明治卅七八年戦役第六師団殊勲録(祖父 赤木徳太郎)

(母方祖父,赤木徳太郎,日露戦争,金鵄勲章)

「曽祖父は,明治10年の西南の役では西郷軍に協力するため,熊本士族隊に加わった」という話を父から聞いていた.しかし,詳細が判らないため県立図書館に収蔵されている県の公文書を調べた結果、関連資料(有禄士族基本帳など)が見つかり,明治維新前後の様子や官軍に抵抗した理由がなんとなく見えてきた.

ところが,次の代の祖父達のこととなると,何時でも話が聞けると思っていたためか却って不確実な情報ばかりで確証がない. 最近,テレビ放映されている今世紀初頭を描いたドラマを見ていると,祖父達がその激動の時代をどのように生き抜いたのかを知りたいという衝動にかられた.

母方の祖父,赤木徳太郎は,日露戦争に従軍し,生還して金鵄勲章をもらったという話は聞いていた.そこで,国立国会図書館近代デジタルライブラリーの受勲者に関する資料を調べたが,日本全国を網羅した名簿は見出せなかった.ところが,第六師団(熊本,南九州出身者を母体に編成)関連の資料の中に”明治卅七八年戦役第六師団殊勲録”という本(436ページ)があり,その中に296名の各人の武功についての記載があった.目次は氏名になっており,その中に祖父の氏名を見出し殊勲録を読んだ時は,記憶には残っていないはずの祖父の顔が目に浮かび妙な感慨を覚えた.

巻頭に戦闘の概要が記されており,その中に次の一文があり,戦闘の凄まじさをうかがい知ることができる.

奉天会戦に於いて,我師団の損害は将校以下死傷二千八百二十三人,馬匹死傷三十六,臨時配属部隊の死傷将校一千八百八十三人に達せり

かなり前のことになるが,母の実家を訪ねた時,叔母が「敵の銃弾がお祖父さんの軍服のボタンに当たり九死に一生を得たのですよ」と言って,そのボタンを見せてくれたが,その話とよく符合する内容である.

祖父に関する記述(画像,書き写し文)を以下に示す.

記載内容 (ひらがな表記)

熊本県玉名郡大原村字小原千二百七十七番地

後備歩兵第十三聯隊第四中隊陸軍歩兵軍曹 赤木徳太郎

軍曹は明治三十七年二月八日後備第十三聯隊へ応召入隊.同十九日厳原上陸対馬要守備に任 し爾来軍道の築設及び砲臺構築作業に従事せり.十月清国安東県上陸鳳凰城兵站守備に任し,三十八年二月五日朴家堡子守備に転じ前哨勤務に服し下士哨長或は 斥候長として措置宜しきを得,警戒上尠からざる効果を與えたり

二月萬里堡附近の戦闘に於いては,分隊長として射撃の指揮目標の指示肯綮に中り,敵 の退 却を始むるや命を受けて追跡斥候となり其退却方向を詳かに報告して中隊爾後の運動に尠からざる便益を與へ,同二十三日より二十四日に亘り,青河城附近の戦 闘には路上斥候長として或は小隊長代理として能く其の任務を完うせり

三月地塔附近及新開河附近の戦闘に於ては,小隊長代理として終始奮励,殊に同四日午 前十 時優勢の敵兵大馬格山西南の要地に攻撃し来り該地守備小隊苦戦の際之が赴援の命を受け,一小隊を率いて前進し其到着の時守備小隊は已に退却しつつあれど, 其一部と協力奮戦し死傷続出小隊の残員十五名に滅し,且弾薬殆んと欠乏し頗る悲惨の情況に陥りたれど能く部下の士気を鼓舞し,約十倍の敵に対し頑強に陣地 を死守し,遂に敵の企図を挫折せしめたるのみならす.比志島隊と鈴木支隊との連結を確実ならしめたり.

六月魚亮子附近の戦闘に参加し,火線の動作常に勇敢,部下に儀表を示し,士気適切, 射弾 観測亦確実にして中隊の戦闘をして遺憾なからしめたり. 同二十九日五人班附近の戦闘には,中隊は草場支隊の右側衞として前進の際,軍曹は尖兵小隊に属 し,屡々斥候となりて拉子勾及湾口子勾等の敵情を詳かに偵察し,之を小隊長に報告し側衛の任務の遂行上に多大の便宜を與えたり

以上の功績に依り功六級に叙せられ其武功を表彰せられたり

“坂 の上の雲”もいよいよ佳境に入った.長年,戦争の美化を恐れタブー視されていた明治時代の戦争の様子が語られるはずである.自分とは関係ない存在であった日露戦争だが,その戦争がきっかけで父方の祖父(当時県会議員をしていた)が母方の祖父と知り合い,縁故関係ができたことも分かった.日露戦争前後を現代の視点から改 めて見直すよい機会と思い,殊勲録を読んでいくうちに,その人達の子や孫が今どうしているのだろうと記載されている住所に訪ねてみたい衝動に駆られた.

ところで、折角のデータベースが画像データであるため,文字検索ができない.OCRで文字変換するには膨大な時間と労力が必要であることは分かっているが,それに向かって対応して欲しいと思うのは私だけではないだろう. データベース制作担当者は苦労してスキャンしていると思うが,折角スキャンするならもう少し丁寧さがあってもよいのではないだろうか.(2011/12/10)

関連資料

日露戦役記念写真帖 (熊本県凱旋軍歓迎会),熊本県内の戦死病没者数は1666名と記載されている

陸上の戦い(解説を読む) 奉天会戦 | 日露戦争特別展2

歩兵十三聯隊の遺構等について