以前から気になっていた三田道の確認を行った件です。
相当前になりますが、「波豆向山東の小道標」を見に行った時に、『たからづかの道標』(昭和61年刊)№86に「右、三田」とあるらしく、ここから三田に行けるものであろうかとの疑問を持ち続けており、何時かは確認しようと思っていました。直近羽束山の丁石を調べに行った時、あわよくばついでに行ってみようかと、していましたが、とても時間が足りませんでした。又、その時千刈ダム湖北側の「波豆大畑東掛23の道標」が遺失したと思い、残念な気持ちで帰った事であった。
帰宅後「波豆大畑東掛23の道標」の見るべき場所を間違っている事に気付き、これも再確認する必要がある事態となりました。この際、近くのダム湖西岸にある「波豆向山東の(小)道標」の再確認を含め、それが案内するであろう「三田」への道が、実際にあるかを一緒に調べる事にしました。
先ず、「波豆大畑東掛23の道標」の遺失はカン違いでした。この件に関しては別項にしました。
道路側からはほぼ見えませんでしたが、横から回り込むと無事であることが分かりました。
「波豆大畑東掛23の道標」の道標から、県道68号を東に90m程進み、波豆向山東の道標二基を目指します。下の写真に従って進めば集落の端からは畦道状になりますが、難しくはないと思います。
一安心したので、今日の本題は「三田道」一本に絞れました。早速「波豆向山東の小道標」まで進みます。その手前に不吉な案内板がありました。ダイジョウブかな?。
黄色い看板に「近畿自然歩道、通行止め」とあります。今から行く道が近畿自然歩道で無い事を祈ります。
【参考】後日、近畿自然歩道とは、1997年7月に環境省が設立したネットワークのNATS(ナッツ、「NATURES=自然がいっぱい」を意味する同クラブの愛称)によると、兵庫県内に65ヶ所設定されているらしく、「36.大岩岳展望と千刈湖畔を歩くみち」、「37.百丈岩を望むみち」と繋がるが、神戸電鉄二郎駅から先「38.六甲連山を望むみち」、の始まるフルーツパークバス停までが破線にで示され途切れているようである。
地理院地図で見るとダム湖岸の西沿いに光明寺へ抜ける道があり、コース的に「№36.(西谷支所前バス停 ~波豆八幡神社 ~ 大岩岳 ~ 千刈ダム ~ JR道場駅)」のバイパス的なルートにも見える。依って№36.が2コースあったのかも知れない。大岩岳の展望に負けて「湖岸西沿いルート」は無くなったのかも知れない。
結果、ここで調べた「三田道」は近畿自然歩道とは道標地点から別となる。
「波豆向山東の大道標」を南に見る。左端に一基、小道標はどこか
看板から50m程でしょうか、二基の道標がある地点に到着しましたが、大きな道標はすぐに見つかるも、「小道標」は見えません。
取敢えず「大道標」を確認しておきます。お掃除開始から何時ものルーティンをこなします。
「大道標」の読み下し再確認の話は置くとして、「小道標」を探します。二本の木の間にあった事は覚えているので、そちらに向かうと小さな尖った石が少しだけ見えています。
これだ、と思って掘り出していきますが、掘り出すにつれ道標でない事が分かってきます。地蔵だったようです。事前に自分の記事「87.宝塚市波豆向山東の(小)道標」を確認して置けば良かったのですが、慌てること暫し、何か後ろに石らしいものが有るのに気づきこちらを掘り出します。字が刻まれているのは分かったが、「左右」の字が見えません。ドンドン掘り続けます。
「出ました」、「出ました」こちらが道標です。地蔵と前後の位置を間違えていたようです。道標が地蔵の左後ろ側に有りました。
今日は、埋っている事も考え、移植ゴテを持って来たのが正解となりました。とても木の枝等では掘り出せないでしょう。
掘っていると、ある時期から、土が吸い込まれる様に下に落ちていきます。この石の下に空間が有る様です。とすればあまり大きくはなさそうです。写真を撮れるようになるまで20分は掛かったでしょうか。
撮影をしつつ案内を読むと、「右、三田」は間違いなさそうです。前回読めなかった部分が確認出来、この後の「道」追跡のはげみになります。実はこれが目的なのですが、未確認の文字が確認出来たのはひとえに「移植ゴテ」の御陰です。
但し、手前に地蔵を支える石が有るのと、左端が木の根に取り込まれている為、手前側は少ししか掘り出せず、下まで完全には読めませんが、「右、三田」は間違いありません。
