槍が返ってきた

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(先祖の槍,延寿国秀,素槍,2.63m)

第二次大戦後,父は所有していた刀剣類はすべて処分した.唯一残していた「槍」は隠宅(島崎)を建て替える際に親類の家に預かって貰っ ていた.その後,代がかわってもそのままの状態が続いていたが,「私が所有すべきもの」ということになり,自宅に持ち帰り,汚れを落とした.

槍の長さは,鞘を除いて,穂先から石突尖端まで2メートル63センチと長く,室内で全体像を撮るのに苦労した.「2メートルを超える槍は馬乗用」あるいは「7尺でも短槍」と記載しているサイトがあるが,槍術の流派によって見方が異なり判然としない.全長は9尺近いが,刃渡りは12センチ程度で,とうてい「武器」とは思えない存在である.しかし,いろいろ調べてみると,接近戦の場合,刃渡り15センチ程度の槍で十分と書かれている.Web上で見る「槍」はそれなりに「絵」になる鎌槍(かまやり),十文字槍(じゅうもんじやり),鉤槍(かぎやり)などが多く,地味な「素槍」,「直槍」については情報が少なく調査の必要がある.

長期間手入れをしていないため,穂,茎はかなり錆びていたが,ナイロンたわしで表面の錆を落とすと,中茎の部分に文字が浮かび上がってきた.最終的には,写真に示すように,目釘孔の上部に「延寿国秀」の名が刻印されていることがわかった.

延寿国秀(注 延寿国日出とも書く)は,古刀期から連綿と続いている名門延寿派の刀工で,初期には薩摩の伯耆守正幸に学び,後に江戸に出て水心子正秀の門人となったと書かれている.江戸末期の寛政から文政頃に肥後で数多くの名刀を残し ている細川藩の刀工である..

槍・薙刀(なぎなた)・杖(じょう)など長ものの武器は,来客からは見えない屋敷玄関のなげしに掛けられていいて,「いざ」と言う時には取り外し,直ぐに表に出るためであったと言われている.

延寿國秀の刻印

「銃砲刀剣類等所持取締法」によると,刃渡り15センチ以上の槍は取締りの対象になるらしい.

注)「刀剣類」とは、刃渡り15cm以上の刀、やり及びなぎなた、刃渡り5.5cm以上の剣、あいくち並びに45度以上に自動的に開刃する装置を有する飛び出しナイフをいう。

熊本北警察署に確認したら,刃渡り5.5cm以上,15cm未満のため,「刀剣類」にはあたらないので,所持可能とのことであるが,不要ならば警察で引取り可能,珍しいものならば教育委員会に相談した方がよいとのことであった.

延寿国秀作の太刀は熊本県指定有形文化財データベースやネット上の画像で見ることができるが,槍は八代市立博物館に延寿宣勝の十文字槍(法量22.5cm)以外は見たことがない.とりあえず2階の廊下の壁に飾っておくことにした.

参考資料

・熊本市のホームページでは,延寿国秀について次のように書いている.

延寿国日出は国秀とも書き、江戸末期の新々刀期の刀工である。菊池延寿の後裔と称し、菊池郡中西寺に住したが、細川家に刀工として召抱えられ、その一族も作刀に従事した。

・Web上に公開されている刀の刻印(右3件),左端が槍の刻印