2011年9月1日 予想通りの展開
今日は朝からスーツに着替えて,県庁へ.県から参加を依頼された会議に出席.内容は,大規模な工事における環境評価方法の検討だ.私の立場は,事業者が提案してきた評価方法に対して,意見を述べること.
実は,昨年にこの委員への就任を打診された際に,一度は断ったのだが,たっての頼みで引き受けた経緯がある.なぜ断ったかといえば,形式的な手続きを踏むだけで,結局何にも変わらないことが予想されるからだ.しかし,そのときに,県の担当者から,会議の中で言いたいことを言ってもらえればいい,と言われ,引き受けたことを覚えている.
で,いざ今日の初会議になってみると,全く持って『予想通り』.事業者が提案してきた環境評価方法に対して,その用法を採用する根拠を質問(今はこの段階)をすると,『法律では,,,』とか,『過去はこのようになっていた』とか.全く持って,幼稚な回答しか得られなかった.当然私はこれに対して,言いたいことを言ってきた.回りくどいことは嫌いなので,時には声を荒げながら.明らかに他の委員とは違う雰囲気を出してきた.
事業者側は,結局のところ,自分達の提案を変更する気は全く無いようだ.『ご理解ください』とか『お願いします』を連呼していたが,私の知ったことではない.上記の委員就任の経緯も含めて,言いたいことは言った.もちろんこれで終わりではない.会議は今後何度か開かれ,その中で意見集約がなされていくのあろうが,最後まで言いたいことは言っていくつもり.
それはさておき,今日も残りの時間は,AFSの準備に勤しんだ.プレゼンについては,パワポファイルを提出したので,後はひたすら原稿読みの練習だけ.ただイマイチすすまない.スライドも原稿もとりあえず完成したので,やや気が抜けた状態だ.一方で今日は,渡航後のスケジュールの確認とか,シンポ資料の準備とかに時間を費やした.ようやく現地での流れがみえてきた.だんだん気分も盛り上がり,楽しくなってきた.
一方で,渡航前の宿題も.帰国1週間後のヤツメ集会の要旨作成が終わっていない.今夜の自宅残業はこれで決まりだろう.
2011年9月4日 渡米前日
準備万端.台風も大きな影響なく,明日は予定通り出発できそうだ.
週末は,もろもろの準備を進めた.一番の成果は,アメリカでもスマホが使えることが判明!今の契約で,海外でも定額利用できるそうだ.便利な世の中になったものだ.というか,私には珍しく新しいもの(スマホ)を使っているがために,利益を享受(大げさ?)できるというわけだ.
というわけで,実際に現地で使ってみないとわからない面もあるが,渡米中も携帯・携帯メール・Gメールを通常通り使用可能.何かあれば,連絡ください.ただし,大学宛メールは受信できないので,悪しからず.それと,スマホからこのブログを書き込むことにも,成功していないので,このブログの更新は来週か,ホテル等のパソコンが使えれば,ローマ字書き込みをするかも.
今日はその他にもスマホとパソコンの接続設定やら,B君のがんばりもあって,デジカメとパソコン接続やらも設定完了.物品の準備もまずまず終わった.
では,行って来ます!
2011年9月2日 渡米準備
今朝の某新聞に昨日の学外会議の記事があった.一委員である私の名前はでていなかったが,「委員からの意見」として紹介されていたコメントは,いずれも私のもの.これからも言うべきことは言っていきたい.昨日は事業者の体質を書いたが,一方で十数名いる委員も温度差まちまち.私のように「粗い」委員は他にはいなかったようだが,言うべきことをしっかりという委員は数名いた.かと思えば,『特に質問ありません』と,事業者の提案をそのまま受け入れるかのうような発言をする委員もいた.きっと事業者は,そしておそらく県もこのような委員を求めているんだろう.
それはさておき,今日も朝から渡米の準備...といきたっかたのだが,まずは本日締め切りのヤツメ集会の要旨書き.昨夜の残業で結構進んだ.全部で4ページ書く必要があるところ,3ページまで書けた.おかげで午前中の要旨書きと直しはゆとりをもって取り組むことができた.と言っても,午前中はこの仕事でほぼ終わり.時々,気分転換にAFSのプレゼン練習をしたりもしたが,なんだかんだで昼の時間に.
