雨乾堂の押入れの奥には、誰も知らない柳行李がある。
家族にも一番の親友の京楽にさえも見せたことの無いその行李の中には、俺の想いが隠されている。
Everlasting Flowers
京楽と出会って最初のあいつの誕生日は、特に何もしないで過ぎてしまった。特別親しかったわけでもなかったし、その頃は単なる級友としての認識しかなかったから、あいつの誕生日を祝う理由なんて無かったのだ。
だから、その日はいつもより多く女子生徒から呼び出しを受けているなあ、なんてことを思いながらあいつのことを遠巻きに眺めていただけだった。
それから少しして所謂親友と呼べる仲になって、あいつの誕生日を祝えなかったことを悔やんだ。
だってあいつはどうやって調べたのかしっかり俺の誕生日を把握していて、その日の朝誰よりも早く寮の俺の部屋に苺大福を携えてやってきたのだ。
期間限定のその大福は、ずっと前から食べたいと思っていたけれど俺には少し高価だったから諦めていたはずのものだった。
どうして俺の欲しいものがわかったんだと尋ねたら、君の好きそうなものは何となくわかるんだとあいつは笑うだけだった。
俺ばっかりもらってはいけないと思い、京楽に来年の誕生日には何が欲しいと聞いてみた。
するとあいつは一瞬驚いた顔をして、でも次の瞬間には少しはにかみながら「君に『おめでとう』と言ってもらえることかな」と呟いた。
そんなのこれから毎年言えることじゃないか、そうじゃなくて何か他に欲しいものは無いのか、と俺が文句を言ったら京楽は微笑みながら「それで充分だよ」と言って首を振るだけだった。
上級貴族の京楽の欲しいものなんて俺にはとても手の届かない高価なものだから、俺に気を遣ってくれたのだろうかと考えたけれど、だからと言って何もしないでいることは出来なかった。
俺はただ、京楽に喜ばせてやりたかった。
そんな時、ふと入った店で帝王貝細工という花の種を見付けた。
正式名ムギワラギクと言うその花は、京楽の誕生日7月11日の誕生花だということもあったけれど、俺はただ純粋にその花は京楽にぴったりだと思ったんだ。
薄紅や橙、黄色などの色とりどりの小さな花は、薔薇や胡蝶蘭のような華やかさは無いけれと、まるで沢山の淡いともし火のように俺の心をほんわかと優しい気持ちにしてくれた。
それは京楽と一緒にいるときに感じる不思議な、けれどひどく心地よい温もりによく似ていた。
ラテン名のヘリクリサムは「太陽の黄金」という意味なのだと店の人に教えてもらって、ああなるほどとすぐに納得したのも、俺にとって京楽は太陽の恵みの光のように満たされた幸福感を与えてくれる存在だと、
無意識のうちに理解していたからかもしれない。
とにかく、俺は来年の京楽の誕生日にはこのムギワラギクの花を贈りたいと思ったんだ。
*****
でも、出会ってから二度目、親友になってからは初めての京楽の誕生日は、俺の思い通りには行かなかった。
春に種を蒔いて、実家で母に手伝ってもらいながら丹精込めて育てたムギワラギクは、あいつの誕生日の少し前に八分咲きの頃を迎えた。
貝細工という名が示すように、つるつるとした金属細工のような花は俺の知っているどの花とも違った雰囲気を持っていた。
一番綺麗に咲いた花を摘んで、母にもらったリボンで花束を作ると、一応贈り物としては体裁が整った。
母に「よっぽど大切な人にあげるのね」なんてからかわれて少し恥ずかしかったけれど、この花を受け取ったときの京楽の驚いた顔を想像して、わくわくしながら京楽の帰りを待った。
誕生日だから顔を見せろと家族に言われた京楽は、授業が終わると寮にも帰らず実家に戻っていった。
どうせ親戚と形式だけの挨拶を交わすだけなのだから行きたくないと駄々をこねる京楽に、戻ってくるまで待ってるからと言って実家に帰るよう説得したのは俺だ。
