2011年3月7日 里山は富山を含む!?
学会出発前日。幸いポスターは完成しているのだが、もろもろの準備ができていない。それにお決まりの『締め切り仕事』がいくつかある。それらをちまちまと片付けて一日を終わりにしたいところなのだが、里山セミナーなるものに参加せざるを得なかった。というのも、富山大学ではいくつもの学部横断型の研究プロジェクトが動いているのだが、私が参加している理工学系の先生が中心となっている『高低差4000m、、、』(私は勝手に4Kプロジェクトと呼んでいる)によく似たプロジェクトとして、人文経済学系の先生が中心の『自然共生、、、』というものがある。多かれ少なかれ、上の方の意向があり、両プロジェクトは形ばかり合同でフォーラムを開催したり、お互いの先生が関連イベントに参加しあったりしている。今回のセミナーも、そこまでがちがちに事前の申し合わせがあったわけではないのだが、まさに無言の圧力ともいうべきメールを受け取ってしまったがために、参加することとなった。
さて、セミナーについてであるが、全体的な感想として、『なるほど、こういう世界もあるのか』というもの。深入りしたくは無いが、知っておいても損は無い世界だ。そもそもテーマは里山であるのだが、全体的に人文系の視点からの里山論が展開された。それはいいのだが、一番『無理』と思ったのは、言葉遣いや概念をこねくり回すことに重きを置いている点だ。「科学的な実証」が登場することはほとんどなく、『誰々は里山のことを○○と表現した』とか、『人間と自然の共生という言葉遣いは正しくない』とか。おまけに話し方自体が自己主張の表現方法・技術の1つとなっているようで、あえてぼそぼそ・とつとつと話してみたり、途中で他の演者に議論を挑んでみたり、なんだか演劇を見に来た気分だった。ちなみに、『人間と自然の共生』についてだが、演者いわく、そもそも「共生」とは生物学的には、、、と説明した上で、その使い方では人間(実態)と自然(概念)が共生するのはおかしい!との論であった。しかし、どうもその方の話を聞いていると、「生物(学)」と言う言葉が都合よく出てくるだけ。もちろん生物学、生態学における「共生」の定義づけはその方のいうことで間違いはなかったが、ここでその『共生』の定義を生物学におけるそれに限定することが必要かはわからなかった。なぜなら、損方はご自身の講演の中で、生物学に関する話はこれ以外に全くと言っていいくらい出てこなかった。同じ単語でも、分野や視点、立場によってさまざまに意味や使い方が変わるのが当たり前だろう。共生だって、いろんな使い方があってしかるべきだろう、と思うのだが。
一方で、なるほどと改めて考えさせられる話も聞けた。そもそも「里山」は美化すべきものか?ということだ。「里山」というと、ついつい『古きよき時代と自然、そして人間と自然の関係がそこにはある』と美化されたイメージがそこにはある。しかし、『古き』と思しき時代には、里山と呼ばれる場所は、山林開発の最善線ともいえる場所で、山の木々を切り開いて畑を作り、野生動物を追いやるあるいは利用する光景が広がっていたとみることができる。あるいは、平地では田畑を開く場所がもうなく、やむを得ずに丘陵・山間部に入り込み、楽ではない生活をおくっていたのではないだろうか。「里山」というと自然豊か、と言うイメージがある。はたしてそうなのだろうか。「里山にはフナやメダカが!」というイメージもあるが、これら魚は「里山」というよりも「二次的な自然」の恩恵を受けていると言った方がいいだろう。平地で素掘りの水路や溜池に囲まれた水田なんかの方が、よほどメダカたちには好適な環境なのではないだろうか。もちろん、「里山」をどのように定義するかにもよるのだが。
生態学からみると「里山」は、平地生態系と山地生態系とのバッファーゾーンや移行帯(エコトーン)として重要な位置づけをもつだろう。だから、里山を単体で、独立させて、そして無理に美化して考えるよりは、平地と山地の間にある空間、というくらいに考えた方がいいのかもしれない。ただ実際問題として、そのような中間帯が最近では欠失していることは否めないし、その結果として、山側の動物にも、平地側の動物(特に人間)にも、不自由が生じている事は無視はできないであろう。となると、「里山」という銘を利用して、全体の生態系を守る術を確立していくべきであろう。そう考えると、やはり言葉遣いに深くこだわらずに、都合よく使っていけばいいのだろう。
ところで、最近は「里山イニシアティブ」とか聞くが、その中で国際化を意図してSATOYAMAと書くことがある。SATOYAMAの中には、TOYAMAがある。SA-TOYAMA、、、だれかこれで語呂合わせやキャッチコピーを考えてもらいたい。それを山崎研の新若者達の第3の宿題としよう。
では、私は明日から札幌へ旅立ってくる。
2011年3月6日 献杯
