瀞霊廷の鐘が真夜中を告げる。
ようやく長い一日が終わったかと浮竹は深く溜息をついた。
「・・・やはり探しに行った方が良いのではないでしょうか?」
懇願するよう浮竹を見詰める七緒の眼は不安の色を滲ませていて、平静を装っていてはいるが本当は七緒も心配でたまらないのだということを物語っていた。
普段は厳しくいっそ冷たいとも呼べる態度をとってはいるが、心の底ではこの子も京楽を慕っているのだと、こんな時にも拘らず浮竹は少しだけ嬉しくなった。
(こんなに良い部下を放っておいて、一体あいつはどこに行ったんだ・・・)
心の中でそう悪態をつきながらも、「今」の京楽にとっては七緒もまた見知らぬ死神の一人なのだということに思い至り、浮竹の胸はちくんと棘が刺さったように痛んだ。
動揺のあまり取り乱した七緒が雨乾堂を訪ねてきたのは、浮竹が朝食を摂っていたときのことだった。
朝早くに申し訳ありませんと言う七緒の謝罪を制して一体何事なのかと浮竹が尋ねると、京楽が部屋から消えたという。
今朝早くに七緒が朝食を京楽の自室に運ぶと(勿論そんなことは普段は平隊士の仕事だが今は特別事態である)、何と八番隊隊首室はもぬけのからだったのである。
一瞬厠にでも行ったのだろうかと七緒は考えたが、よくよく部屋を見回してみると文机の上に「少し出かけてきます」と流麗な字で書かれた紙が置いてるのが目に入った。
驚いた七緒は慌てて京楽の霊圧を探ろうとしたが、死神としての記憶を失っているにも拘らず霊圧をコントロールすることは出来るらしく、どう頑張っても京楽の居場所をつきとめることが出来ない。
普段なら諦めて仕事に行くところだが、京楽の現在置かれている状況を考えるといつ何が起こるかわからないため、七緒はどうするべきか決断が付かず思い余って浮竹の所に相談にやって来た。
七緒の話を聞いて直ぐに浮竹が京楽の霊圧を探ってみると、確かに京楽は瀞霊廷内にはいない。探査範囲を広げてみると、どうやら流魂街にいるらしい。
大至急連れ戻しに行こうという七緒を浮竹は少し考えてから引きとめた。危険な地域にいるわけでもない。それに元々京楽は今日非番なのだ、事を荒立てれば逆に隊士達に不審に思われるかもしれない。
一応総隊長には報告しておくが、取り合えず夜になるまで待ってみて帰ってこなければ探しに行こうという浮竹の提案は正論だった。
流魂街の安全な地域にいる限り、京楽の顔を知っているものも多いはずだ。虚や死神を嫌う魂魄に襲われるということも無いだろう。だとしたらここは京楽の帰りを待つのが得策かもしれない。
そう考えると七緒は浮竹の言葉に従うほかは無かった。
そんな訳で夕食の後浮竹は八番隊を訪れると、八番隊隊首室で七緒と一緒に京楽の帰りを待っていたのである。
その間に、少しでも七緒の負担を軽くしようと八番隊の仕事を手伝いながらも浮竹は暇さえあれば京楽の霊圧を探っていた。
そうこうしている内にとうとう日付が変わってしまったのだ。
探しに行こうという七緒の気持ちもわからないでもないが、浮竹としては出来る限り京楽の好きなようにさせておきたかった。
連れ帰ったからと言ってどうなるというわけでもないし、記憶を失っているとはいえ京楽は何も分からない子供ではない。
それに京楽にもきっと書置きをしてまでもどうしても出掛けなければならない理由があったのだろう。だとしたら京楽の気持ちを尊重するべきではないだろうか。
どうするべきかと逡巡しながら、浮竹は取り合えず現在の京楽の居場所を見付ける事にした。どこにいるかわかっていれば七緒にとって少しは気休めにでもなるのではないかと考えてのことだ。
「・・・今ちょっと調べてみたんだが、どうやら京楽は瀞霊廷の外れにいるようだ。特に霊圧の乱れもないようだし、一応瀞霊廷内にいるのだからまず無事と考えていいんじゃないかな?」
だからまだ動く必要は無いのではないかと言外に問う。浮竹の言わんとしていることを理解した七緒は少し迷ってから諦めたようにほぅと息を吐いた。
瀞霊廷にいるのならまず一安心しても良いもかもしれない。そう考えると少しだけ気が楽になった。
「それにしても流石ですね、浮竹隊長。私には京楽隊長の霊圧は完璧に消されているとしか思えません」
「まあ長い付き合いだからね。あいつの霊圧だけはどこにいても分かるよ。どれ程上手く隠しても何故かわかってしまうんだよなあ」