そうすればあいつが帰ってくるまでに俺も実家に帰って花束を用意する時間があると思ったから。
でも、寮の門限が過ぎても帰ってこない京楽に、俺はもうすぐあいつの誕生日が終わってしまうと少し慌てていた。
だから、日付の変わる少し前にあいつの霊圧を窓の外に感じたとき、思わず窓を開けると同時に「遅い!!」と怒鳴ってしまったのだ。
京楽の帰りが遅かったのは、祝いの品の中にいくつか俺の好きそうな菓子を見つけて、でも祝いの品だけもらって早々に退散するわけにもいかなかったから、聞きたくも無い親戚の長話に付き合っていたかららしい。
お前の誕生日なんだから俺のことなんて気にしないでいいのにと、さっきまでの怒りを忘れて俺が呆れていると、京楽は「待たせちゃってごめんね」と謝って祝いにもらったという品を俺の前に並べてくれた。
わかっていたつもりだったけれど、目の前の菓子はどれも高価なものばかりで、驚かせようと思って押入れに隠してあった俺のムギワラギクの花束が急にみすぼらしいものに思えた。
結局、俺の育てた花なんて見劣りするだけだと怖気付いてしまった俺は、真夜中を告げる鐘の鳴る直前に誕生日おめでとう、と呟くことしか出来なかった。
それでも京楽は俺の言葉に満面の笑みを浮かべて「ありがとう、浮竹に祝ってもらうのが一番嬉しいよ」なんて言うものだから、俺の方が贈り物をもらった気分だった。
渡すことの出来なかった花束は、捨てることも出来ずにしばらく窓際に吊るしておいたら、いつの間にか乾燥してドライフラワーになっていた。
色も姿もそのままに時を止めた花達が、行き場を失くした俺の思いを代弁しているようで、やっぱり捨てることは出来なかった。
ドライフラワーの花束は、馬鹿だな、なんて自嘲の言葉と一緒に空の柳行李に仕舞われた。
*****
その次の年も花束を用意したけれど、俺も京楽も級友が企画した宴会に巻き込まれてしまい、とても花束なんて可愛らしいものを渡せる雰囲気にはならなくて、その年もまたおめでとうと言って一緒に酒を飲むだけだった。
ドライフラワーの花束がまたひとつ増えた。
*****
翌年は末の双子の弟妹の出産に立ち会うため実家に帰らなければならなかった。
お前の誕生日には間に合うように帰ってくるからと言って京楽と別れたけれど、出産予定日を10日過ぎても双子は生まれず、その上難産だったため、母の体調が回復して俺が学院に戻った頃には7月も終わろうとしていた。
庭のムギワラギクは満開を過ぎていた。
*****
京楽と出会って五回目のあいつの誕生日、俺は朝から熱を出して寝込んでいた。
京楽は授業が終わってから、実家にも帰らず付きっ切りで俺の看病をしてくれた。
折角の誕生日なのにごめんな、と俺が言うとあいつは「元気になったらたっぷりお礼をしてもらうよ」と笑って氷嚢を額に乗せてくれた。
熱のせいで身体の節々が痛かったけれど、ひどく満ち足りた気分だった。
5日後、熱が引いた俺は満開のムギワラギクを摘みに実家に帰った。
今年のドライフラワーは自分に贈ることにした。
*****
京楽と出会って六度目の7月11日。
その頃には俺は京楽への恋心を自覚していて、ムギワラギクの花束はそれまでとは別の意味を持っていた。
成長していく花と共に俺の京楽への想いはどんどん大きくなっていって、心の中ではいつしか花を渡すことと想いを告げることが同義になっていた。
7月12日、意気地無しの俺の窓辺には小さな花束が吊るされていた。
*****
学院を卒業して護廷隊に入隊すると、任務に忙殺されて京楽に会うことも言葉を交わすこともままならなくなった。
俺の恋心は日を追うごとに強くなり、京楽恋しさに夜も眠れないなんてことも多々あった。
それでも、忙しい中でも俺達は互いの誕生日を祝うことは忘れなかった。