先ほどニュースで、お世話になっている方の訃報に接した。ニュージーランドの地震の後に所在確認がされていなかったが、亡くなられていたことが確認されたそうだ。信じたくは無いし、納得できるものでもない。その方は公職は引退されたが、研究者としてはまだまだこれまで以上にご活躍されることが当たり前と私は思っていた。特に土壌生物の研究では、比類なき知識と成果をお持ちだ。富山の研究界にとっても大きな痛手であることは言を待たない。また我々と高校とのつなぎ役を担っていただいたことも少なくないし、正直なところ、これからもまだまだお世話になろうと考えていた。なんと言っても富山県は、とても大きな方を亡くした。私は微力ではあるが、少しでもその代わりを務めることができるよう、前に進んでいきたい。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
2011年3月3日 夜の散居村
今日の御題は野外調査関連。『イタセンパラはどこに住んでいるか?』と聞かれたら、どんな答えができるだろうか?答え方は無数にある。地域名や河川名を挙げてもいいし、イタセンパラが好む環境を並べてもいい。もしこれが、一義的な解答を求める試験であるならば、このような出題は好ましくない。ただし、山崎研のディスカッションでは、学生からいろいろな答えが出るように、あえてぼやかした質問を出した。そして、今日私が伝えたかったことは、『どこに住んでいるか?』の回答を表現する際には、空間と時間のそれぞれにおけるスケールを考える必要がある、ということ。もちろん、実際に調査を行う際には、スケールに応じたデータの取り方というものが必要になってくる。この辺が伝わったならば、今日のディスカッションは成功と言っていいだろう。
さて、学会前の大きな仕事が2つ片付いた。1つは学会ポスター作り。もろもろの予定を考えると、今日中に印刷する必要があった。そこで、大急ぎで作成・直しをやった後に印刷。これと同時に、県内高校の発表ポスター原稿ファイルも届いたので、こちらもあわせて印刷。枚数が多かったため、予想よりも時間がかかったが、どうにか無事に終了。
それともうひとつの仕事は、南砺セミナー。夕方、ディスカッションや実験指導を早々に切り上げ、南砺に車で向かった。途中、上記の高校に立ち寄り、無事にポスターを届けることができた。そして、その高校からセミナー会場に向かうと次第に民家が少なくなっていった。いわゆる『散居村』だ。が、すでにすっかり日が暮れていたので、当たりは真っ暗。夜の散居村はちょっと寂しい感じがする。走行していると会場に近づいた。福野という町だ。今は合併して南砺市になっている。多少時間に余裕があったので、軽くご飯でも食べようかと思ったのだが、、、飯屋もコンビにも見当たらない。仕方が無いので、空腹を我慢しながら、講演を始めることにした。講演自体は成功だったと思う。聴衆は20名ちょっと、ほとんどの方が退職後の年代だ。地域の自然を学ぶセミナーだったようなのだが、これまで生物系はあまり無かったとのことだ。そのため、用意したスライドでどれくらい話が通じるだろうかと思っていたが、みなさん熱心に聴いてくれた。それに反応もよかった。おそらく生物を専門とした人はいなかったと思うので、いわば分野違いなのだろうが、関心をもってくれていると、話は伝わるものだ。毎回こんなセミナーだと、こちらもやる気が出てくるというものだ。そして帰り道。予報どおりに雪が降っていた。そして散居村は真っ白に。大して車も通らないので、道路も真っ白。センターラインも見えなくなっていた。恐る恐る運転してきたが、高岡に入り、射水、富山と走るに連れて、路面の雪は全く無くなった。やはり山の方は気温が低いのだろう。
さて、これで学会前の大仕事と言えば、イノシシ報告書の作成のみ。もっともこれも図表はほぼ完成し、追加実験をやっていたマイクロサテライトの解析もとりあえずは完了した。結果は割りとクリアーだった。昨年県内で取れたイノシシについて、ハプロタイプごとにHardy-Weinberg平衡の検定を行ったところ、逸脱する座が多数出てきた。一方で、東西中央の地域ごとに分けてみると、逸脱座なし。つまり、同じハプロタイプのもの同士で繁殖するのではなく、異なるハプロタイプ間であっても同じ地域の個体と繁殖することを示唆する結果だ。これで報告書が書けそうだ。さすがに今夜は自宅残業を行う気力が無いので、明日か週末に仕上げてしまおう。そうなると、多少時間のゆとりができるかもしれない。ぜひともカワヤツメ種分化論文の直しをやってしまいたい。ここまでできれば、誰にも邪魔されずに、学会を楽しむことができるだろう。もちろん遊ぶわけではなく、新しい研究アイディアとか、今後の論文まとめなどのアイディアを練ることができる。それに向けてがんばろう!
2011年3月2日 国際化!?
