ここの所「守貞謾稿」の索引作りに追われ外出が減っています。『近世風俗志』文庫本の借り出し等もあり西宮へ出かけました。その後ついでに西宮の南端を訪ねてみる予定にします。
図書館の用事が終わり、何時もの如く郷土館を覗くと、生瀬の寺の資料が展示されていました。つい最近「私の好きな道標」の項で取上げた通行手形がてんじされており、内容を見ると同じく旅の途中で亡くなった人のものの様である。タイミングとは重なる様におもえます。
ここでそれを載せて置きます。
この後は、西宮の南部を目指します。北端へは何度も通っているのですが、埋立地には旧道が有るはずもなく、行ったことがありません。観光にいきます。
夙川沿いに南下します。橋東詰めまで来ました。東西の道は御影から尼崎へと何度か通ったことが有りますが、南は初めてです。
ほぼ河口に出ると公園でしょうか浜辺でしょうか。
良く分りませんが入っていきます。だんだん東に進み又道に復帰します。
何んと、勝鬨橋が有りました。更に南の埋立地に渡る橋の様です。
新しい橋の様で、建設から今に至る経緯が書かれた案内板がたっています。
新しい埋立地では無さそうですが、地図を見ると堤防沿いに一周出来そうです。反時計回りに廻る事にします。
釣りをする人や、散歩をする人がたまにいる程度で景色は独り占めです。公園風や、個人住宅の庭先など、雰囲気の良い所です。地震、津波、塩害を気にしなければ住みたい所の一つに間違いありません。北とは少し違った高級住宅街にも見えます。
西の対岸には(多分芦屋市)一見、超巨大客船かと思える姿をした建物が見えます。何でしょうか帰ってから調べてみましょう。
南端にたどり着きました。ヨットハーバーになっているようです。多くの帆船が繋がれています。平日の為か人は見えません。高そうなヨットも泊っていては値打ちが有りません。時間を自由に使える、僕の方が、船を持つお金持ちより、良く思えるのは、年寄故のヒガミかも知れませんが。
埋立地東側に掛かると、西とは一転、まるで尼崎市の埋立地のようです。海岸線もトレースできず、最初の橋のすぐ東側迄来ましたが、橋に繋がる道がありません。
強引にフェンスの合間や駐車場の通路を辿り橋には着いたが、道ではないような気がします。私有地とも思えなかったので良しとしましょう。
そんな、こんな、で帰る事にしました。
お仕舞。