【ニホンライチョウ保全のための分子生態学的研究】
★この研究の一部は,以下の論文として発表されています.以下の図の一部は,これら論文を基に作成されています.
豊岡由希子・松田勉・山崎裕治. 2017. 立山のライチョウにおける糞を用いた遺伝的多様性の評価. 保全生態学研究, 22: 219-228.
ニホンライチョウ(以下、ライチョウ)は,日本列島の中部山岳地帯の高山域に棲む留鳥です.富山県では,立山連峰などに生息しています(写真1と2).人を怖がることが少なく,立山・室堂を訪れると,目の前でその愛くるしい姿を見ることができます.また,「富山県の鳥」にも指定されており,富山県にとって馴染みの深い生物です.
写真1:立山・室堂周辺のライチョウ。後ろの山が立山(雄山)。(撮影:山崎)
写真2:ライチョウ近影。浄土山周辺。目の上に赤い肉冠があり、これが繁殖期の雄の特徴。(撮影:山崎)
このライチョウが,最近では数を減らしています.例えば,1980年頃に行われた調査では,日本全体で約3,000羽の生息が確認されていました(羽田, 1985).しかし,最近の調査では2,000羽を下回るという推計がされており,特に南アルプスにおいて,個体数の減少傾向が著しいことが報告されています.その要因としては,自然状態での気候変動や自然災害,あるいは捕食者による捕食に加えて,低山生物(キツネやニホンザルなど)の高山帯への進入による影響や,外来植物の進入による植生変化に伴う餌植物の減少,あるいは人間(観光客や登山者)が増えたことによるライチョウへの影響,さらには人間活動に伴う温暖化等が高山環境全体に与える影響などが考えられます(図1).
図1.ライチョウの存続に影響する要因。
一方,立山・室堂周辺では,変動はあるものの,この50年間は200羽から300羽の個体が生息していることが,富山県の調査で明らかにされています(図2). この数は,山岳ごとに個体数を比べた場合,立山・室堂周辺の個体数が最も多いことを示しています.
図2.立山周辺におけるライチョウ個体数の推移。データは富山県HPより。
そのため,ライチョウを守るために,生態調査や生理学的研究など,様々な研究がされています(例えば,中村, 2007).そして,このような希少生物を守る上でも遺伝子の研究は不可欠です.例えば,山岳集団毎の遺伝的な特徴を明らかにしたり,繁殖個体間の血縁度推定などが,試みられています.最も安定した個体数が維持されている立山・室堂においては,富山雷鳥研究会や富山県が中心となり,生態調査をはじめとして,様々な活動が続けられています.しかし,遺伝子の調査は,ほとんど行われてきませんでした.そこで,山崎研究室では,富山雷鳥研究会および富山県の協力を受けながら,立山・室堂周辺に生息するライチョウを対象に,遺伝子研究を行っています.
野生生物の遺伝子を研究する上で,まず行うことば,遺伝子を入手することです.そこで,実際に室堂まで足を運ぶわけですが,次の課題は,目の前にいるライチョウから,どのように遺伝子を獲得するか,になります.一般的な鳥類研究では,捕獲した個体から血液を採取したり,羽毛を抜き取ったりして,そこから遺伝子を得ます.しかし,ライチョウは国指定の特別天然記念物であるため,手荒なことはできません.また,落ちている羽毛を拾うことにも環境省等の許可が必要であり,そもそも個体間の血縁度を明らかにする上で,羽毛の持ち主がわからなければ意味がありません.そこで考え出したのが,「糞」から遺伝子を採る,という試みです.一般に,糞の中や表面には,その生物の細胞が残されており,この細胞が持つ遺伝子を分析に用いることができます.この方法ですと,ライチョウを傷つけることもなく,環境省の了解も得られました.
ただ,いざライチョウの糞を採ろうとすると,なかなか大変です.予備実験において,排泄されてから時間が経った糞は,遺伝子分析には適さないことが分かりましたので,新鮮な糞が必要です.そこで,ライチョウを見つけたら(写真3),近くでじっと待ち(写真4),ライチョウが糞をしても,ライチョウが移動するまで待ち(写真5),移動した後にその糞を記録し(写真6),DNAサンプルを収集し(写真7),大学に持ち帰って遺伝子を調べました.