思えば院生の頃からそうだった。どこにいてもどんな時でも浮竹には京楽の霊圧を感知することが出来た。
他の者には―山本元柳斎でさえ―見つけることが出来ない時でさえ何故か浮竹だけは京楽を探し当てることが出来た。
それは最早理屈では説明出来ない。
(やっぱり僕達赤い糸で繋がってるんだねぇ)
いつか冗談めかして京楽はそんなことを言っていた。その時は何を馬鹿なと気にも留めなかったけれど、あながち間違いでもないのかもしれない。
もし自分達の間には目に見えない絆や縁(えにし)のようなものがあるのならどれ程喜ばしいことだろう。
例え目に見えずとも、触れることが出来なくとも、二人の間に決して失われることの無い繋がりがあるのだと分かっていれば、どんなに心強いことだろうか。
何気ない京楽の言葉が今になってひどく切なく耳に響くなんて、こんなことならもっと真面目に聞いてやればよかったと浮竹は少しだけ後悔した。
「伊勢君、京楽は明日、いやもう今日かな、とにかくあいつは非番なんだね?だとしたらあいつが帰ってこなくても、取り合えず業務には支障はないということなのかい?」
「はい、ですが・・・」
「そうか。そういうことなら今夜はもう自分の部屋に帰りなさい」
「浮竹隊長!京楽隊長の行方が分からないのに副隊長の私が休むなんて・・・」
「朝まで待って、それでも帰ってこなかったら俺が見つけて連れ戻すよ。京楽の今の状態では実質君が八番隊を取り仕切らなければならない。君が倒れるようなことがあってはならないんだよ。
分かるだろう?だからもう休みなさい」
そう言って浮竹は柔らかく微笑んだが、その口調は有無を言わせないものだった。
京楽の記憶が失われている今、京楽の代わりに彼の八番隊を守るのは自分の務めだと浮竹は心に決めていた。そして、京楽が自分の娘のように大切に思っているこの少女が京楽の留守を預かる手伝いをしようと。
「でも、それでは浮竹隊長が・・・」
「俺のことなら心配しないでくれ。朝までここであいつの帰りを待っているよ。それに、俺がここで夜を過ごしても不審に思うものはいないだろう?」
にこりと誰もが見惚れる美しい浮竹の笑みに、一瞬七緒はきょとんとしたが即座にその言葉が何を意味するのか理解して思わず顔を赤らめた。
勿論京楽と浮竹が恋人同士だということは周知の事実であり、今更驚くようなことではない。
特に痴話喧嘩のたびに京楽に泣きつかれて迷惑している七緒にとっては、いい年をして未だにお互いにべた惚れな二人の恋愛は、青空に浮かぶ太陽のように永遠普遍の真実も同然だった。
それなのに浮竹の言葉に妙な反応をしてしまったのは、七緒の前で浮竹が京楽との関係に触れたのはこれが初めてだったからだ。
もっとも、それもよく考えてみれば当たり前のことで、いくら自分の隊長の恋人だからといって他の隊の隊長が副隊長相手にプライベートなことについて話すなど有り得ないことなのだ。
それでも柄にも無く七緒が頬を染めたのは、浮竹の口から性的なことを仄めかされてどぎまぎしてしまったからだ。
元々七緒は浮竹が京楽の恋人であることにぴんと来なかった。頭では理解しているのだがどうにも実感が沸かないのだ。
確かに二人の仲睦まじさは有名だし(といっても喧嘩も多いがどうせ只の痴話喧嘩なので周りには惚気と一緒だと思われている)、二人の間に流れる空気が彼ら二人の間には特別な何かがあるのだと雄弁に語っている。
京楽がどれほどまでに強く激しい愛を浮竹に抱いているのかも、七緒は薄々分かっていた。
だが、煩悩の塊のような京楽と違って、浮竹からは世俗的な匂いが一切しない。
彼の持つ真っ白な髪が象徴するように、浮竹は穢れや欲望などとは無縁の、それこそ仙人や西洋の妖精のような清浄な存在なのではないかと七緒は密かに考えていた。
濁りの一切無い透明な水のような、誰にも踏み躙られたことの無い純白の雪のような、男とか女とかのカテゴリーを超越した存在、それが七緒にとっての浮竹だった。
浮竹に対してそんな印象を持っていたから、七緒は浮竹と肉欲をどうしても結びつけることが出来なかった。
恋人同士なのだから身体の関係を持っていてもおかしくはないのだが、京楽はともかく浮竹が肉体の快楽に溺れるとはとても思えなかったのである。だからこそ、思いもかけない浮竹の言葉につい照れてしまったのである。
ああ、でも、と赤くなった顔を隠すために俯きながら七緒は思った。
