レイトガイジェン国

 レイトガイジェン(麗:Leitgaijen, Leitgaijen Jeebrals 多:Barpfae 羅:Barlfsalt 馬:Vuntstaeine 紋:武覇田電(lei-tiun-gäi-jen) は、西ロイテンツに位置する共和制の民主主義国家である。首都はカンゲルヤーク(Kangerryaak)

概要

 レイトガイジェンは98の県からなり、総面積は約310万km²。気候は主に温暖湿潤気候だが、北部では西洋海岸性気候、南部では地中海性気候が見られる。ロイテンツ、ひいては世界において高い地位を持つ覇権国家であり、人口は約2億8000万人にのぼる。また、二つの州(ロイテンツ州とナッセ州)に領土を持つ珍しい国でもある。

 レイトガイジェンのGDPは世界第3位であり、これは紋令大帝国、セケシヤムス社会主義国に次ぐ値である。産業面では、世界第3位の輸出量と、世界第4位の輸入量を誇る。レイトガイジェンは世界一位とも評されるほど高い生活水準を持つ安全な国家である。ただし、ヴェクラムダー総統による統治は、民主主義的でないと批判されることもままある。レイトガイジェンは、国際連合、ラシェント・ロイテンツ軍事協定、露州連盟、露州貿易機構などさまざまな国際機関において高い地位にあり、ロイテンツ州ではラシェントに次ぐ軍事力を持つ。

 緑色の部分がレイトガイジェンである。画像クリックで拡大版を見ることができる。

ただし、この画像はあくまでイメージで、近日中に改定される予定である(このページは改定後の地図をイメージして記述されている)ことに注意してください。

国名、国旗、国歌、標語

国名

 レーゲン語での正式名称はレイトガイジェン国(Leitgaijen Jeebrals (/léɪtgaɪd͡ʒən d͡ʒé:bɹals/ レイトガイジェン ジェーブラルス) )である。この名称は政治的な場面でよく使用されるものであり、通常は単にレイトガイジェン(Leitgaijen)と呼ばれる。レイトシージェ3文字での略称はLTG、2文字での略称はLGである。隣国のイェッタリンやテリエーレでは、俗に Gaijen と呼ばれることもある(後述する語源を考えると、すこし奇妙な略称であろう)。なお、"Jeebrals"は「国家」を意味する。

 "Leitgaijen" の部分は、古代レーゲン語で「レイトル族の」を意味する "Latoram"が中代レーゲン語に "Leitor" となったものに、「土地(領地)」を意味する "gaijen" が繫がったものとされ、「レイトル族の土地」を意味する。レイトル族そのものの語源はよく解っていないが、「定住する」という意味の単語 "latos" の派生語とする説がある(cf: レーゲン語 eftlatos「嫁入りする/婿入りする」)。latos は現代レーゲン語では廃語となっており、「定住する」には jiixrranx という語が用いられる。

 一方、代表的な外国語では Leitgaijen とそのまま書かれることは少ない。レーゲン語も属するジュートニン語派諸語については、イェッタリン語では Laitgaidjen(ライトガイディエン)、ヴァイウリア語では Leitorgajun(レートルガジュン)など、西方を中心に分布するバードイ語派諸語では、バレデー語の Vuntstaeine(ヴンステイン)、ベーゲック語の Vuntas(ブンタッシュ)、東方をメインの分布地帯とするジェヴァッド語派においてはタゴマス語の Barpfae(バルプァエ)、テーヤス語の Bårfai(バルファイ)、最東方を中心に分布するクトラノ語派では、ラシェント語の Barlfsalt(バルフザルト) のように書かれ、いずれも Leitgaijen とは書かれない。

 Vun- で始まる呼称は、後述するがレイトガイジェンのもととなったヴント連邦国という国に由来する。また、Bar-で始まる呼称は、レイトガイジェンの領域をかつて支配していたバルフ族という民族の名に由来する。また、紋令語では武覇田電と当て字で書くが、これは Leitgaijen の忠実な音写で、かつては武等丈甫(lei - tu - ge - ja) とかかれていた。

 以下では地球現実に存在する言語での転写について述べる。漢字による転写は麗都外善であり、一文字では麗国となる。もちろん、これは意味の良い文字を当てているものである。中国語普通話の漢字では雷頭改進、略して雷国という。英語では Leitgaijen Nation (/léɪtgaɪd͡ʒən néɪʃən/) または単に Leitgaijen と呼ばれる。ドイツ語では Leitgaijen Nation (/'laɪtgaɪʒən nat͡si'o:n/)、朝鮮語では 레이트가이잰 とかく。

国旗

 レイトガイジェンの国旗(麗:Leitgaijen Jeebralsam Feinsalpeixeq)は黒と赤の上に、等間隔で青、白、緑を配置したものであり、黒赤底三色旗(こくせきていさんしょくき 麗:Girmn on xeker btan on tafxagetpeixeq)と呼ばれる。

 この旗はレイトガイジェン王国が革命によって倒れ、レイトガイジェン国が建国されたときに作られたものである。黒と赤はそれぞれ、戦死者の遺体と流れた血を、青は空と平和を、白は正義を、緑は豊かな国土を表す。綜合して、「レイトガイジェンの平和、正義、国土は今までの死者の屍と血の上にある」ということを表している。

 国旗は、レイトガイジェンの国家象徴法によって定められている。縦横比は15:24である。国家象徴法は1612年に制定されたので、レイトガイジェン建国から長い間、この国旗は法律的には正式な国旗として定められていなかったということである。

 国旗は、国家象徴法によって保護されており、レイトガイジェンにいる全ての人間(外国人含む)は、国旗を尊重しなければならず、これに違反した者には半年以下の禁錮または三千ヴィット以下の罰金が科せられる。

レイトガイジェンの国旗。縦横比は15:24。

国歌

 レイトガイジェンの国歌は永遠に栄えよ我が祖国(Le Baurram dassfeinsal, Kangerrye xenzaiul)である。作曲はシュヴァガレール=アイジェンバーハ(Xvagarreer Aidzenbaah)、作詞はタントラム=ノイヤン(Tantlamm Noiyan)。全てあわせて5番まであるが、現代ではふつう1番と2番のみが歌われる。国歌は、国旗と同じく、国家象徴法によって定められている。

 国歌を歌う際には、ふつう脱帽し起立する。起立できない環境や身体的状況で起立できない者は、レイトガイジェン式敬礼(左腕を頭まで高く挙げて敬礼する)をして歌う。レイトガイジェン国籍を取得したい者は、面接試験にてレイトガイジェン国歌の2番までをレーゲン語で暗唱できなければならない。必ずしも歌える必要はないが、できれば歌えた方が望ましいとされる。また、吃音・失語症の者や中度以上の精神障害者では、この過程は不要である。

<歌詞>

1番

長き歴史の地に 聳える我が祖国

 麗しき文化文明に 育つ国民たち

 流れゆく大河、生い茂る森林よ

 偉大なる栄光に 輝く故郷

 永遠に栄えよ 我が祖国

2番

美しき珠玉たる 繁栄ある祖国よ

もし暴虐が爾を 壊さんと動かば

我ら心身捧げ 爾を護らん

偉大なる栄光に 輝く故郷

 永遠に栄えよ 我が祖国

 国歌は国営テレビや国営ラジオの開始時と終了時に、演奏のみで流される。 テレビでは青空に翻るレイトガイジェン国旗が映り、下部に歌詞が表示される。国営テレビでは、終了時に国歌に続けて著名な愛国歌である「栄えあるレイトガイジェン(Kangerrax Leitgaijen)」がインストゥルメンタルで流される。

標語

 レイトガイジェンの標語は、"Dinje Vaiqlen, Dinje Rex Neiq"「強大であれ、更に偉大であれ」である。この標語は1635年に制定された。それまでの標語は "Jenqaataizem, Verrt, Feinsallivat"「民主主義、平和、国家愛」であった。

 現標語の制定時には、覇権主義的で民主主義と平和を軽視しているという批判意見が野党を中心に巻き起こり、反対署名は30万を集めたが、結局制定された。レイトガイジェン政府は、標語を替えても革命以来の民主主義の尊重は変わることはないと主張している。

歴史

先史時代~ダトス王国の建国

 太球において人類が誕生したのは約480万年(670万年)前とされ、この最初期の猿人はカトーウワーネス・レンザニスディス(Katoouwanes Renzanisdiss, タゴマス語で「カトーウワの優しい人間」の意)と呼ばれる。猿人ははじめナッセ大陸にのみ存在していたが、次第に進化し続けながら居住範囲を広げ、ロイテンツに到着したのは今から約55万年(75万年)前のことであると考えられる。これは、原人の化石が発見され始める地層が55万年前に形成されたところであることから明らかとなった。約3万年前の地層からはトゾジュール人と呼ばれるネアンデルタール人に相当する旧人類の化石が発見されている。

 ロイテンツにおける最初期の文明は、東ロイテンツ、タシュロニス川付近にて興ったタシュロニス文明(Taxloniss Wesveizink)である。この文明は青銅器文明であり、ダンクス遺跡やサナス遺跡などから青銅器が出土しているほか、フォヴォスの壁画などいくつかの壁画も確認されている。前玄暦1200年ごろには、レイトル族によってヴィナード川付近にケイルヴィン文明という鉄器文明が栄えた。

 歴史時代に入ると、レイトル族の集団(レイトルハルング)はタゴマス王国の伸張の影響を大きく受けた。レイトルハルングは決まった国家としての形を持たない緩やかな連合体のような集団だったために団結できず、多くの場合すぐにタゴマスに支配された。タゴマス王国(のちに帝国となった)は紀元前180年にはいまのベーゲックの半分程度、コルツレンの南部までを領土に収めた。