仮配属二日目。というよりも、新年度二日目と言いたい。今日は、御題(トピック)について、みんなでディスカッションを行った。今年取り入れようとしている研究室活動の1つだ。朝、御題を出し、夕方にそれについてみんなで意見を出し合う。かつ、私が伝えたい、教えたいことを話す。もちろん、学生からの意見も積極的に出してもらう。
そして実施したところ、そこには私が求めていた1つの形が成り立った。昨年は早々にあきらめざるをえなかった『研究』に取り組む姿勢である。これにはTSさんの存在が大きい。日本語と英語との間で、十分に情報交換ができていないことは否めないが、それ自体も1つの過程として、価値あるものといっていいだろう。『国際化』というと大げさだが、山崎研は確実に新たな一面を獲得することができたことには違いない。
この『御題』は、まずは新4年生の卒論テーマあるいは合同研究の数だけ、何回か行いたい。あるいは氷見の施設利用の開始においても、似たようなことをやりたいと考えている。もちろんその後も、時々実施する。そもそもが、卒論まとめにおいて、今の時期に教えていることをしっかりと活用してもらうことを一番の目的としているので、繰り返し実施することが必要だ。昨年に限ったことではないが、『あの時教えたので、卒論まとめのときまで覚えているはず』という期待は、やってはならないことだということを実感している。そのため、『出し惜しみはしない(答えあわせを先送りしない)』、『繰り返しが大切』という基本方針で、今年はやっていきたい。
ところで、『昨年』の卒論生へ。金曜日までに卒論完成稿を提出すること。最後は自己責任で、文章を仕上げてもらいたい。その文章はずっと残ることになるだろう。どのような文章を残すかは、各自がこの一年をどのように過ごしてきたかに反映されるかもしれない。だから新4年生も、この辺の状況を今から自覚しておいてもらいたい。ただし、卒論を書くとき(ずっと先)のことではなく、『今』からの積み重ねが大切であることだけは、繰り返し言っておきたい。
2011年3月1日 仮配属
今日の10時に、予定通り4名の仮配属生が集合した。実質的に今日から新年度が始まった。早速ミーティングを開き、まずは研究室心得をトクトクと説明。昼休みをはさんで、研究室の『お仕事』の説明をして、当面時間の空いたときにやってもらうことにした。そしてその後は、卒論テーマの話し合い。まずは希望を聞いていった。それとなくまとまったものもあれば、現実的ではないものもあったようだ。いずれにしてもその場で伝えたように、研究の背景、全体像、そして発展性を考えることを次のステップにしたい。卒論テーマに関する話し合いを次にいつ行うかは未定だが、常に考えておいてもらいたい。それからもうひとつ重要なことは、『みんなが興味をもってくれる研究』を目指してもらいたい。
そのように考えると、つまらない、、、
いやいや、卒論テーマのことではなく、私の学会ポスターの話。今日は時間の合間に、まずは南砺市セミナーの準備を行った。昨夜のがんばりもあり、完成。配布資料用のファイルを作って主催者に送付。これで一仕事完了。続いて昼ころに同じく生態学会で発表を行う県内高校の先生からポスター確認の依頼があった。お互いに時間がないので、手早く読んで、要点をまとめて返事を出した。これまでに数年にわたってお手伝いしているが、今日はじめて全体像をつかむことができた。そして『案外、しっかりしている研究』というのが率直な印象だ。とある有名淡水魚のマイクロサテライト解析なのだが、サンプル集めが上手い。集団間の比較のためにしっかりとサンプルを集めている。これならば、ちょこっと座数を増やせば、『あの辺』の雑誌には載るのではないだろうか。
そんなこんなで、昼過ぎになって、いよいよ自分の生態学会用ポスター作りを開始。ギリギリではない、まだ十分時間がある。そしてデータなどは既にまとまっているので、Hさん(今回の発表者の一人でもある)の卒論プレゼンを大いに参考にしながら、ポスター作りを進めた。そして、やはり『慣れ』だけはあるのだろうか、2時間くらいで6割方完成した。善い善い、、、と言いたいところなのだが、『つまらない』。それこそ、なぜこの研究をやったのか、この研究によって周囲にどのような情報を提供できるのか、この研究のどこに面白みがあるのか、その辺のところが全くと言っていいほど、感じられないポスターに仕上がってしまった。さすがにこれではいけない、と道すがら打開策を考えながら帰宅。そして今夜の残業で多少の改善を施した。が、まだまだ。明後日に予定しているポスター印刷まで、もう少し考えをまとめていこう。
ちなみに、明日の調査は中止。やるべきことの優先順位と、やりたいことと天気の関係などを勘案して中止とした。くれぐれも、『雪だから』という理由だけで中止にしたのではないことは間違えないでおいてもらいたい。行くときは雪でも関係なく行く。それと個人的には、体づくりは万全だ。ここ1週間というもの、夜な夜な残業前にエクササイズDVDで体を動かしている。それを考えると?調査にいけないのは残念だが、その分明日も時間を有効に使おう。
2011年3月24日 西へ東へ
今年は忙しくなりそうだ.というよりも,例年以上に活発に県内を飛び回ることになりそうだ.
これまでも書いてきたように,氷見における小学校跡地利用とそれに伴う周辺調査は決まっている.ここで行う主な仕事といえば,イタセンパラ関連や魚類生息状況調査,そして一応ヤツメ研究も含まれる.一方,昨今の山崎研には,もうひとつ重要なテーマがある.そう,イノシシだ.
今日の午後は,富山県のイノシシ対策ワーキンググループの会合に出席した.県から依頼された研究の成果を発表し,関係各部署と意見交換をする機会だ.その中で痛感したことは,『我々は現場を知らない』ということだ.確かに,イノシシのDNA研究はここ数年続けている.ただ,それはあくまでも県から届けられたサンプル(肉片)の遺伝子を調べるだけのものだ.これまでイノシシ関連で野外調査に出たことは,皆無と言っていい.そしていざ今日のような会合にでると,もちろん遺伝子情報などの基礎的な知見の蓄積は必要ではあるのだが,そのことがイノシシの被害防除に具体的にどのように貢献するのか?と聞かれたときに,説得力ある回答ができないときがある.もちろん,基礎研究の重要性をアピールして開き直ることはできるのだが,開き直りで終わっては,山崎研の存在価値がなくなるというものだ.