普段ならば,ゆっくりとお昼ご飯を食べるところなのだが,さすがに時間が無い.特に午後はびっちりと会議が予定されている.ということで,昼の時間に渡米準備をすべて終わらせ,持ち帰る荷物をかばんに詰め,どうにかひと段落.フライトスケジュールとかは,実験室のホワイトボード下に張っておいた.グーグルメールならば渡航中も受け取ることができるかもしれない.何かあったら活用してもらいたい.
で,結局会議は「予定通り」帰宅時間ギリギリまでかかり,さすがに抜け出してきた.その後はバタバタと片づけをしながら,最後の荷物チェックをして,帰宅の途に.と思ったら,研究室に懐かしい顔が.昨年の卒論生のHさんだ.が,子供のお迎えの時間が迫っており,対応は学生に任せて私は帰宅.と,帰宅途中で居室のエアコンを切ったかどうか不安になり,学生に確認してもらった.切っていたようだが,まったく記憶に無い.やはり慌てていたのだろう.さて,この後は,自宅で最終準備.今回も原稿を暗記することはあきらめたが,せめてすらすらと読めるようにしておきたい.
2011年9月13日 さすがに疲れが...
帰国したのが,日曜日の夜.その後,十分な休養をとらずに今に至る.時差ボケはないと思うのだが,さすがに疲れは溜まっているのだろうか.自宅残業があまりはかどらない.今の後も,週末の学会,その後の北海道強行軍,連休最終日を休んだ後は共同調査のための出張,子供の運動会,そして月末の長崎学会参加へと続き,気づけば講義スタートだ.どこかでダウンしそうで怖い.ま~,そこそこ息抜きをしながら,やっていこう.
今日は,もっぱらDNA実験.来週の共同調査関連で,『ある生物』を対象としたマイクロサテライトプライマーのチェックを行っている.結論から言えば,プライマー設計の対象種そのものでは,上手くいきそうだが,他種ではなかなか難しそう.今後の方針も今度の出張の際に打ち合わせを行おう.
それ以外は,レッドデータブック見直し作業の再開.全体の期限が後数ヶ月.それまでに文章書きは問題ないのだが,そのための追加調査などが必要になるかもしれない.どの種の調査が必要かを今調べている.ということで,そのとばっちり(?)を受けて,学生達がデータ打ち込み作業に追われていた.
明日は氷見.学生達の「引率」の意味合いが強いので,私はややのんびり.氷見でのDNA実験をする予算がついたので,購入物品の選定などを行おう.
2011年9月12日 無事帰国
昨日,予定通りに帰国した.全体を通して大きなトラブルもなく,過ごすことができた.小さなトラブル(失敗)といえば,スーパーのレジ脇にあったチップ入れの箱をうっかり転倒させ,1ドル札と小銭を店内にバラ舞たことくらいだろうか.
アメリカ本土へ渡ったのは,4月に続いて2度目.前回は最初から最後まで,案内がついてくれたのだが,今回はほぼ自由行動.その分,アメリカを肌で感じることができたと思う.まず総じていえることは,『過ごしやすい』ということ.もっともこれまで海外渡航先の大半はロシア圏だったため,どうしてもそれと比較してしまうためでもあるのだが,EU圏と比較しても,日本人にはアメリカの方が馴染み易い気がした.
それと同時に,日本とアメリカの違いも実感.その際たるが,アメリカでは,目先の相手に気を遣うこと.もしかしたら,4月の渡米後にも同じことを書いたかもしれない.例えば,ビルの入り口のドアを開けた場合,次の人がいたら,その人が来るまでドアを開けたままで待っていてあげるのが普通.日本でも同じようなことはやるが,それ以上に相手を意識して行動する.あるいは,学会発表などでは,発表後に,必ず相手の発表をほめる.ただ,ここからが良いも悪いも日本との違いを実感したところなのだが,「あなたの発表はとてもよかった」とは言うのだが,内容に関する言及は無い.