「おめでとう」と言葉を掛けるだけのこともあれば、連れ立って呑みに出かけることもあった。
京楽の誕生日が来る度に、今年こそ花を渡して思いを告げようと意気込んだけれど、俺はやっぱり勇気を振り絞ることが出来なくて、ドライフラワーの束は増えていくばかりだった。
そして、花束の数だけ俺の想いも募っていった。
そして、現在に至る。
*****
もう潮時なのかもしれない。
両手一杯に掬った花を見つめながら俺は溜息をついた。
京楽の誕生日に贈るはずだったムギワラギクは、いつの間にか柳行李いっぱいに溢れている。
圧倒的な量でもって、それは俺の京楽への恋慕の深さを象徴していた。
「浮竹ぇ、入るよ」
「ちょ、ちょっと待て!」
突然聞こえた京楽の声に、俺は慌てて行李を押入れにしまうと、急いで布団に戻った。
それと同時に京楽が入って来る。
「また布団から抜け出して仕事でもしていたのかい?駄目だよ、病人は寝てなくちゃ」
「あ、ああ、ちょっとな。それより見舞いに来てくれたのか?」
「まあね。また熱出したって聞いたからさ。具合はどうだい?」
「もう大分いいみたいだ。だから明日は約束通り出掛けられると思うよ」
「何言ってるんだい、油断は禁物だよ。僕との約束はいいから良くなることに専念しておくれよ」
「何を馬鹿なことを。明日はお前の誕生日なんだ、約束通り最近見付けた店にお前を連れて行くよ」
「僕の誕生日なんてどうでもいいよ。呑みに行くのはいつでも出来るだろう」
「そんなこ・・・ハ、ハクシュッン」
反論しようとした俺だったが、くしゃみに邪魔された。
寝巻きのまま布団を出ていたせいか、身体が冷えてしまったらしい。
「ほらほら。駄目でしょ、そんな薄着してちゃ。何か上に羽織るものを出してあげるよ」
「え!?それは駄目だ!」
「遠慮しなくていいよ。あれ?浮竹こんな古い行李持ってたっけ?」
俺の制止も聞かずに京楽はいつの間にか押入れを開け、先程俺が仕舞ったばかりの柳行李を持ち上げてようとしている。
「待て、京楽!」
「浮竹?って、え?」
うろたえるあまり、気が付くと俺は京楽に体当たりしていた。
驚いた京楽はバランスを崩してしりもちをつく。
抱えていた行李が宙に舞う。
「あ!!!」
ばさあ、という音ともに桜、橙、黄色の鮮やかな雨が俺達の上に降ってきた。
雨乾堂の床一面が花の絨毯で埋め尽くされる。
「な、何だい、これは?」
京楽が驚きに目を白黒させている。
俺は何とか上手い説明をしようと必死で頭を回転させるが、気が動転していて何も考えられない。
顔が火照っているのがわかったけれど、俺はどうすることも出来ず口をパクパクさせるだけだった。
「浮竹・・・?」
「いや、これは、その」
「これは・・・帝王貝細工の花かい?どれも乾燥してるみたいだけど」
いとも簡単に花の名前を言い当てられて俺は面食らってしまった。
まさか、京楽がこんな地味な花の名前を知っているとは思わなかったからだ。
「な・・・お前、どうして知ってるんだ・・・?」
「いやあ、僕の誕生花だっていって、昔誰かがくれたんだよ」
誰か、っていうのはきっと京楽に想いを寄せる女性のことなんだろう。
先を越された、とか、そこまで分かってるのなら俺の気持ちもきっとばればれなんだろうな、なんてことが頭の中でぐるぐるして、不思議そうに俺を見詰める京楽の視線を受けながら俺は黙って俯いてしまった。
「浮竹・・・?」
京楽の優しい声音に、俺の中の何かが弾け飛んだ。
どうせ諦めようと思っていたのだ、どうにでもなればいい。
「そうだよ、分かってるんだろう?これ全部お前の誕生花のドライフラワーさ」
「これ、全部・・・?」
「ああ。出会ってからずっと、お前の誕生日に贈るつもりだったんだ。でも、結局一度も勇気が出なくて、でも捨てることも出来なかったから、こんなことに・・・」