このような状況は以前からわからなかったわけではないので,これまでも県にお願いして,野外調査の際に声をかけてもらうことにしていた.しかし,いまだ実現されていない.そのような中,今日の会合において,県東部の朝日町の担当者が,イノシシ対策への積極的な取り組みを紹介しており,結果として被害額の大幅な削減に成功していた.そして会合後にその方と話す機会があったのだが,こちらの実情を正直に話したところ,現地案内を快く引き受けてくれた.
と言うことで,近いうち,と言っても渡米と学生実験が落ち着く5月以降になるだろうが,イノシシの野外調査,とまではいかないが,野外視察を実施することになりそうだ.幸いにして,今年の若者の中には,院進学を目指し,卒論でイノシシを担当する学生のS君がいる.彼の研究の発展のためには,野外での活動が欠かせない.まず目指すは,野外での『落し物』拾いだ.その第一歩として,朝日町へ向かいたい.
でもこう考えると,今年は氷見と朝日という,県の西端・東端をフィールドにすることになりそうだ.ま~,できるところまでやってみよう.ちなみに明日は,西端で野外調査の予定.
2011年3月22日 氷見調査(下見)
今日は朝から氷見の仏生寺川水系へ下見にいってきた.本格調査は金曜日からだが,まずは全体像をつかむ目的だ.そしていざ現地入りしてみると,予想以上に仏生寺小学校前の川がいい状態だった.もちろん今時の川なので,両岸護岸は避けられないのだが,礫底があったり,砂泥のたまりがあったり,ヤツメウナギの生息や繁殖にも適していそうだ.今年はできないが,来年あたりは卒論で生態をやってもいいかも.
一方で,野外調査以外の仕事も溜まっている.カワ種分化論文は目処がついてきたとして,あと1ヶ月に迫ったヤツメ国際フォーラムの準備にようやく取り掛かったところだ.と言っても生態学会のときにまとめておいたお話のアイディアをテキスト入力しただけ.当面は自宅残業で資料集めとスライド作りをやっていこう.ただ,4月に入るとあっという間に時間が流れることは目に見えているので,3月中に大まかな構成ができるようにしておきたい.それから教務関連の最後の仕事も残っている.今日の夕方に久々カリキュラムと向き合ったのだが,全く頭に入ってこなかった.明日も続けなければ...
そう考えると,若者達の研究計画も渡米前にどこまで練れるか微妙だ.でも少しずつでも確実に,進めていきたい.
ちなみに,木曜日の午前中はTSさんのナマコを魚津水族館まで受け取りに行く予定.その後,計測があるので,若者には極力手伝ってもらいたい.私は午後は学外会議でいなくなるけど.
2011年3月19日 氷見施設利用
昨日、氷見市から正式発表されたので、このブログでも公にしたい。これまでも氷見市の施設利用が4月から始まると書いてきたが、その詳細は、この年度末に閉校となる仏生寺小学校の施設を、氷見市と共同利用させていただくことになったというものだ。もちろん我々の目的は研究拠点として活用させていただくことにある。今更言うまでも無く、山崎研はイタセンパラや淡水魚の生息地選好性、そしてヨコエビの繁殖生態など、これまでも氷見をフィールドとした研究を多く展開してきた。特に最近は、氷見市のNさんがメンバーに加わってくれたこともあり、その活動はますます盛んになっている。そのような中で、今回の施設利用の話は、我々にとって願ってもないことと言っていい。野外調査の拠点として、イタセンパラ実験飼育の場として、あるいは学生実習や各種セミナーの場として、活用していきたい。
それと同時に、もっと多くの研究者にも活用してもらいたいと思っている。もちろん氷見市と山崎研だけとの連携ではなく、富山大学理学部との連携だ。よって理学部ならばすぐにでも活用が可能だ。あるいは、学外であっても、例えば山崎研に所属、あるいはしっかりとした共同研究として、氷見施設を活用させていただくことができるのではないかと考えている。氷見は自然が豊かだ。それもただ豊かなだけではなく、その自然と人間とが一緒に生活している。これらを踏まえた研究の可能性はいくらでもあると思う。
ただ忘れてはならないことは、ここで行われる活動は、もちろん研究であること。しっかりと研究を遂行し、その成果を学会発表、セミナー開催、そして論文発表という形で公表することが必要だ。それと同時に、常に地元を見ること。研究の成果を地元へも還元することが必要である。還元というと大げさであったり、漠然としていたりするが、要するに地域の活性化に資することを考えながら活動することだ。このような活動には、市民向けのセミナーや体験学習の開催などがある。ただそれだけではなく、日々の活動を地域の人の目に見える形で行うことも意義があると思う。