 レイトル族はタゴマスによって異民族防衛のため傭兵として雇用されたり、長城の建築のため徴発されたりしたが、たいていの場合ではそれほど過酷な扱いは受けなかったとされる。レイトガイジェンがルザーユ教圏となっているのも、タゴマスに征服されたためである。

 タゴマス帝国は過剰な伸長や内部情勢の悪化などに伴って、次第に弱体化していった。玄暦198年には、レイトルハルングの中で有力だったダトスハルングが蜂起し、タゴマスから独立し対等関係に立つに至った。ダトスハルングはその後も勢力を強め、各地を統一していき、玄暦210年にダトス王国を称し、ファーデナム=ガールフ(Faadenam Gaarf)がその王となった。

註:ここでは分かりやすいように「タゴマス」の名称を使用しているが、実際の当時の名称は「ゴビュシス(Gobysiss)」である。ゴビュシス帝国は256年に滅亡した。

ダトス王国の繁栄~滅亡

 ダトス王国はファーデナムの活躍により国土を広げた。はじめの版図はゲンドバズからナッドウリック程度の面積だったが、彼の亡くなった219年にはおおむね4倍ほどの面積になったといわれる。この頃の状況は詩人のシュカーレイナイスレイツの叙事詩により詳しくわかっているが、その真実性については一定の疑問の声がある。王国はゴビュシス帝国やそのほか諸国との貿易路となり、首都のセレシュルケン(Selexulken)の人口は、当時としては驚異的な人数である12万人を数えている。

 ダトス王国は長い間繁栄したが、これは叛乱が起こらないような環境だったことが大きい。国民は市民(ツォンキスパルド)と被使者(チャルヴァイシェス)に分かれており、この階級制は原則世襲ではあったが、一定の基準を満たせば昇格(降格)できた。ツォンキスパルドはチャルヴァイシェスを使役する特権を持っており、国から土地が与えられた。チャルヴァイシェスは自由に国内を移動することができず、いわゆる農奴に近い存在だったが、古代ローマのコロナートゥスよりは良い扱いを受けていたようである。もちろん、全てのツォンキスパルドがチャルヴァイシェスを丁寧に扱っていたわけではなく、悪地主として有名なドローイ家では、5年で約3割のチャルヴァイシェスが死亡していたようである。

 王国は娯楽を多く作った。代表的な娯楽は首都セレシュルケンで行われる興行祭であり、50ザーヴォ(標準的なチャルヴァイシェスの1月の給料は、500年の時点で5000ザーヴォだったといわれる)支払えば挌闘戦や食事など数々の娯楽を楽しむことができた。これは王国の発展に影響したといわれる。もっとも、娯楽が強かったのはセレシュルケンやカールドムンなど少数の都市に限られており、前文に述べた娯楽の影響は小さかったという説も根強い。なお、前々文はこの時期のダトス王国で貨幣制度が機能していたような記述であるが、実際にまともに貨幣が流通していたのはセレシュルケンなど非常に狭い範囲で、多くの場合は物々交換やモノを貨幣代りに使用するなどして経済が回されていた。

 ダトス王国の繁栄は、11世紀に入ると陰りを見せた。バレデー北方民族など他国から攻撃を受けるようになり、国力が疲弊していったことも原因に挙げられるが、最大の原因はエンバル王(721~772)の悪政である。エンバルは生まれてから長らく、豪華絢爛な王宮を立てることに執心していた。彼は王宮を立てるため、数多のチャルヴァイシェスを召集し、彼らを働かせ、同時に租税を引き上げた。この決断には周囲の者が総出で反対したが、彼は一切聞く耳を持たなかったといわれる。王宮の建設は、戦争の発生などにより遅々として進まず、2年半経っても宮殿の半分もできていない有様であった。

 重税を課せられ、無理やり働きに駆り出された国民の怒りはどんどん溜まっていき、ついに772年、ナッドウリックで名家ザヴァデル家を中心とする叛乱が発生した。エンバルはこれを抑えようとしたが、叛乱は他の地方にも広がっていき、もはや鎮圧は不可能となった。叛乱の噂は他国の耳にも入り、ここぞとばかりに戦を仕掛けてきたため、王はこれにも対処しなければならず、叛乱への対処はますます困難となった。首都セレシュルケンは叛乱軍によって包囲され、エンバル王は幾千の群衆に囲まれて虐殺され、ここにダトス王国は滅亡した(774年)。この叛乱はザヴァデル家の主ディッケン=カイロス(Dikken Kailos)の名を取り、ディッケンの乱と呼ばれる。王国の滅亡により、一度は統一されたレイトル族はまた分裂し、百年程度、分立状態が続いた。分立した各国のいくつかは、他国の支配下に入った。

分裂期、短期王国の乱立

 分裂後のダトス王国領土にはいっとき二百を超える大小さまざまな国家が乱立した。その中にはワードックなど、小国家でさえない都市国家のようなものもあった。これら小国のほとんどは長くとも三十年程度で滅亡したが、群雄割拠の状態は900年代に入っても続いた。

 この時期の特筆すべきことは、880年頃から深刻になった寒冷化(中世極小時代)である。南側でも場合によっては降雪が観測され、推計方法にもよるが、ロイテンツ州では10年の間に最大500万人の人々が寒さによる疾病や飢えで死亡したといわれる。これにより各国の権力は揺らぎ、ベーゲックの王国などは崩壊に至った。しかし、かつて地球のヨーロッパで猛省を振るった黒死病のように社会構造の変革を促すには至らなかった。少数の貴族と多数のツォンキスパルド、チャルヴァイシェスという三段構造は旧ダトス王国の多くの地域でゆるやかに維持された。

 寒冷化に伴って南部への人口集中が高まり、現イェッタリン付近のクリフトシュルケン(Kriftxulken)を中心とするバーキェス公国が勢力を強めた。逆に北方に居を構えていたケントバス公国は衰退した。920年にはケントバス公国はテリイエーレ王国により滅ぼされたほか、931年時点でシューノジュ王国(現イェッタリンの北を本拠地とする国)の侵略によってバーキェス公国の南にあった小国のいくばくは滅亡した。

 中世極小時代は、政治権力の弱体化に連動して宗教権力が強まった時期でもある。宗教、すなわちルザーユ教とヴァークェイム教は政治に深く入り込むようになり、国家によっては宗教者が最高権力を掌握して国を動かした。民のレベルでも信仰は強まった。この時代の民衆の識字率は非常に低かったため、土着のジュートニン神話と混ざって地域により微妙に異なる教えが広まった。土着信仰も取り込んだこれらの教えを平均してできあがったのが、現在レイトガイジェンで主流となっているタカノエス派である。

 総じてこの時代は一度まとまった「レイトル族」というものが消えて、周囲の国家に併呑されたり、地方地方で分立が強まった「レイトル・アイデンティティー消滅の時代」であると評されている。

レイトガイジェン王国の建国~滅亡

 1087年、分立した各国の中で有力となったヴント家が周囲の諸国を統合し、(便宜的に)ヴント連邦国(Vunt Berrtvaixjeebrals)と名乗る。新たなレイトル族の国を建てる動きが始まった。ヴント連邦国は、920年時点で現在のレイトガイジェンの3分の1程度の面積であったと推定される。ヴント連邦国に反対する分立国もあり、イェッタリンやベーゲックなどに吸収されたものもあったが、その多くは結局、ヴント連邦国に統合されることとなった。反対する分立国との戦いが頻繁に起こったため、この過程には100年以上を要した。

 しかし、ヴント連邦国は資源の算出が豊富な南東地方を中心にしていたことや、国家制度が整っていたことなどの要因があって次第に勢力を伸ばし、ヴント連邦国は1190年までに大多数の分立国を統合した。ヴント連邦国は諸国との会議により、1195年、「レイトル族の土地」を意味するレイトガイジェン(Leitgaijen)に名前を変え、ヴント家の長男ヴント=コンゲレス(Vunt Koengerress)を王に据え置き、レイトガイジェン王国(Leitgaijen Mahtfeinsal)を称することとした。ヴント=コンゲレスはヴント一世を名乗った。

 レイトガイジェン王国は、ヴント一世の意向により、まず民を潤すことから始めた。これはエンバル王を反面教師にしたものである。ヴント一世は戸籍表の作成を命じ、どこにどれだけの人々がいるのかを把握することにした。戸籍の作成により多くの人々が苗字を持つことになった。作成には1年近くを要したが、これで人口調査が可能となった。また、王国は人々の土地面積も測量した。土地の大きさに応じた税金を課すためである。国家にとっては利点が大きかったが、これらの施策は身分制の強化にも貢献した。

 国家は安定期に入り、様々な文化が花開いた。例えば絵画では一時盛隆をほこった説明画(ものを把握するのに特化した非写実的な絵)が衰退。徹底した写実主義が繁栄し、町や自然の風景画、そのほか肖像画などが多く描かれた。絵画は宗教団体にとりわけ利用され、神々の世界や天国、地獄を描いた壁画や天井画が各地の礼拝堂に飾られ、信者に大きな印象を与え、布教・信仰活動を後押しした。

 レイトガイジェン王国は、1265年、タゴマス王国およびイェッタリンと協商条約を締結した。いわゆる三国協商条約である。レイトガイジェン王国はタゴマスの技術を手に入れ、先に紋令(もんりょう, ミアンダウ)に到着していたバレデーに遅れまいと新大陸を探すため、植民地政策を掲げ始めた。新大陸探しは難航したが、1336年、ヤークト(Jaakto)の船団が北垂天亜大陸東岸にたどり着き、その存在をロイテンツに伝えた。ヤークトはハッグハ王国からいくつかの朝貢品を受け取り帰還した。未開の地と思われていた新大陸に文明が栄えているという事実は、ロイテンツの各国を大きく驚かせた。

