このページは,第一回ヤツメウナギ国際フォーラムのために,アメリカ・オレゴン州のポートランドに行ったときの状況をまとめたものです.まずは本文を順次書き上げ,適宜写真も載せていく予定です.(最終更新は,7月3日.20日の出来事の大半を書きました.)
2011年4月18日月曜日(日本時間)
朝5時,早朝に私の旅は始まった.いつもより1時間早めに起床した私は,日頃から大して時間を要しないのだが,手早く自分の身支度を整えると,家族のための朝ご飯を作り,荷物の最終確認を行った.確認といっても,パスポート,税関書類の類,航空券(もっとも今では流行となったeチケット・レシート),8年前に換金したままになっていたドル紙幣,プレゼン用のパソコンとUSBメモリ,そしてプレゼン原稿の印刷物,これらが今回の旅の不可欠なものたちだ.
富山空港には搭乗機出発の約1時間30分前に到着.ここで,アメリカへのお土産を購入した.まずは,主催者へのお土産として,以前から考えていたネクタイを購入.柄は富山らしくホタルイカ.次に,今回の旅を始めからサポートしてくれている日本語ぺらぺらのアメリカ人・ラルフと,そのパートナーの日本人・紀子さんへのお土産を選んだ.いろいろ迷ったが,紀子さんへのお土産を迷ったが,仕事でも当たり障り無く使え,それでいて富山らしいものとして,和紙でできた名刺入れを購入.そしてラルフは洒落がわかりそうなので,ホタルイカのUSBメモリ(2GB)を購入した.これ以外にも参加者同士でのお土産交換に備えて,銅?製のしおり(ブック・マーク)と,海外への定番である富山の絵はがきを購入した.
富山から羽田へは予定通りに移動できた.そこから成田まではリムジンバスを利用.朝の渋滞に遭うこともなく,ほぼ1時間で成田空港に到着した.そこで今回の日本からの渡航者の一人である北海道大学の白川君と合流.ちょっとした買い物の後に,昼飯を食べた.
当初から成田ではいくつか買うものを考えていた.まずは翻訳機の電池,これは無事に購入.他にはメガネ用の小型ドライバーとリュックサックのチャックを止めるためのカラビナ.しかし,これらがなかなか見つからない.以前であれば,旅行用品を扱っている店で簡単に見つけられたと思うのだが,結局見つけることはできなかった.
搭乗2時間前.買い物を済ませて(あきらめて),白川君とふたりでロビーの一角に陣取り,それぞれ発表の準備を行った.スライドの最終確認と,さすがに声を出すことはできなかったが,スライド原稿の読み込みを一通り行った.そして半ばあきらめたように,その作業を終わらせ,搭乗口に移動したのが搭乗1時間前.待ち時間をカフェエリアで過ごしているところで,もう一人の同行者の楠田さんと合流.昔でいうところの北海道さけます孵化場の方だ.旧交を温めているところで搭乗開始.この時点で,日本時間4月18日17時.
今回の目的地であるポートランドへは,成田から直行便が出ている.しかし,チケットが高めだったため,カナダ・バンクーバー経由で行くことになった.航空会社はエア・カナダ.図らずも,一番行ってみたかった場所に立ち寄ることができたことになる.エア・カナダの機内では,日本からの便ということもあり,日本人CAさんが数名乗務していた.日本語アナウンスもあり,ずいぶんと楽だった.サービスも悪くはない.ただ,現地到着が朝なので,機内ではしっかり眠らないと,時差ぼけになる恐れがある.しかし,濃いめのお酒を飲んだにもかかわらず,ほとんど眠ることはできなかった.その大きな原因が花粉症.搭乗前に薬を飲んだのだが,途中で効果が切れてしまい,鼻が緩くなってしまった.すると気になって,と言うよりも,鼻をかみ続けなければならなくなり,ゆっくりと眠ることができなかったのだ.それと共に,ポケットティッシュの消費量が激増した.これを見越して,上着のポケットに多めに入れておいたのだが,バンクーバーに到着するころにはほぼ使い切っていた.そもそも途中で薬を飲むべきだったのだが,機内持ち込みの際に,薬の類も申請することになっているらしく,搭乗手続きの際に手間がかかることを避けるためにすべて預ける荷物の中にいれてしまっていた.結局,今回の旅を通して,花粉症用の薬は飲み続けることになった.それと共に,この旅で欠かせないもの,今風に言えば,マスト・アイテムとでもいうのだろうか,それは自宅に山のようにあったポケットティッシュと,これも自宅の備蓄品だったトイレットペーパーだろう.次回も忘れないようにしたい.ちなみに,帰りの便では花粉症用薬を上着のポケットに入れていたが,結局何も言われることは無かった.こんなことならば,行きの時からこうしておくべきだったと後悔するが,時既に遅し.ちなみに機内では,十分な睡眠を取ることもできず,かといって発表原稿を読み直す気力もなく,はては機内の映画はすべて英語のため,内容がいまいちわからず.とにかく,着くことだけを考えていた.
(写真:左:北米到着直前の時計,右:機内食「チキン」)
4月18日月曜日(アメリカ西部時間,以下現地時間)
さて,眠れない長旅を終え,バンクーバー空港に降り立ったのが,朝の10時過ぎ.不思議なものだ.出発が17時で,9時間のフライトの後についた先では,同じ日の10時.時間が戻っている.日付変更線をまたいでいるので当たり前の話なのだが,時差というものにはなかなか慣れることができない.
このバンクーバー空港では,我々にとって1つの試練が待っている.日本人3名,それも全員アメリカ本土は初めて,だけで,国際空港乗り継ぎをしなければならないのだ.それも事前に聞いたところでは,バンクーバー空港で,アメリカ入国審査を行うらしい.そこで,乗り継ぎ口を間違えないように注意しながらロビーを進み,指示通りの方向へ.すると同じ便から降りて来た人たちの中で,アメリカ入国方面へ進むのは我々だけであることが判明.みんなカナダ入国の方へ進んでしまった.これでは誰かに道を尋ねることもできない.それでもどうにか目的の方向へ進み,セキュリティー・チェック,入国審査,そして税関検査(これは何も申告が無かったが)を一通り無事にパスして,乗り換え便のロビーに入ることができた.この一連の流れが,事前の情報などでは結構厳しいこと,例えば英語がわからなくて入国拒否・送還された,とかを聞いていたので,びくびくしていたのだが,誰もがフレンドリーに接してくれ,終わってみれば何も問題は無かった.