月末の調印式の前後から、我々も本格的に始動していきたい。やりたいこと、アイディアは盛りだくさんだ。それらを1つ1つ実現させながら、地域にもそして我々にもメリットがある活動にしていきたい。興味をもたれた方は、是非ご一報を。
最後に別件。山崎研の親睦会を明日予定通り開催します。追加のお願いなどを裏ブログに書いてあるので、よろしく。
2011年3月17日 知恵熱が出そう
さすがに仕事が溜まってきたので、今日は朝一で学生に『自習』を指示して、私は自分の仕事に取り掛かった。内容はもっぱらカワヤツメ種分化論文直し。結論から言うと、先ほどまでの自宅残業を含めて、どうにか形になった。が、かなり妥協がある。いや、妥協というのは正確ではない。「こんなことがいえるはず」とか、「こんなことを言いたい」とかをすべて削除する方向で原稿が落ち着いた。ま~、当たり前の話ではある。レフェリーからの指摘によるものだが、そもそも論文には著者の思い込みや願望とも言える一方的な内容は書くべきではない。だが、自分で原稿を書いていると、ついつい『これも書きたい』、『こんなことも言えるのでは』という内容が含まれてしまう。そのような場合、往々にして(ほぼすべて)レフェリーの言うとおり、客観的な立場でみると、論文に書くべきではない内容だ。
これは昔からかわっていない。昔からいくつかの論文を書いているが、そのたびに自分の言いたいことを抑えてきた(抑えられてきた)と思う。もちろん繰り返すが、内容を考えると、これが本来あるべき姿なのだが。そして、その言いたいことは、次の論文として、新たなデータ等を加えることにより、実証していく、あるいは実証を目指すわけなのだが、目先の論文を書いているときにはついつい話が大きくなってしまう。結局のところ、いつになってもこの辺は改善されていないと実感せざるを得ない。ま~、これからもこんな感じだろうし、もちろん、学術論文あるいは学術研究である以上は、極力主観は捨てなければならない。でもそれはそれとして、『主観』は往々にして、日々の研究の原動力ともなる。『主観』というと誤解を招くかもしれないが、自分が興味をもったことを、時には誇張してでも研究を進めるというやりかたがあってもいいだろう。でもそうなると、論文となるときには、まだまだ自分の言いたいことすべてが含まれるということには程遠いかもしれない。が、これからも研究を続け、論文を書き続けることを考えると、今の段階で、変に完成したり、方にはまったりする方が、面白くないのかもしれない。いつまでも『現役』でたいものだ。
2011年3月16日 泥さらいからDNAまで!
まさにこの言葉が当てはまる一日だった。
午前中は新4年生と共に、昨日の続きとして、魚類のDNA抽出を行った。人数が多く2組に分けたため、ほぼ午前中いっぱいかかってしまった。それでも概ね順調に終わったようだ。
午後はPCRという選択肢もあったが、若者達の希望に従い、野外調査(泥さらい)へ。と言っても外出というほどのことはせずに、キャンパス内を流れていると言ってもいい古川で調査を行った。この川は、五福キャンパスの分断するように流れており、周囲の雑水やゴミが混ざって、決してきれいな川というわけではない。が、以外にも魚種数が多いのだ。さすがに今日は寒かったし、タモ網だけだったし、採集初心者が多かったためもあり、捕獲・確認されたのは、カワヤツメ、カマツカ、コイ、シマドジョウ、トウヨシノボリ、モクズガ二などなど。数年前の調査ではナマズも採れたのだが、今日は採れなかった。とはいえ、県版RDBに掲載されている種も含まれており、立派な希少種調査となった。
さて、自分の仕事はと言えば、ほとんど進んでいない。学生の面倒見で忙しいのもさることながら、今ひとつやる気が湧かない。目先の大仕事として、カワヤツメ種分化論文を早急に直さなければならないのだが、今日ようやくレフェリーコメントへの対応策を練ることができ、一部の原稿を直し始めた。他にもいろいろと仕事はあるのだが、これが終わらないと落ち着けない。明日もできる限り集中して取り組んで生きたい。で、その「いろいろ」の最たるものがヤツメフォーラムだ。後1ヶ月。雑多な構成は、生態学会中にまとめたのだが、それ以外は全く手付かずだ。目標は、今月中にスライドと原稿を大方完成させること。だが、今月末からは、氷見市の施設利用という楽しみが始まる。いずれにおいても自分のやりたい仕事であるのは幸いだ。そろそろ本腰入れて、取り組んでいこう。
2011年3月15日 卒論テーマほぼ決定!