 また、レイトガイジェンはバレデーに先駆け、紋令と中立および貿易の条約を締結した。これは締結地の環奉にちなみ、環奉条約とよばれる。当初はレイトガイジェン(を含めた露州の国々)は紋令を占領しようと考えていたが、紋令の軍事力はこれらの想定を大きく上回っていたため、構想で終わった。レイトガイジェンは紋令からもたらされた銀により大変栄えた。レイトガイジェンはまた、ナッセ大陸及びノートムス方面にもその力を差し向け、いくばくかを植民地とした。

 政治方面においては、1333年に貴族らの要求(「政治憲章」)により貴族制民主主義が実現された。これは王の決断には貴族の過半数の賛成を必要とする、簡単な王の制御機構であった。1380年には、平民の代表者にも貴族会議への参加権が与えられたが、貴族のものと比べると限定的で、王政に直接関与できるとはいえないものだった。

 1344年に起こったルザーユ宗教戦争では、20万人以上のレイトガイジェン国民が死亡し、国力の低下を招いた。戦後は貧困が相次ぎ、これはレイトガイジェン王国滅亡の遠因となったともいわれている。

 1460年、タゴマスの技術者ミーニスディズが飛び杼を開発し、産業革命が始まった(半年後にレイトガイジェンでも同様の器具が発明されている)。1464年には、紋令の雷龍峰が実用的な蒸気機関を開発した。産業革命によりこれまでの手工業は大打撃を受け、機械工業による資本主義経済への道が開かれた。産業革命は国家の近代化に著しく貢献したいっぽうで、煤煙や水質汚染などの酷い公害、そのほか数多くの労働災害を発生させる原因ともなった。

 さて、レイトガイジェン王国滅亡の直接的原因となったのは、ダトス王国の滅亡と同じく、悪政だった。レイトガイジェン王国最後の王、ドラモル=ライバイファイト=コ=ジョイムネン(Doramorr Laibaifait Ko Joemnen)は、民が日照量低下に由来する飢餓に苦しんでいることを横目に、豪華絢爛な舞踊や食事会などを貴族相手に開催し、彼らの支持を買おうと試みた。それ自体は成功をおさめたが、民の我慢は限界に達しており、1460年と1470年の二回にわたり、「平民歎願」という名で食料の配布を希望する歎願書が出された。しかし、彼はこれを拒絶し、「反発するならば処罰する」と公言した。1475年に行われた貴族会議においても平民の主張は受け入れられず、王侯貴族と平民の決裂は決定的となった。

 1477年2月、レイトガイジェン王国の第二の都市であるゲヴェスディア(Gevesudia)で、農民による一揆から始まる叛乱が勃発した。レイトガイジェン王国打倒革命の始まりである。叛乱の知らせを聞き、ドラモルは貴族会議を招集。革命の鎮圧と平民への食糧供給を指示したが、時既に遅し、軍を率いていた貴族は庶民に捕らえられ、殺害されていった。ドラモルも例外ではなく、命乞いも聞き入れられず惨殺された。彼の家族は死ぬまで幽閉された。

 革命の終了後は、革命の主導者らと、革命に賛同していた貴族らを中心として、新政府が設立された。新政府は、政治体制を民主主義とすることを決定し、1477年14月、国名をレイトガイジェン国(Leitgaijen Jeebrals)とした。荒廃したセレシュルケンに代わり、「セレシュルケンの助手」と呼ばれていたカンゲルヤークを新たな首都とすることも決定された。当時のカンゲルヤークの人口は200万人程度であったと推察される。

 なお、ドラモル王の暴政については事実よりも誇張されている面もあるとされる。例えば、彼が租税を払わない農民を拉致し、三日三晩拷問して殺したという話は有名だが、信憑性は低い。

レイトガイジェン国の建国~第一次世界大戦

 レイトガイジェン国は数年間の混乱期の後、共和制国家としての体裁を整えることとなった。ひとまず、二院制を採用し、(男性のみの)普通選挙を実施することは決定されたが、施設の建設はまだ追いついておらず、これらが完了したのは1488年のことである。それまでの間、政府は臨時的に旧首都セレシュルケンに置かれた。

 国家の体裁が整うと、産業革命の技術を利用したレイトガイジェンはタゴマスに次ぐ先進国となった。植民地は16世紀の初期には赤字が顕著となり、概ね他国に売却された。レイトガイジェンは「野蛮人を文明化する」という考えにあまり興味のない国ではあったが、実利を求める向きは強かった。サバホ島とサソメ、ギューシェッタなど少数の植民地はレイトガイジェンの領地のまま残され、ジェピエンなど東部ナッセ~南ノートムス程度が実利用の植民地として活用された。

 16世紀に入ると、ラシェントおよびその同盟国による侵略(ハンツャイム進攻)が始まり、タゴマス以外の東ロイテンツ域は概ねラシェントの支配下に置かれた。レイトガイジェンはイェッタリンおよびテリエーレと協力し、最大級の抵抗を行った。これがエークヴォデレ戦争である。連合軍はラシェントに苦戦したが、焦土戦術をはじめとする数々の戦略により、やっとのことで軍を押し返した。進攻に固執していたハンツャイム帝の死去(1504年)も、終戦に影響した。

 こうしてラシェントの侵略は止められたが、ここに来てコルツレンにあるカラキリ火山の噴火による飢饉が発生し、レイトガイジェンは再び食糧危機に見舞われた。ここでレイトガイジェンは大開墾政策を展開し、技術発展の兆しを見せていた農業を推進することを決定した。この政策は一応の成功をおさめ、飢饉はひとまず収束したとされる。この大開墾政策は、現代のレイトガイジェンを農業大国としたはじめである。ただし、庶民はまだ慢性的な食糧不足に悩まされ続けた。

第一次世界大戦~第二次世界大戦終了

 1554年、テリエーレで当時対等関係にあったイェッタリンのヴンツボンド首相(Vunqbondo)が襲撃されたことから始まった第一次世界大戦では、レイトガイジェンはイェッタリン・ベーゲックと共に、敵対するテリエーレやサヴァイド連合王国などと戦い、勝利した。第一次世界大戦は、エークヴォデレ戦争の次に到来した総力戦だった。レイトガイジェンはテリエーレなど敗戦国からの賠償金により潤ったが、同時に国力の損耗も激しく、さらなる戦争を避けるため、国際平和を維持するための組織設立に尽力した。こうしてできたのが、現在の国際連合(国際統一組織とも。麗:Jeebralsjebbasaxousolaxfinventkenx, 通称JOF)である。

 国際連合の設立により20年程度は平和な状態が続いた。この間、レイトガイジェンは安定的な成長期を迎えた。経済成長率は約5パーセントを記録した。ようやく露州に平和が訪れたのである。国内産業は大きく発展し、生活水準は著しい上昇を遂げた。このころ注目されたのは、新たな交通手段の自動車と、食物保管のための冷蔵庫である。この2つは庶民の憧れとなった。名政治家デンスヴィーツ=ネイワン(Densviiq Neiwan)による統治もあり、レイトガイジェンは世界一の大国に躍り出ようとしていた。

 しかし、その目論見は崩壊した。1580年、紋令大帝国で発生した内紛に端を発した紋令恐慌が起こった。この恐慌は露州にも波及し、露州の国々は大きな被害を被った。経済成長率はマイナス6パーセントを記録し、紋令大帝國のGDPは1年で20パーセントも低下した。レイトガイジェンやラシェントなどの比較的裕福だった国は、積極的な経済政策(デンスヴィーツの「業務政策」やブロック経済など)によってなんとか持ちこたえたが、そうでない国、例えばテリエーレや上裁民國などは資源獲得のための侵略の準備を始めた。国際連合の努力もむなしく、1585年、上裁が隣国の東侯王国に宣戦布告を行い、上裁戦争が始まった。この戦争は露州にも波及し、1587年にテリエーレがサヴァイド連合王国に宣戦布告。ここに第二次世界大戦が始まった。

 第二次世界大戦は過去に例を見ない大戦争であった。まさに国の全てが戦場と化し、戦場と銃後の区別は多くの国において消滅した。戦いはナッセ州南部と北垂天を除くほとんど全ての地域で展開され、進化した兵器によって数千万の人々が命を落とした。レイトガイジェンはイェッタリンとコルツレンなどと連合し、テリエーレ率いる「大栄国」と戦闘を繰り広げた。ラシェントはセケシヤムスに侵攻したものの、失敗に終わったほか、一時は勢いづいたサヴァイドに国土の一部を占領された。セケシヤムスはマーリカとパルーティーの侵略を受けたがこれを跳ね返し、逆にこれらの国々を占領して、さらにレイトガイジェン植民地まで西進した。

 第二次世界大戦では、初めて核分裂を用いた兵器である原子爆弾も使用された。レイトガイジェンはテリエーレのザーリア市中心部に原爆を落としたほか、上裁民國の安黄が被爆し、計二カ国が被爆国となった。第二次世界大戦は、上裁戦争の開始から5年後の1590年に終結した。レイトガイジェンは再び戦勝国となった。

戦後~冷戦終結

 第二次世界大戦の戦後処理は大変なものとなった。戦勝国、敗戦国ともに失った資源・人材は非常に莫大であった。レイトガイジェンをはじめとする戦勝国は敗戦国を実効支配し、再び戦争ができないようにするために弱体化を行った。第一次世界大戦の反省を踏まえ、敗戦国への過剰な賠償金の要求はせず、代わりに実効支配を行ったのである。二度の大戦により弱体化したロイテンツ諸国は多くの植民地を放棄し、それによってナッセ州の国々は独立を果たした。機能不全に陥っていた国際連合は、積極的な国際平和に向けて活動を再開した。