待合いロビーでは3時間くらい時間があったので,気が緩んだこともあり,お土産物屋に入って,早くもお土産購入を開始.これまでの海外旅行経験から,ほしいお土産があったときには,後で買えるとは考えずに,今すぐに購入することを学んでいる.そこで,アメリカに行くはずなのだが,なぜかバンクーバーで学生用のお土産を購入.
そして予定通りにバンクーバー発の飛行機に搭乗.バンクーバーからポートランドまでは距離が短いためか,小型のプロペラ機で移動した.利用客が少ないのかと思ったが,少なくとも行きの便に関してはほぼ満席.途中概ね天候がよく,初のアメリカの土地も,上空からカメラに納めることができた.
(写真:左:バンクーバー空港内のお土産物屋,右:アメリカ本土の北端あたり・右方向が北)
現地時間14時,アメリカ合衆国オレゴン州ポートランド着.今回の目的地だ.バンクーバーからポートランドへの便は,行ってみれば国内線扱い.降り立った後は,パスポートチェックを受けることもなく,荷物を受け取りに向かった.すると制限エリアから出た当たりに,二人のアメリカ人が座っていて,そのうちの一人は,どこかで見たことがあるような顔.最初は素通りしたのだが,すぐに向こうが気がつき,追いついてきた.そう,見覚えのある顔の方がラルフで,もう一方は,今回の主催者であるボブだ.
ここでラルフについて書いておこう.彼には現地での通訳ということだけではなく,渡航以前から主催者側と私たちの間で調整全般をやってもらい,かつ英語表現(これが一番大きかったが)を含めた発表原稿の事前確認をしてもらっていた.この原稿確認については,後で聞いたところでは,ラルフだけではなく,紀子さんにも相当お世話になっていたようだ.ちなみに,ラルフは,日本滞在が長かったらしく,龍生(竜生)というミドルネームを持つらしい.お二人の間にはもうすぐお子さんが生まれるので,名前で悩んでいた.
一方のボブはと言うと,なかなかのやり手らしい.この旅を通して聞いた話だと,年間億単位の予算をやりくりしながら,環境管理や資源増殖に関する様々な取組を取り仕切っているらしい.
そんな二人の出迎えを受け,車に乗り込み一路市内のホテルへ.空港からホテルへは30分もかからなかった.というのも,ポートランド市は,コロンビア川の支流であるウィラメット川が東西を分け,トラムが南北を分けるように走る.そのため,NE(North East),NW,SE,SWの4つの区画に分けられる.このうちホテルがあるのは,最も空港に近いNE地区になる.ホテル到着時にラルフから受けた説明によると,ホテル周辺の治安は,夜の一人歩きは避けた方がいいが,昼間は問題ないとのこと.もっともこの説明がすぐ後に簡単に覆されることになるのだが.
ホテルの名前は,ダブルツリーホテル.なかなか立派なホテルだ.セキュリティもしっかりしている.ここの7階のかなり広い部屋をあてがわれた.フォーラムは明日からなので,今日は夜に会食をすることにして,それまで2時間程度を白川君と二人で周囲を散歩することにした.
ホテルを出てすぐ北に,大きなショッピングモールがある.ここでの買い物を最後にすることにして,市の中央を流れるウィラメット川を見に行くことにした.この町を歩いてみて,まず受けた印象は緑が多いこと,次に複数の路線を持つトラム(路面電車)が頻繁に行き来しており,利用する人も多くて,町の交通として機能していることがわかる.そして市内中心部では,このトラムが無料で乗り降りできる.ここまでしっかりした町作りはさすがとしか言いようがない.それから,交通面で受けた印象として,歩行者優先が徹底されている.信号に従った通行は当然だが,信号機の無い交差点で,人が待っていると,特に子供が待っていると,車は必ず一時停止をする.また,店の駐車場から道に車が出るような場合にも,歩道を歩行者が歩いていると,通り過ぎるまで動かずに待っている.日本では,仮に歩行者を先に行かせるにしても,歩行者の間近まで車が接近し,圧迫感を与えることが多いが,ポートランドではそのようなことを感じたことは全くなかった.日本でもこうあってほしいものだ.
(写真:左:市内を走るトラム,右:滞在ホテル近くのショッピングモール)
また,この町にはサクラが多い.少し前に満開を迎えたらしく,今は葉桜になっていた.そのまま川まで向かうと,川を見下ろすような位置に大きな建物があった.その名もRose Garden,直訳すればバラ園になる.この町はバラで有名だ.だが最も,このRose Gardenはバスケットボール,NBAの地元チームのスタジアムのことだ.広場の噴水もバスケットボール模様になっていて,とてもいい雰囲気だった.そしてプレーオフに進出したらしく,大きな垂れ幕で盛り上げていた.もっともこの日は試合がなく,静かなものだった.
川に到着.支流とは言いながらも大きい.反対岸まで1kmは大げさかもしれないが,岸壁に大型貨物船が停泊するなど,物流も担っているようだ.ただ水はきれいとは言えなかった.実際に近くの支流では汚染された水域もあるとか.町のすべてがいい状態で機能しているとはいかないようだ.
散歩の最後は予定通りにホテル近くのショッピングモールへ.お土産探しが一番の目的だ.その大きさを富山でたとえるならば,高岡のイオンモールを縦も横も倍にしたくらいの感じだろうか.もっとも駐車場は3倍の広さはありそうだ.モールの中央にはスケートリンクがあった.時間帯によって利用形態が違うみたいで,このときは一般客が自由に滑っていた.ちなみに別の時は,フィギュアスケートの練習や,カーリングの試合をやっていることもあった.この中で30分くらい買いものを楽しみ,ホテルに戻ろうと建物をでると,パトカーが何台か止まっているのが見えた.黄色い規制テープも貼られている.テレビカメラまで来ていた.最初は交通事故でも起きたのだろうと簡単に考えていたのだが,ホテルに向かってみると,ホテルの周辺を取り囲むように規制線が貼り巡らされている.交通事故以上のことがあったのは間違いない.幸いホテルには入ることができたので,ホテルの中は問題なさそうだ.事情を知りたかったので,ホテルの正面へ出てみると,先ほどまで買い物をしていたショッピングモールの一角に規制線の中心があるようだ.近くにいた人に聞いては見たところ,詳しくはわからないが,「こんなことはここでは当たり前だよ」だとか...ちなみに,翌日に聞いたところでは,中学生が銃で友達を撃ち,二人が命を落としたとか.かなりの事件だ.この辺は治安がいいと聞いたのは,2時間ほど前だったのだが...