それともうひとつ,最たるエピソード.丁度帰国の日に,外で朝食を済ませて,ホテルにはいると,重たそうな荷物をもった初老の女性がホテルの階段を上ろうとしていた.そこで,階段のところで,その女性の荷物をもって階段を上ってあげた.するとその女性は,「ありがとう」の他に,『なんて親切な人がいるのでしょう』とちょっと大げさな表現で,話しかけてくれた.もちろん,そういわれて悪い気はしない.ところが,直後に荷物を整理して,チェックアウトのためにホテルのロビーに戻ってきたとき,その女性と再び顔をあわせたのだが,相手はまったくの知らんぷり.もちろん,こちらも再度のお礼を求めたわけではないのだが,数分前にあそこまで大仰な言い方をしたのだから,これが日本だったら「さっきはどうも」くらいの会釈はあるだろう.ま~,これが良いのか悪いのか,その答えを求めるつもりはないが,アメリカと日本との違いを感じた気がした.
今回の渡航期についても,近いうちに書きたい.ただ,ポートランドのも完成していないので,どうなるかは私もわからない.
さて,当然ながら,今日は朝から通常の仕事だ.でもさすがに大仕事を終わらせた後だけに,午前中はその整理と,留守中のメール対応,そして今後の計画練りで終わった.そして午後からはDNA実験と週末の学会のプレゼン.さらに自宅残業では,RDB改編のための現状チェックを少しだがすることができた.幸いにして,帰国後の時差ぼけはない.今月は外出が多いので,時間のあるときに,やるべきことをやってしまおう.
2011 Sept. 6 From Seattle
Now, I stay at the Seattle city, and attend the meeting of AFS 2011. Today, I am joining with Poster session. Tomorrow, I will present my talk about lamprey speciation.
Fortunately, I can use the mobile phone and mobile e-mail, and may be G-mail. If need, please call or send e-mail.
2011年9月15日 明日はヤツメ自由集会
明日は,金沢へ向かう.応用生態工学会で,ヤツメウナギの自由集会を企画している.もっとも企画しているといっても,準備は共同企画者のY先生に丸投げ状態.せめてもの罪滅ぼしに,講演2つと,総合討論の進行役を担当する.最近,本職のヤツメ研究が再活性化している.当然ながら,ヤツメにもまだまだ研究すべきことが残されている.そして,知識は他の生物に比べて圧倒的に多いので,研究の幅も広い.明日は,自由集会で初めてお会いする人もいるので,人脈を広げながら,研究も広げていこう.
今日のもうひとつのお仕事と言えば,久しぶりに本家HPを更新した.数日前にConservation Genetics誌から,論文掲載の連絡(採択の連絡はずっと前に)を受けていたので,大学院二次募集の案内と共に掲載した.やはり本家HPもたまには更新しないと,研究室が動いているのかがわかりにくいはずだ.本当は,研究紹介をもっと掲載・更新したのだが,さすがに時間がない.でも気がつけば,氷見連携研究室のことを全く紹介していない.これだけは,なるべく早く,手を打とう.
ところで,論文掲載といえば,カワヤツメ種分化論文が,後一歩のところまで来ているのだが,なかなかアクセプトの連絡が来ない.なんどか催促しているのだが.そこまで急を要することではないのだが,でも半年近く正式な返事が来ないのはどうかと思う.ま~,それはそれとして,次なるカワヤツメ分散論文を投稿に持っていけるように,準備を進めよう.月末の水産学会でコメントをもらったら,すぐにでも共著者に送れるように準備を進めておこう.上にも書いたが,ヤツメ研究が活性化してくると,論文書きも既にあるヤツメネタを出し切ってしまいたくなる.「富山のスナヤツメ南方種」と「鴨川のスナヤツメ成長と成熟(分割も可)」は,データと基本的な解析結果は既にある.ヤツメ以外にもイタセンMSもイノシシmtDNAも,実験は終わっている.秋の夜長は,少し論文と向き合ってみるか.