今日、ようやく卒論テーマに関するミーティングを開くことができた。これまでも各自に自分が卒論でやりたいことを考えておいてもらい、レポートしてもらったし、こちらとしてもそれなりの形まで練っておいたので、わりとすんなりとテーマ決めが進んだ。詳細は、おいおい公表していきたい。もちろん、内緒な部分もあるが。ただ、テーマが決まったと言っても、詳細はまだまだ学生に考えてもらいたい。特に、大きな視点で見たときの自分の卒論の位置づけが必要だ。テーマが具体化した分、考える対象もある程度は現実的になってきたと思うので、しっかりと自分の卒論の意義、重要性、そして他人がみてもわかる面白さを考えてもらいたい。
明日は、今夕はじめたDNA抽出の続きを午前中に行い、午後は天気などの様子をみながら、状況が整えば古川調査を行いたい。案外に種多様性の高い川だ。希少種もいくつかいる。いや、今もいるかもしれない。ということで、立派なRDB調査にもなるので、野外練習にはもってこいだ。
それはそうと、一緒に生態学会で発表した県内高校の「魚」DNAに関する発表が、高校生ポスター最優秀賞を受賞したそうだ。目出度い!今朝の北日本新聞にも結構大きく載っていた。山崎研の名前はでていなかったが、縁の下の力持ちって感じで十分だろう。ただ今回の件は、高校側、特に顧問の先生がとても熱心に活動された賜物と言えるだろう。だから私も協力した。これが、高大連携だから、という理由だけで協力要請があっても、ここまでの形にはならなかったであろう。今後も高校等の活動にも協力していきたいが、高校側の積極性にも大いに期待したいところだ。
2011年3月14日 今できること、やるべきこと
地震の被害は甚大だ。研究関連の知人の中にも重大な影響を受けていると考えられる方々が何名かいる。今はそれを確認するすべもない。この状況をすべて忘れ去ることは、当然ながらできない。しかしその一方で、我々には目の前の現実があり、そして将来がある。ということで、このブログでも、今後は強いてこれまで通りに振舞って行きたい。
さて、今日は生態学会後のいわゆるリハビリを行った。さすがに一週間近く留守にすると、仕事のメールが山積みだ。もちろん学会中に得た情報などもある。今日はこれらの対応やまとめに追われた。というのも、特に学会で得た新たな情報の大半は、新卒論生の卒論テーマを煮詰める上で重要なものだ。アイディアを沢山もらってきた。まずは明日、ミーティングをやろう。できれば全員の方向性を決めたい。しかし、詳細はまだまだ各自で考えてもらいたい。もちろん『考える』という行為は卒業するまで続けてもらいたいが、特に今の時期は、頭を動かすときだろう。どのような方向で動かすかは、明日みんなで話し合いたい。
それはさておき、学会が終われば、予定表の上では時間が十分にできるはずだった。が、いまだにやること盛りだくさん。そして終わる気配がない。今の(自分の仕事での)大きな懸案は2つ。カワヤツメ種分化論文直しと4月の国際フォーラム発表だ。カワについては、おそらく1日集中する時間があれば、対応策が練れるだろう。国際フォーラムについても学会中に概ねの話を列挙したので、あとはそれらをまとめていくだけだ。が、、、これができない。できそうにない。う~む、こういう時は、じたばたするしかない。と言うことで、今日の夕方から実験再開。イタセンパラMSの310RUNだ。が、、、ここでも思わぬ難題発生。冷蔵庫に入っていたPCR産物が無くなっている。どうやら担当の旧卒論生Sさんが、片付けたようだ。確かに学会前に旧卒論生にはいくつか指示を出し、その中に『PCR産物はユニパックに入れて冷凍すること』という指示を出していた。が、実験途中のものをまとめるとは思わなかった。当然ながら今後実験(310RUN)をする必要があり、私がそれをやることを伝えておいたはずである。その状況下で、確認や伺いも立てずに文字通りの対応しかできないとは。その対応がどのような影響をもたらすかを考えることができなかったのだろうか。状況次第では、明日にでも新卒論生に現状復帰(PCR産物の並べ直し)をやってもらうことになるかもしれない。本来ならば必要のない仕事だ。研究室に多大な損害(一番貴重な時間に対する損害)をもたらしたと言えなくも無い。ま~、今更そういう学生に対してどうこう言っても仕方がない。そういう学生を十分に指導できなかった点は私の不徳のいたすところだということで、済ませよう。きれいさっぱり過去は忘れて、今の学生のがんばりに期待したい。
2011年3月12日 一日送れで帰還
生態学会から戻ってきた。当初は昨夜帰富する予定だったのだが、地震の関係でフライトがキャンセルになってしまった。
そもそもゆれを感じたのが、千歳空港でお土産を買っていた時。レジのおばちゃんと顔を見合わせるくらいのゆれではあったが、山積みされた商品が落ちるようなことはなかった。そのため、現場では大して気にも留めずに買い物を継続。直後から館内放送で東北各地に向かうフライトの欠航が連絡されていたのだが、最初は深く考えなかった。しかし、館内のテレビで地震の大きさを知り、また羽田行きのフライトにも影響が出る旨がアナウンスされるようになると、だんだん事態の重大さがわかってきた。そして一通りの買い物と、早めの夕食をとったころには、自分が乗るフライトのキャンセルもアナウンスされていた。