その後は,日本からの4人目の参加者である石川県立大学の柳井先生や紀子さんと合流し,ラルフとボブの案内で市内で一番高いビル(40階くらい)にあるレストランで夕食を共にした.ここポートランドと言えば,ワインを思いつく.ワインはもちろんなのだが,実はビールも相当有名だとか.この日も2杯の地ビールを飲んで,楽しい時間を過ごすことができた.
単なる観光旅行ならば,ホテルに戻ったら寝るだけなのだが,今回は国際フォーラムに参加,そして発表がある.私の発表は翌日だ.それも2題も担当している.スライドと原稿は一応できている.最後の読み込みをそれぞれの発表について1回ずつ行ったところで,12時を回っていた.さすがに疲れてきたので,シャワーを浴びた後に就寝.
時差の関係もあり,初めての町でもあり,なかなかない経験もした,長い一日が終わった.
4月19日火曜日 ポートランド
6時起床.ホテルの部屋に備え付けられていた目覚まし時計で目覚める.今日が発表の日なので,その緊張があるためだろうか,割とすっきりと起きることができた.時差ぼけの関係でもっと眠気があったり,体が動かなかったりするかと思ったが,少なくともこの朝はそのようなことは感じなかった.時差ぼけは回避できたのだろうか.
ただ困ったことがある.花粉症だ.目覚めて最初にやったことが,鼻をかむことだった.鏡を見ると,目が真っ赤に充血していた.寝不足ではなく,明らかにアレルギー症状が原因と思われる.そこで食事の前だったが,花粉症対策の薬を飲んだ.この薬には本当にお世話になった.結局,この旅の間は飲み続けることになる.もっとも,正露丸を飲み続けたロシア調査旅行に比べれば,よほどマシだ.そして薬が効いたのだろう,幸いにして時間と共に目の充血が薄れてきた.
7時から朝食を約束しているので,それまではコーヒーメーカーで沸かしたコーヒーを飲みながら最後の原稿チェック.ただ全体を通して読み直すほどの時間は無い.流れを確認し,スライドの動きを見ていたら時間になってしまった.今回は明らかにプレゼンの準備が時間不足だ.今更どうしようもないし,原稿を読むことにしているので,腹を決めて,食堂へ.
約束の時間だが,日本人は誰も降りてきていない.しばらくロビーのソファーでまっていると,柳井先生,そして楠田さん,少し送れて白川君がやってきたので,みんなで朝食をとった.朝食はバイキング形式.パンとスクランブルエッグ,カリカリに焼かれたベーコン,そしてジャガイモとたまねぎの炒め物を皿に軽めに盛り付けた.美味しそうなソーセージもあったのだが,発表前に胃もたれしてはいけないと思い,今日はやめておいた.飲み物は,席に着くときにコーヒーをもらった.食事中に担当のウェートレスがジュースを飲むかと聞いてきた.甘いジュースはいらなかったが,無いだろうと思ってたずねてみたトマトジュースがあるとのことで,それをいただいた.食塩がちょっと多めの昔飲んだトマトジュースの味がした.ちなみにお願いするときは,「トマトジュース,プリーズ」では通じない.『トゥォメェィトジュース,プリーズ』で通じた.昔学校で習ったとおりだったので,ちょっとうれしかった.
食事を食べたか食べなかったか,あまり記憶が残らないくらいに発表に気が回っていたので,みんなより早く食堂を出て,そそくさと身支度を整えて会場へ.ボブとラルフ,そして紀子さんが待っていてくれた.そしてもう一人,今回の司会を務めたカナダの研究者(名前を失念してしまった)と簡単に挨拶.その後,すぐに発表用パソコンにファイルを移し,動作確認.幸いにして,アニメーションも文字幅も全く問題なし.ちなみに,日本語を表示するスライドもあるのだが,さすがに日本語フォントははいっていないだろうと思ったので,事前に日本語部分をTIFF画像として,それを貼り付けてある.これで表示には全く問題無しだ.
その後は原稿チェックをするわけでもなく過ごしていると,次々に参加者が会場入りしてきた.そのほぼ全員と挨拶.こちらの挨拶は,まず名前を言い合い,「会えて光栄です」みたいなことを言う.もちろんこの時の名前はファースト・ネーム.それもニックネームだ.ただ,私はこれが苦手.なんと言っても聞き取れない.そして何よりも覚えられない.ただでさえ,顔と名前を覚えるのが苦手なのだ.にもかかわらず,次から次へと参加者がやってくる.結局フォーラムが終わるまでに覚えた名前と言えば,前出の人意外では,ディビッド,カール,マット,パット,,,くらいだろうか.それ以外の人とは,笑ってニコニコと話していたのだが,結局名前は覚えられなかった.ちなみにここで名前を挙げた人たちの紹介は,後々行いたい.
さあ,定刻よりもかなり遅れてフォーラムが始まった.まずは主催者の挨拶.先ほどのカナダ人司会者だ.続いて,今回の主役とも言うべき,tribeの代表者が前に出てきた.そして挨拶よりも先に,お祈りが始まった.参加者全員が起立,黙祷し,お祈りを聞いた.そして,お祈りが終わった後に,今回のフォーラムの趣旨説明がされた.
tribeとは,わかりやすい日本語にするならば,部族だろうか.いわゆるインディアンの人たちだ.今回の舞台であるコロンビア川流域にあるtribeのうち,今回は4つのtribeから参加者が来ている.この方々は,昔からコロンビア川の恵みを享受してきた.その中にはPacific lamprey,日本で言うミツバヤツメも含まれている.しかしそのミツバヤツメの資源量が減少していることから,今回のヤツメフォーラムの開催となった.詳しい背景などは,この後に適宜書いていきたいが,純粋な学問としてのヤツメ研究の交流というよりも,地元の状況に即してフォーラムが展開されていくことになった.
