あいつの住むマンションは、海が見える高層マンションだった。
駅をおりて、人ごみの中を歩く。今日はクリスマスイブだった。人ごみのほとんどが若い恋人達でいずれも腕を組んだり、お互いしか目に入らないというふうに相手の顔を見ながら美しい笑顔をうかべていたり、つまり幸せで一杯というのを表現しているかのようだった。
今は午後3時。俺は足早に繁華街を抜け、マンションのエントランスをくぐる。セキュリティドアを抜けると、中庭に入る。中にはには意匠を凝らした樹木があ り、これが夜になるとライトアップされるのだ。一番奥のエレベーターで最上階を目指す。このエレベーターは一番高層の住人専用だった。共有費も一番高いの かな?などと庶民的なことを思う。
ついた。ここにもちょっとした中庭があり、今の時期はポインセチアとシクラメン、そして赤いリボンで装飾された小さなもみの木が配置されている。カードキーを出して、ドアをあけると、世界はピアノの音に包まれた。完全防音の作りとなっているため、外には一切音がもれない。
今は指慣らしをしているらしく、波のうねりのような音が低いところから高いところへ、また低いところへと連続して響いている。リビングに向かう。かばんを 置き、上着を脱ぎ、ネクタイをはずし、カフスをはずし、靴下も脱いでしまう。続きの部屋に大きなグランドピアノがあり、響板に青い空が映りこんでいた。 「ただいま 春水」声をかける。このピアノの音では聞こえないかもしれない。と思ったら、こちらの方をちらりと見てうなずいてくれた。でも練習は休まな い。
キッチンに行き、お湯を沸かし始める。カップを二つとティーポットを暖める。ティーポットにお湯を注ぎ、ティーコージーをかぶせる。そこで メモが置いて あることに気づいた。「ケーキ あります 冷蔵庫」俺はにんまりする。いそいそと冷蔵庫をあけると、白いボーンチャイナの皿にちんまり載ったケーキが俺の 目の高さの段においてあった。
ティーポットとケーキの皿を持ってまたリビングに戻る。
ケーキを食べ始める。ラムレーズンのクラッシュが入った生クリームをほろ苦いチョコレートの生地でサンドしたタルトだった。上には種を抜いたぶどうと糸の ように細工されたチョコレートが載っている。口の中に上品な甘さが広がった。嬉しくて顔がほころぶのが自分でもわかった。紅茶を飲む。しっかりとした滋味 が美味しい。
ここで暮らし始めた当初、カップにティーバックをいれ熱湯を注いだ僕の紅茶の作り方を見て、春水はびっくりしていたようだ。その後、「こうしたほうが 美 味しいと思うけど」とまず、カップとティーポットをあたためてから、茶葉を入れて熱湯を注ぎ、ティーコージをかけて蒸らしあげ、注いでくれた。 ひと手間 かけた紅茶を飲んだ時 びっくりした。同じティーバックとは思えなかった。
ピアノの音は練習から曲に移っていた。ドビュッシーらしい。近々、バイオリンとピアノをメインとしたコンサートがある。ふと、音が途切れた。春水が歩いて くる。視線で春水の分のカップを示す。「ありがとう」。一口飲んでまたピアノに戻る。俺の好きな声だった。頬が熱くなる。
ピアノの前から声をかけてきた。「美味しいな 紅茶の淹れ方 うまくなったよねぇ。お礼に一曲弾くけど」「バッハ」「了解。」ケーキを食べ終わり、ラック から画集を出してきて、ソファの上に転がって見はじめる。画家なのにアジアの各地で遺跡や文化財の保護を呼びかけたり、実際に資金を集めたりしていた非常 に行動的な人だった。なのに描く絵は繊細で 俺は砂漠を歩く駱駝の絵が好きだった。
近年はテロ組織にねらわれてしまった仏像遺跡の保護に力を入れていた。なぜ、宗教が違うことを理由に戦争が起きるのだろう。この国ではクリスマスはデート したり、プレゼントしたり、美味しいものを食べたりがメインとなっていて、一夜あけると、本当に笑ってしまうぐらい見事にお正月の雰囲気と琴の調べがあふ れ出す。
八百万の神々がいるくらいだから、かの 神の子もその一人として受け入れられているのかもしれない。神道と仏教が境界をあいまいにして暮らしに溶け込んでいる。近年そこに華やかな行事のためにキリスト教がメジャーになってきただけだ。
神の子は人々のために、奇跡を行い、十字架の上で死んで復活した。別の見方もあるらしい。奇跡は後付けされたもの。何のために?
宗教が組織となった時、戦争が起こる一因になってしまうのは残念ながら昔からの真実だ。自分のクラスの子供達の顔がうかぶ。みんな 幸せに大きくなってほ しい。幸せはモノを沢山手に入れるのではなく、きれいなもの、大切な人の喜ぶ姿を見ることで心に沸きあがるもの。というのを知ってほしい。
自分のクラスの子供達。俺は数ヶ月前から幼稚園で働き始めた。
きっかけは、俺が繁華街で昼キャバのちらし配りをしていた時、「キミ?」っというびっくりした声を聞いたとき。たまたま春水が通りがかって俺に気づいたの だ。大学の同級生だった。俺が「きよ 京楽?」と返したとき、春水は思いっきり微笑んだ。「見つけた。ねえ、今の稼ぎじゃ、学校つくれないよ。見たとこ ろ、年収200万そこそこでしょ。同居しようよ。」
春水は俺の卒業時の望みを知っていた「びら配りではキミの幼稚園作れないでしょ。僕を利用しなさいよ。」あまりにうさんくさかった。「お前のメリット は?」「キミと一緒にいたい。」「はあ?」「それだけだけど?」「じゃ、俺の恋人はどうする気だよ」「いるの?」「今はいない」互いに大笑いした。
一緒に暮らし始めたてしばらくした夜、春水は言った「ねえ、宗教学の授業 覚えてる?」「覚えていない。」一部の信者を兼ねている生徒がたまにノートをとる程度の授業だった。代返率は一番高かったのじゃないだろうか。
「あのね、神は試練を与えたもうけど、与えられた人が耐えられる分だけしか与えないんだ。あとね、堂々巡りとかぐるぐる曲がりくねった道に見えるだろうけど、試練を超えてふりかえると、その人の通ってきた道は実はその人のための最短経路なんだ」
「なんだ それ?」俺は混乱した。春水は言った「つまりさ、神はその人が耐えられるだけの試練をお与えになる。一件無駄なようでもそれは必要なことだ」ってこと。
ふうん。そのころ俺は自信を失いイライラしていた。春水のすすめで幼稚園の教師を始めてから、保護者の言葉で少しずつ気持ちがほぐれていった。「遅くまで ありがとうございました」「先生方もご家庭があるんですよね」「働いていると、夫の実家からいろいろ言われるんです。でも先生方が「それでいいのよ。あな た大変よね」とお会いできるたびにおっしゃってくださるだけで。。。」
俺は役にたてているのかなと 自負が少し沸きあがる。そんな日々を想いおこしながら、美しいピアノの音の中、うとうととまどろんでいると、軽い毛布がかけられ、額に暖かいキスが落とされた。
おしまい。
27.12.09