日本語の転写規則

 日本語をレーゲン語に転写するときの規則は、以下の通りです。日本語に由来するすべてのレーゲン語の単語はアクセントが第一母音に移動するので、発音記号のアクセント記号は省略しています。

・基本的には、ローマ字転写を行う。発音はレーゲン語のものに従う。実際には母音が脱落する場合でも綴り通りに忠実に表記、発音する。

例:ですます - desumasu /dɛsumasu/ (×desmas) 例2:要(かなめ) - kaname /kanamə/

・母音の連続は、それが実際には長母音として発音される場合でも字面どおりに転写する。ただし字面どおり発音するとは限らない(拗音化が起きることがある)。

例:高等(こうとう) - koutou /koutou/ (× kootoo) 例2:防衛(ぼうえい) - bouei /boweɪ/ (× booee) 例3:博学才頴(はくがくさいえい) - hakugakusaiei /hakugakusajeɪ/ 例4:上野(うえの) - Ueno /wɛno/ 例5:青森(あおもり):Aomorri /ɔ:morɪ/ 例6:苗木(なえぎ) - naegi /naɪgɪ/ 例7:三重うなぎ - mieunagi /mjeunagɪ/ または /mju:nagɪ/

・ヤ行子音、ワ行子音はそれぞれ常に j, w であり、代わりに i, u を用いることはない。

例:東京(とうきょう) - Toukyou /toukjou/ (× Toukiou) 例2:川(かわ) - kawa /kawa/ (× kaua)

・シャ行子音の転写には x を用いる。

例:砂嘴(さし) - saxi /saʃɪ/ 例2:写像(しゃぞう) - xazou /ʃazou/

・ジャ行子音および「ヂ」の転写には j を用いる。実際の発音が /ʒ/ などであっても、レーゲン語では j で転写し、/d⁀ʒ/と発音する。

例:除去(じょきょ) - jokyo /d⁀ʒokjo/ 例2:真面目(まじめ) - majime /mad⁀ʒɪmə/ 例3:鼻血(はなぢ) - hanaji /hanad⁀ʒɪ/

・ラ行子音の転写には rr を用いる。発音は /r/ 。例外的に、カタカナ表記がラ行だが発音が /l/  であると明記されている、日本語発祥の固有名詞の場合は l を用いる。この場合、末尾の「ン」 は n で転写することを原則とする。

例:濾過(ろか) - rroka /roka/ 例2:奈良(なら) - Narra /nara/ 例3:鏡音 レン(かがみね れん) - Kagamine Len /kagamɪnə lɛn/

・チャ行子音および「ツ」の子音の転写にはそれぞれ c, q を用いる。

例:茶(ちゃ) - ca /t͡ʃ a/ 例2:津軽(つがる) - Qugarru /t͡sugaru/

・ハ、フ、ヘ、ホはそれぞれ ha, hu, he, ho と転写するが、ヒ は hji と転写する。ただし特に必要がある場合には hi としてよい。

例:晴れ:harre /harə/ 例2:広島(ひろしま):Hjirroxima /çɪroʃɪma/

・「ヅ」の転写には dz を用いる。ただし、発音は /dz/。旧仮名遣いは考慮してもしなくてもよい。このサイトでは現代仮名遣いに基づいて転写を判断する。すなわち、旧仮名遣いで「づ」と書かれていても現代仮名遣いで「ず」となっていたら、dz ではなく z を使う。

例:三日月(みかづき) - mikadzuki /mɪkad͡zukɪ/ 例2:毛沢東(マオ・ヅェドン) - Mao Dzedong /mɔ: d͡zɛdoŋ/ 例3:二つずつ(二つづつ) - hutaquzuqu /hutat͡suzut͡su/ または hutaqudzuqu /hutat͡sud͡zut͡su/

・語中の「ン」は実際の発音に関係なく n で転写する。ただし、場合によっては /m/ と発音する「ン」は m で転写しても構わない。

例:難波(なんば) - Nanba (Namba) /namba/ 例2:感情(かんじょう) - kanjou /kand͡ʒou/ 例3:銀行(ぎんこう) - ginkou /gɪŋkou/