そして最初のセッションが始まった.このセッションは,Status of lampreysと銘打ち,各地域のヤツメの現状を紹介する.はじめは地元のヤツメ事情の紹介だ.そして話を聞いていると,やはり「研究」というよりも,ヤツメがどのように保護されているか,どのような取り組みがなされているか,という話が中心であり,それも何年から何年までの間,なになにというプロジェクトがあって,,,というような施策の話の色が濃かった.私の話の中ではそこまで細かい話は含んでいない.ちょっと場違いの発表を準備してしまったのだろうか,と軽い後悔をしているところで,私の順番になってしまった.もちろんタイトルは,Status of lampreys in Japanだ.
まず発表の冒頭で,今回の東日本大震災の直後にボブやラルフを始め,多くの参加者から安否確認とお見舞いのメールをいただいていたので,それへのお礼を述べた.当初は簡単に述べるつもりであったが,事前にラルフに英文チェックを依頼した結果,結構な長文に.結局2分ほど原稿を朗読した.もちろんスライドにも,日本の美しい四季を現す写真とともに「がんばろう日本」の文字を入れておいた.
その後は本題へ.2枚目のスライドでは,著名なヤツメ研究者の故Hardistyがまとめたヤツメの本に掲載されている世界のヤツメ分布の図を出した.実はこの図において,日本列島にヤツメが分布しないことになっている.これを引き合いに,『日本のヤツメは忘れ去られている』と一言.みんな受けてくれた.これで気をよくして本当の本題へ.構成は,日本周辺のヤツメの紹介,日本人とヤツメのかかわり,そして日本のヤツメの現状(特に良くない状況)の順になっている.
日本周辺にいるヤツメとして,当初の予定では,これまでにリストアップされてきた全種を話すことを予定していたのだが,それだとあまりに学問的になってしまう.直前にラルフから「ヤツメの学問的価値」よりも「ヤツメの保全」に重点を置いた発表の方が,聴衆は受け入れやすい旨を聞いていた.そのため,日本を発つ前日にスライドの多少の組み換えをして,簡略化していた.それでもアリナレスナヤツメも含めたので,そこそこのボリュームになってしまったが,多少は仕方が無いと割り切って発表した.もちろんミツバヤツメも紹介した.ただ,ラルフに直してもらった原稿には,彼自身の経験を踏まえて,ミツバヤツメの紹介原稿が大幅に増えていたのだが,全体のバランスを考えて,ざっくりと簡略化.
続く日本人とヤツメのかかわりでは,江戸時代の医学書や百科事典に載っているヤツメの話を紹介した後,日本からの参加者から事前に提供してもらっていたヤツメ漁やヤツメ料理,あるいは薬の写真を織り交ぜて紹介.
最後のヤツメの現状では,北海道の主要河川を例に,カワヤツメ漁獲量が激減しており,そのいくつかの原因の列挙やそれに対する研究や保全活動の一端を紹介.もちろん環境省レッドデータリストを出して,日本のあらゆるヤツメの生息が危惧されていることを紹介した.もちろん,より高次にランクされるべき種がいることにも言及.このセッションはあくまでもイントロだったので,『詳細は今後のセッションで話す』を連発して締めくくった.
およそ20分くらいだっただろうか,私にとってはあっという間に時間が過ぎた.その後は質疑応答に移るわけだが,さすがに英語の受け答えに難があることが予想されたので,ラルフにも登場してもらい,彼の助けを随所に借りながら質疑応答を進めた.まず安心したことは,多くの人が質問の手を挙げてくれたことだ.とりあえずは,私の発表は通じたようだ.そして皆,多分にリップサービスだろうが,発表をほめてくれた.もちろん素直にうれしかった.質問の内容も多岐に渡った.事細かには覚えていないが,半分くらいの英語は理解でき,こちらも英語で返すことができた.ただ,みんな優しい英語を使ってくれていることは良くわかった.この辺の心遣いもうれしかった.何度も言うように私は英語が不得手なことを自覚している.だからそれを理解し,その上で交流を持とうとしてくれていることを素直に喜んだ.もちろん,ラルフの助けも多く受けたこともうれしかった.
そして質疑応答も終わり,私の最初の仕事が終わった.さすがに安堵したのだろう.自分の席に戻る途中で自然と笑みが漏れていることに自分でも気がついた.そして着席すると,大きな仕事をひとつ終え,肩の力が抜けていることに気がついた.もちろん午後のセッションでも発表するのだが,正直なところ,それへの心配は無くなっていた.
その後,何題か発表が続いたのだが,昼食前最後に発表したのがディビッドだった.彼のことは以前から知っていた.というか,共著で論文を書いたこともある.北米のヤツメDNA標本を提供してもらったこともあったし,日本のミツバヤツメ標本を提供したこともある.共著は後者だ.ただやり取りはすべてメールだったし,彼の職場がカナダだったこともあり,カナダ人研究者だと思い込んでいた.しかし今回のフォーラムで,彼が地元のtribe出身者であることがわかった.
当初のスケジュール表では,彼はカナダ西部のヤツメ事情について発表することになっていた.しかし,いざ本番になると,tribeからみたコロンビア川のヤツメ事情の話が始まった.
彼の話は熱く,メッセージ性に富んでいた.彼の話だけではなく,このフォーラム全体を通じて多くの発表を聞く中でわかったことだが,ここで今コロンビア川とそこに住む人たちが置かれている状況について書いておきたい.そしてそれは,正にこのフォーラムの真髄ともいえることだ.