 また、1595年に入ってから、セケシヤムス率いる共産主義国とレイトガイジェン率いる資本主義国の対立が深刻化した。これがいわゆる冷戦である。レイトガイジェンやラシェントとの利害対立も存在したが、それ以上にセケシヤムスとの世界分割案の軋轢が大きかった。セケシヤムスは占領したパルーティーやマーリカなどの国々を社会主義化を施したうえで独立させ、自らの同盟国となした。のちには、レイトガイジェンや紋令といった国々に反感を抱く上裁や旧植民地の国々、ヴァイウリアなどもセケシヤムスと友好関係を結んだ。太球では、中ソ対立のような共産主義国同士での争いはあまりなかったため、冷戦は戦力互角の状態で進んだ。

 1610年ごろから活発となったアルゴイレレスの襲来は、一時は、冷戦を沈静化させると思われたが、「アルゴイレレス対策」として核兵器など新兵器の開発が推し進められ、冷戦は逆に悪化した。

 レイトガイジェンは資本主義国の旗幟として国際社会での地位を保ち続け、1615年には露州連合の設立国となった。冷戦においては、総統のアウクネン=ザージェグやスクバライの二者が冷戦の緩和を呼び掛けたため、冷戦は徐々に終結の雰囲気を見せ始めた。なお、紋令大帝國は資本主義国だったが、共産主義に中立の立場を取り続けた。セケシヤムスは社会主義を標榜していたが君主制を認めており、紋令が掲げる立憲君主制に与える悪影響は少ないとみなしたためである。紋令は資本主義国でありながら、資本主義国と社会主義国を仲介する特殊な立ち位置を担った。

 結局、冷戦は1626年に双方引き分けの形で終結した。冷戦終結の象徴となったのは、セケシヤムスの指導者ミサリヤ=ハユツィベス(Misariya Hayutsibesiu)と紋令の首相ラスバー=ヴェルトミッシュ(Rasbaa Verrtmix)の会合である。この会合は、会合の行われたシクルウォン(セケシヤムス)の名を取り、シクルウォン会合(Xikurwon Weslafkenx)と呼ばれている。地球と異なり、共産主義圏の決定的な負けには至らなかった。

ヴェクラムダー総統の当選~現在

 冷戦終結の2年後、レイトガイジェン労働者党からヴェクラムダー=ヴィイェジェー=ジェクドーサイ(Veklamdaa Viyejee Jekdoosai)が当選し、総統の座に就いた。彼は国家の根本的な改革を掲げ、憲法改正や労働環境の改善、犯罪の撲滅などさまざまな政策を幅広く行った。これらの政策はおおむね成功を収め、ヴェクラムダー総統は18年間、地球時間にして約25年間もの長期間で総統職を務め続けている。反政府派や一部の諸外国からは独裁であるとの批判もあるが、国民からの支持は根強く、今後もヴェクラムダー体制は続くと考えられる。

 新興国の台頭や1940年の彗星衝突、移民問題、少子高齢化などさまざまな課題こそあるが、現在もレイトガイジェンは世界有数の強国として世界にその名を轟かせている。

地理

 特筆無き限りは、レイトガイジェン本土について記述する。

概要

 レイトガイジェンは西~中央ロイテンツに属し、北はガーレボックとデスノイファー、東はテリエーレ連邦とイェッタリン共和国、西はベーゲックと接しており国土はおおむね北緯38度~北緯57度、西経16~西経34度にある。飛び地のサバホ島は、南緯17度~南緯28度、西経42度~西経50度にあり、飛び地の紋令大帝國と互いに飛び地同士で接している。総面積は飛び地を含めて約210万8000km²であり、世界第6位である。(参考:地理) サバホ島の北にあるタラソ島とは、チェンラとの領土問題がある。レイトガイジェンは、タラソ島もレイトガイジェンの領土であると主張しており、実効支配を行っている。

 標高は最高点であるザルナンピット山(天貫山。イェッタリンとの国境付近にそびえる。)の4998mから、最低点であるシェーバル干拓地の-21mまでと幅広いが、全体的には平地が多い。本土にはシータ川、バウガムン川、レジェック川、エイパルン川などの川が流れており、うちレジェック川はレイトガイジェンが源流である。

 主な天然資源は鉄鉱石、石炭、石灰、木材、ウラン、シェールガス、銅、銀、水である。産出量に対して消費量が非常に大きいので、大半の資源は輸入に主を頼っている。

気候

 ケッペンの気候区分では、レイトガイジェン本土は主に温暖湿潤気候に属する。南部には地中海性気候や温暖湿潤気候が広がり、北部の一部は西岸海洋性気候や冷帯気候である。年間を通じて降雨があり、特に夏に多い。北部では、冬に降雪する。本土の平均年間降水量はミリメートル毎年に換算して約920mmである。レイトガイジェンに梅雨や台風は存在しない。国土の大半では、冬季は温暖で夏季は比較的冷涼になりやすい。

 いっぽう、サバホ島はステップ気候がメインであり、降雨は少ない。一年を通して気温が高く湿度が低い状態が続く。サバホ島の年間降水量は平均して340mm程度。

政治

国政

註:詳しくは、このページを閲覧してください。

 レイトガイジェンは総統制民主主義を採用している。これは、選挙によって選ばれた党の国会議員の中から、国民が選挙で国家の指導者たる総統(atlekraas, 「全てを統べる者」の意)を選出するものであり、分割政府が発生しない特徴がある。レイトガイジェンの政治はレイトガイジェン国憲法に基づいている。レイトガイジェン憲法は、全部で百二十五条ある。日本国憲法よりも人権制限につながりかねない条項が多いが、今のところ独裁には陥っていない。

 レイトガイジェン国憲法は、基本的人権の尊重の部分は憲法改正の限界にあたるとされ、改正できないものと受け止められている。

 総統は、行政権を執行するほか、その他にも強大な政治的権力を有する。これは、総統が国民によって直接選ばれているため、総統は国民からの信頼を十分に得ていると考えられてよいとされているからである。総統は副総統と共に内閣を構成するが、一般には十数人の国務大臣を任命し内閣を経営する。1645年時点での総統は、ヴェクラムダー=ジェクドーサイ(Veklamdaa V. Jekdoosai)である。

 立法権は、国会に属する。国会は上級院(Garfmaivalaux)と下級院(Oktbextlaux)の二院制である。上級院の定員数は320名、下級院の定員数は500名である。任期はそれぞれ3年、4年だが、上級院には解散があるため、これより短くなる可能性もある。選挙方法は比例代表制、大選挙区制の併用が主となっている。

 レイトガイジェンの法律のシステムはユニークであり、憲法の他、高等法規、通常法規、臨時法規の三つの法規が存在する。高等法規は通常法規臨時法規に、通常法規は臨時法規に優越する。より上のグレードの法規ほど制定・改正の条件が厳しくなっている。また、臨時法規は原則として制定後1年(≒地球日数500日)で効力を失う。

 レイトガイジェンでは、政党の自由が認められており、多数の政党があるが、1626年以降は一貫してレイトガイジェン労働者党が与党を務めている。連立政権は1615年~1618年と1622年~1626年の2度あった。レイトガイジェン労働者党のほか、大きな勢力を持つ党には、自由党がある。過激派としては、左翼にレイトガイジェン共産党、右翼にレイトガイジェン第一主義党があるが、国政に大きな影響を与えるには至っていない。そのほか弱小政党もいくらか存在する。

 日本と同じく、レイトガイジェンでは外国人参政権が認められていない。

地方行政

 レイトガイジェン憲法により地方自治が認められている。ただし、レイトガイジェンは中央集権国家であるがゆえ、地方の権力はあまり強くない。レイトガイジェン最大の行政区分は(ムステイナソワス, musteinassowas)であり、合計で98県が存在する。首都カンゲルヤークが属するのはレイトガイジェン中央くらいに位置するザールジェック県である(人口最大:約1900万人)。このほか、サバホ島全体が南部特別県として定められている。レイトガイジェンの人口の6.7%がザールジェック県に集中しており、これは露州の中では高い集中率である。

 県の下には市が置かれる。この「市」は日本の市と異なって規模による区別はされない(翻訳の都合もあるが)。市の下は人口規模によって異なり、区、町、村など数種類の行政区分がある。

 地方行政区分の各々に議会があり、首長がいる。議員は国政と同じく選挙で選ばれる。なお、地方行政でも外国人参政権は認められていない。

警察及び司法・治安

 警察は国内の治安維持のために設置される組織であり、中枢省警察庁により管轄される。警察には一般市民の治安を守る市民警察(Jenqaatistzeslom)と、テロやスパイなどから国を守る特殊警察(Partiamzeslom)の2つがある。大日本帝国にあった特別高等警察や旧ソ連のKGBのようなタイプの警察は存在しない。

 警察以外に治安維持に関わる組織には、暴動やテロを鎮圧するための機動隊や、危険人物、危険組織や国外でスパイ活動等を行う麗国情報監査庁(LME)などがある。これらは中枢省に管轄される。緊急時には軍も治安維持業務を行うが、これはかなり特殊な場合であり、平常ではありえない。

 司法機関は、裁判所が担当する。憲法審査については、最高裁判所が担当している。最高裁判所は違憲法令審査権を有するほか、終審裁判所としての機能も持つ。最高裁判所以外の裁判所はまとめて普通裁判所と呼ばれ、終審以外の裁判を担当する。行政裁判を専門に担当する裁判所は存在せず、これは最高裁判所及び普通裁判所が担当する。特別裁判所として、軍事犯罪を行った軍人を裁く軍事裁判所がある。軍事裁判所は軍人のほか、退役した軍人も裁判にかけることができる。

