レーゲン語の格変化の衰退

注意:このページは文法改定前の内容を扱っています。

 現代レーゲン語は、代名詞を除いて格変化が大きく衰退しており、一般名詞では属格以外の格が屈折で表されない。しかし、古レーゲン語(以後、古麗語)では屈折によって格を表すことができていた。このページでは、いつ、なぜ格変化が衰退したのかを解説する。

古麗語における格変化

 古麗語では、古英語と同じく名詞は主格(~が)、属格(~の)、与格(~に)、対格(~を)の4つの格を屈折で表していた。ここでは、mix(男)を例に挙げて、古麗語での名詞の屈折を見てみよう。

 右の図を見ると、いかに昔のレーゲン語が複雑であったかが分かる。古麗語では名詞の屈折パターンは3つあった。覚えるのは面倒であるが、語順を自由にできるというメリットがある。

 例えば、古麗語のFaadenamis levatante sa Mixek. (ファーデナミスはその男を愛した)は、Mixが対格のMixekに屈折しているので、語順を変えてSa mixek Faadenamis levatante(その男をファーデナミスは愛した)でも、Faadenamis sa Mixek leatante(ファーデナミスはその男を愛した)でも通じていたわけである。

 ネイティブスピーカーは屈折を自然に覚えるので、別に面倒だとも思わないであろう。日本人が「は」と「が」の使い分けや敬語を自然に覚えるのと同じである。

 では、なぜレーゲン語はそのような便利な屈折を捨てて、語順で格を決定するという、窮屈とも言える方式へとシフトしていったのであろうか。

無題のスプレッドシート

格の衰退

 レーゲン語は基本的に第一母音にアクセントをおいて発音する。これが格変化の衰退の最大の原因である。上の表を見れば分かるが、古麗語では屈折語尾によって格を表していた。しかし、アクセントは第一母音に来るので、後ろの音は必然的に弱く発音されることになる。つまり、文法上重要な存在であるはずの屈折語尾が聞こえにくくなってしまうのである。時代が進むにつれてこれはどんどん顕著になっていった。ここで、中レーゲン語黎明期(玄暦600年頃)のmix(男)の屈折表を掲げよう。

 右の表からは、格変化が衰退し始めていることが分かるであろう。ただし、この時点でも、まだ語順に頼らずとも屈折によって格を表すことはできていた。中レーゲン語初期における語順の割合が、SVO:51パーセント、SOV:40パーセント、OSV:8パーセントと、SVOの独占状態でなかったことからも、これは明らかである。

 英語では中英語期になると既に語順に多くを頼るようになっていたが、レーゲン語ではそこまで深刻ではない。おそらく、ヴァイキングのような侵略者の影が薄かったからであろう。しかし、レーゲン語も時が経つにつれてさらに格の衰退は激しくなっていく。

 次に、中レーゲン語後期(玄暦900年頃)のmixの活用表を掲げよう。

中レーゲン語名詞屈折

 主格と対格が同じ形になってしまった。与格にはかろうじて-eが残っているが、この-e(発音は[e]であったと推測される)は120~150年程度で脱落し、ついに属格を除く全ての格が同形で表されるようになった。これでは、屈折で格を表すことなどできるわけがない。

 こうして、レーゲン語は基本的に語順で格を表す言語へと移行した。しかし、まだ疑問は残る。それは、「なぜ、SOVでもOSVでもなく、SVO語順が選ばれたのか」ということである。この問いへの答えは容易に説明できる。

中期レーゲン語後期名詞屈折

 古麗語の時代であっても、基本的な語順というものは既に存在していた。日本語は格助詞を使えば語順を自由にできるが、たいての文章はSOVで書かれる。古麗語では、SVOが基本語順であり、おおむね半数の文章がSVOの語順で書かれていた。中麗語中期になると、SVOが主流となり、850年ごろには85パーセントの文章がSVOで書かれるようになった。近代レーゲン語に突入したころには、語順は既にSVOの独占状態になっていたのである。

