詩人 坂村真民さん

平成16年の年頭に,研究室のホームページに坂村真民さん(明治42年(1909)1月6日 ー平成18年(2006)12月11日)の詩を紹介した.

忘れるな

頭より足

足を忘れるな

花より根

根を忘れるな

見えるものより

見えないものを忘れるな

「見えないもの」が何を意味するか,読む人によって異なると思うが,研究,教育の分野でも通じるものがあると思っている.

坂村真民さんの詩としては「念ずれば花ひらく」がよく知られていて,数多くの詩碑が47都道府県全域および世界六大州すべてに建てられている.平成16年3月に,「念ずれば花ひらく」の700番目の碑が熊本県玉名市の玉名高校(大正12年(1921)旧制玉名中学校入学)に建立されたことを記憶している.


念ずれば花ひらく

念ずれば

花ひらく

苦しいとき

母がいつも口にしていた

このことばを

わたしはいつのころからか

となえるようになった

そうしてそのたび

わたしの花がいつもふしぎと

ひとつひとつ

ひらいていった


作者の坂村真民さんは,筆者の母方叔母(トミさん)の弟である.

真民(本名 昂,たかし)さん八歳の時,父親が急逝したため,5人兄弟の長男として、貧しいながらも必死に暮らしを支える母親を助け,この時の苦しさや母への感謝,早世した父への畏敬の念や無念さが,詩作活動に大きな影響を与えたと言われている.しかし,真民さんより3歳年上のトミさんも,母親を助けて苦労したはずであるが,ほとんど知られていない.トミさんが叔父と結婚したのは,当時としては遅い30歳になってからである.小学校教員同志の結婚だったと母から聞いている.

手元にある祖父赤木徳太郎の除籍謄本(南関町電子版)には,母(長女)の次の叔父(次男)の欄に,トミさんの入籍について,

「玉名郡八嘉村大字田崎参百四番地 坂村夕子長女 昭和拾壹年壹月参拾壹日・・・ト婚姻届同日入籍」

と記載されている.結婚時の住所は,父親の急逝後転居を余儀なくされ移り住んだ井戸のない小さい家の住所のままである.真民さんは,昭和 6年(1931)22歳で神宮皇學館卒業後,熊本で小学校の教師をするが,25歳で女学校の教員として朝鮮に渡り,昭和10年(1935)26歳で,久代さん(18歳)と結婚している.したがって,長姉トミさんの結婚の方が遅く,その間ずっと一家を支えていたことになる.

トミさん,真民さんの母親の名前は,一般には「タネ」と紹介されている.謄本記載の「夕子」と異なるので調べてみると,真民さん自身が父母の名前に触れている詩があった.


赤い種

父の名を 子司{たねじ}といった

母の名を 夕子{たね}といった

不思議にもふたりのたねは

相呼び相結ばれた

この若い種は

すぐ激しい風雨に奪われた

以下略


トミ叔母さんは,小学校教員であったためか,聞き上手,褒め上手で,異常?に優しかったのを思い出す.終戦の翌日,上益城郡木山に住んでいた叔父が15km 離れた我家(島崎)にやってきた.おそらく叔母がよこしたのだろう.叔父が我家に着いた時,母が産気づき,末妹が誕生した.産婆が間に合わず,叔父が産婆代わりに取り上げたとのことである.おそらく叔父より4歳年上で苦労人のトミ叔母さんの気遣いあっての幸運だったにちがいない.

坂村家のDNAを受け継いでいる従兄弟達とは,一昨日(3月9日),平成28年3月7日に101歳で亡くなった母方最後の叔母(早苗)の葬儀で会い,真民さんについても話題になった.真民さんの末娘の方が講演や記念館(愛媛県砥部町)の設立などに尽力されているようである.

坂村真民さんについては,数多くの紹介記事がウエブ上に存在するが,熊本県近代文化功労者受賞者(H15.11.5)の記事(熊本県教育員会)が役に立つはずである.「真民さんは,一般的には仏教詩人と言われているが,筆者は宗教や宗派を越えていると思っている.

何かをしよう

何かをしよう

みんなの人のためになる

何かをしよう

よく考えたら自分の体に合った

何かがある筈だ

弱い人には弱いなりに

老いた人には老いた人なりに

何かがある筈だ

生かされて生きているご恩返しに

小さいことでもいい

自分にできるものをさがして

何かをしよう

一年草でも

あんなに美しい花をつけて

終わってゆくではないか

二度とない人生だから

二度とない人生だから

一輪の花にも

無限の愛を

そそいでゆこう

一羽の鳥の声にも

無心の耳を

かたむけてゆこう

二度とない人生だから

一匹のこおろぎでも

ふみころさないように

こころしてゆこう

どんなにか

よろこぶことだろう

二度とない人生だから

一ぺんでも多く

便りをしよう

返事は必ず

書くことにしよう

二度とない人生だから

まず一番身近な者たちに

できるだけのことをしよう

貧しいけれど

こころ豊かに接してゆこう

二度とない人生だから

つゆくさのつゆにも

めぐりあいのふしぎを思い

足をとどめてみつめてゆこう

二度とない人生だから

のぼる日しずむ日

まるい月かけてゆく月

四季それぞれの

星々の光にふれて

わがこころを

あらいきよめてゆこう

二度とない人生だから

戦争のない世の

実現に努力し

そういう詩を

一篇でも多く

作ってゆこう

わたしが死んだら

あとをついでくれる

若い人たちのために

この大願を

書きつづけてゆこう

歌謡曲の作詞活動

朝鮮に渡った後,歌謡曲の作詞活動も行っていて「坂村真民歌謡集」を発行している.実家の経済的支援のためと言われているが,はっきりしたことは分からない.以下に紹介した曲は国会図書館の歴史的音源として限定公開されている.現在のところ,WEB配信ではなく,国立国会図書館および歴史的音源配信提供参加館(県立図書館等)の館内でしか聴くことはできない.アリラン夜曲に関しては,韓国政府機関のアリランデジタルデータに収集されているSP盤の音源を聴くことができる(追加資料を参照).

国立国会図書館 - 歴史的音源 - 恋の並木路 東海林太郎の歌,キングレコード

国立国会図書館デジタルコレクション - 旅情 東海林太郎の歌,キングレコード

国立国会図書館デジタルコレクション - アリラン夜曲 渡辺はま子の歌,ビクターレコード

追記 トミ叔母さんの息子の中に,作文,絵画に長けた従兄弟がいる.熊本市西区池田町の精神科病院の院長をしながら,毎年画展に出品している.

参考資料

坂村真民 (さかむら しんみん) - 熊本県教育委員会(現在公式サイトのリンクが外れている.Google経由)

坂村真民記念館 公式サイト

生涯年表 | 坂村真民記念館 公式サイト

坂村真民 - Wikipedia

坂村真民 さかむら・しんみん まるごとあらお 荒尾市観光協会

代表的な詩(坂村真民記念館へ)

追加資料

アリラン夜曲(右上の→をクリック,URLが変更される可能性があります)

作詞 坂村真民

作曲 鈴木静一

歌 渡辺はま子

日長日暮れて薄紅付けて

アリランアラリヨ紅付けて

誰に逢おとの桃色上衣(チョゴリ)

呼べば月さえ片えくぼ

君と別れて越え行く峠

アリランアラリヨ行く峠

恋の胡弓の切ない歌に

呼ぶは幻流れ星

忘れられない一夜(ひとよ)の花よ

アリランアラリヨ夜の花よ

恋のオンドル夢さえ朧(おぼろ)

影も愛(いと)しや窓明かり

(2016.3.11)