて朝を迎えると、朝になっても他の昆虫とともに灯火の周りから離れず、最後は集まってきた鳥に啄かれて食われてしまう。
敗戦の荒廃から漸く立ち直った昭和30年代の初め、日本はまだ貧しく夜は闇の支配する世界だった。私の育った津市では当時国道以外舗装された道路もなく路上の照明も繁華街の国道沿いに蛍光灯の街灯がほつりぽつり立つ程度で、一歩郊外への道を踏み出せば裸電球の街灯も満足にない。山野へ続く道は漆黒の闇に閉ざされていた。
三重県ゆかりの小説家・梶井基次郎の短編「闇の絵巻」は夜の闇が支配する世界とその中に寂しく灯る人家の明かりや街灯の光との対比を描写した小品で戦前に書かれたものだが、敗戦後まだ街灯の整備がなされていなかった地方都市の郊外の闇の風景そのものだった。
小学2~3年生の頃、津公園周辺・大谷町の山野を開いて建設されていた新興団地の周りで毒蛾の発生騒ぎが起こり、大谷団地の入口に蛾を誘引する誘蛾灯なる青白い蛍光照明が取り付けられたことがあった。
誘蛾灯の光源の下には、殺虫液を満たした50cm四方ほどの浅いブリキのパッドが取り付けられていて光に誘引された哀れな昆虫が飛び込むとたちまち死骸となって液の中に浮かぶ。人家の蛍光灯以外殆ど光のない山裾のこととて、この光の威力は絶大で連日多数の昆虫を誘引殺傷した。
ノコギリカミキリは光に来る代表的なカミキリムシ。私が小1の頃、姉が盲腸で津公園脇の宇田病院に入院した際、病院の灯火にカブトムシなどと共に多数のノコギリカミキリやクロカミキリが飛び込んで廊下を飛び回っていた記憶がある
長い産卵管を出したウスバカミキリの雌。やはりよく光に来た。走光性の強い昆虫は昼間に探すよりも夜間の灯火採集を行う方が遥かに楽に固体を得ることが出来る
同じく走行性の強いキマダラカミキリ。昼間に何度も明小へ続く牛谷の道沿いの草に居るのを見たことがあるから、個体数は案外多いのかもしれない
キマダラカミキリは栗の開花する6月にベニカミキリといっしょに栗の花に集まっていることが多い
私は当時学校の始まる前に、早朝に起きては自転車で大谷町から渋見の辺り迄里山を回り、昆虫採集していたから大抵帰りがけに、この誘蛾灯のパッドを覗いて死骸となった哀れな虫たちを調べた。そこには無数の蛾( 肝心の毒蛾は殆ど見つからない ) やカブトムシ、コガネムシ、クワガタムシ、ゲンゴロウ、キリギリス、タガメの類に交じって、クロカミキリ、アオスジカミキリ、ミヤマカミキリ・ノコギリカミキリ・キマダラミヤマカミキリなどが浮かんでいた。
もう一箇所誘蛾灯が設置された所があったが、こちらも肝心の毒蛾はまず見つからず死骸は毒蛾騒ぎとは無関係の虫ばかりでほとんどその効果はなかったように思う。
当時の誘蛾灯の犠牲者として良く目立ったアオスジカミキリ。私は子供の頃、誘蛾灯以外でこの虫を見つけたことがない
毒蛾に限らす蛾が産卵すると、マツケムシ(アメリカシロヒトリ)やミノムシ(ミノガ)、イラガなどを見てもわかる様にその幼生はおびただしい数で産卵した樹木に広がる。しかし生態系が保たれて居れば成長するにつれて鳥やカエル、蜂、クモその他さまざまな天敵によって捕食されてどんどん数を減じてゆき成虫となれるのは数固体のみで人間に害を与えることはまずない。
今にして思えば毒蛾騒ぎ自体、自然を知らぬ新興団地の住民と人目を引く話題に飛びつく地方紙マスコミや駆除業者が大げさに作り上げた話であったような気がする。それでも当時昆虫採集に明け暮れていた私にとって、闇の中に灯る青白い誘蛾灯は、まだ見たことがない新たな種を採集するのに少なからず役に立った。
誘蛾灯の薬液には油分が含まれていて、嵌った虫は油がついて標本にならないのだが中には運よく液に嵌らずに支柱や周りの木に止まっている虫も有り、そんななかに珍しい虫がいると持って帰ったものだ。私はここでカミキリムシの中にも蛾やカブトムシのように光を好んで集まる仲間が沢山いることを知った。
今では地方都市の夜にも無数の光源がひしめき、光に引き寄せられる昆虫の数も激減して昨今では山野の街灯の下に行っても殆ど飛び回る昆虫がいない。私には無数の昆虫が乏しい光源に群がった誘蛾灯の時代がつくづく懐かしく思われる。
カミキリムシの仲間は大変に種類が多いのでその形や生態にも変化が多くて楽しいが、なかでもハナカミキリと呼ぶ小型のカミキリムシは、その多くが花に集まり春先から姿を表す種もあって私の好きなグループだった。
ただ小さく細い種が多くて、捕まえて標本にしたくとも針を刺すと羽が割れてしまったり腹部が崩れてしまったりして上手くゆかないことが多かった。30年程前からビデオカメラやデジタルカメラで昆虫を写すようになったが既に周囲から昆虫が激減して行く時期に入っていてその昔、目にしたハナカミキリに出会える機会もすっかり減ってしまった。
五月中旬、ノイバラやウツギの花に好んで集まるムネアカクロハナカミキリ。雄の個体は黒く、雌は胸部のみ赤い
5月下旬、漆の花に来たツマグロハナカミキリ。漆の花にはハナカミキリ以外にもキンイロジョウガイなども良く集まる
7月初旬、ガクアジサイにきたヨツスジハナカミキリ。雌雄ほぼ同色だが雄の体色がやや淡い
明周辺で撮影したハナカミキリの仲間で私のカメラ画像に残っているのは以上の3種だけだ。撮影のチャンスがないと云うより写すべきハナカミキリに全く出会えないのだから仕方がない。寂しい時代になったものだと思う
ハナカミキリに似て15mm程の体長でとても美しい痩身のカミキリムシにミドリカミキリという種がいる。私は小3の頃、四天王寺の裏山で、確かアザミの花に止まっていたのを捕まえたのだが、全身緑色の金属光沢を放つ敏捷な虫ですぐ飛び立って逃げようとするのをかろうじて捕まえた。
大喜びで持ち帰ってすぐ標本にしたが、体が小さいうえに細いので、母親に最も細い縫い針をもらってそれでピン止めした記憶がある。標本は小4の夏休みまで引き継いだがその年には足が脱落して私の標本箱からは消えてしまい、その後はこの虫を捕まえることはなかった。
下写真のアオカミキリはこのミドリカミキリを二回りも大きくしたカミキリムシで、牛谷の里山や明小の裏山で何度も見つけたからミドリカミキリよりは数は多そうに思う。
体長30mm程のアオカミキリ。青というよりはやはり緑だろうと思う。命名のぞんざいさはなにもこれに限ったことでもないけれど・・
カミキリムシの種類は膨大で、写真に撮って残っているものもまだまだあるのだけれど、どうやらこの辺りで打ち止めにするのが妥当なようだ。