 レイトガイジェンの治安は世界でも非常に良好な部類に入る。実際、レイトガイジェンは1642年の世界治安ランキングで第7位に入っている。とりわけ性犯罪の数は他国に比べてかなり低い水準に抑えられている。レイトガイジェンには大々的な上下関係を持つ反社会的勢力はほとんど存在しない(ただし、狼藉をはたらく小規模の犯罪集団は多数存在する)。

軍事

 レイトガイジェンは憲法によって国軍を持つ権利を保障されている。国軍は国軍省により管轄される。

 レイトガイジェン国軍(Leitgaijen Feinsalvanun)は陸軍(Jongvanun または Selevars)、海軍(Saubinvanun)、空軍(Zarrnvanun)に分けられる。レイトガイジェンは軍事にある程度力を入れており、歳出の3.3パーセントを軍事費が占めている。比率では世界10位だが、金額では約49.2兆円相当と、世界第3位に位置する(1位はラシェント軍国で約77.9兆円、2位は紋令大帝国で約62兆円。比較対象として、西暦2019年度のアメリカの軍事支出は約75兆円)。レイトガイジェン国軍は、1645年時点で現役軍人40万人、予備役10万人を確保しており、今後も増強されると見込まれている。国軍は国際平和維持のため、海外へも進駐している。民族対立を理由として1630年にクフセルとアクバメルの間で勃発したティバク戦争では、ラシェント軍とともに停戦交渉を行った。平常時は主に、アルゴイレレスの撃退を行っている。

 レイトガイジェンを守っているのはレイトガイジェン国軍だけではなく、他国の軍も国内に存在する。ラシェントとの相互防衛条約により、通常約7万人のラシェント軍が駐留している。アルゴイレレスの襲来時や戦争の発生時には、国軍と協力してレイトガイジェンを防衛する。法律により、外国の軍人の数は自国軍の軍人の25%を上回ってはならないことになっている。

 レイトガイジェンでは、現在、憲法により徴兵制が禁止されている。ただし、戦争時には国会の過半数の賛成を経て2年間だけ徴兵制を実施できる。1620年までは、15歳以上の国民に兵役の義務があった。なお、この義務では良心的兵役拒否が認められていた。1603年以前は男性にのみ兵役があったが、男女平等の推進のため撤廃された。現在では、約3万2000人の女性軍人が存在している。アルゴイレレスの襲来を受けて徴兵制を復活させるか議論が数回起こったことがあるが、いずれの場合も志願制で十分な人員が確保できるとして否決されている。

 レイトガイジェンはラシェントに次ぐ兵器輸出国である。主に輸出しているのはアルゴイレレス対策用の兵器であり、輸出のうち半数を占める。人権の維持発展のため、人権を侵害している国家(ガムテノなど)への兵器の輸出は禁止されている。ただし、実際にはそういった国家への兵器の輸出も行われているという声もある。

 また、レイトガイジェンは対人類核兵器開発実験全面禁止条約(IIDI条約)の加盟国の一つであり、核軍縮に取り組んでいる。レイトガイジェンは3200発の核兵器を所持している。ただ、アルゴイレレス対策用にある程度の核兵器を残しておくべきだという意見もあり、核軍縮は順調ではない。レイトガイジェンが核兵器を実戦で用いたのは第二次世界大戦の二回のみである。

国際関係

 1646年時点で、レイトガイジェンは189の国家に国家承認されており、外交関係を結んでいる。在外公館は192個有している。

 レイトガイジェンは国際連合の主要国であり、国連資金の分担金全体の22パーセントを支出しており、これは世界第2位の割合である。また、レイトガイジェンは露州連合の分担金全体の23パーセントを支出しており、これは露州連合において第1位の割合である。レイトガイジェンはこれらのほか、ラシェント・ロイテンツ軍事協定、ロイムス貿易機構、国際経済機構、主要十ヶ国会議、国際アルゴイレレス対策機構などの国際機関に加盟している。

 レイトガイジェンは国際平和を掲げて活動しており、また、発展途上国への技術援助も行っている。他国に比べ、無償支援の割合は低い。開発援助活動は、国際開発援助機構によって推進されている。現在、レイトガイジェン国内には過剰な開発援助をやめるよう主張する派閥が伸張しており、今後の情勢が待たれる。

 国家関係においては、強大な軍事力と経済力によって、おおむね世界中の国と良好な関係を保っているが、歴史的経緯によりテリエーレ連邦との関係は悪い。1640年の調査では、レイトガイジェン国民のうち60パーセントがテリエーレに悪印象を持っているという結果となった。また、旧植民地のギューシェッタなどとの関係もあまり良好ではない。また、前述の領土問題により、チェンラとの関係もそれほど良いわけではない。そのほか北垂天亜大陸の旧植民地の人々からもあまりいい印象は持たれていない。

 経済面では、レイトガイジェンの最大の輸出国はイェッタリンで、輸入国は紋令である。隣国イェッタリンとの関係は昔から緊密であり、隣国にしては珍しく関係がよい。近年ではセケシヤムス社会主義国との貿易が急激に増えている。セケシヤムスとレイトガイジェンの国家関係は冷戦時の傷がまだ残っていて良好ではないが、経済的には交流が盛んである。

経済

経済の歴史(第二次世界大戦開戦前~現在)

 レイトガイジェンのGDPは1645年度で約1490兆6400億円相当であり、これは紋令大帝国に次いで世界第三位の数値である。露州では一番に輝く経済力を誇り、ラシェント軍国とともに露州の経済を率いている。工業ではラシェントに次ぎ、農業においては露州で第1位の水準を保っている。1438年に発生したハシュビレ彗星災害により大きな打撃を受けたが、現在は回復傾向にある。

 レイトガイジェンは紋令恐慌後、一時計画経済を実行し、経済の落ち込みをある程度抑えた。また、工業・農業の国有化も行った。第二次世界大戦後は、これらの産業が牽引役となり経済の復興に貢献した。政府は新しいエネルギー源として注目されていた石油の獲得に執心し、これに多額を投資した。レイトガイジェンは一時、露州第2位の産油国にまでのし上がった。主要産業の国有化は、1610年代末期から徐々に解除されていき、石油、重工業など多数の分野で民有化が進んだ。農工業の強力な推進でGDP世界第2位の地位にあったラシェントの軍事政策の失敗により、1627年にレイトガイジェンは世界第2位の経済大国の地位を獲得した。

 1628年のヴェクラムダー総統就任後、レイトガイジェン国内の労働環境の激変により五百以上の企業が倒産した。政府は積極的な失業対策を行い、経済の悪化の防止に努めた。1634年には成長率は増加に転じた。しかし、今でもヴェクラムダー総統の余りにも思い切った労働環境の改善政策には批判の目が向けられることもある。政府は不足した資金を国債発行と増税でまかなったため、これも批判された。ヴェクラムダー総統は政策を有言実行し、支持率の低下を防ぐことに尽力した。

 1638年にハシュビレ彗星の剥離体が紋令東部に衝突し、紋令で8700万人が死亡。これに連なる一連の災害をまとめてハシュビレ彗星災害という。世界の総生産は10パーセント低下し、レイトガイジェンもその影響を免れることはできなかった。1639年の実質経済成長率は-5.7パーセントという惨憺たる結果となり、失業者が続出した。世界的な不況であったため、他国からの経済支援を受けることもできなかった。レイトガイジェンは金融緩和と公共事業の増加などで雇用の確保と経済回復に努めているが、1645年度の実質経済成長率は-1.8パーセントである。今後は回復するという予測が有力であり、将来の経済復興が期待される状況にある。

現在のレイトガイジェン経済の概要

 レイトガイジェンは名目GDP世界第三位、露州第一位の経済強国であり世界屈指の先進国である。レイトガイジェンの主要産業は先進国の例に漏れず、第三次産業である。もちろん、農業や工業も露州トップクラスの地位にある。さらには観光客数も年間1億200万人と世界第一位である。

 農業では露州で1位の生産量を誇り、「露州の食料庫」とも呼ばれている。実に国土の24パーセントが農業用地であり、比率では日本の2倍弱である。面積的にはフランスの56パーセントに遠く及ばないが、国土の広さが全く違うため、フランスと同程度の農地面積を持つ。栽培されている作物では、小麦、トウモロコシが多く、畜産ではウシとブタが多い。レイトガイジェンは農業を推進しており、支援金や農地の定額譲渡などの政策をうって、近年減少している農業者を補おうとしている。

 工業では自動車産業・化学工業・製糸業・電機製品が国家の主力となっている。レイトガイジェンはその優れた科学技術で数々の新技術を開発し、一般化してきた。たとえば、ガソリンエンジンやハイブリッド車を実用化したのはレイトガイジェンである。自動車では、ザヴァドンモーターズ社が有名であり、当社の自動車は世界一の売上を記録し続けている。ザヴァドンモーターズ社以外では、DFG社・カイラノレスマル社などが国内で主力の自動車会社となっている。電機製品ではレイゼン社が有名である。レイトガイジェンのカメラとテレビは特に海外・国内ともに高い信頼を得ており、世界中で人気である。化学・薬品工業では、カイゼルンフェルテンテサルヴォント社(カイゼルン化学社)やトリェナズ製薬会社、液体フッ化水素で世界の30パーセントのシェアを占めるレイトガイジェン弗素化学社、製糸業ではツァーマイ社など、世界的に活躍するレイトガイジェン発の大企業は数多い。近年では、テレビゲームとシェールガス業界の成長が著しい。