ぎゅっと両手で乾いた花弁を握りつぶしながら、俺はこの場から逃げ出してしまいたい気持ちを必死で抑えた。
「・・・気持ち悪いだろう?」
絶望に打ちひしがれながら絞り出した声は、震えていた。
「どうして?」
「だって、こんな・・・俺だって、気付いてなかったんだ・・・ただ、毎年少しずつお前を想う気持ちを積み重ねていって、気が付いたらこんなことになっていたんだ・・・!」
共に過ごした月日の分だけ、俺の想いも募っていった。
行李いっぱいのムギワラギクの花束は、俺がどれほど京楽に恋焦がれていたのかを言葉よりも雄弁に語っていた。
「ずっと親友の振りしてお前を騙していたんだよ、俺は・・・」
ドライフラワーは、姿形は生花そのままだけど所詮は死んでしまった花に過ぎない。
朽ちて土に返ることも、種を作ることも許されず、ただ色と形はそのままに永遠を過ごす歪んだ存在。
決して実を結ばないそれは、俺の不毛な恋そのままだった。
「・・・それで、これをどうするつもりだったの?」
無表情な声で京楽が問う。
「わからない・・・でも、もう捨てるべきなのかもしれない、って考えていた」
「捨てる?」
「ああ、もう潮時かも、諦めるべきなのかもしれないって」
「そうかい・・・それは良かった」
明らかにほっとした京楽の様子に、やっぱり俺の想いなんて京楽には迷惑だったのだと悲しくなった。
きゅっと唇を噛んでこらえようとしたけれど、涙がひとつぽつりと零れた。
すると、突然頬を両手で挟まれあっと思う間もなく京楽の唇が俺の唇に重なっていた。
予想外の出来事に俺が呆然としているのをいいことに、何度も角度を変えながら、啄ばむように優しいキスを京楽は繰り返した。
何が起こっているのか理解できない俺は、それでも次第に深くなっていく口付けに意識を奪われ、気が付くと京楽の胸に縋り付いていた。
「な・・・何?どうして・・・?」
「本当に安心したよ、君が捨ててしまう前で」
ようやく解放された唇で吐息混じりにそう尋ねると、蕩けそうな笑顔の京楽がいた。
「こんなことならもっと早くにこうすればよかった」
そう言って京楽はまた唇に軽く口付けた。
「きょ、京楽?」
「あれ、まだわからない?」
僕もずっと君のことが好きだったんだよ。
そう耳元で囁かれて、身体中の血が沸騰した。
「そんな・・・嘘だろう・・・?」
「嘘じゃないよ」
「でも、お前そんな素振り一度も・・・!」
「それは君だって同じでしょう」
額をくっつけて俺を覗き込む京楽の瞳は、甘く優しい光を宿していた。
目尻を下げて微笑む様は、何故か惚れ惚れするほどかっこよくて、思わず顔が赤くなるのがわかった。
「ねえ、浮竹。ムギワラギクの花言葉って知ってるかい?」
愛しげに何度も髪を撫でられながら、俺はまだ信じられない気持ちでいた。
でも、俺を抱く京楽の腕はひどく温かくて、これが夢なら永遠に覚めないで欲しいなんて思っていた。
「ムギワラギクの花言葉はね、『永遠の記憶』なんだって」
そう言うと、京楽は花に埋まっていた布団を一息に引き剥がした。
「だから今ここで僕に永遠の思い出をくれないか?」
上に載っていた色とりどりの花達が、さあっと滑って部屋中を舞ったのが視界の端に映った。
何千と言う花が、カサカサと音を立てて微笑んでいる。
「好きだよ、浮竹」
切なげに俺の名を呼ぶ京楽に、俺は自ら唇を重ねることで答えたのだった。
24.06.09-13.07.09
ムギワラギクは本当に植物じゃないみたいな不思議な花です。ドライフラワーとしてよく利用されるとか。
砂を吐くほど甘い話になりましたが、原作に対抗しようと路線変更したらこうなりました(汗)
タイトルは「永久花」という意味で、キク科ムギワラギク属の花の総称です。
何はともあれ京楽さん、お誕生日おめでとうございます!!!