繰り返しになるかもしれないが,このフォーラムはコロンビア川のヤツメ資源の回復や保全を目的としている.このコロンビア川流域には,昔から,いわゆるインディアンが住んでいた.もちろん当時からいくつかのtribeが存在していた.そして彼らの生活の場であった.彼らはコロンビア川を利用し,そこに住むあるいは遡上するサケの仲間やチョウザメ,そしてヤツメを利用していた.ところが欧米人がこの地域を治めるようになると,それまでの生活が一変した.まず,結果的に見ればごくわずかなお金で土地を手放した.もちろんこれは彼らの本意ではない.力に負けたということなのであろう.今回のフォーラムに参加した4つのtribeに限っても,生活の場が狭まり,しかしそれでも川を利用して生活をしていた.ところが次なる試練として,川にダムが作られるようになった.多くのダムは発電目的だ.このダムが川の生物の生活も一変させた.多くの魚が遡上を妨げられた.あるいは降海する際にもダムが妨げとなった.上流から下流へ,ダムを乗り越えればいい,とかいう簡単な話ではない.もちろん,魚道も作られるようになったが,ヤツメに限ってもダムごとに遡上率が半減していったとのことだ.一番下流のダムには多くのヤツメが今でも戻ってくるのだが,幾多のダムを超えた上流には,10個体も戻ってくればいい方だとか.そしてそのような場所に生活の場を持つtribeもある.
このようにみると,tribeとアメリカ政府との間の問題に見える.ただ,tribe間にもさまざまな立場や状況の違い,今風に言えば温度差があるそうだ.特に下流部に位置して,大きなダムをかかえるtribeには政府からの補助も大きい.それに対して上流部のtribeには違った扱いがされる.もちろん,金銭面だけの問題ではない.このtribeと政府との関係に,研究者も加わった複雑な関係が成り立つそうなのだが,その話は次の日のところで書きたい.
さて,話を戻してディビッドに戻ろう.彼の話に感銘を受けたのは,もちろん私だけではない.そんな彼が,自身の発表を終えた直後に,最前列に席を取り,丁度発表者の目の前に陣取っていた私に握手を求めてきた.もちろん私もすぐに立ち上がり堅く握手をした.その後,上述の共著論文などのお礼を述べ合い,互いの発表を称え合い,お互いの身の上話をして,すぐに打ち解けた.こちらは片言の英語ではあったが,言葉以上に意思が通じあった気がした.この瞬間こそ,今回のフォーラムに来て,もっとも有意義に感じた時間であった.無二の友に出会えた喜びとでも言えるだろうか.
知らず知らずにディビッドと長話をしていたのだろうか,気がつけば周りではみんな既に昼食を取り始めていた.昼食は会場となっている部屋の外の廊下にバイキング形式で食べ物が並べられており,各自それを取って会場内で食べる形式.一仕事を終えた安堵感もあり,お腹はぺこぺこ状態.皿に料理を多めに盛り付け,美味しくいただいた.ちなみに会場は滞在中のホテル内にあるため,昼食のメニューは朝食のそれとほぼ同じもの.やや物足りない感もあったが,美味しかったから善しとしよう.
昼食後,2つ目のセッションが始まり,すぐに私の発表の順番がやってきた.このセッションでは,ヤツメウナギに関する最近の研究を紹介する場だ.自然史や資源増殖,そして保全に関する内容を求められている.とはいえ,特に資源増殖に関する内容については,翌日以降にその話題に限定したセッションがあるため,ここでは各国の研究状況の概要を話せばいい.日本からの他の参加者もこれら話題に関する詳しい発表を準備してきているので,私の発表の中では,各参加者から事前に提供してもらったスライドを数枚ずつ映し,その発表者へのつなぎの役割を心がけた.ただ,それだけでは私が来た意義が無いので,残りの時間は特に遺伝子研究から解き明かされつつあるヤツメウナギの自然史について幾つかの話題を提供することにした.
まず発表の最初のところで,遺伝子研究から得られる情報についてまとめたスライドを出した.これは日本を発つ直前にラルフからアドバイスをもらい,急遽組み入れた一枚だ.結果的にこの一枚を入れたおかげで,私の発表にまとまりができ,またこのセッションに適したものとなった.ラルフの的確なアドバイスに感謝したい.
私が提供した話題は大きく分けて3つ.まずはすべての研究の基礎となる対象生物の分類についてだ.これは私が卒論のときからやっていることであり,これまでに幾つかの論文を出しているので「最近の研究」というものではない.しかし,遺伝子研究の活用と言う点から,および日本のヤツメの現状を再度紹介すると言う点から,この話を入れた.
次に日本において最も重要な水産資源であるカワヤツメにおけるマイクロサテライトDNA分析を紹介した.これは今論文投稿中の内容もあり,まさに「最近の研究」と言っていい.内容としては,集団間の遺伝子流動が中心だ.今回のフォーラムにも関連しそうな内容として,回遊集団における遺伝子流動の方向性を推定した結果,北方(北海道など)の集団から南方(東北や富山)の集団に向けての遺伝子流動が検出された.この解釈として,海流や宿主の動きを絡めた推察(スペキュレーション程度)をしたのだが,それ以上にその方向性が持つ意味を強調した.すなわち,母川回帰能力が乏しいカワヤツメにおいて,分布南限域の集団は,北方域のサイズの大きい集団から個体の供給を受けていると解釈できる.つまり,南限域集団を維持していくためには,その集団の生息河川環境を維持することが重要であるのと同時に,個体の供給源となる北方域集団の保全が必要となるということだ.
この集団間のconectivity(連結性・連続性)こそが,今回の最大の話題であるコロンビア川のミツバヤツメの保全にも重要な視点であることを強調したい.つまり,今回参加している4つのtribeは,それぞれコロンビア川の流域(支流も含め)に位置している.そして状況こそ違え,海から遡上してくるミツバヤツメを利用している.現在の1つの課題は,tribeが位置する流域において,その遡上量に違いがあることだ.そしてそれぞれのtribeがそれぞれの立場で,多くの場合自分達のことのみを考えて,ミツバヤツメの保全や資源回復に取り組んでいる.しかし,コロンビア川の各支流に遡上し,それぞれのtribeに利用されるミツバヤツメも,大きく見ればすべてつながりを持った集団の集まりと見るべきであろう.そのため,個別の流域で保全や資源回復に取り組むだけではなく,流域間のconectivityをもっと重視し,それぞれの流域の役割(例えば主要な供給源となる集団とか)を認識し,それを活かすことを考えながら,取り組んでいくべきであろう.
このような状況に対して,残念ながらtribe間には温度差があるようだ.下流側に位置するtribeは今も多くのヤツメを得ることができ,それで満足しているかもしれない.一方で,上流側のtribeは資源の激減に頭を悩ませている.それらの間には,協調よりも不協和が根強いように感じられる.
