芳香族性

フロンティア軌道法の適用例ー芳香族性ー

芳香族性と安定性

電子論でもっとも説明しにくい事柄のひとつである. 「高い芳香族性」と言われるように電子の非局在化による安定化の度合いを表す化合物特有の物性のひとつと見なせるが, 数値で議論されることは少ない. ベンゼンの共鳴が停止したと仮定すると, 1,3,5-cyclohexatrieneが生成する. 単結合と二重結合が交互に結合した環状化合物である. 図ではそれぞれを1.5Åと1.33Åで示した. 一方, ベンゼンは一辺が1.4Åの正六角形である. 前者が後者に変化すると約36kcal/molほど安定化する.

電子の非局在化に伴う結合距離の変化

Huckel則の限界

芳香族性の有無を判断する方法としてHuckel則が知られている. 教科書では, 次の2群に分けて紹介される.

芳香族性 4n+2π電子系

反芳香族性 4n電子系

環状共役化合物のπ電子数を数えて4nにあてはまるか, 4n+2に該当するかを調べる. ところが, 教えている先生が大きな壁にぶつかる化合物がある. それは, フェナンスレン(右)とアントラセン(左)であり, 両者とも14π系である.

フェナンスレンは安定な化合物である. 一方,アントラセンは安定ではない.そのことは, 付加反応が起るか起こらないかという合成化学的経験則として知られている. それぞれを無水マレイン酸と加熱した場合, アントラセンの場合はDiels-Alder付加体が得られるが, フェナンスレンの場合は, 対応する付加体は得られない(下図). アントラセンの場合, 真ん中のベンゼン環がジエンとして作用し, 付加体を与える. その反応性(安定性)の差を理解させるために, 両者について可能なだけ共鳴構造を書かせて, 極限構造式の多いフェナンスレンが安定と説明する方法がとられているが釈然としない.

FMO論では, それぞれの構造をHOMOとLUMOに分割し, その相互作用について考えると明快に理解できる.

フロンティア軌道論による説明

結論的に言えば, Huckel則のような矛盾は生じない. まず, それぞれの化合物をナフタレンとブタジエンに分割する. 一方をHOMO, 他方をLUMOとして接点を調べると, アントラセンでは2個所同時に位相 が合うことはありえない. フェナンスレンはどちらも位相が合う. そのため, 電子が滑らかに移動し, 非局在化がスムースに起こる. なぜHOMO, LUMOの位相が合う必要があるかは別項で説明するが, ここでは,軌道の対称性が合う場合はスムースな電子移動が起こると考えておけばよい.

π系を分割し, HOMO-LUMO相互作用を調べる場合, いろいろな分割が可能であるが, 芳香族性を有する化合物においては, そのいずれにおいても位相が合う.

ベンゼン

ベンゼンは4πと2π, 3πと3π, 1πと5πでもよい(奇数のπ分子軌道は別項を参照してほしい).

シクロブタジエン, シクロオクタテトラエン

次の例では, HOMO, LUMO に分割して, 両接点における位相関係を調べると, いずれの化合物とも位相が合わない. 8π電子系のシクロオクタテトラエンは4πと4π, 6πと2πいずれも位相が合わず, 電子は局在化して芳香族性を示さない.

ナフタレンとアズレン

ナフタレンはベンゼンの1辺を共有した10π系の化合物であるが, 同じ10π電子数の構造異性体として7員環と5員環からなるアズレン(Azulene)がある, ナフタレンは防虫作用, アズレンは消炎作用を有するる身近な化合物である. ナフタレンは無色透明であるが, アズレンは共役安定化により濃青色を呈する.

種々の分割(2022.10.18 修正)

任意に分割し, HOMO, LUMOを描き, 両端で位相が合う場合, 安定である.

上段の化合物(naphyharene, azulene) は)赤の部分と黒の部分の接点で位相が合う. naphyhareneの場合, ベンゼンとブタジエンに分割するケースは省略.

下段左のpentaleneは二つとも位相が合わない. 下段右のacenaphthyleneは, ナフタレンとエチレンに分割した場合, 位相が合わない組み合わせが存在する.

注)○-○-●-●-○-○-●-●はオクタテトラエンのHOMOである.

ヘキサトリエンのHOMOとブタジエンのLUMO

ついでに Acenaphthyleneはphencycloneと加熱すると, Diels-Alder反応付加体を与える. 反応部位の二重結合はエチレンの二重結合(1.33Å)と同程度の結合距離(1.342Å)であり, 芳香環特有の結合距離(1.4Å)ではない.