2011年9月26日 連休と連休明け
23日.前夜の疲れもあり,ゆっくりと朝寝,,,したかったのだが,下のちび介に起こされる.それでも負けずに,居間のソファーでゴロ寝.午後は,とある用件のために外出.
24日.午前中は,下のちび介の運動会.ちび介の指名もあり,親子リレーに参加.鶏に変身.その流れで,フォークダンスに突入.これは想定外.『まるまるもりもり』が踊れなかった.周りのママさん達はしっかり踊っていた.みんな知っているんだね.こんなことならば,しっかりと練習しておくんだった.午後は,大学に少し顔を出し,帰宅後に泥のように昼寝.ようやく眠気はなくなった.
25日.今度は,上のちび介に起こされる.約束していた釣りに出かける.仕掛けとコマセが欲しかったので,釣具屋を回るも開いていない.仕方なく,前回の仕掛けを再利用.釣果は,キュウセン,メジナ,クサフグ,そして『ハオコゼ』.ハオコゼをちび介に見せながら,毒性について解説.さすがに触れないので,ハリスごと海へ.午後は,下のちび介の希望で,魚津水族館へ.回遊水槽を前に,同居人相手にブリ,ヒラマサ,カンパチの見分け方について力説.顔なじみの飼育員の方々を見かけたが,お忙しそうだったので,声をかけられず.企画展がなかなか良かったです.
26日.連休明け.朝からものすごい『疲れ』を感じる.栄養ドリンクでドーピング.主な仕事は,メールチェックと,水産学会のポスター作成.ポスターは,連休中の自宅残業の甲斐あって,概ね完成.
さて,明日は氷見.『例の観察』を行いたい.でも本音は,喧騒から離れて,のんびりと過ごしたい.さすがに,本格的な野外調査は無理.来週以降に実施だ.
2011年9月22日 『長い』出張だった
台風をまともに受けた出張だったが,形の上では,『予定通り』にこなしてきた.が,なかなか.
まず出発の20日.移動はすべてJR.富山を出発し,神通川,庄川と渡っていくと,それなりに増水していた.昨夜は案外降ったのだな~,と思いながらの車窓.その後,石川や福井もほぼ同じ状況.ここらで,最近購入したスマホで,台風情報のチェック.さすがに21日は台風の影響を直接受けそうだ.それと,名古屋あたりで既に大雨が降っているみたいで,市内を流れる河川が増水.市内に避難勧告(or指示)が出たとか.実はこの時点で,今から向かう岐阜と名古屋の地理的関係が良くわかっておらず,名古屋で増水ならば,上流側の岐阜も大変なことに,,,と思っていた.が,良く調べてみると,岐阜市と名古屋市に最も影響を与える主要水系が別であることが判明.だったら,岐阜市自体は大丈夫で,とりあえず予定通りに到着できるな.と,思っていた矢先,丁度,余呉湖が見えてきたころであろうか.社内アナウンスで,『この列車は,米原で運行取りやめになりました』と,なんともあっさりとしたアナウンスが.理由も告げず,『米原で新幹線に乗り換え,名古屋に向かうように』との内容のアナウンスが続いた.しかし,新幹線は私の目的地である岐阜市には行かない.それに今の状況で,名古屋にいったら,岐阜に戻れないかもしれない.ということで,米原で在来線乗り継ぎを探すことに.と,案外とあっさり発見.米原発豊橋行き(岐阜・名古屋経由)の快速電車が隣のホームで待っていた.駅員さんに確認した後に,乗車.やや遅れて出発.岐阜までは各駅停車とのことで,時間はかかるが,これに載っていれば,目的地につける.と安堵しながらも,どこかに不安が.すると不安的中!『この列車は大垣で運転取りやめにします』とまたも無味乾燥なアナウンスが.否応無く,大垣で下ろされると,見るからに『この先,電車は動いていません』的な雰囲気が構内を包んでいた.ここで,少しだけ状況がわかってきた.どうやら,名古屋駅近くの鉄橋の橋げたに大きなものがぶつかったのだが,川が増水しているため安全確認ができないとか.でも岐阜より先のことなので,大垣と岐阜の間は電車が動くんじゃないのか?と考えてはみたのだが,さすがにダイヤ編成は相簡単ではないようだ.およそ待つこと30分.短い方だろう.結局,大垣と岐阜の先の尾張一ノ宮との間で,ピストン輸送が始まった.その第一便に飛び乗り,晴れて岐阜駅到着.早速ホテルへ.やはりこの天候のため,既に部屋は満席とのことだ.幸い,事前に予約していたので,スムーズに入ることができた.その後,S氏と落ち合い,『打ち合わせ』.岐阜の名物『鶏』を堪能させていただいた.