また別の視点からすると,資源回復のひとつの方策として,translocationの是非について話題になることが多かった.例えば,ダム上流部などで,現在はミツバヤツメが遡上できずに生息していないが,幼生の生息に適した流域が幾つかあり,そこにコロラド川流域内の別の場所から個体を移植させようというものだ.フォーラムの中でも,どこの流域に移植させるか,ということが議論になった.ただ残念ながらここでもtribeごとの考えの微妙な違いがあるようだった.
私の発表からみて,これらに共通して言えることは,まずコロラド川流域内におけるミツバヤツメ集団のconectivityをしっかりと把握することの重要性.残念ながら,これまでにこれら集団を対象とした詳細な遺伝子解析は行われていない.私の発表はその重要性をアピールできたのではないだろうか.
さて,私の発表はまだ続く.ここからは最新の,今まさに論文に書いている内容の概要を紹介した.2つのトピックがあるのだが,どちらも人工構造物が河川内におけるヤツメの遺伝子流動を妨げるというもの.1つはダムによる隔離だ.対象は回遊性のカワヤツメなので,ダムによって隔離された集団は,当然ながら海への回遊ができなくなる.このような状況は,今回のフォーラムの主対象であるミツバヤツメでも報告されている.ただ,その報告では,ダムに隔離された集団は,やがて絶滅したことが示されている.一方,私の研究では,絶滅ではなく,ダム上集団は存続している.それも生活様式を変えて.つまり,非寄生性・河川型のカワヤツメ集団が存続しているのだ.その詳細は,投稿中の論文に譲るが,このフォーラムの中では,異なる時間スケールにおける遺伝子流動パタンを比較することにより,過去から現在にかけての遺伝子流動は,回遊型集団と河川型集団との間で認められるが,最近の遺伝子流動はそれらの間では存在しないことを示した.
また同様に,2つ目のトピックとして,富山県内の湧水性河川において,小さな水門や堰堤が,スナヤツメ北方種の河川内移動を妨げていることを紹介した.こちらは最近Conservation Genetics誌にアクセプトされたばかりの話題だ.Online Firstとしてみることができるので,詳細はそちらを参照してもらいたい.ここでも上記結果と同じように異なる時間スケールにおける遺伝子流動パタンを比較している.
これら2つのトピックは,いずれも人工構造物が生物に与える影響を示している.このような状況は,これまでも幾多の論文で指摘されてきた.しかし,遺伝子流動の方向性と時間スケールとの双方に着目した研究は,初めてかもしれない.この手法はまだまだ可能性を秘めているので,今後の研究の売りのひとつにしていきたい.
この後,私のプレゼンが日本のヤツメ研究全体の紹介の意味をもっていたので,保全や資源回復に関する研究の概要を幾つかのスライドを用いて紹介した.と言っても,その内容は,まさに次の日以降にそれぞれの参加者が発表する内容なので,彼らから提供いただいたスライドを示しながら,『詳細は明日!』とかで,それぞれまとめていった.
以上の内容で私の午後のプレゼンを終えた.英語はともかくとして,内容としては,自分の研究を十分アピールできたと思う.しかし,あまりに学問的な内容になっていたためか,質問がほとんどなかったのは残念だ.学問的な発展に関しては,別の機会に期待したい.
そしてこれをもって,私のプレゼンはすべて終了.これまでに参加した学会やシンポジウムでもそうだったが,やはり自分の担当が終わると安堵する.特に今回の国際フォーラムでの安堵感は比類ないものだった.ようやくこれで,このフォーラムを楽しむことができそうだ.ちなみに,この日の服装はジャケットとおしゃれネクタイにスラックス.事前に事務方からの連絡で,フォーラムを通してカジュアルな服装でやりたいと連絡を受けていた.ただ,初日は外部からの参加者も多いので,ジーパンはNGとのこと.最近では日本の学会でもスーツを着ることがほとんどなくなったが,この日は私自身の発表もあったので,多少はかしこまった格好をしたということだ.本来ならネクタイもいらないところなのだが,おしゃれっぽいネクタイだったので,善しとした.ただ,会場では誰もネクタイをしていなかった.フォーラムを通して,本当に片意地張らない,いい雰囲気だった.
フォーラムは続き,その後も数題の発表があった.印象深かったのは,やはり地元コロンビア川のダムの影響.特に遡上だけではなく,降下の際にも影響が大きいとのことだ.そもそもダムの規模が大きいので,上流から下流へダムを流されるだけでも影響がありそうだが,それ以外に,ダムの通水部には金属メッシュが設置されており,これに海に向かう銀化ヤツメが引っかかってしまうらしい.見るも無残な姿をした写真が映し出された.一方,遡上を助けるために,ダムには「魚道」が設置されている.ただ,サケ用の魚道では流れが速く,ヤツメは遡れないとのことで,ヤツメ用の魚道が設置されているらしい.フォーラム3日目のエクスカーションで実物を見ることになるが,その魚道が日本人の発想では考えられないような形をしている.いうなれば,鉄板が斜め45度に渡されているだけ.もちろん,上から水が流される.確かに成体のヤツメは,吸盤で壁面に吸い付きながら,ほぼ垂直に近い堰堤を登ろうとするし,結構登ることができるらしい.実際にこの魚道を使った遡上も見られるとのことだ.それに設置が容易とのことだ.だが,もう少し気の利いた構造は無いものだろうか,というのが率直な感想.しかし,発表を聞いていると,このような魚道でもあればいい方だとか.設置には相当の費用がかかるため,コロンビア川に設置された主要なダムには魚道が設けられているが,支流に位置したダムには魚道が無い場合が多く,その上流域にはヤツメの生息に適した場所が広がっているのだが,ヤツメは今はいない,というような場所が沢山あるらしい.ちなみにそのような場所がtranslocationの対象となっている.