京楽隊長の隣にいる時の浮竹隊長は、もっと私達に近い感じがする。京楽隊長と一緒にいる時、浮竹隊長はとても‘ニンゲン’っぽくなるのだ。
いつも私達の前では笑顔で優しい浮竹隊長が、京楽隊長の前では感情を剥き出しにして怒ったり泣いたり、くるくる表情を変えるのだ。
それはきっと浮竹隊長の心を震わせることが出来るのは、京楽隊長だけだから。
・・・何だ、やっぱり京楽隊長のことは浮竹隊長に任せるのが一番なんじゃない。二人ともお互いのことが好きで好きで堪らないのだから。
そんなことに今更のように気が付いた自分に七緒は思わず苦笑した。
「わかりました。ではお言葉に甘えて私はこれで失礼します。あまり御無理をなさらないで下さいね」
「ああ、ありがとう。ゆっくり休んでくれ」
「では、お休みなさい、浮竹隊長」
「お休み、伊勢副隊長」
*****
七緒の霊圧が遠ざかるのを感じて浮竹はほっと息を吐いた。八番隊隊首室、京楽の自室には何度も訪れたことがある。京楽と二人で過ごすことの出来るここは、雨乾堂に次いで自分の部屋と呼べる場所だ。
だからこそ、そんな場所を他人と共有するのは息が詰まった。
さて、と意を決して腰を上げると、浮竹は床の間に移動し刀台の前に座る。そしてそっと刀身に両手を添えるとゆっくりと目を閉じたのだった。
「・・・十四郎・・・・・・」
待ち望んでいた声に名を呼ばれ、浮竹の目蓋が震えた。目を開いた浮竹の前には胸元を大きく開いた着物と髑髏を模った帯に身を包んだ美しい女性が立っていた。
「花天狂骨」
京楽の魂を象って生まれた斬魄刀「花天狂骨」。その名を呼ぶ浮竹の声は微かに震えていた。
「お前は、俺のことを覚えているんだな・・・」
「当たり前です。わっちがぬしのことを忘れるはずがないでありんしょう」
「そうか・・・」
・・・良かった。
安堵共に心の底から喜びが突き上げて溢れ出してしまいそうだった。
斬魄刀は所持者の魂を映す鏡でもある。
花天狂骨が浮竹を忘れていないということは、京楽の魂は記憶を失くした今も浮竹のことを覚えているという確かな証であった。
「・・・我が主ながら、馬鹿な男でありんす。ぬしを守ろうとして、ぬしを忘れるなんて」
「本当に、馬鹿な奴だよ。あいつは」
今はここにいない男を想って、死神と斬魄刀は微笑を交わした。二人とも呆れたような口調だったが、その表情は優しかった。
「ここ」は浮竹の精神世界。否、正確に言えば浮竹の精神世界と京楽の精神世界の境目とでもいうべき場所だった。始解を習得するために、死神は精神世界において自身の斬魄刀と対話し名前を知る必要がある。
そうすることで自身の魂を知り己の内に眠る力を知るためだ。斬魄刀と対話するということは、己自身と対話するということなのである。
普通、卍解習得のために具象化する以外、斬魄刀は持ち主の内面世界においてしか具現化した姿を現さない。従って斬魄刀の所持者以外が斬魄刀の具現化した姿を見ることは滅多にないといっていい。
しかし、いつの頃からか京楽と浮竹は互いの斬魄刀に触れることで相手の精神世界と自身の精神世界を繋げることが出来た。
もっとも二つの異なる世界が混ざり合い歪みを起こすからか、二人の世界の出会う場所は辺り一面を覆いつくすぼんやりとした光のほかには何も無い。
そんな夢と現の狭間のような場所に浮竹と花天狂骨はいる。
京楽以外の他人の斬魄刀と果たしてこんな風に会話できるのか浮竹は知らない。
死神同士の間では普通のことなのかもしれないし、ソウルソサエティでただ二組の二刀一対の斬魄刀を持つ二人だけに許されたことなのかもしれない。試したことも無かったし、興味も無かった。
そもそも、自分の心の一番奥深くに京楽以外の誰かを受け入れるなんて想像も出来なかったのだ。それは京楽も同じなのだろうと思っている。
二つの世界が溶け合い一つになるこの幻のような場所は、京楽と浮竹、そして花天狂骨と双魚の理だけのものだった。
「京楽とはもう話したのかい?」
「いいえ。あの男、わっちとは『対話』もしたくないそうです。向こうから歩み寄ってくるまで、わっちの方から話しかけてはやりませんよ。『名前』だって教えてはやりません」
「そんな意地を張るなよ。記憶を失ったとはいえ、京楽は京楽だろう?力を貸してやればいいじゃないか。今のあいつには君の協力が必要なんだよ」
「いやでありんす。今の春水はわっちのことを汚らわしいものだと考えてるようですから。しかもわっちを部屋の隅にに投げ捨てたんでありんすよ!
