今年8月1日, 開業100周年を迎えた. 私は5歳まで山崎町の慶徳校前電停の傍に住んでいたので, 市電は「あって当たり前」の存在であった. 水前寺公園や動物園へは電車に乗って行った記憶がある.
第二次大戦後期, 空襲を避けて西区の島崎へ疎開したが, その際は荷物と一緒に馬車で移動した. 子供心に電車と馬車のコントラストに奇妙な感慨を覚えた. その後は市電とは無縁の生活になかったが, 再び市電を利用したのは高校へ通学するためであった. 段山電停まで約1.9km歩き, 上熊本からやってくる市電に乗り, 新町, 新市街, 通町, 水道町, 藤崎宮前, 浄行寺, 子飼まで, 毎日市内を縦断, 往復するのが日課となった. 昭和30年(1955)当時は, 浄行寺ー子飼間は道幅が狭く単線運転であった. 注)浄行寺ー子飼間の道路拡幅が実現したのは令和5年(2023)である.
その後, 長い歳月が経過し, マイカーによる移動が主流になり, 市電を利用することはなかったが, その間藤崎宮前ー上熊本, 水道町ー子飼間は廃線になった.
政令指定都市の中で, 熊本市の交通渋滞は突出しているという. 交通渋滞を解消するため, 路面電車を廃止し, 福岡市のように地下鉄を建設する案が出てもよいのではないかと思っていたら, 逆に市電の延伸案が浮上し, 実現に向けて動き出した. 注) 地下鉄は豊富な地下水(琵琶湖の3.2倍)のため, 作れないらしい・
市電の延伸を巡っては, 市は2015年度に「自衛隊」「南熊本駅」「産業道路」「田崎」「沼山津」の5ルートで検討に着手した. 概算事業費や収支、利用の見込みなどから、17年度に「自衛隊」を最優先とし、東町線(約1・5キロ)として整備を計画し, 現在にいたっている. 一方, 大手半導体メーカーTSMCの熊本進出が本格化するに伴い, 豊肥線の部分複線化, JRの阿蘇空港乗り入れも検討されている. 熊本市, 菊陽町, 空港を含む熊本都市圏の渋滞解消は緊急の政策課題となってきた.
熊本市電100周年の歩み
以下に「市政だより」の記事を引用させてもらった.
大正13(1924)年8月1日
開業時の路線は熊本駅前~花畑町~水道町~浄行寺町と、水道 町~水前寺.
昭和3(1928)年~ 路線の延長と戦争突入
開業から4年後の昭和3(1928)年3月には、新たな路線で運行がスタート。次々と路線が延長。戦時下, 女性の車掌や運転士が登場し貴重な戦力となった.
昭和32(1957)年~ 最盛期
昭和32(1957)年度には一日平均乗客数が10万人の大台を突破。昭和34(1959)年12月には 田崎線も開通して、営業路線長は25.0kmにまで達した。 マイカーの増加などの社会的な事情により徐々に市電の地位が揺らぐ。
昭和45(1970)年~ 忍耐期
マイカー増加の影響による赤字に対応するた め、不採算路線を廃止。朝のラッシュ時の積み残しに対応するため, 輸送力がある1000型連節車4編成を購入、日本の路面電車では初めての冷房車をメーカーと共同開発し導入
昭和57(1982)年~ 第1改革期
全国に先駆けて挑戦的な取り組みを行ってきた. 昭和57(1982)年には日本初の交流モーター車両を導入。平成5 (1993)年には、市電開業70周年記念事業としてレトロ調電車101 号が登場。平成9(1997)年8月1日から、 ドイツの技術を使用した超低床電車の運行を日本で初めて開始。
平成16(2004)年~第2改革期
市電開業80周年となる平成16(2004)年8月に、専用ホームぺージの運用を開始。平成29(2017)年3月にはパソコンやスマホで現在の市電の位置や系統別、車両の種別もわかる「熊本市電ナ ビ」の運用をスタート。市電開業90周年を記念し、車両デザインの専門家である水戸岡鋭治氏が手がけた「COCORO」の運行開始。
写真の出所:NHK熊本 NEWS WEB 電車の前面を見易くするため, 色調(シャドウ)を調整した.
熊本市電では1月以降, ドアが開いた状態で走行する事案が3件発生し, 重大インシデントに認定された. さらに,脱線事故や赤信号を見落としたまま交差点に進入する事案も発生しており, 重大インシデントや操作ミスなどのトラブルは, 今年11件に上っている. 熊本市は, 慢性的な交通の渋滞解消に向けて, 電車, バスなどの公共交通機関の見直しを行っている最中, 九州運輸局による保安監査を受けた. これらの問題が一刻も早く解決され, 高齢者にやさしい交通インフラが実現することを望みたい.
(2024.10.2)
熊本のライブカメラ(NHK) 通り町筋の風景など