このような発表が続くと,会場がだんだんとヒートアップしてくる.そもそもこの手の話題が今回地元からの参加者達の一番の関心事なのだ.ただ残念なのは,これまでも繰り返されてきたであろうやりとりに流れてしまう.すなわち,堰堤をもっと設置しろ,そもそもダムを取り壊せ,そして研究や話合いばかりではなく実行に移せ,ということだ.我々研究者の立場からすると,しっかりとした基礎研究の積み重ねを重視してしまう.この辺に研究者と地元のtribeとの間の温度差を感じる.もちろんtribeの事情があるわけだから,その気持ちがわからないわけではない.今回のフォーラムを通して,日本やフィンランドからの参加者の発表が,少しでも彼らの役に立てば幸いである.
初日のフォーラムは終わった.その後は,日本やフィンランドからの参加者,そしてボブやラルフたちで夕食に向かった.今日は,ホテル近くのお店で,地元のシーフードを食べることになった.楽しみにしていたことの1つである.その店ではお寿司も出すとのことなのだが,出てきたものをみると,なかなか美味しそう.ただお寿司といっても巻物が中心だ.そしてやはり日本とは違う.鉄火巻きもあったのだが太巻き並みの太さ.メインだったのが,海老のフライをご飯で巻き,その上にアボガドなどをトッピングしたもの.アメリカらしくて面白かった.味は悪くない.天むすとカリフォルニアロールが一緒になった感じだ.
私が個別に頼んだのは,やはり「フィッシュ&チップス」.魚介類のフライだ.サケ,タラ,エビ,などのフライの盛り合わせだ.これにコールスローとフライドポテトがついて,15ドルほど.特別安くもなく,高くもない.当初は油で胃もたれするのではないかと心配していた.とはいえ,発表が終わったこともあり,それもありかと注文.いざ食べてみると,そこまでではなかった.ただこれは魚介類だったからだろう.中身が肉だったらそこまで食べられなかったはずだ.それから,いかにもアメリカっぽかったのが,フライに使用している油は,トランス脂肪酸free!とメニューに明記されていた.規則ではあるのだろうが,やはり食べる方も気にしているようだ.
これだけのメニューと地ビールを2杯飲めば,さすがにお腹がいっぱい.ホテルに戻り,休むだけ.ホテルへの帰路,みんなで夜道を歩いていると,交差点で信号待ちの車2台のドライバーが言い争いをしていた.もっとも怒鳴りあいと言った方がいい.どうやら後ろから煽ったとか何とかが原因みたいなのだが,青信号に変わると二台とも猛スピードで走り去っていった.昼間の運転はとても穏やかなのだが,夜は全く別の顔になる.車に限らず,アメリカとはそんなところなのだろうか.何はともあれ,夜の一人歩きはできそうにない.
ホテルでは寝る前に,インターネットを試してみた.1階にビジネスルームがあり,ここで備え付けパソコンを自由に使える.試しにgoogleから,この山崎研サテライトサイトにログインしてみた.驚いたのは,ちゃんと日本語が表示されたことだ.もちろん日本語での書き込みはできないのだが,読むことはできる.そこでサテライトサイトのブログを下手な英語で書き込んだ.その後,日本の新聞のサイトにアクセス.ここもしっかりと日本語記事を読むことができたので,日本での出来事をほぼ毎日把握することができた.
その後,部屋に戻り,シャワーを浴び,長い一日が終わった.
4月20日水曜日 ワシントン州へ
6時起床.自分の発表は終わっているため,ゆっくりしたいところなのだが,今日は別の会場でフォーラムが開催されるため,移動に備えて早めの動き出しだ.
朝食はいつもの食堂へ.昨日とは違い,今朝は気が楽なので,食欲もある.そこで昨日は食べなかったソーセージをいただく.それとオートミールも.しっかりと食べて,今日の活動に備えた.
食事後に身支度を済ませ,ロビーに集合.マイクロバスに乗り込み,向かうは隣の州のワシントン州へ.ただ隣の州といってもコロンビア川を渡ればもうワシントン州だ.40分くらいで着いただろうか.そのコロンビア川だが,さすがに大きい.川幅も広いし,水量も多い.それと印象深かったのが,川を渡る橋を走行中に,上流側に目を向けると三角形の独立峰が薄らと見えた.フッド山だ.当地の日本人からはオレゴン富士とも呼ばれているらしい.標高は富士山ほどではないが,3000mを超える.形もそっくりだ.
やがて車は目的地に近づいた,,,はずなのだが,同じところをくるくる回り始めた.どうやら道に迷ったようだ.ここで日本との違いに気づく.日本だと,別の場所でフォーラムが開催される場合は,その場所を示す地図を参加者に渡すだろう.それをみて道順とかがわかるはずだ.一方,こちらでも昨日,場所を示す資料が配られていた.ただそれをみると,文章で書いてある.「どこどこのインターで降りて,次の信号を右へ」みたいに.ただ,やはり文字だけだとわかりづらい.ただこれに限らず,今回のフォーラム通して,事前の情報の中には地図情報は無かった.この辺がお国の違いなのだろうか.
さて,やがて目的地に到着.『水保全・学習センター』とでもいうのだろうか,きれいな花を咲かせたりんごの木とポプラの木に囲まれたとてもすばらしい場所だ.小鳥も沢山遊びに来ていた.もちろん目の前はコロンビア川.建物もログハウス風で広々としている.もちろん自然学習ができるコーナーもあり,サケ科魚類の稚魚が泳いでいた.
フォーラムの今日の話題は,ヤツメの人工繁殖や幼生の生態に関する技術的な話が中心だ.話が専門化した分だけ,英語はいつも使っているようなものばかり.昨日よりも内容がつかみやすい.今日もラルフと紀子さんについてもらったのだが,ほとんどサポート無しでも内容をつかむことができた.多少は英語に耳がなれてきたこともあるのだろう.
ここでの話題の1つはtranslocation.コロンビア水系には,ダムが建設されたがために,その上流部でミツバヤツメの生息が確認されなくなった場所が少なくない.生態が遡上しなくなったためだ.ただ,幼生の生息には適した条件が残っている場所も少なくない.そこで,他の生息地から,幼生を移すというプログラムだ.
この話を聞いただけだと,疑問を持つ人も多いだろう.なぜならば,既にダムがあるのだから,ここで育った個体が,よくてダムの下流へ降下することはできても,再びダムを遡上することは困難になる.よってtranslocationの効果がどこにあるのかと思うだろう.確かにその通りだ.ただ,いくつかの効果はある.まずダムが改良され,せめて魚道が作られれば,成体が遡上してくることが期待される.それともうひとつ,ヤツメながらの事情もある.
