熊本藩の記録
クマの生息
熊本藩の記録
クマの生息
最近、九州を除く、全国各地で熊が出没し社会問題になっている。
九州のツキノワグマは、最後の確実な野生個体が確認された1957年から長らく生息が確認されず、2012年に環境省が「絶滅」を宣言した。これは、過去の過剰な狩猟や、生息地の分断などが原因と考えられている。
ところで、熊本にも熊が生息していたことを示す古文書が存在することは、熊本藩年表稿(細川藩政史研究会編1974年3月 熊本大学レポジトリ)を紹介した際に、簡単に記した。
参考資料:熊本藩年表稿ー話題いろいろ(2012)
熊本藩年表稿の248頁には、以下の記載がある。
享和元年(1801)5月 熊胆,再春館に貯めるにつき矢部,砥用,菅尾3手永で毎冬とれ次第,1手永3疋宛再春館に払うように,尤も相応の代銭を渡下されるとの達(年合).
享和元年(1801)の5月、現在の熊本県山都町、美里町にあった三つの矢部,砥用,菅尾手永(行政区)に対して、毎冬一手永につき三頭づつ再春館(藩の医学校)に収めるように命じている。それなりの報酬を与えていたようである。熊胆(クマの胆嚢)は、六神丸、奇応丸、熊胆円(ゆうたんえん)などの漢方薬の原料としたものと思われる。
なお、1840年頃の記録では、合薬と売薬を業としていた矢部町浜の井上家は「熊胆丸」を収めている(参考資料3)。
用語説明
年合 年々覚合類頭書(熊本大学架蔵)。肥後藩における年々の出来事、法令、行政記録、人事、経済状況(免率や米価一覧表など)といった多岐にわたる事項が記録され、分類されている。
再春館 6代藩主細川重賢が宝暦6年(1756年)に設立した藩校(医学校)
手永 熊本藩の行政区
矢部 現在の山都町は、矢部手永以外に菅尾手永の小峰地区と蘇陽地区とを含む
砥用 1955年(昭和30)東砥用村と合併。2004年中央町と合併、美里町となる。
熊胆(ゆうたん)とは
熊胆は、奈良時代に遣唐使が日本に伝え、大変貴重な生薬とされてきた。江戸時代には、万能薬として庶民の間でも広まった。クマの胆汁を乾燥させた生薬で、胆汁の流れを良くして肝臓を保護する作用があり、胃腸の不調や食欲不振などに用いられる漢方薬の原料である。
主成分は、胆汁酸(ウルソデオキシコール酸など)で、タウリン(H2NCH2CH2SO3H)、コレステロール、アミノ酸なども含まれている。入手が困難になってからは、ウシやブタの胆汁が代替品として使われたこともあった。現代の医薬品では、日本人によって化学的に合成されたウルソデオキシコール酸が、多くの胃腸薬に配合されている。市販薬の「ウルソ」と処方箋薬の「ウルソ」の主な違いは、効果の範囲と強さである。市販薬は脂肪による胃もたれや消化不良の改善が目的であるが、処方箋薬は胆石の溶解や肝機能の改善など、より強力な効果を有している。
ウルソデオキシコール酸(UDCA)
UDCAの結晶構造
UDCAとタウリンの抱合体
MOPAC-PM7計算構造
結晶構造には分子配列に乱れが認められる。半経験的分子軌道計算による構造は左図の通りである。
ウルソデオキシコール酸について
1927年、岡山大学の正田政人教授が、熊胆の主成分が「ウルソデオキシコール酸」であることを発見した。戦後(昭和30年、1955年)になって、東京工業大学の金沢定一教授が、牛の胆からウルソデオキシコール酸の化学的合成に成功した。
1957年には、東京田辺製薬(現:田辺三菱製薬)が、世界初のUDCA配合製剤「ウルソ錠」を発売した。
ついでに
抱合ウルソデスオキシコール酸
ウルソデスオキシコール酸とアミノ酸類が抱合した化合物が東京工業大学の研究者によって合成されている。 タウリンと結合したタウロウルソデオキシコール酸(TUDCA)は、水に溶けやすくなり、UDCAよりも安定した形で体内で作用するという。現在、サプリメントとして販売されている。
論文名 抱合ウルソデスオキシコール酸の合成
金沢定一・佐藤徹雄 日本化學雜誌 76(4), p.463-465(1955). doi:10.1246/nikkashi1948.76.463
タウロウルソデオキシコール酸について
論文の図にミスが認められる。以下に示すように訂正が必要である。元素分析値との整合性を含めて再検証が必要と思われる。
グリシン抱合体
タウリン抱合体
現在、熊本には「くまモン」はいるがクマはいない。史料(年々覚合類頭書)の原報が入手できないので、詳細は分からないが、九州全体ではかなりのクマが捕獲されたものと思われる。 なお、四国のツキノワグマは20数頭程度で、環境省のレッドリストでは「絶滅のおそれのある地域個体群」とされている。
参考資料
1)四国山地におけるツキノワグマ生息調査の結果について ...
2)肝・胆・消化機能改善剤 日本薬局方 ウルソデオキシコール酸錠
3)熊本の矢部の薬園遺跡 浜田善利 薬史学雑誌25(2) 159~164 (1 990)
4)結晶構造、CCDC ID 736983
Solid-State NMR, X-ray Diffraction, and Thermoanalytical Studies
Towards the Identification, Isolation, and Structural Characterization of Polymorphs in Natural Bile Acids November 2009 Crystal Growth & Design 9: 4710-4719 DOI: 10.1021/cg9005828
by Nonappa, Manu Lahtinen, Satu Ikonen, Erkki Kolehmainen, Reijo Kauppinen
追記(参考資料3)
井上家では,その後は数代にわたって次兵衛を名乗っていた.「年々覚頭書』には天保11 年 (1840)に次のような記録がある.「矢部町浜井上次兵衛難渋にて家伝の熊胆丸仕入に困り資金拝借,なお惣庄屋町より諸役聞にて買上を願出」これより藩庁から拝借していたが,天保13年 ( 1842)にはついに廃業したようである. しかしその後も明治の初め頃までは,食うために細々と裏口営業は続けていたようである. なお女医典薬頭より戴いた合薬由緒書によって製薬した薬類は数種あったが,そのなかでも最も有名なものは「熊胆丸」と「三和散」であった.
(2025.11.20)