タヌキマメ

このおかしな名前の植物をご存知だろうか。花の周囲に毛が密生しその愛嬌のある姿がなんとなくタヌキを連想させるところからこの名がついたらしい。いだにほつんと咲く紫の花に、どことなくタヌキを思わせる不思議な愛嬌がある雑も私は過去何回か、この花を見た記憶がある。最初に見たのは小1の初秋、小学校の東に作られた赤土作りの新道(今は国道23号線のバイパスになっているが、当時は安濃川の先に橋が無く、誰も通らない雑草道だった)にぽつんと咲いていたのだが、その花がなんとも不思議な姿に思えて、折り取って家に持ち帰った覚えがある。母に名前を聞いたのだが、母にも判らなかった。

近所にあるタヌキマメの自生地。

廃田のあぜ後に毎年しぶとく花をつける。

次に見たのは小3の晩夏、津公園の裏に、山を切り開いて出来たばかりの津商業高校の赤土のグランドの隅に咲いていたもの。これも赤土剥き出しのグランドに、まばらに生えた雑草に混じって花を着けけていたのを偶然に見つけた。

最近に見たのは十年前の9月。自宅の前から明小学校へ抜ける道が山を切り開いてつけられたのだが、出来たばかりの坂道の脇に2本だけ咲いていた。その翌年、花を撮影しようと花の在った辺りをくまなく探したのだか、既にこの年には、その辺り一面が普段見かける夏草の生い茂る路肩に変わってしまい、その後現在まで一度も花を見ることはなかった。

以上三つのどの場合も、共通しているのは、その花が最初から其処に生えていたものではないと思われることだ。最初に見た赤土道は、それまで田んぼであったところを1年程前に埋め立てて出来た道だし、2番目の学校のグランドも、少し前までは雑木の茂る山を切り開いて出来た土地である。

最後の坂道も、雑木の茂る山の斜面に強引に付けられた新道で、それ以前には、狸豆の自生するような環境ではなかったはずである。

彼らは日当たりのよい草原を好み、土地が開かれて、赤土剥き出しの新しい環境が出切ると、何処からとも無く遣ってきて其処に根付くが、数年もするとたちまち他の植物にとって替わられ、その場を追われてゆくのだろうか。

現在、私は近くの休耕田の畦で、この草が自生地する場所を一箇所知っているけれど、雑草の繁茂が続けば早晩にはそこからも消えてしまうだろう。

彼らは、どのようにして、自分たちの好む環境を見つけ出すのだろう。狸豆がどのようにして繁殖するのか、私は良く知らないが、その花に付く実によって繁殖しているのだとしたら、その実の数は知れたものであり、この豆のように環境を選ぶ植物の繁殖手段としては、ひどく無力ではないかと思えてしまう。

あるいは、実の生存期間が著しく長く、鳥や獣に運んでもらいながら、自分の好みの環境が現れるまで何年間も、じっと耐えるえることができるのだろうか。生物の中には、自分の生存に適した環境が訪れるまで、何年間も活動を停止して辛抱強く時が来るのを待つ能力を備えた輩がいるから、この狸豆も、あるいは何らかの必殺技を持っているのかもしれない。

国のレッドデーターには記載がないから多分この草も自分にあった環境では、そこらの雑草と変わらぬくらいに繁殖しているのかもしれないけれど、果たして彼らが好みそうな開けた草地かそうそう在るものだろうか。三重や愛知のレッドデーターにも記載はないのだけれど、面白いのは三重以西の奈良、滋賀両県では絶滅危惧Ⅰ類 絶滅寸前種及び絶滅危惧種、京都、大阪両県では絶滅危惧Ⅱ類と記載されていることだ。

この国に鹿や猪等々の野生の獣が大群で暮らしていた時代、彼ら草食獣の餌場は、絶えず背の高い草がはまれ齧られはしても光の届く居心地の良い環境だったかもしれない。人間が登場してからも、彼らが飼育する牛や馬、山羊の餌場が必要だったろうし、人家の近くでは様々な形で頻繁に草を刈る必要もあったろう。あるいはそういった環境にうまく適応して今日までやってきたのだろうと思う。

桔梗とオミナエシ

どちらもこの辺りでは野生で見かけたことがない

しかし考えて見れば、タヌキマメだけが珍しい訳ではない。秋の七草として登場する桔梗や女郎花でさえ現在自然に自生していそうな場所など何処にも無さそうではないか。まだ子供の頃には津市の皆楽公園の西に拓けていたススキ野原で桔梗が自生しているのを見た記憶があるが、今では遙か昔のことだ。奈良平安の時代には、七草に歌われたこれらの草花は、都の周囲にいくらでも咲いていたのだろうが今では何処にも有りはしない。

奈良平安の時代、貴族たちが歌を読んだ都の周囲は、すでに人間によってはるか以前に固有の原生林は切り開かれ、人が暮らしやすい環境に適した様々な代償植生に覆われていた。

彼らにとって住みやすい、草丈の低い草原が、実は人里近くで人間に管理された空間であり、タヌキマメや桔梗、女郎花など自分たちが野草と考えていた草花は、案外人里近くで優しく人に寄り添って、人と共にこれまでを生き延びてきたのかもしれない。