ヤツメウナギの成体には,いわゆる母川回帰能力が乏しいと言われている.つまり,生まれた川に帰ってくるとは限らないということだ.ただし,どの川でも遡上するというのではない.あるものを目印に遡上する川を選ぶというのだ.その目印となるのがフェロモン.そのフェロモンを放出するのが幼生なのだ.つまり,子供が親を呼ぶのだ.そのため,川の上流に幼生が住んでいれば,それだけで成体がその川,支流に遡上してくるのだ.そのことから,一度は絶滅してしまった支流でも,再度個体を放流するとこによって,その支流個体群を復活させることにつながるのだ.
ただもちろん気をつけなければいけないこともある.昨日の話にもあるが,事前に集団の遺伝的構造と遺伝子流動のパタンを知っておくことが重要だ.もし支流間でも遺伝的構造があったり,遺伝子流動パタンに特徴があれば,それを保つことが必要だ.もちろん別の水系からの移植には十分な注意が必要であろう.
いろいろと思うところを書いてはみたが,現地にいると,我々はやはり部外者だ.現地の人,特にtribeの方々の思いは複雑なようだ.実際に今日のプレゼンが行われ,意見交換が行われているときのことだ.司会が『translocationの実施に向けて,さまざまな知恵を出し合い,前向きに検討していくべきだ』というようは発言をした.それに対して,私も含め,大部分の人は賛同の意を持ちながら静かに話を聞いていた.ところが,あるtribeの方が『これまでも話し合いは行われてきた.いつまで話し合っているのだ.今は行動するときだ!』との発言をした.確かに現場にいる人にとっては,いつまでも状況が改善されず,そして明らかにヤツメの漁獲量は減少している,そのような現状を前にしては,こうも言いたくなるものだろう.ただ,彼への明確な賛同者が出なかったこともあり,その人の発言はさらに熱くなってしまい,とうとう『ここに俺の居場所は無い!』みたいな台詞を残して退席してしまった.
どうやらこの辺が,tribe間にある温度差というものの一端のようだ.もちろん我々では想像できないほどの思い入れがあることと思う.現に生活の糧である目の前のヤツメが減っている.そういう状況では,さまざまな思いや発言があるのも理解できなくもない.せっかく海外から研究者も来ているのだから,もっと情報交換をすればいいのに,と思ってしまうが,やはり問題の奥は深いようだ.
さて,そのようなこともあったが,この日のフォーラムも価値ある中で終わった.ただフォーラム以外でもう少し書き残しておきたいことがあるので,順不同で書いていきたい.
まず,お昼ご飯について.当然ながら朝から夕方までのフォーラムなので,お昼休みがでる.そしてお昼ご飯も用意されている.会場になった建物には常設の食堂は無かったので,どうするのだろうかと思っていたのだが,お昼時になったら,おばちゃんが一人入ってきて,昼食の準備を始めてくれた.もっとも昨日のような料理が並ぶわけではなく,サンドイッチとスープだ.こちらの昼食の定番のようだ.でもサンドイッチには種類がいくつもある.牛,豚(ハム),ターキー(鳥),そして野菜.この肉が入らない野菜だけのサンドイッチがあるあたりが,アメリカ風でよかった.ちなみにスープはトマトベースでジャガイモとニンジンが中心.素朴だが,美味しかった.これに飲み物として,缶ジュースがつく.
それから,この会場となった建物は結構利用されているようだ.この日も隣の部屋では小学生だろうか,30人くらいが教室に入り,なにやらレクチャーを受けていた.この辺の水利用や環境に関する教育は日本よりも進んでいるのだろう.小学生の一団が,黄色いスクールバスで移動してくるあたり,テレビドラマでみたアメリカそのものだったので,これが見れてちょっとうれしかった.
そして昼食後,少し休憩時間があったので,建物を出て,目の前の川べりへ向かった.遊歩道が整備されており,川のすぐ脇まで行くことができた.なんとも雰囲気がいい.丁度入り江のようになっていて,そこには水が広がっている.変な書き方だが,そんな感じ.どうやら今は増水している時期のようで,柳の木などは水没していた.夏には水位が下がり,目の前当たりは陸地化し,草むらになるようだ.いわゆるウエットランドだ.日本でウエットランドというと,湿原を思い浮かべてしまう.私も北海道での研究活動が長かったので,湿地には何度も出向いたことがある.ただ,今目の前にあるのは,日本の湿地とは違う環境だ.兎に角,水位変動が激しいようだ.氾濫原.目の前の景観はそういう言葉が当てはまるのだろう.もちろん日本にも氾濫原はある.いや,昔は多くあったようだ.だが今では,大きな川といいながらも護岸,特に低水位護岸がしっかりと施され,また下流部に大規模な水門や河口堰が建設される場合があり,水位変化が乏しくなっているようだ.水位変化が無ければ,一年を通して環境の変化が乏しく,そこに住むことができる生物の種類も少なくなるだろう.ちなみに,目の前のコロンビア川には,哺乳動物も多いとのことだった.州の愛称にもなっているビーバーも多いらしい.今度来る機会があれば,ビーバーが作ったダムをみたいものだ.それから川辺に向かう途中に木の柱が立っていて,そこにはメモリが振ってあった.どうやら水面からの高さらしい.そしてところどころに矢印がついているのだが,よくよく見ると,洪水の記録らしい.何年の洪水の時は,ここまで水が来た,とかだ.概ね10年から20年に一度くらいは周囲が水没しているようだ.
それからもうひとつ.この日のイベントとして,日本から持ち込んだ『お土産』を披露した.それはカワヤツメの干物だ.柳井先生の発案で,日本で購入したものをもってきてくれたのだ.丸干しした状態で利用することは,アメリカでもフィンランドでも少ないようで,みんな興味をもってくれた.もちろん,現場で切り分けて試食会.普通だったら皆さん遠慮するところだろうが,さすがヤツメ研究者の集まりだ.用意したヤツメがあっというまになくなった.丸ごとお持ち帰りいただいた方もいた.なかなかいいお土産になったようだ.
このように楽しく,有意義な時間を過ごし,閉会後は一路ポートランドへ.
(続く)