21日.台風の再接近は昼から夕方にかけて.幸い朝の時点では,雨風共にそこまで強くは無い.今のうちに,ということで,調査河川を見に行くことにした.が,もちろん大増水.魚とりができるはずはない.でも,『大増水』をみるのも立派な目的.ワンドごとの魚たちが,どのように交流するかを考える際に,増水時の状況は重要な情報だ.で,今の時点での結論.『増水では,案外魚は動かない』.もちろん,川の状況によるだろうが,少なくとも今目の前にある河川では,ワンドがあるところには河畔林が『立派に』樹林化している.そのため,冠水してもワンドがある部分の流れは緩い.魚も流されまいとするであろう.そうなると,近隣ワンドには移動することはあるかもしれないが,距離が離れたワンドへの移動は,少ないのではないだろうか.それに,もし流されたりした場合,別のワンドにたどり着く確率は低いであろう.相考えると,大河の対岸にあるワンドとの交流はもっと少ないのであろうか?その答えを出すことが,今のプロジェクトの課題であるのだが,いずれにしてもいい物を見せてもらった.その後は,台風到来のため,部屋でおとなしくデスクワーク.これはこれで,有益だった.
22日.増水は簡単には引かない.今日は範囲を広げて,現地視察.地域の水利用と魚類の生息状況を見て回った.この辺は,またの機会に書きたい.で,問題は富山への帰りだ.台風の影響はあまりなかったと思えたのだが,どうやら朝から北陸地方で大雨が降ったらしい.結構な数の列車が運行取りやめになっていた.ただ幸いにして,私の乗る列車に関する事前情報はない.予定通りに帰れるかな,と18時ころに岐阜駅のホームへ...が,来ない.どうやら北陸の大雨の影響で,遅れが出ているようだ.でも私が乗る列車は,これから北陸に向かう.なぜ遅れが出たかと言うと,そもそも北陸から来た列車が名古屋まで行き,その折り返しに私が乗る.そのため,名古屋まで行く段階で遅れていたので,当然折り返しも遅れる.ということだ.結局,1時間30分遅れで列車到着.その後も,存在しないはずの列車が線路を走るのだから,ダイヤ編成が大変だったみたい.途中途中で立ち往生や徐行をしながら,富山に着いたのは,予定よりも3時間くらい遅れた午前0時過ぎ.そして今は午前1時半(23日).ま~,帰ってこれたので,善しとしよう.
2011年9月19日 調査できるのか?(+大切な連絡)
世間はシルバーウィーク.私も北海道やら,岐阜やら,子供の運動会やら,それだけみれば,十分に満喫しているような気がするのだが,いかんせん強行軍.体がどこまで持つかが不安だ.特に,ここまで出張が多くなると,次の出張が,どこへ,何をしに行くのかがわからないときがある.
とりあえず,明日からは岐阜へ.ウェーダー持参で現地調査やら,資料収集やらが目的だ.が,台風が来ている.河川の増水が心配だ.まともに調査ができるのだろうか.これだけ予定が詰まっていると,『延期して,来週実施』というわけにはいかない.
ところで,おとといは,恩師の退職記念パーティー.4月に開催の予定だったのだが,震災のために今に延期になっていた.50名近くの参加者があり,恩師の『大きさ』を改めて実感.個人的にも,懐かしい方々と再開できて,楽しい時間を過ごせた.