写真3:ライチョウを発見。やや見えづらいですが、写真の右中ほどに、雄がいます。
写真4:ライチョウ(学生のすぐ前のハイマツの下に雌がいます)が糞をするまでじっと待ちます。
写真5:糞(尾羽の左の黒い塊)をしたライチョウ。
写真6:糞の記録。糞や練りワサビをチューブから出した状態に似ています(山崎の個人的感想です)。
写真7:糞を滅菌綿棒でこすり、DNA抽出バッファに入れて持ち帰ります。
ライチョウの糞から得られたDNAを用いて,ミトコンドリアDNA調節領域の塩基配列を決定した結果,従来の研究では,1つのハプロタイプ(LmHi1)しか検出されていませんでしたが,本研究により3つのハプロタイプが立山集団から検出されました.またこのうちの1つは,これまで発見されていなかったハプロタイプ(LmTY1)でした(図3).
図3:主な山岳集団におけるハプロタイプ数の比較。
得られたハプロタイプ組成から,ハプロタイプ多様度を算出した結果,他の山岳集団と同程度の多様性を有していることが明らかになりました(図4).一般に,ハプロタイプ多様度などで表される遺伝的多様性と個体数(正確には有効集団サイズ:繁殖に参加する個体数)は相関することが知られています.しかし,最も多くの個体数が生息している立山集団において,必ずしも遺伝的多様性が最も高いわけではないことが,明らかになりました.
図4.主な山岳集団におけるハプロタイプ多様度の比較。
このような個体数と遺伝的多様性の不一致や,立山における過去のライチョウの個体数変化を,ミスマッチ分析を用いて推定しました.その結果,立山のライチョウは,過去に集団が急速に拡大した(個体数が増えた)時期があることが明らかになりました.そしてその時期は,約4050年前と算出されました.しかし,ライチョウが立山に住み始めた後に,個体数増加が起きていると,今よりもっと多くの個体が生息していることが予想されますが,現状は必ずしもそうではありません.そのことから,過去に一度個体数が減少し,その後,約4050年前頃から個体数の増加が起きた,と考えることが妥当です.
以上を踏まえて,立山における過去から現在にかけての個体数と遺伝的多様性の変化を推察しました(図5).それによると,今から2~1万年前まで続いた最終氷期に立山にライチョウが進入した時は,今より多くの個体がいたと考えられます.しかしその後,9000~6000年前に起きたと言われる温暖化(縄文海進の時代)の影響で,高山植生の衰退に伴い,ライチョウも個体数を減らしたと考えられます.この時に遺伝的多様性も減少したと考えられます(ボトルネック効果).その後,温暖化の緩和により,生息環境が改善されたことにより,ライチョウは個体数を回復し,現在はその個体数を維持しているか,減少傾向にあると考えられます.このように,個体数は回復が可能であった一方で,一度減った遺伝的多様性は数千年という短期間では回復することができず,未だ低い状態が保たれたままであることが推察されます.
図5.立山のライチョウにおける遺伝的多様性変動の推定。
以上のように,これまでの遺伝子研究から,立山におけるライチョウの現状と過去の一端がわかってきました.特に,過去の温暖化の後に,ライチョウが個体数を回復させたメカニズムを詳細に知ることができれば,今現在の個体数減少を克服するヒントが得られるかもしれません.
しかし,まだまだ分かっていないことは山積みです.今後も現地調査と遺伝子分析を続け,ライチョウの保護に必要な情報を蓄積していくことが必要です.
【引用文献】
羽田健三. 1985. 日本におけるライチョウの分布と生息個体数および保護の展望. 鳥, 34:84-85.
中村浩志. 2007. ライチョウLagopus mutus japonicus. 日本鳥類学会誌, 56:93-114.
中谷内修・上馬康生. 2010. 白山で発見されたライチョウの遺伝子分析. 石川県白山自然保護センター研究報告, 37: 49-55.
(2021年9月24日更新)