なぜ属格だけが残ったのか

 ここまで古麗語~近代麗語までの格変化の推移を見てきたが、現代レーゲン語に至ってもなお格変化を保っている格が一つだけある。それは、属格である。属格は現代レーゲンでは-erという語尾で表されるが、前表詞koを使うことも多い。特に属格だけが形を保つ理由はないように思われるが、これはなぜなのか。

 属格について話す前に、まず他の格の衰退から見ていこう。

 古麗語では、与格は-lu(-elu)という語尾で表されていたが、まずuが弱い発音となり、のちに脱落した。こうして-l(el)が与格の屈折語尾となった。しかし、lだけでは決まりが悪かったのであろうか、単数形にも母音eが付け足され、-elとなった。複数与格の-elにつられてeが付加されたという説もある。

 ここから100年以上は-elが続いたが、lを毎回発音するのは面倒なので、鼻音のnに変化し、-enとなった。その後、nが脱落し、曖昧母音のeのみが残ることとなったが、このeも100年程度で消滅し、主格と同形となった。

 対格は-ek(-oor)という語尾で表されていた。対格の衰退はまず単数形から始まった。単数対格の屈折語尾は-ekだったが、kがまず脱落し、-eとなった。しかし、対格はよく使う格であり、主格とはっきり区別する必要があったためであろうか、-eに子音nが付加され、-enとなった。つまり、一度衰退した対格は、一時的には発音が強化されていたということである。

 しかし、この-enという形は中麗語中期の与格の-enと同じであり、次第に同一視されるようになった。そうして、対格の-enは、与格の-enと同時に消滅したのである。

 複数対格の語尾の-oorは、脱落しにくい長母音が用いられていたため、中麗語に入ってもそのまま-oorであった。が、中麗語後期に長母音が脱落し-orとなった。近代麗語初期に入ると、rがnに変化し、-onとなった。そして、nがほんの百年程度で脱落し(これほどまでに脱落するのが速かった理由は麗語学でも様々な説があるが、ここでは取り扱わない)、残されたoも子音と一体化して消滅した。現在、-oorは対格指定の限定前表詞oorfiltと動名詞を作る接尾辞の-oorにその痕跡を残している。

 ここまでの格変化の推移をまとめると、以下のようになる。

格変化の推移

 

 それでは、属格が現代レーゲン語でも残っている理由について解説する。古麗語における単数属格の屈折語尾は-amである。これは現代レーゲン語にも"jongamrrej"(地震)「jong(大地)-am(の)-rrej(怒り)」などの複数の単語にその痕跡を残している。-amは中麗語初期ではmがnに変化し、-anとなった。この状態は中麗語後期まで続いた。そして、-anは-enと発音が同化し、-enという形になった。ここで、この-enが複数属格の-ersと混合され、-ernという形になった。nは近代麗語で脱落し、-erとなった。これが現代レーゲン語の-erである。

 古麗語における複数属格の屈折語尾は-erseである。この-ereは、中麗語までにeが脱落し、-ersとなった。-ersは、sという「強い」子音を持っていたため、中麗語後期に突入してもそのまま-ersとして残り続けた。sは近代麗語初期~中期に脱落したが、-erはそのまま現代までその形を保ち続けている。

 なお、規則的な代名詞(noitやjeeなど)の属格の屈折語尾-amは、属格の-amや-erseとは関係ない。規則的な代名詞の属格は、古麗語では-amsというものだった。現代までに末尾のsが脱落し、結果として古麗語の-amと同形になったと考えられている。

属格のこれから

 これで、属格だけに屈折語尾がまだ存在している理由がおわかりいただけたであろう。では、今後、レーゲン語の-erはどうなっていくのか。

 レーゲン語の研究を15年にわたって続けているカンゲルヤーク言語大学のテレグラメス=トフェヴェーク(Terreglames Tofeveek)教授によると、rは曖昧母音に変化し-eaといった形に変化し、そして消滅すると見積もられている。現在(1645年)から-erが消滅するまでの時間は、200~300年と推測される。消滅した属格の屈折語尾に代わって、前表詞koが全面的に用いられるようになって、-erは古風な文章に現れるのみとなるであろう、と教授は語っている。