伊勢の娘っ子がきちんと刀台に掛けてくれたから良いものを・・・春水から話しかけてくるまで、絶対に口を聞きません!」
完全にへそを曲げている花天狂骨は、浮竹の説得に応じるつもりは無いらしい。京楽が花天狂骨の存在を受け入れ向き合う決心をしない限り、花天狂骨を操ることは出来ないのだ。
斬魄刀は刀といえども只の道具ではない。自分の内に眠るもう一人の自分なのだ。人間はそれを「無意識」と呼ぶ。斬魄刀と対話することで、死神は自分の中にある強さや弱さ、欲望、願望、狂気といったものを知る。
今まで知らなかった自分に直面することは恐ろしい。だが、その恐怖を乗り越える勇気を持つことが出来て初めて、世界の秩序を管理する死神としての資格を得られるのだ。
「仕方が無い。俺の方で何とかするよう努力してみるよ」
「心配などしなくても、春水がそういつまでもぬしのことを忘れておくはずがありんしょう」
「そうだとい」
不意にぐにゃりと浮竹の視界が歪んだ。
そしてそのまま花天狂骨の姿が周囲の朧な光に飲み込まれていく。次の瞬間、世界が暗転した。
目を開けると、浮竹は京楽の自室に戻っていた。
そして間髪を入れずに扉が開き、京楽が入ってくる。遅いお帰りでありんすな、という花天狂骨の声が耳に響いた気がした。
「京楽!」
「浮竹さん・・・」
「一体今までどこに行っていたんだ!?心配したんだぞ!」
後ろ手に戸を閉めてふいと浮竹を一瞥すると、京楽は無造作に上着を脱ぎ捨てた。死覇装ではなく私服を着ている。
そして浮竹に視線を合わさないまま、壁際にどさりと腰を下ろす。そのとき初めて浮竹は京楽が酒瓶を手にしていることに気付いた。
「書置きはしていきましたよ。それに僕は今日非番だったんだ、僕がここにいなくても構わないはずです」
「それはその通りだが、お前の今の状態で突然いなくなったら皆心配するじゃないか」
「皆って、誰ですか?」
不意に京楽の目付きが鋭いものに変わった。それなのに自分を見ようとはしない京楽に苛立って、浮竹は語気を強めずにはいられなかった。
「伊勢君は勿論、元柳斎先生や、俺だって・・・」
「浮竹さんも『僕』のことが心配だったんだ」
「当たり前だろう?」
京楽が何を思っているのかわからなくて浮竹は困惑した。鋭く光る瞳は、今は何の感情も読み取れない鈍い鉱石のようだった。
「浮竹さんは、本当に『僕』のことが好きなんですね」
「・・・!・・・何を・・・!?」
揶揄するような京楽の口調に、浮竹は思わずかっとなる。しかしそんな浮竹を無視して京楽はゆっくりと立ち上がり緩慢な動作で浮竹の前まで歩いてくると、すっ、と膝を付いた。
琥珀色の瞳がじっと翡翠の瞳を覗き込む。訳が分からないまま、それでも浮竹は身動き一つ出来なかった。
そして。
そっと両手で浮竹の頬を包み込むと、京楽は浮竹に口付けた。
28.07.09
アニオリでの花天狂骨は郭言葉で喋るんですよね~難しいからやめてほしいのに;;
郭言葉は一応ネットで調べてみたのですがイマイチよく分かりませんでした(汗)