 さらに、レイトガイジェンは金融も非常に強い。首都カンゲルヤークには世界で最も力を持っている証券取引所であるカンゲルヤーク証券取引所があり、レイトガイジェンを世界の金融センターたらしめている。このほか保険業、小売業、卸売業でも、レイトガイジェンは世界有数の立ち位置にある経済強国である。卸売業、小売業ともに首都のカンゲルヤークが占める割合が大きい。

 しかしながら、近年の不況により、レイトガイジェンの財政収支は赤字が続いている。経済産業省は好況へ転じさせるための各種政策を実行すると明言しており、政府の専門家からは、十年以内に収支は黒字に転ずると予想されている。

社会保障

 レイトガイジェンは一般に高福祉高負担国家であると言われる。世界で2番目に早く社会保障を憲法に盛り込んでいる。レイトガイジェンはまた、国民保険の導入をいち早く行った国でもあり、1627年に国民皆保険が実現した。5歳以下では、医療費は無料である。成年者でも医療費は2割負担が基本である。国民の平均寿命は世界的に見ても高く、1640年時点で、男性60.69歳(地球年齢換算で約84歳)、女性61.12歳(地球年齢換算で約84.6歳)である。乳児死亡率は極めて低く、1000人あたり2人以下の水準を20年以上維持している。

 失業者・貧困層の救済制度として、それぞれ失業保険と生活支援制度がある。生活支援制度は日本の生活保護と違って、華奢品への支出をある程度防ぐために多くが現物支給となっている。定年は46歳(地球年齢換算で約63.7歳)であり、定年後には年金を受け取ることができる。年金の額は、基本年金で月12万円相当である。

 近年悪化している少子高齢化対策にも積極的に取り組んでおり、子供を5人以上産むと手当金だけで生活できるほどの手厚い支援が行われている。子供1人だけでも教育手当、子育て手当などの名目で月5万円相当の支援金が与えられる。レイトガイジェンは、1644年時点で高齢化率が20パーセントを突破している。高齢化率は都市部で低く、地方で高い傾向がある。

 障害者福祉(障礙者福祉)については、レイトガイジェンは障害者福祉法によって身体・精神障害者ともに支援費の給付や雇用の確保、支援センターの設立などを行っている。後述するように障害者が通う特殊学校が整備されており、障害の程度に応じて適切な教育を受けられるようになっている。そのほか、レイトガイジェンに存在する企業は、規模に従って一定割合で障害者を雇用することが義務付けられている。だが、出生前検査を義務化していることについては国内外から批判の声がある。

社会基盤

水道

 レイトガイジェンの水道はすべて公営でまかなわれている。過去には水道民営化を検討していたが、民営化を実行したテリエーレやコルツレンで水道事情の悪化(水道代の高騰、水質悪化など)がみられたため、1638年に導入を一時中断、翌年には民営化の中止が決定された。

 地理的条件により、レイトガイジェンの水道水のほとんどは硬水である。硬水は肉の調理やパスタを茹でることに向いており、この性質はレイトガイジェン料理に大きな影響を与えている。

 レイトガイジェンの水道水源の約63%は地下水であり、残りの多くが河川水でまかなわれている。レイトガイジェンは水道水をそのまま飲むことができる珍しい国である。水道水は調理や風呂、トイレなど日常生活はもちろん、工業や農業、そのほかイベントなど多様な用途に供されている。

電気

 レイトガイジェンでは電気が全国津々浦々に普及している。おもな発電システムは火力発電(44%)と原子力発電(32%)である。レイトガイジェンは国土の大半が安定陸塊に属しているため、地震の危険が非常に低く、ゆえに原子力はこの国では環境にやさしいエネルギーとして重用されている。レイトガイジェン政府は、1655年までに火力発電の割合を30%まで落とすことを目標に掲げている。

 電気は自由化されている。レイトガイジェンで暮らす人々は、どこの会社と契約して電力を利用するかを自由に選ぶことができる。電力会社同士はサービスや価格などをめぐって競争しており、それゆえに日本と比べれば比較的安価に電力を使える。

医療

 レイトガイジェンでは日本と同じく国民皆保険が実現されている。人々は公的保険85%と私的保険15%の割合で医療保険を両立加入することを要求される。だがそのおかげで、レイトガイジェン国民は非常に安い価格で医療サービスを享受することができている。基本的には2割負担である。なお、外国人観光客や在留外国人は自分で保険に入る必要がある。

 レイトガイジェンの医療水準は公的機関か私的機関かを問わず非常に高い。医療アクセスとその品質を評価する「医療接続品質評価」では、レイトガイジェンはここ十年でトップ10に入り続けている(1644年度は8位)。レイトガイジェンでは、診療所と入院所はたいてい同じところに入っている。小さな病院(診療所)であれば入院できない場合も多い。いずれにせよ薬局は別である。

インターネット

 レイトガイジェンのインターネット普及率は1644年段階で総人口の94%に達し、概ねほぼ全ての国民がインターネットへのアクセスを持っている状態である。もともと軍事利用を目的として冷戦期にレイトガイジェンで開発されたインターネットは、紋令での発想により一般市民に開放され、現在では社会を維持するのに欠かせないインフラの一つとなっている。

 レイトガイジェンでは日本と同じく、個人は携帯会社や通信会社と契約してインターネットを利用する。公共Wi-Fiも各地で提供されており、バス、鉄道、路面電車、店舗、テーマパークなど幅広い場面で基本的には無料で利用することができる(セキュリティは脆弱であることが多い)。

 だが、レイトガイジェンのインターネットは電網防楯(JVK)とよばれる全土インターネット監視システムにより制限がかかっている。これには犯罪行為を目的とする闇サイトを遮断できるという正の面もあるが、政府に不都合なウェブサイトを見られなくすることができるといった懸念も強い。ただし、ヴェクラムダー総統はJVKを国民を統制するために濫用することはないと宣言しており、JVKには問い合わせができるようになっている。また、JVKと似たような「サルワー網」と呼ばれるシステムをセケシヤムスが採用しているが、JVKとの関連性は不明である(両国政府はともに否定している)。

交通

 レイトガイジェンの交通手段のメインは自動車である。国家全体に張り巡らされた高速道路網と、地方を縦横無尽に結ぶ一般道が国家全体の運輸・移動の手段を担っている。レイトガイジェンの高速道路はキュシアス・トー(Kiusiass Too)とよばれ、最高速度110キロクダム(≒157km/h)が一般に保障されている。これは世界の高速道路の中でも第三位の速さである。レイトガイジェンの高速道路は非常に安価であり、平均して一キロあたり2.1日本円相当である。レイトガイジェンの道路の舗装率は95%を超えている。

 自動車以外にも、鉄道が人々の移動手段および貨物の輸送手段として使われている。鉄道が主な移動手段として使われているのは遠距離移動か大都市圏の通勤通学のみで、地方や小規模な都市では車の使用が多い。大都市の中心ではおもに地下鉄が使われているほか、バスに並んで路面電車の利用も盛んである。したがって、遠距離の普通鉄道は主に貨物運送に用いられている。大都市付近の電化率は高く、カンゲルヤーク市の電化率は92%、カールドムン市では91%、ナッドウリック市では89%が電化されている。また、カンゲルヤークには二重環状線が存在する。内環状線は主に高架を、外環状線は主に地上を走る。

 高速鉄道としては紋令の弾速鉄道に触発されて1617年に開業したLRV(レー・ロック・ヴァム、"Leitgaijen Rroiberr Vortsarvowas"「レイトガイジェン超特急」の略)が存在し、大都市間を高速移動する手段として人々に愛用されている。LRVの最高速度は時速240キロクダム(≒344km/h)であり、世界一速い強武彈速鉄道の270キロクダム(≒387km/h)には遠く及ばないが、露州では最も速い。多くのLRVの路線が外国の高速鉄道と直通運転を行っており、簡易パスポートさえ持っていれば列車に乗ったままで外国旅行に行くことができる。LRVは、強武彈速鉄道に次ぎ世界の高速鉄道で二番目に事故率が低い。

 飛行機の利用も見逃せない。首都大空港やカールドムン空港をはじめとする大規模な空港が国内に数多く存在しており、外国への移動のほか、国内で特に長距離を移動する場合に用いられる。レイトガイジェンは1636年に発生したテロの反省から、荷物検査を重視しており、その厳しさは世界有数である(注意:検査官の態度が悪い、ということではない)。なお、レイトガイジェンのパスポートの信頼度は世界第位である。

 船舶は主に貨物輸送の目的で用いられている。南北の海岸にそれぞれゼットカウングやオーツォンアークといった有名な港町がある。

報道機関・情報伝達

テレビ

 公営の放送局としてレイトガイジェン国営放送が存在するほか、多くの民営テレビが放送を行っている。放送法は、レイトガイジェンのテレビはあまりにも偏った内容を放送してはならないと定めているが、基準はあいまいであるため、しばしば偏向報道か否かで争いが起こっている。レイトガイジェン国営放送は、国外向けの外国語チャンネルも保有している。ケーブルテレビは日本よりも多様で、地域ごとにテーマを絞って放送する特徴的な放送が見られる。

 インターネットの登場により、特に若者の間でテレビ離れが進んでいる。

新聞

 紙の新聞は衰退傾向であるが、代わりにウェブ新聞が発展傾向にあるので新聞という形のメディアの勢力は漸減程度である。レイトガイジェンで最も大きな新聞は、レイトガイジェン日刊新報である。日本と同じく、新聞の報道内容を規制する法律はないので、各々の新聞が各々の(政治的な)主張をもっている。

通信

 レイトガイジェン通信社が慧強通信、リヤザー通信と並ぶ世界三大通信社として数えられる。通信社は国内外のニュースや情報を集めて各報道機関や一般市民などへ提供している。レイトガイジェン通信社は国外に百を超える支局を置いている。