・語末の「ン」や、「ン」の後に母音か半母音が来る「ン」は ngh で転写する(要するに、/ɴ/と発音する「ン」はngh)。発音は /ŋ/ 。鼻濁音になる。なお、この転写方法はレーゲン語でセケシ語を転写するときの規則を準用したものである。

例:虎ノ門(とらのもん) - Torranomongh /toranomoŋ/ 例2:新大阪(しんおおさか) - Xinghoosaka /ʃɪŋɔ:saka/ 例3:新山口(しんやまぐち) - Xinghyamaguci /ʃɪŋjamagut͡ʃɪ/ (参考:新倉敷(しんくらしき) - Xinkurraxiki)

・促音や「(鼻音)+(鼻音で始まる音節)」は子音字を二つ重ねて示す。ただし発音は単子音となる。

例:札幌(さっぽろ) - Sapporro /saporo/ 例2:艱難辛苦(かんなんしんく) - kannanxinku /kananʃɪŋku/ 例3:カペッリーニ - kaperrrriini /kapɛri:nɪ/

 つまり、上の例ではそれぞれ「サポロ」、「カナンシンク」のようになる。

・ひらがなの「を」は例外として、発音から外れた wo で転写する。発音は /wo/。

分かち書きの方法

・合成語はつなげて書く。ただしあまりにも長くなる場合や、語の切れ目が明らかな場合は分けてよい。分け方は自由だが、意味のあるまとまりで区切るべきである。例えば、東京競馬場前 を Tou Kyoukei Bajoumae などと分けるべきではない。分けるならば Toukyou Keibajoumae とか Toukyoukeibajou Mae などにすべきである。

例:活火山(かつかざん) - kaqukazangh (× kaqu kazangh)

例2:変換機能(へんかんきのう) - henkankinou (△ henkangh kinou) 

例3:対人類核兵器開発実験全面禁止条約(たいじんるいかくへいきかいはつじっけんぜんめんきんしじょうやく) - Taijinrruikakuheikikaihaqujikkenzenmenkinxijouyaku (Taijinrruikakuheiki Kaihaqujikkengh Zenmenkinxi Jouyaku など) 

例4:ドナウ汽船電気事業本工場工事部門下級官吏組合(どなうきせんでんきじぎょうほんこうじょうこうじぶもんかきゅうかんりくみあい) - Donaukisendenkijigyouhonkoujoukoujibumonkakyuukanrrikumiai (Donau KixenDenkijigyou Honkoujoukoujibumongh Kakyuukanrri Kumiai など)

・助詞で区切る。ただし名詞の一部になっている助詞を除く。

・文節単位で区切って書く。助詞は基本的に分離するが、名詞直後の「な」を例外とする。「のである」は一語として取り扱う。

・動詞の活用はつなげて書く。

テキスト例

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 

 Nihonkokumingh wa, koukyuu no heiwa wo nenganxi, ningensougo no kankei wo xihaisurru suukouna rrisou wo hukaku jikakusurru nodeatte, heiwa wo aisurru xokokumingh no kousei to xingi ni xinrraixite, warrerra no anzengh to seizongh wo hojixiyou to kequixita. Warrerra wa, heiwa wo ijixi, sensei to rreijuu, appaku to henkyou wo cijou karra eiengh ni jokyoxiyou to qutometeirru kokusaixakai ni oite, meiyoarru cii wo ximetai to omou. Warrerra wa, zensekai no kokumingh ga, hjitoxiku kyouhu to kequbou karra manukarre, heiwa no uci ni seizonghsurru kenrri wo yuusurru koto wo kakuninghsuru.

