身近な話題・歴史

二の丸公園から熊本城を望む(2011)

小柄

両親の隠宅から「直光」の刻印のある小柄が見つかった.終戦後進駐軍がやってくるため刀剣類は処分したが,小柄は残っていた.小柄(こづか)とは.日本刀に付属する小刀の柄であり,刀などの鞘の内側の溝に装着する.小刀としての用途のほか,緊急時には武器として用いることもあるが,刀剣の装飾が発達するにつれて小柄にも精密な細工が施されるようになり,芸術的価値が高まった.

直光の刻印がある.詳細解説 準備中

戦後の「刀狩り」を免れた先祖から伝わる槍が預かってもらっていた親類の家から我家へ返ってきた.錆を落とすと「延寿国秀」の刻印が確認できた.詳細

終戦後,進駐軍がやってくるということになり,所有している刀などは処分すべきということになったそうである.父は鍛冶屋に頼んで切断しナタにしたものもあったが,土に埋めてしまったと姉に聞かされた.父の遺品の中に鍔や鎺(はばき)があった.錆を落とし板に半固定して壁に飾っていたがよくみると錆びたもののなかに金象嵌の後をうかがわせるものもあった.金はほとんど脱落しているが残っていたら興味ある造形であったと思われる.金が埋めこまれていたと考えられる部分を黄色で描き再現してみた,

注 ハバキ(鎺・鈨・はばき)とは日本刀の部材の一つで、刀身の手元の部分に嵌める金具

穴の開いた板が「切羽(せっぱ)」

矢野良勝の掛軸

2回目の定年後,本格的に時間的余裕ができたので,書きかけの家族の記録の内容の確認と追記のため父が整理していた家系図や遺品を調べてみた. その中に父が大切にしていた掛軸があった.父が正月になると,”富士山に向かって鶴が飛んで行く”ように床の間に飾っていた.取り出してみると,かなり痛んでいたので表装の修理に出した.

表具表装店(山崎町)の店主によると細川藩御用絵師 矢野良勝  (1760-1821)の作であるとのことであった.私がその絵師のことに疎いのを察して,永青文庫,県立美術館,熊本市立博物館,八代市立博物館,島田美術館等に矢野良勝の作品が収蔵されていること,さらに矢野派の画を収集している人が阿蘇にいることを教えてくれた.その後,その収集家は南阿蘇に「火の国美術館」を開設していることが分かった.注)震災後の詳細は不明である.

私が理系人間であるため,うかつにも龍谷良勝=矢野良勝であることに気付かなかったというお粗末な話である.

  先祖(高祖父 利七郎 1807-1854)が江戸時代後期の画家である福田太華(1796-1854)と交流があったという話は父から聞いた記憶があるが(後述),矢野良勝についてはまったく記憶がない.展示会への出品を頼まれ,祖母が貸したところ帰って来なかった画?があるという話も記憶にあるが,それが何か今となっては調べようがない.

矢野良勝の何時頃の作かなど詳細については調査中である.

床の間に飾った掛軸をデジカメで適当に撮影した画像であり,高精細画像は準備中.

 照明,フラッシュにより色調が異なる.

矢野良勝については,Web上では八代市立博物館に説明がある.

以下の説明文は,「八代市立博物館未来の森ミュージアム展示解説シート 担当 鳥津亮二」の一部である.

また同資料中に矢野良勝の印が紹介されている.

矢野良勝(1760~1821)

矢野派の全盛期,第5代

通称は右膳。号は龍谷、千嶂堂、枕流亭、漱玉菴、雪觀斎、桂光楼、水竹居ほか。

雪舟流の画風をもとに、実景や動植物の写生、あるいは西洋遠近法を取り入れるなどの特徴がある.

良勝の代の作品が最も多く現存していることから、良勝の代に矢野派は全盛期を迎えたといえる.

印譜の例(インターネットの楼閣山水図から)

矢野良勝について

八代市立博物館の資料を参照 (PDF)

関連美術館

熊本県立美術館

八代市立博物館 未来の森ミュージアム-収蔵品検索-

島田美術館 ブログ(お薦め)

熊本市立博物館

合志マンガミュージアム (旧西合志郷土資料館)

永青文庫

福田太華の掛軸

ひな祭りや端午の節句には人形を飾っていたが,戦後人に譲ったり,壊れたりしたため,掛け軸で済ますようになった.