ちなみに、本来ならば千歳から富山への直行便に乗ればいいのだが、ポスター発表終了後の移動のため、羽田経由で富山に戻る予定になっていた。そのため、羽田行きがキャンセルになると、そのあとの予定も大きく変わる。仕方が無いので、フライト変更をしようとカウンターに向かうと、既に長蛇の列が。。。。。仕方が無いが並ぶしかない。そうしているうちに、小松行きなども含めてすべてのフライトのキャンセルが知らされ、札幌もう一泊が事実上決定。翌日のフライト予約を目的として並ぶことになってしまった。結局、翌日の富山直行便に空きが合ったので、これに予約変更。やれやれ、と思った時には20時になっていた。実に3時間30分ならんだことになる。この間、携帯もメールも通じず、どこへも連絡が取れなかった。
その後は、たまたま居合わせた知人から、札幌のホテルの空き状況を聞き、公衆電話から電話して部屋の確保に成功。ホテルではむくんだ足を伸ばしながら、テレビで事態の大きさを実感。簡単には感想がでないくらいの状況だ。当該地域には研究関連の知人も沢山いる。安否が気になるところだ。何はともあれ、全員無事であってほしい。
そして今日、予定よりも1時間遅れたが、無事に富山に到着。大学には月曜日から出る予定だ。
2011年3月25日 上流へ
予定通り,朝から仏生寺川の調査に入った.目的は,仏生寺小学校の前を流れる川を知ること,そして,新卒論生T君の調査地下見だ.彼の卒論では,大きいスケールにおける魚類の出現決定要因を探ることを主目的にするのだが,そのために最適な空間区分を決めるために,河川内にある構造物,特に堰堤などの横断構造物を探ることが目的だ.もちろんダムのような大きな構造物や大きい堰堤などは地形図にも記載されている場合もあるが,小さい堰堤などは実際に現地を歩いて,確認していく必要がある.と言うわけで,今日は上流に向かってひたすら歩き,そして要所要所で魚類採集を行った.結果的には,夕方に雷雨に見舞われてしまったために,目的としていた区間のすべてをみることはできなかったが,かなり有益な情報を得ることができたと思う.
それと同時に,こんなに川の中を歩いたのは久しぶりだ.海外調査に行ったりすると,道なき道をひたすら歩くことがある.一方で,最近の調査は,川岸まで車で行き,ちょこっと川に入って魚を採ることが多い.今回のような調査は,川本来の姿を見るのに有益だし,そして何よりも,久しぶりに自然の中に入った感じがして,とても楽しいものだった.それに予想以上に上流でヤツメも採れたし.
この手の調査は,今後まだまだ続く.仏生寺川水系だけでも,いくつかの大き目の支流があるので,それらすべてを踏破したい.そうすれば,かなりしっかりとしたデータが得られるだろう.もっとも,研究室に戻ってからのデータ処理も重要だ.特に今回の卒論では,GISを使いたい.いろいろ勉強しながら,取り組んでいこう.
でもその前に,ゆっくりとした休息が必要だ.明日は筋肉痛に悩まされそうだ.
2011年3月31日 花粉症
今更ながら,私は花粉症だ.今年はひどい.特に野外調査に行った日は,夜もつらい.くすりもほとんど効いていないようだ.今日も氷見で野外調査を行った.そしてたっぷりと花粉を吸い込んでしまったようだ.今更ながら,世間の目など気にせずに,潜水用のゴーグルをつければよかったと思っている.
さて,その調査だが,前回の続きとして,仏生寺川の上流部をまず攻めた.この川には予想したとおり,自然状態の上流が残されている.しかし,堰堤で区切られているため,区間,特に上流区間においては,魚がいない場所があった.そして最上流部,といっても山間の集落を流れるあたりは3面コンクリ(大き目のU字溝)になっており,そのまま川は途切れてしまっていた.何はともあれ,川の状況がつかめた.重要なことだ.その後にも時間があったので,小学校の目の前を調査したのだが,上流部に比べて魚類が豊富であった.明日みんなに種判別してもらおう.当然ながら,これくらいの魚は一目見た明けで識別できなければならない.早めに覚えてもらいたいところだ.
さてさて,なんだかんだで,毎日のように仏生寺小学校を利用させてもらっているが,いよいよ明日4月1日から本格使用になる.少しずつ使いやすいようにしていこう.そして卒論に限らず,なるべく論文になるような仕事をやっていきたい.さまざまな形でのアピールが重要だ!
2011年3月30日 メンチカツ!
スナヤツメ河川内分散論文を返送した.午前中は原稿確認を行い,結構集中して取り組むことができた.いつもながら,自分の中では満足なのだが,,,何はともあれ,恒例の『カツ!』をお昼にいただいた.本当はトンカツが食べたかったのだが,ま~カツサンドよりはましだろう.
さて,本日の大仕事と言えば,仏生寺小学校利用に関する調印式.午後に氷見市役所で行われた.大学側からはY理学部長がメインなのだが,私も列席した.その後,小学校に移動して,看板をかけた.そしてテレビ・新聞の取材をいくつか受けた.さっそく今日の夕方に放送されていたようだ.今後は,実際の活動でアピールしていきたい.そして早速だが,明日も現地調査だ.
