シリーズ「あの話、どうなった」
久野拓造氏の著書「和解」(熊本大学生協裁判記録)が熊本大学によって公開された。
「和解」は、今から35年前、当時の松角学長に頼まれて執筆されたものの、事情により熊大50周年の際に公開することになったと聞いている。私は、薬学部薬品製造工学研究室(旧称)に助教授として在籍していたが、久野教授から「大学による公開の確認」を依頼された。その経緯については、2012年のブログ「 頼まれた熊大生協裁判記録の公開」を見てほしい。
その後、紆余曲折を経て、 2024年度末にようやく熊本大学文書館によって公開される運びとなった。
「生協裁判」のキーワードを使ってGoogleやYahoo検索すると、最近まで私のブログ「 頼まれた熊大生協裁判記録の公開」のみであったが、2025年4月26日の時点で熊本大学文書館による公開情報がヒットするようになった。
熊本大学文書館による公開は、館内公開であり、冊子体および館内PCによるPDF閲覧とのことである。学外からのWEBアクセスによって閲覧する方式ではない。
大学文書館について
全国の各大学には数多くの大学史関係資料が整理・保管されているが、その保管先の機関名称は大学によって異なる。大学文書館のほか、アーカイブ、史料館などである。
熊本大学文書館
文書館では、熊本大学とその前身校に関する資料、熊本を中心とした地域に関する学術的研究資料、そして水俣病、ハンセン病、免田事件に関する資料の収集・整理・保存・公開を行っている。 次図は文書館ホームページのトップページである。
大学史関係資料には以下に示すうような資料が収められている。
【2024年度公開】※「総合目録」未掲載, 準備中
【2019年度公開】
【2018年度公開】
熊本高等工業学校採鉱冶金学科関係映像資料 KU01 (4点)
【~2017年度公開】
熊本大学大学院生命科学研究部細胞病理学分野資料 (252点)
「和解」については以下の説明がなされている。
2022年、熊大学術リポジトリへの登録を附属図書館に依頼したが、「研究成果ではない」という理由で受け入れは無理との回答があった。
しかし、精査すると
・熊本大学60年史などが登録されていて。大学紛争について記載されている。「和解」はその内容を補完する資料であること。
・久野氏は九州大学出身者であるので、九州大学リポジトリに登録依頼することもできること。
・九州大学リポジトリは公開、非公開が選択可能であること。
などを指摘し、再考を求めた。それに対し、検討する時間が必要との返事をもらった。
二年後の2024年4月15日に、問い合わせを行った。
その際、以下のことを指摘した。
・東大闘争(東大紛争)のビラなど資料約6500点が、東大文書館に納められたこと(2024年2月19日、朝日新聞デジタル)。
・熊大リポジトリに最終講義のスライドなどが登録されていること。
その結果、
附属図書館の担当者から、実名入りの記述は個人情報保護の点からも問題が多いとの返事をもらった。
代替案として、熊大文書館による公開の提案があった。
以上が交渉内容である。
それにしても実現までに時間がかかりすぎた。
松角学長の提案である「熊本大学創立50周年(平成11年, 1999)に公開」は実行されなかった。当時学長補佐をしていた庄司薬学部教授に和解原稿の所在を調べてもらったが、行方不明とのことであった。
2025年3月末に、「公開確認」が実現したが、2002年には久野先生夫妻が逝去され、庄司先生も昨年暮に急逝したため、公開の報告はできずじまいになってしまった。
公開した「和解」の書式については、ワープロ(オアシス)による清書原稿ではない。廃棄処分予定のパソコンに保存されていたバックアップファイル(一行36文字。13236行のMS-DOSテキスト)から、オリジナル原稿の書式を予想して再現を試みた。そのPDFファイルを私のホームページで公開することを考えたが、個人のHPは恒久的ではなく、熊本大学による正式公開とは次元が異なるため断念した。
「和解」の公開にあたり種々ご助篇、ご尽力を賜った熊本大学文書館の担当者に心から感謝します。
また、当時の研究室出身者、相談に乗ってくれた方々に感謝します。
「和解」、公開までの経緯(折りたたみ文書、右端のV(Λ)をクリックすると開閉します)
追記(2025) 生協裁判記録「和解」、公開までの経緯メモ、薬工研究室の歴史
1949 昭和24年 熊本大学創立(5月)
1968 昭和43年 久野教授就任(製薬第二研究室)
定食値上阻止運動(光熱費国費負担要求)
1970 昭和45年 12月 熊本地裁に民事訴訟「家屋明け渡し判決」
1976 昭和51年 4月12日 福岡高裁に控訴
1878 昭和53年 久野研究室の結晶解析(原野 九大薬にて)
1980 昭和55年 2月第一回和解交渉
1982 昭和57年 9月 原野助教授就任
1983 昭和58年 久野学部長併任(8月)
1984 昭和59年 10/29 和解交渉合意,和解成立(松山公一学長 S55-S61)
BASICプログラミング教育開始(薬工実習)
1985 昭和60年 3月 熊本大学評議会臨時特別部会の解散
4月 博士課程設置,熊薬100周年記念行事
8月 久野学部長併任(8月)
9月 つくば博 15年後の葉書投函(久野)
1988 昭和63年 久野教授開講二十周年記念誌 平成元年出版
X線回折装置本格稼働
1989 平成 元年 和解成立五周年の祝賀会(松角康彦学長),学長「生協裁判記録」執筆依頼
1990 平成 2年 「和解」272頁(36文字/行,47行/頁,1990年3月10日)
1994 平成 6年 久野教授定年退職
原野 教授昇任
1999 平成11年 熊本大学創立50周年(記念事業は実施されず)
2001 平成13年 独立専攻大学院の創薬基盤分子設計学講座
2002 平成14年 久野夫妻 逝去
叙勲(3月20日付)、和解原稿副行方不明
2003 平成15年 4月 部局化(医学薬学研究部発足)研究室二人体制
2005 平成17年 原野 熊本大学定年退職、崇城大学再就職
2009 平成21年 熊本大学創立60周年
2010 平成22年 原野 崇城大学定年退職
和解バックアップファイル(MS-DOSテキスト)から和解を再現
2012 平成24年 和解についてブログで紹介
2014 平成26年 熊大60周年史発刊
久野先生の叙勲申請の際、古いコンピュータにMS-DOSファイルを発見。原稿再生作業開始。
2021 令和 3年 原野 崇城大学理事退任
「和解」のウエブ版制作,Gmailによる限定公開ウエブ版をホームページに掲載
メールアドレス認証による限定公開(研究室関係者向け)
2022年3月 7日 図書館課-電子情報担当にお伺いメール
返信 熊大リポジトリは学術研究成果物ではないので掲載はできない。
熊本大学三十年史、熊本大学六十年史等が登録されていることを指摘
これに対し「検討する」との返信
2024年4月15日 音沙汰がないので問い合わせメール
2024年4月22日 返信あり。文書館の紹介。
2024年4月23日 文書館へお伺いメール
受け入れの方針で検討する旨の返信あり
2025年 1月21日 受け入れの返信
この間、著作権、寄贈者問題に対処
2025年4月7日 登録公開
参考資料
頼まれた熊大生協裁判記録の公開
熊本大学 文書館
熊本大学文書館動画
朝日新聞デジタル記事
東大闘争のビラなど、資料計6500点を東大に 当時の学生が収集。編集委員・北野隆一2024年2月19日 6時00分<https://www.asahi.com/articles/ASS2J4DBJS2CUTIL00B.html>
(2025.4.30)