郵政 

 レイトガイジェン国郵政公社が郵便を独占している。

国民

主要民族・少数民族

 1645年のレイトガイジェンの人口は約2億8000万人であり、露州では第2位、世界で5番目の多さである。1645年度の特殊出生率は1人当たり2.05人で人口維持水準を下回り、世界平均より低い水準にある。レイトガイジェン国中枢省統計局は、1700年のレイトガイジェンの人口は2億人まで減少するとの推測を発表している。

 レイトガイジェンの主要民族はレイトル族(Leitorfenzat)である。レイトル族は古代のレイトルハルングの各種族のかき集めであり、ファーデナム王によるレイトル族統一以降、民族意識が芽生えた。ただし、しっかりした民族意識が認識されるようになったのはレイトガイジェン王国建国くらいからであり、それ以前は、謂わば江戸時代の日本のような感じだった。つまり、自分たちがレイトル族という民族ではあるが、同時に○○人(たとえば、ヴィフィッシュ人、クヴァート人など)でもあるのだ、という認識を持っていたとされる。ヴント連邦国を構成していたバルフ族などはその典型例である。

 現在ではその傾向は薄れ、皆がレイトル族の人間だという認識でおおむねまとまっているが、地域への帰属意識はいまだ根強い。レイトルハルングに属していた人々の末裔をレイトル族とするならば、レイトガイジェン国民の87パーセントはレイトル族であるとされる。

 レイトガイジェンには、レイトル族以外の少数民族も多数生活している。代表的な少数民族はタイカム族とシャーレレ族であり、前者はもともと現在のブエシェニン付近に住んでおり、レイトガイジェン王国初期~中期に移住し、レイトガイジェンの民となっており、後者はイェッタリンの民で、ダトス王国の時代に移住してきたと推定されている。レイトガイジェン政府は少数民族保護法で30の少数民族を指定しており、文化・生活様式の保持に努めている。シャーレレ族の割合が54パーセントと高いライベルンドン県ワイヤーフ市では、時折独立運動が起きている。

難民・移民

 レイトガイジェンは元々は移民・難民の受け入れに消極的な国だったが、近年では増加傾向にある。1640年時点で約1270万人の移民がレイトガイジェンで暮らしている。レイトガイジェンは、移民を安価な労働力として見ている節があるともいわれる。

 主な移民集団はベーゲック人(320万人)とラシェント人(210万人)であり、この2つだけで移民の総数の41パーセントを占めている。そのほかの移民集団では、テリエーレ人(180万人)やセケシヤムス人(115万人)、紋令人(109万人)などがある。

 レイトガイジェンは難民の受け入れに消極的である。1620年代に一度難民を多く受け入れたことがあるが、犯罪数の増加が見られたため、ヴェクラムダー総統の時代に入ってからは難民の基準は厳しくなっており、1643年に難民認定される難民の人数は、申請人数の54万1992人に対してわずか11万490人だった。このため、難民受け入れ人数では世界第20位とかなり低い地位にある。当のレイトガイジェン国民がこの姿勢を強く支持していることから、少なくともヴェクラムダー総統が総統の座にあるうちは、この難民認定の厳しさが揺らぐことはないだろうと思われる。

 海を渡ったりイェッタリンなどから渡ったりして違法に入国した難民は、容赦なく収容され、強制移送処分を下される(移送先は元の国とは限らず、近隣先進国の場合もある)。人権を擁護する立場の人々からは非難の声が出ているが、レイトガイジェン政府はこの方針を変えることはない旨を1640年に発表している。レイトガイジェン国民の8割以上は政府の方針に賛同していることが、レイトガイジェンで最大の新聞とされる「レイトガイジェン日刊新報」の調査によって明らかになっている。

 また、難民や移民に対する差別、とりわけシェハム教徒に対する排斥運動は社会的問題になっており、移民に反対するレイトガイジェン国家第一党が指示を集める一因になっている。全体的に見て、レイトガイジェンはレイトガイジェン人であることのアイデンティティが強く、移民や難民の扱いは本国民に比べて悪い傾向がある。

言語

 レイトガイジェンの公用語はレーゲン語(Leigenlenq)のみである。レイトガイジェン政府はカンゲルヤーク変種を正式な「標準語」として採用し、カンゲルヤーク変種での教育、行政、通信を行っている。レーゲン語は露州連合、国際連合の公用語の一つであるほか、世界的に見ても多くの人々に話されている。統計局による調査では、レーゲン語の母語話者は約7億2000万人、第二言語として話している人々を含めると約21億人に達しており、紋令語、セケシヤムス語に次いで話者数の多い言語となっている。政府はレーゲン語を法律により保護している。

 レイトガイジェンでは、レーゲン語以外にもイェッタリン語ラシェント語・ヴァイウリア語・バレデー語など多くの言語が話されているほか、少数民族の話すタイカム語・シャーレレ語なども話されている。このうち後者は前述の少数民族保護法によって保護されており、また、前者も社会的にある程度の待遇を受けている。当然、レーゲン語の方言もさまざまな地方で話されている。

 現代レーゲン語の語彙はその多くが古レーゲン語からの派生語であり、そのほかにタゴマス語やラシェント語、バレデー語などから借用した単語がある。レーゲン語は表音文字のレイトシージェ(Leitxiije)によって記述される。レーゲン語はSVO語順であり、複雑な屈折体系を有する。

宗教

 レイトガイジェンは憲法によって国教を定めること、宗教教育を行うこと、宗教に特権を与えることを禁止されている。私的な場面では宗教活動はふつうに行われている。レイトガイジェン国内で最大勢力を占める宗教は多神教のルザーユ教(Ruzaaydissbikt)であり、レイトガイジェン国民の48パーセント、人数にして1億3440万人がルザーユ教を信仰している。レイトガイジェン国内のルザーユ教はそのほとんどが主流派のタカノエス派であり、ルザーユ教信者全体の92パーセントを占める。

 レイトガイジェン第二の宗教はヴァークェイム教(Vaakweimdissbikt)であり、およそ5000万人に信仰されている。次いで玄巖教が200万人、シェハム教が180万人程度である。レイトガイジェン国民のうち32.4パーセントは無宗教である。

 また、カルト宗教としては、セケシヤムス発祥のフルコ会(テイダネシュ教の分派)が有名である。信者数は10万人程度であると考えられている。フルコ会はレイトガイジェンとセケシヤムスの両国で危険団体扱いされている。

教育

 レイトガイジェンの義務教育(yekdimaepfjeendaidanefkenx) 7年制(地球時間換算で約9.7年)である。義務教育は、憲法によって無料と定められており、保護者は教育を受けさせる義務を有している。義務教育は、初等教育4年と中等教育3年で構成される。日本の高校にあたる学校は存在しない。中等教育を終えた者のうち10%程度はそのまま就職し、残りの約9割は3年間を高校で過ごす。おおむね、義務教育で日本の大学1年生が学ぶ知識までを学ぶ。大学は学問を究めたい人々の高等教育の場とされているが、実際には多くの人々が進学する。

 レイトガイジェンの大学の水準は高く、多くの大学が「世界大学ランキング」なるランキングに入っている。特に首都カンゲルヤークに位置するカンゲルヤーク中央大学は世界トップ3に入る。大学が高水準である分、大学に入れない国民も多く、レイトガイジェン国民の45%程度は大学に入らないまま人生を終える。ただし、レイトガイジェンでは高校教育が長い。たとえば、理系の高校生は、数学では、卒業までに微分積分学や線形代数学の基礎をひととおり学ぶ。

 大学の学費は日本に比べて安いが、これは大学の費用の多くを国が賄っているためである。レイトガイジェン政府は、「知こそ国を救う」という考えの下、高等教育に多額の資金をつぎ込んでおり、それによって多くの科学者、新発見を輩出している。

 上記の学校のほか、障害者を教育する特殊学校や、実用的な技術を身につけるための各種専門学校が都市部を中心にして数多く存在している。

婚姻

 レイトガイジェンでは憲法第二十八条の3により婚姻が認められている。結婚の最低年齢は男女ともに13歳(地球年齢換算で17.9歳)であり、成人年齢よりも1歳だけ低い。憲法には、家族は社会の自然な基本単位であるという記述があるが、家族を築くのに必ずしも結婚が必要であるということではない。実際、レイトガイジェンの婚外子の割合は18%である。

 また、レイトガイジェンでは同性婚が認められている。これには賛否両論あるが、1932年の憲法改正によりロイテンツ州で二番目に早く認められたものであり、今ではロイテンツの多くの国々が追随している。

文化

美術

 レイトガイジェンは昔から写実主義の文化だった。これは、美術は絵を現実に似せて美しく書くものだという価値観があったからである。現存しているレイトガイジェン最古の絵は「古のタゴマス」と題されたもので、その名の通り玄暦50~150年ごろのタゴマスの首都、セペカラを描いている。写実性の重視はこのころからあり、遠近法などの技術を駆使していた跡が窺える。ダトス王国時代の高名な芸術家としては、ガラヴィルム=ハイド(代表作「争い」)やデネスカイス=オイクスディス(代表作「雷」)などがある。ダトス王国の滅亡により、一度レイトガイジェンの芸術は途絶えかけたが、分国に引き継がれるなどしてなんとか保持された。