2011年3月29日 いつもながらのタイミング
昨日の書き込みで,カワヤツメ種分化論文の改訂稿を返送したことを書いた.このとき,頭の片隅では,次の論文が戻って来るのではないか,と何気なく考えていたのだが,今日,本当に戻ってきた.同時進行中のスナヤツメ河川内分散の論文だ.いつもながら,タイミングが善過ぎる.Journalが別なので,よもやタイミングを見計らうようなことはしていないだろう.全くの偶然だろうか.これまで両方の論文とも数回ずつやりとりしているのだが,重なることはほとんどないが,間髪いれずに次のが来た.となると,この論文を返送した後には,TSさんの投稿論文が戻ってくるのだろうか?それはそうと,このスナヤツメ論文だが,『これを直したらアクセプト!』というところまで来た.ただし,明日中に返送しろとのこと.ということで,今夜の自宅残業はこれに決まりだ.だが,いざはじめてみると,英語の直しだけのはずなのだが,段落全体の改訂を求められていたりするので,あんがい時間を要した.一応の文案はできたので,明日見直して返送しよう.
さて,このメールを受け取ったのは夕方.それまでは予定通りに氷見の仏生寺小学校に行ってきた.Nさんも含めて,水槽運びなどを行った.だが,いざはじめてみると,足りないものだらけ.早めに準備と現地調査をしていこう.そして明日の午後は調印式だ.結構な偉い方々に混ざって,私も末席を汚す予定.ひとつひとつ段階を踏んでいる.4月1日からは,思いっきり活用していこう.もちろん調査や実験も楽しみだが,地元の方々との交流も楽しみにしている.新しい町に引越しをするみたいで,ワクワクしている.惜しむらくは時間が無い.講義も始まる,渡米の準備も必要.だが,できる限り時間を作って,氷見生活を楽しみたい.
2011年3月28日 一応『カツ』
大詰めを迎えたと思しき状況のこともあり,イマイチ盛り上がりを欠いているのだが,今朝,カワヤツメ種分化論文の改訂稿をJFBに返送した.これで丸く収まってもらいたいところだ.ということで,昼飯は恒例の『カツ』を食べようと,コンビニへ.が,,,無い.いつもならばカツ丼弁当などがあるのだが,時間が遅かったせいか売れてしまったようだ.でもどうしてもカツが食べたかったので,苦渋の選択として『海老カツサンド』なるものを購入.一応『カツ』には違いないだろう.
その後の仕事と言えば,ヤツメフォーラムの準備.主に資料集めに勤しんだ.そして集めた資料をつぎはぎしながら,スライドを作る作業を自宅残業で進めた.進捗状況はまずまず,と言いたいところだが,,,もっと集中して取り組む必要がありそうだ.実は,今日の昼間には,この準備にもっと時間を割けると思っていたのだが,教務関連のややこしい仕事が2つも入ってしまった.う~む,今時はいろんな学生がいるものだ.もちろん,できる限り学生の利益になるように取り計らいたいところだが,場合によっては不公平が生じることもありえる.慎重な対応が必要だ.ということで,明日への持ち越し仕事ができてしまった.でも,明日は予定通りに氷見へ行きたい.
ここで氷見のNさんへ連絡:『明日は,お弁当持参で,11時過ぎころに小学校着の予定です.野外調査はしないで,もっぱらセッティングの予定』
さて,今日はもうひとつお仕事があった.とある雑誌の取材を受けたのだ.全国区の雑誌だ.なんでも富山大学としての特集を組み,その中に我が山崎研の紹介が載るのだ.私の話はたどたどしかったが,きっと上手くまとめてくれるだろう.5月ころ刊行とのこと.今から楽しみだ.
2011年3月26日 休息中
今日はゆっくりと自宅で過ごしている.昨日の疲れをとるには丁度いい.もっとも筋肉痛は未だ感じていない.若いころは翌日には筋肉痛になっていたのだが,やはり年をとると筋肉痛になるまでの時間を要するのだろうか.ただ体は疲れているようで,昨夜はブログを書き込み,多少の自宅残業をやっている時に,まだ12時だというのにものすごい睡魔に襲われた.
さて,今日も時間を見てはお仕事をやっている.今の仕事はもっぱらヤツメフォーラムのプレゼン作成.今日の午前中には,日本人とヤツメとのかかわりについて,紹介できそうな情報をネットで検索してみた.当然ながら根拠資料が必要になるので,文献として残っているものを探したところ,江戸時代に発表された「救民妙薬」と「和漢三才図会」に行き着いた.さらに後者については,国立国会図書館に電子データとして収納されており,肝心のヤツメウナギに関する記述のページも読むことができた.フォーーラムでは,ぜひとも紹介したい.ただ,漢文で書かれているので,文字をおうことはできるのだが,意味をすべて解読することは困難だ.特に利用方法などについて読み取れるといいのだが.
さて,今月も残すは1週間だ.フォーラム準備のペースを上げていかなければならないのと同時に,仏生寺小学校跡地利用がいよいよ始まる.実験・研究施設として,立ち上げていきたい.ただそれと同時に,現在の日本の状況を考えると,さらなる活用法もあるのではないかと考えることがある.すなわち,先の地震で被害にあわれた研究者やその後の計画停電等により不自由をしている研究者,あるいは学生・院生さんに活動の場を提供することができるかもしれない.もちろん独断で闇雲に受け入れることはしない.共同研究として,あるいはその延長として,私が責任をもてる状況であれば,前向きに行動したいと考えている.地元からも概ね前向きな回答をいただいている.細かい点はいろいろあるだろうが,興味がある方はご連絡いただきたい.