二基の道標の詳細は別に参照いただくとして、イヨイヨ三田道を辿る事にします。
この道標のある位置をよく見ると、南北の湖水面に沿う道と、道標が示すであろう「右」への道の分岐点(三ツ辻)である事が分かります。事前に作成しておいたグーグルマイマップと現在地点のズレを見るべく、「現在地点」をタップするも、何時もの青マークが出ません。スマホを振り回したり、近所をウロウロするも現在地が出ない。ある時はとんでもない地点を表示したりもするが。人家からは200mも離れていないはづなのですが。この後、山歩き中に何回も挑戦したが使い物になりませんでした。
取敢えず、「右」と受取れる道へ進みます。こちらは登りになり、谷筋へむかいます。道らしきものがハッキリとあり広さも十分ですが、すぐに倒木が行く手を阻みます。
この後、前述の如くグーグルマップによる位置確認が出来ないため、事前に用意した地理院地図を見つつ自身の読図と感覚で書いた記述となります。不正確は覚悟で見て下さい。又、歩測は左右で1歩としています。1丁(109m)を95歩で歩く、を適用します。即ち1.15m/1歩となります。歩数は「かずとり器」を使い、倒木や渡渉地点では歩数を調整しています。方向は、これ又100均で買った磁針計で八方向を用いて示します。
ジャーン!出ましたゴルフ場です。「千刈カンツリークラブ」でしょう。
本日の目標は100%達成。公道ならばゴルフ場内でも歩行可能な道に繋がるかも、と期待していたが、害獣除けの電線であろうかが設けられており進入は出来ません。何番ホールかも確認出来ず、南北に少し道跡がないか確認するも見つからず。地理院地図も此処の少し東の市境と思われる地点で道が終わっている。ゴルフ場(千刈カンツリークラブ)の西側からは自動車の通る道が有る様で、平井池から山田川沿いに出て、南の山田、西に向かい桑原を経て、三田市街となり、ゴルフ場内さへ通過できれば「三田道」として良しと出来る。
『今昔マップ on the web』で確認していただきたい。明治の地図に載る道は現存していました。
もし、倒木が無く、三ヶ所程のガケ崩れが無ければ非常に歩き易い道で有ったろうと想像できる。
以上、小道標の「三田道」検証を終え、来た道を引き返します。
後日、最終到達点を写真等を手掛かりに検討の結果、6番ホールのグリーン東端辺りに出た模様で、経緯度としては
N34.898533 E135.274366
辺りになると思われる。
これからすると、コース脇をあと40m南に下ると、『今昔マップ on the web』明治の地図にある道に合流すると思われる。何時もの事ながら後一押しが足りなかった様だ。コース脇を20m南までは行ったのですが、プレイヤーが来られたので遠慮してしまった。
尚この事から、現在の国土地理院地図の宝塚と三田市の境界で切れている道は、西三田市側へ180mは続いている事になります。今となっては引き返し地点から繁みをかき分け進まなかったことを悔やむ。もし進んでいれば、道なりにゴルフ場の境界にたどり着いたかもしれない。
又、地理院地図に描かれた道の一部は等高線と違和感があり、現実とも少しズレている様に感じました。
wikiの「千刈カンツリー倶楽部」に「1963(昭和38)年11月28日、ゴルフ場の造成工事、着工」とあるのでこの頃迄は現役の道であったと思われる。前述の『今昔マップ on the web』でも昭和30年発行の地図では健在である。
本日の踏査部分から西、千刈カンツリー内は私有地で除くとするが、その西端の一般道を南に向かう部分から、桑原240の三ツ辻迄の3.2㎞は已然未踏査区間として残りますが調査の予定はありません。(実は山田289に架かる橋の東詰め三ツ辻までに道標が無い事は確認済みで実質2.1㎞未調査となります。)
桑原240の三ツ辻に道標が有って欲しいのですがみあたりません。当道筋を案内しているかも知れない道標が、同三ツ辻の南西直線で350m程にあります。勝手に名付けて「下田中山彦橋西の道標」とした石の西面に「左 京阿た古免ふけん道」とあり、現状では道の経路に違和感があるが、明治の地図では三ツ辻への最短経路に見え、三ツ辻から北に向かえば、今日調べた道に繋がり、三田側から見れば「京道」「愛宕道」であり「妙見道」でもあったとします。