薬局閉店

9月30日,父から受け継いだ薬局を閉店した.

午後9時の閉店後,店の横に立てている看板(くすり,文化薬局)の大きな文字を背景色の白ペンキで塗りながら,閉店の現実と感慨を噛み締めた.

大正15年(1926)に熊本市山崎町に開業し,戦時中の疎開による中断はあったが,85年間,2代にわたり街角の化学者として薬屋を続けてきたことになる.

その間,薬剤師の社会的地位は,予想以上の低下をたどり,その実態を薬学部と街角現場の両面からつぶさに見聞きしてきたといっても過言ではない,

父の薬局には調剤室と試験室が完備していた.調剤室には調剤用原薬,上皿天秤,精密天秤,乳鉢,濾過装置等が置いてあり,子供心に入室し難い雰囲気が あった.また試験室には体温計試験器や顕微鏡等が置いてあったことを思いだす.そのほかにもちょっとした化学実験操作が可能なガラス器具が一通り揃ってい た.薬剤師国家試験の実地試験の練習は病院ではなく,自宅で行ったと言っても信じてもらえないかもしれない.粉末を調合し,薬包紙に分包するやり方も父に 教えてもらった.

器具類は現在は倉庫にしまったままである.薬局の検査の際,それらの機器類を借りに来た同業者や新規開業者が居たことを親から聞いたことがある.

製剤技術の進歩により,調合することがなくなり,薬剤師の存在自体が疑問視される事態が到来した.調剤とは情報を調合することと定義されるようになって久しい.

それでも街角の薬局は,地域社会においてそれなりの存在性があったのは事実である.その理由を一々説明してもなかなか理解してはもらえないと思う.現 在,薬局と問えば,門前の調剤薬局と答えるだろう.しかし,そこに居る薬剤師ではカバーできない人間関係が街角の薬屋には存在する.車で郊外の量販店に行 くことのできない人,独り住まいの老人,親元を離れ悩み多い学生,健康保険のない外国人,そのよう人達との会話を頭に描けば,漠然と理解していただけると 思う.

小生が70歳で私大定年,家内も来年で定年の年である.昭和57年に親の薬局を引き継ぎ,平成5年に改築して薬屋を続けて来たが,その間,自ら経験しないと教わることのできない貴重な経験をさせてもらったことに心から感謝したい.

昭和初期の処方箋控

(平成22年10月1日)