最近,父が端午の節句に飾っていた掛軸を取り出してみたら川象のサインがあり,それが福田太華であることが判った.

福田大華は,「蒙古襲来絵詞 (もうこえことば)」などのすぐれた模写をのこしていることで知られている.藤本正行氏の「鎧をまとう人びと」の中で福田太華の作品とされている絵画の中に描かれている馬の描き方と酷似している.

福田太華についてインターネットで調べると以下のように記されている.

1796-1854江戸時代後期の画家。肥後熊本藩士。馬医。

寛政8年生まれ。嘉永(かえい)7年8月21日死去。59歳。名は川象。字(あざな)は子寿。通称は儀右衛門。別号に無量,湘雨。

 川象のサイン

 印譜

 ウエブ画像より

福田太華の作品を展示している熊本県内美術館

    熊本県立美術館

    八代市立博物館

自分史(折りたたみ文書)

自分史

槍が返ってきた(自分史)

私の戦争記憶

済々黌(私が通った創立75周年頃)(身近な歴史)

林 清五郎先生

異常に長い単結合(回想 兼松研究室)

兼松 顕先生の思い出(回想 兼松研究室)

頼まれた熊大生協裁判記録の公開

先見の明(教育)

ピクリン酸にまつわる話(身近な歴史,科学)

70歳過ぎて初めての歯医者通い

薬局閉店

6歳の戦争記憶

家族史および関連事項

詩人 坂村真民さん

槍が返ってきた

野菜の効用(明治37年)(祖父関連,医学・薬学)

祖父の足あと(明治30年代)(家族史)

135年前の同志(西南の役の戦友)(曾祖父関連,シリーズ島崎)

往生院と放牛地蔵 (父方祖母関連,県立図書館 縣政資料,近代DL)

曾祖父の半生を追う(曾祖父関連,県立図書館 縣政資料,シリーズ島崎)

明治卅七八年戦役第六師団殊勲録(母方祖父関連,国会図書館近代DL)

戦前の薬剤師卒後教育(父,熊本薬専)

身近な歴史

熊本明治地震で活躍した学者 (身近な歴史,科学)

阿蘇山マグマ噴火(身近な歴史)

イノシシ(身近な歴史,自然)

下関 伊藤家(身近な歴史,本陣と薬屋)

村岡花子の短文と「ごきげんよう,さようなら」(身近な歴史)

済々黌 宇野東風回想録(身近な歴史)

済々黌(細川家の支援)(身近な歴史)

済々黌の名が消えた日(身近な歴史)

菊池武光公騎馬像(身近な歴史)

隈本と熊本(身近な歴史)

肥後の史料(身近な歴史)

隈部親永公像(身近な歴史)

手永制度(身近な歴史)

雲巌禅寺_東陵永璵(身近な歴史)

青木規矩男覚書(熊本城炎上の真相)

第4代藩主細川宣紀(ちょうど300年前)(身近な歴史)

熊本藩年表稿ー話題いろいろ (身近な歴史)

熊本藩「八代蜜柑」献上大作戦 (身近な歴史)

田舎は田舎らしく(細川重賢)(身近な歴史)

細川重賢の倹約令(飲食)(身近な歴史)

細川重賢の節約令(衣服) (身近な歴史)

「熊本藩年表稿」(熊本大学学術レポジトリ) (身近な歴史)

細川重賢の事蹟(身を切る改革)(身近な歴史)

岳林寺雲峯山(肥後国誌に見る)(身近な歴史,肥後国誌)

鞠智城跡(きくちじょう・くくちじょう)(歴史,調査報告書)

三賢堂の建立(安達謙蔵の想い)(シリーズ島崎,身近な歴史,国会図書館近代DL)

本城炎上の原因(西南戦争中の記事)(身近な歴史,国会図書館近代DL)

龍口隊 中津大四郎(身近な歴史,西南の役)

往生院と放牛地蔵 (父方祖母関連,県立図書館 縣政資料,近代DL)

明治22年熊本震災_市街地の被害(地震)

大江義塾跡 徳富旧邸(身近な歴史)

徳富蘇峰の髪塚(シリーズ島崎)

栗山のお観音さん(シリーズ島崎)

島崎地区の名所・旧跡(シリーズ島崎)

石神山今昔(シリーズ島崎)