電荷を持った化合物の芳香族性

電荷を持った環状共役化合物のHOMO-LUMO相互作用をまとめて図示した.4n+2電子を問題にするHuckel則と矛盾しない.

ヘテロ環化合物の芳香族性

Furanはthiopheneやpyrroleよ り芳香族性が低く,Furanは低LUMOのジエノフィルとDiels-Alder反応をする.Thiopheneはベンゼンに匹敵する芳香族性を有して おり,付加反応はしない.Thiopheneの形でジエンとして反応させたい場合は,>Sを酸化して>SO2にすればよい.

付加反応例

ヘテロ環のHOMO-LUMO相互作用

ピリジンはベンゼンと同様に6π電子として解析可能

フランがジエンとして付加反応性を示すのは, 芳香族性による安定化が小さいためである. 酸素のHOMOがSやNに比べて軌道エネルギーが高いため, LUMOとの相互作用が小さいとみなすことができる.

中員環共役化合物の安定性

トロポンはHOMOとLUMOの位相が合うため幾分安定であるが,同じ8π電子系の化合物であるシクロオクタテトラエン (COT) は位相が合わず,共鳴構造に必須の平面性を避ける形になり,構造全体が桶型に変形する.

また,COTは容易に分子内Diels-Alder反応を起こし,cyclohexadieneとcyclobutaneが縮環した化合物 (Bicyclo[4.2.0]octa-2,4,7-triene) で存在することを裏付ける実験事実が報告されている.

無水マレイン酸と反応させると,bicyclo[4.2.0]octa-2,4,7-trieneの形で反応した付加体が得られ,COTが4πで反応したものは得られない.

COTの形で反応した例はほとんどなく,6πで反応した例が報告されているのみである.

以下に示す化合物も8π系の環状共役化合物であり,桶型コンフォメーションが安定である.Oxepineではbenzene oxideとの平衡が確認されている.

ついでに

シクロヘプタトリエンは環内にメチレンを有するトリエン化合物である.分子内Diels-Alder反応を起こし,シクロプロパン環が縮環したシクロヘキサジエン(ノルカラジエン)が生成する.

シクロヘプタトリエン←→ノルカラジエンの平衡は左側に傾いているが,ノルカラジエンの方が反応性が高いため,ノルカラジエンと無水マレイン酸が反応したDiels-Alder付加体Aが得られる.シクロヘプタトリエンをジエンとする付加体Bは得られない.

ホモ芳香族性とスピロ共役

ホモ芳香族性の例

下図のように,HOMOとLUMOに分割すると,その接点で位相が合うため,安定化が期待できる.後者は6π電子系である.

スピロ共役の例

前者はHOMO-LUMO相互作用,後者は励起状態におけるHOMO(SOMO)-HOMO相互作用において位相の合った相互作用をするため,若干の安定化が期待できる.

分子軌道計算で求めた構造にp軌道を描いた図

シクロペンタジエノンの安定性・反応性(Stability and Reactivity )

シクロペンタジエノンは,トロポンより二重結合が1個少ないだけであるが, ジエンとしての反応性が高い.無置換のシクロペンタジエノンは単離することはできず, 二量体で存在する. ほとんど解離しない.

シクロペンタジエノンの2,3,4,5位の水素の位置にフェニル基などの大きな置換基がついたものは単体として存在する. 反応性が高いのは, LUMOが低いためでもあるが, 芳香族性が強く関与している. ジエン部分をブタジエンのHOMO,カルボニルをエチレンのLUMOとして位相関係を調べると, ×のところで位相が合わない局在化系である.

シクロペンタジエノンより二重結合が1個多いトロポン(上述)ではまったく逆の結果になる.トロポンはカルボニル炭素の両肩で位相が合う.電子は非局在化するため,平面である.

6-(Dimethylamino)fulveneの場合は,分割後の帰属が逆になる.電子豊富なエチレン部分がHOMO, ブタジエンがLUMOになる.ブタジエンの両端で位相が合うため安定な化合物と予想できる.実際に試薬として購入することができる.

資料

ヘキサトリエンのπ軌道

下から3番目がHOMO, 4番目がLUMO.

オクタテトラエンのπ軌道

下から4番目がHOMO,5番目がLUMO.

ベンゼンの軌道