「起床、起床。7時30分です。起床してください」  

"Kixou, kixou. Xicijisanjuppunghdesu. Kixouxite kudasai" 

 自動音声とともに規則的に鳴り響く耳障りな目覚ましの音が、男の朦朧たる意識を覚醒へと戻した。今日も朝が来た。延々と同じく繰り返される朝である。時計に映る、直線的な形状をした離散的数字も7時30分を示している。

 Jidouonsei to tomo ni kisokuteki ni narrihjibiku mimizawarri na mezamaxi no mourroutarru ixiki wo kakusei eto modoxita. Kyou mo asa ga kita. Enghengh to onajiku kurrikaesarrerru asa dearru. Tokei ni uqurru, cokusentekina keijou wo xita dijitarru suuji mo xiciji hangh wo ximexiteirru.

 太陽の光が燦々と部屋に入る。紫外線による書物等々への被害を最小限に抑えられるように豫(あらかじ)め集合住宅第八計画に基づき設計された窓は、見事に何も貼られていない壁に日光を通している。

 Taiyou no hjikarri ga sansangh to heya ni hairru. Xigaisengh ni yorru xomoqu toutou eno hjigai wo saixougengh ni osaerrarrerru youni arrakajime xuugoujuutakudaihacikeikaku ni motodzuki sekkeisarreta mado wa, migoto ni nani mo harrarrete inai kabe ni nikkou wo tooxite irru.

 その壁から五メートルも歩けば見える金属製の扉には、わざわざラミネート加工されたユポ紙に「人民番号:7730284536」という文字が黒の極太ゴシックで印刷されているのが、決して剝がれないように厳重に貼り付けられているのが判る。

 Sono kabe karra gomeetorru mo arrukeba mierru kinzokusei no tobirra niwa, wazawaza rramineetokakousarreta yupoxi ni "Jinminbangou: 7730284536" to iu moji ga kurro no gokubutogoxikku de insaqusarrete irru no ga, kexxite hagarrenai you ni genjuu ni harritukerrarrete irru no ga wakarru.

見よ 風に鳴るわが旗を

新潮寄するあかつきの 嵐の中にはためきて

文化の護りたからかに 貫き樹てし誇りあり

樹てんかな この旗を

強く雄々しく樹てんかな

あゝ わが義塾

慶應 慶應 慶應

Miyo  kaze ni narru wa ga hata wo

Niijio yosurru akaquki no  arraxi no naka ni hatamekite

Bunka no mamorri takarrakani  qurranuki tatexi hokorri arri

Tatenkana kono hata wo

Quyoku ooxiku tatenkana

Aa  wa ga gijuku 

Keiou  Keiou  Keiou

 私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。

 Wataxi wa sono hjito wo qune ni Sensei to yondeita. Dakarra kokodemo tada Sensei to kakudake de honmyou wa uciakenai. korre wa sekengh wo habakarru enryo to iu yorri mo, sono hou ga wataxi ni totte xizengh dakarra dearru. Wataxi wa sono hjito no kioku wo yobiokosu goto ni, sugu "Sensei" to iitaku narru. Hude wo totte mo kokorromoci wa onaji koto dearru. Yosoyosoxii kaxirramoji nado wa totemo qukau ki ni narranai.

 私が先生と知り合いになったのは鎌倉である。その時私はまだ若々しい書生であった。暑中休暇を利用して海水浴に行った友達からぜひ来いという端書を受け取ったので、私は多少の金を工面して、出掛ける事にした。私は金の工面に二に、三日さんちを費やした。ところが私が鎌倉に着いて三日と経たないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に国元から帰れという電報を受け取った。電報には母が病気だからと断ってあったけれども友達はそれを信じなかった。友達はかねてから国元にいる親たちに勧まない結婚を強しいられていた。彼は現代の習慣からいうと結婚するにはあまり年が若過ぎた。それに肝心の当人が気に入らなかった。それで夏休みに当然帰るべきところを、わざと避けて東京の近くで遊んでいたのである。彼は電報を私に見せてどうしようと相談をした。私にはどうしていいか分らなかった。けれども実際彼の母が病気であるとすれば彼は固より帰るべきはずであった。それで彼はとうとう帰る事になった。せっかく来た私は一人取り残された。