ところでところで,一連の出張が終わると,年度の後半に突入している.卒論もしっかり考えなければならないときだ.そこで,出張後には,4年生それぞれと,個別面談を実施しよう.目的は,卒論の現状確認と,今後の方向性の確認だ.単なる形ばかりのものではなく,実際に,これまでどのようなデータをとってきたのか,今度どのようなデータをとるのか,そしてそれらデータをどうまとめていくのか.ありきたりの,あるいは建前の話は求めていない.具体的に,やるべきことを考えておいてもらいたい.当然ながら,そもそも自分の卒論は何をやるのか?という,原点に戻ることが重要だ.当初の目的に沿って(必要な軌道修正はOK),その目的達成のために,今,そして今後どのようにやっていくかを,改めて考えてもらいたい.もちろん,この出張中に私は私で考えておき,『答え』は用意しておくが,学生自身の『回答』をまずは聞きたい.中間発表を個別にやってもらうようなものだ.実施時期は,10月の3日からの週を想定して,準備を進めておいてもらいたい.当然ながら,手ぶらではなく,今までのデータを今の時点でまとめ,あるいは,解析ができるのであれば,自分で考え得るやりかたでまとめて,同時に提出してもらいたい.ちなみに,この情報は,みんなで共有しておくように.
2011年9月16日 強行軍
朝,研究室に顔を出した後に,応用生態工学会が開催される金沢へ.この学会へははじめての参加だ.で,学会の雰囲気と言うものが,これまでに参加してきた学会とは異なっていた.いわゆる「普通」の新規データに基づく発表があったかと思えば,『ゼミか?』と思えるような,文献調査だけをまとめたような発表もあったり.果ては「護岸整備された街中の『美しい川』」と言う言葉が平然と飛び交ったりと,日ごろの理系,生物系,水産系の学会とは,毛色の違いが明確だった.
そして以外だったのが,スーツ着用率が高かったこと.どうやら企業(アセスとか)の人が多かったことも原因のようだ.今時の生態学会では,スーツなんて滅多に見ないのだが.ちなみに,私はAFSのTシャツとGパンで参戦.学会員でもないし,気にすることは無い.
で,私の真の目的である『ヤツメウナギ自由集会』は,成功裏に終わったと言っていいだろう.個人的には,とても楽しい時間だった.もちろん,有益な情報をえることが出来た.久しぶりに,『今の発表のパワポと原稿がほしい』と思ったものだ.ただ惜しむらくは,時間が足りなかったこと.私も1つ目の話で時間オーバーしたようだが,みんな話たいことが沢山あるようだ.でも聞いてて楽しいので,いやな気分にはならなかった.結局,総合討論は時間切れ.ただ,個別発表で,そこそこの意見交換はできたので,これも善しとしよう.またこのような機会を持ちたいものだ.
明日は,北海道へ.恩師G先生の退職記念パーティーだ.体もつらくなってきたが,明日は明日で,楽しんでこよう.
2011年9月27日 次のステップへ
予定通り,イタセンパラの『観察』を開始.久しぶりだと,なかなか目がなれない.現場でみるのと,後でモニターチェックするのとでも違いがある.幸い,今年はまだ時間があるし,経験も,設備も,状況も昨年より優れている.今後の『観察』に期待だ.
これも含めて,連携研究室のイタセンパラ研究に関して,関係者で今後の打ち合わせをすることができ,大体の方向性は固まった.これまでのステップでも,重要な成果が得られたと言っていいだろう.次のステップでも,期待が膨らむ.この辺は,新規研究のネタでもあるので,この場ではなかなか書けないこともあるが,とにかく,いい方向で進んでいる.
ところで,気がつけば,明後日から長崎.水産学会に参加だ.TSさんとの旅になる.明日は発表ポスターの印刷.その他,もろもろの準備をしなければならない.特に,今回の発表ネタをそのまま論文にする.夏の氷見合宿で,草稿はかけているので,それを直していくことを,出張中の宿題にしたい.先日,イントロ部分を読み直したが,概ねよく書けている.ただ,解析のところの理論武装がもう少し必要かも.この辺もまずは学会中に対応しよう.