 レイトガイジェン王国時代に入り、安定した情勢になってくると、芸術は息を吹き返した。写実主義は相変わらずで、空気遠近法の導入を行い、さらに現実に近づける工夫が施された。これらの写実主義のために開発された技法は、他国にも伝えられた。レイトガイジェン王国初期から中期の作品では、ガウランジェムの「大利」「灯りの夜」やフィレストロンジェン=ゲンショイケン=コ=ジェイトームノンフの「種まく民」「故郷の雪山」などが有名である。特に「画伯の大老」とまで呼ばれたオイム=フュージェソンテの「偉人の間」は、現在でも非常に評価が高い。レイトガイジェンの写実主義は、ここで頂点を迎えたとも評された。建築では、角ばった重厚な設計で知られるゴルガッシュ建築が主力だった。

 王国も後期に入ってくると、イェッタリンの画家ヴェーレスツが始めたといわれる濃密派がレイトガイジェンにも入ってきた。濃密派は、現実をそのまま描くのではなく、荒いタッチでぼかして描く手法である。レイトガイジェンに濃密派の絵が入ってきた当初は、「荒い。現実を全く描写できていない」「下手で、芸術を分かっていない者が描いた馬鹿作品」などと強い批判を受けたが、1400年にレイトガイジェンの画家イェルレスが濃密派の絵とされる「赤い草原」を描き、次第に受け入れられるようになった。

 近代に入ると、レイトガイジェンでの美術は多様化し、写実主義・濃密派に加えて、直線を多用して描く直線派、逆に曲線を多用しうねったような絵を描く曲線派、そのほかキュビズム、印象派などが生まれた。写真の登場により、写実的に描くことの意義が薄れてしまったことが、この多様化を生み出すこととなった。二度の大戦により、多くの芸術家が逃亡あるいは死亡し、加えて作品の破壊が行われ、レイトガイジェンの美術は一時大きく衰退した。戦後、再び芸術は復活し、テルバード=レーゾンやゲンクロージェ=フォイスなどの芸術家が誕生した。

文学

 レイトガイジェンの文学は、ダトス王国黎明期の「ダトス戦詩」に始まる。これは古レーゲン語で書かれた叙事詩であり、ファーデナム王がダトス王国を建てるまでの出来事が記述されている。作者不詳。その後は目立った作品はなく、後期になってようやく随筆の「山中の記」や物語の「ガイガス王子物語」などが書かれた程度である。

 レイトガイジェン王国時代では、物語作家として多くの児童向け物語を書いたザヴァドン=ノセス=ヴィングルハイトミシュが有名である。彼は生涯に100もの作品を書きあげ、そのうえ美術の才能も持ち合わせていたといわれる。彼の作品は現代においても、多少の改変はされているが世界中で読まれている。

 今のレイトガイジェンで著名な作家では、ザイルカイツェス=ショイクミシュやヴントボント=ドームン、カイロカナス=ガルフェンサなどがいる。カイロカナスの影響で、諸外国の人々はレイトガイジェン文学は地の文でよくしゃべるイメージを持っていることが多い。

 レイトガイジェンの書籍は紋令、タゴマスに次いで世界第3位の市場規模を持っている。政府は書籍を知の提供者として重視しており、それゆえ書籍数は莫大である。レイトガイジェンの図書館の数は、平均して国民10万人当たり13館であり(参考:日本で一番図書館が多い高知県は、2016年で10万人あたり6.23)、露州ではタゴマスに次いで2番目に多い。ザイレツィヌス物理学賞に触発されて始まったディベイジ文学賞は、世界的に権威ある賞状となっている。

音楽

 レイトガイジェンはイェッタリンと並ぶ音楽大国である。古典的音楽としてもレーリーサーロ(Roiliisalo)やモイヴォー、トーベルズなど著名な音楽家の名前を挙げることができる。とりわけロイリーサーロが作曲した「川と空の日」は現代音楽にもそのコードが流用されているほどの人気を博している。これら音楽家は主に南方の出身であり、イェッタリン系の血を引くものが多い。

 また、近代に入って勢力を強めた剛健派の存在は見逃せない。剛健派は壮大な曲調を特徴とする音楽の種類であり、レイトガイジェン国歌を作曲したタントラム=ノイヤンをはじめとして数多くの作曲家が剛健派に属している。剛健派はレイトガイジェンのみならずセケシヤムスなど社会主義国にも影響を与えた。これら社会主義国はプロパガンダのための印象的な音楽を必要としていたためである。

 ポピュラー音楽ではレイトガイジェンはコルツレンに遅れを取ったが、1607年に結成されたバンドであるジュンサロ(Junsalo)は世界的人気を博した。ジュンサロは若者を堕落させる「汚れた音楽」だとも当時は評されたが、現在ではポピュラー音楽の先駆けとしてレイトガイジェンでも高く評価されている。このほかインターネットやアルジディヴァイ(電子歌唱音声)の発達で、電子音を駆使したシャヴェイントゥイルセイト・ミュージック(電気的音楽)がサブカルチャー的ブームとなっている。

ファッション

 レイトガイジェンは実利を重視する国民性があるため、衣服においても長らくあまりにも派手な装飾は好まれなかった。とはいっても近世に入ると貴族を中心に豪華な服装が一定の流行を見せた。王国崩壊後は貴族の身分は消滅したが、貴族の代わりに国家の上位を占めた富裕層が服装の派手さも引き継いだ。これらの服飾を専門に製造する会社が、現在も世界的高級ブランドとなっているカイルカナス・マズンのもととなっている。

 このほかレイトガイジェンはいくらかのファッションブランドの発祥地である。いま我々がレイトガイジェンといわれて想像する質実剛健なものと異なり、装飾性を重視したファッションを提供しているブランドが多い。数少ない例外がサバーハ・オン・アイニスであり、単色を基調とした無難な見た目の商品を中心に据えている。こういったファッションブランドの数々は国家にとっても重要であり、政府はブランドと提携して後方支援を行っている。

食事

 レイトガイジェンは昔から保存食が発達していた。現代でもソーセージハムなどの食事は人気である。現代で「レイトガイジェン料理」と呼ばれている料理は、おもにレイトガイジェン王国時代に発達したものである。レイトガイジェン料理で有名なものには、野菜と肉を半日~1日煮込んで作るスープのベルドー(berdoo)や、鶏肉や牛肉を豚肉と混ぜて作るソーセージのキャーツァヴァイシュノンホイス(kyaaqavaixnonhois, 混合ソーセージ)、塩漬け玉ねぎのツァルトフォース(qaltfoos)などがある。世界で「レイトガイジェン料理」として有名なのは、おおむね北部の料理である。レイトガイジェン料理は、気候の影響で南北での地域差が大きい。

 レイトガイジェン料理は国民性を反映してか、典型的なフランス料理のような見た目の美しさは追求せず、味に重点を置いている。そのため、レイトガイジェン料理を提供するレストランに行っても、料理は、大きな皿に少しの料理、といった盛り付けはされず、料理にあった大きさの皿に盛って出される。この点から、レイトガイジェン料理はしばしば「小皿の料理」とも称される。

 レイトガイジェン国民に愛飲されている飲料はである。特にウォーフル茶(woofulmoi)という紅茶の一種は、国中で飲まれており非常に人気が高い。レイトガイジェン国民一人当たりのウォーフル茶の年間消費量は、1644年時点で171リットルであり、世界最大の消費量を誇る。レイトガイジェン北西のカールドムン郊外で採れる茶葉で作られるウォーフル茶はザイプス茶(Szaipsmoi)と呼ばれ、高値がつく。

 茶のほか、清涼飲料水やアルコール飲料、コーヒーも愛飲されている。アルコール飲料ではワインのほか、ゲシュトとよばれる廉価ビールがよく飲まれている。清涼飲料水では甘い炭酸飲料のパッチシュダインが大人気である。コーヒーは酸味の弱いものが好まれる傾向にあるほか、アイスコーヒーはほとんど普及していない。

スポーツ

 レイトガイジェンは、パラスカサウム競技祭(多:Palaskasaum, 地球のオリンピックにあたる)で春季・夏季・冬季ともに毎回優秀な成績を収めており、獲得メダル数は世界第3位、銀メダルの受賞数では世界第1位の地位にある。レイトガイジェンは、体力は全てにおいて役立つとして、体育を推進することとしている。

 レイトガイジェンで人気のスポーツはサッカー(蹴球)である。地球のものと少しルールは違うが、ここではサッカーとして記述する。レイトガイジェンサッカー連盟には1220万人が登録しており、諸外国と比べてもかなり大きい規模である。レイトガイジェンでは、サッカーは国民的スポーツであり、日本での野球と同じかそれ以上の人気を誇る。世界蹴球大会(SKG)では、レイトガイジェンは1630~1645年の試合全てで銀メダル以上を獲得している強豪国である。特にゴールキーパーに強い選手が多く、PK戦においてその強さを遺憾なく発揮する。国内でのクラブ活動も盛んで、日本の高校野球にあたるレイトガイジェン高等学校蹴球大会では、毎回100以上の学校が出場する。近年では蹴球大会への注目は減少しつつあるが、それでもなお圧倒的な人気を博している。

 冬に降雪する北部ではウィンタースポーツが人気であり、冬季パラスカサウムでも毎回優れた多くの選手を輩出している。レイトガイジェンではスノーボードよりもスキーがむしろよく遊ばれる。スキーでのメダル獲得数は世界第1位である。

世界遺産

 レイトガイジェンには、41の文化世界遺産と10の自然世界遺産が存在する。例えば、インジェクスに存在するシャインシュヴァイシュト大聖堂はレイトガイジェンでもトップ3に入る大きさのルザーユ教の礼拝堂であり、毎日数万人の観光客が訪問しているほか、日用の礼拝にも用いられている。また、レイトガイジェン王国最後の王であるドラモルが改築を繰り返させたセレシュルケン大宮殿は、複雑な歴史を持つ遺産として人々の人気を博している。自然遺産としては、波状地形がはっきり残っているボルドのケスタが自然遺産として扱われている。