10時間前、護廷十三隊は技術開発局から断崖にてブランクが原因不明の大量発生をしたとの報告を受けた。
幸い思念珠が形成されたという様子はまだ無い。
護廷十三隊総隊長山本元柳斎重国は、前回思念珠が発生した際現世とソウルソサエティが衝突寸前にまで陥ったという事態を重く見て、
世界崩壊の危険を未然に防ぐためブランクから抜け落ちた記憶が思念珠として収束する前にブランクと記憶を元通り融合させることに決定した。
山本の命を受け鬼道衆の護衛として八、十三番隊を率いて京楽と浮竹が断崖へとやってきたのが3時間前である。
鬼道衆は現世とソウルソサエティに影響を及ぼさないと思われる場所で断崖を彷徨っているであろうブランクと記憶を呼び寄せるための術を発動させる必要があった。
しかしブランクを元に戻す術は大変に難しいものであり、繊細な霊圧コントロールが要求される。その上術に引き寄せられて虚が出現する可能性があるらしい。
術を発動している間完全に無防備になってしまう鬼道衆を守るという責任重大な使命を、山本が最も信頼を置いている京楽と浮竹に与えたのは当然のことだった。
断崖に到着した八、十三番隊及び鬼道衆は予め打ち合わせてあった陣形をとると、一刻の猶予も無いとばかりに直ちにブランクと記憶の再融合の術式を開始した。
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隊の指揮を執る浮竹は、陣全体を監督するため一定の緊張感を保ちながらも、目の前に広がる幻想的な光景に心を奪われずにはいられなかった。
「記憶の欠片とはこれほどまでに美しいものなのか・・・」
鬼道衆の円陣の中心に浮かぶのは七色に輝く記憶の欠片だった。
1時間前第一詠唱が完了し、記憶の結晶化が始まると見る見るうちに光の粒が集まり凝固していった。
虹色に鈍く光る鉱石のような記憶の結晶のあまりの美しさに、浮竹は我知らず感嘆の吐息を漏らしたのだった。
結晶化が始まると同時に、沢山のブランクが引き寄せられるように集まってきた。
ソウルソサエティの記録によれば浮竹は以前ブランク達と接触している。しかし浮竹には全くその時の記憶は無い。
これも思念珠という元々あり得ない存在の成せる技なのかと、浮竹は不思議な思いで目の前に集まる白い不可思議な物体を見つめた。
「何だか薄気味悪いねえ」
浮竹の隣で全体を共同指揮している京楽は、自分の傍をすり抜けて真っ直ぐ記憶の結晶を目指して進むブランク達を苦々しげに見渡した。
浮竹と共に鬼道衆の護衛に就いている京楽にとってはこれが初めてのブランクとの接触だった。
断崖に来る前に技術開発局から映像で説明を受けていたとはいえ、整でも虚でも、死神でも破面でもないブランクは、京楽にとってもやはり得体の知れないものだった。
赤い面のようなものを着け白い着物を纏うブランクは動きものろのろとしたもので「意思」というものが感じられない。
まるで底の見えない穴を覗いているようでひどく気味が悪かった。これなら虚の方が「魂喰い」という目的があるだけまだ扱いやすい。
「記憶を失くすと、皆こんな虚ろなものになっちゃうのかなあ」
「いや、ブランクが失くした記憶は魂魄の意識や思念、その他諸々を含んだものらしい。記憶というより魂そのものなのだろう」
「魂を失くしちゃ真っ白(ブランク)になるわけだ」
輪廻の輪から外れた魂魄は断崖を彷徨う内に「記憶」というエネルギーと「ブランク」という霊子物体に分かれる。「記憶」が魂魄の人格や思考感情といったものを含有する魂ならば「ブランク」はただの入れ物に過ぎない。
アイデンティティのないブランクは文字通り空っぽで、それぞれを区別する特色など持っていないためどれも同じ形をして、同じような動きをしているのだ。
「京楽隊長、浮竹隊長、鬼道衆第二詠唱が完了しました。続いて最終詠唱に入ります」
「ありがとう、七緒ちゃん。君は持ち場に戻っていいよ」
「わかりました」
最終詠唱に入ると同時に、鬼道衆の印を切った手の周りから細い蜘蛛の糸のようなものが出てきて記憶の結晶とブランクを絡めとっていく。
そして糸で繋がれた記憶とブランクが徐々に溶け合って少しずつ魂魄の形を取り戻していく。
「こうやってブランクと記憶が融合していくのか」
「不思議な光景だねぇ。夢を見てるみたいだ」
「本当だな」
京楽と浮竹がのんびりとそんな会話をしている間にも次々と記憶を取り戻したブランクが魂魄へと再製されてゆく。
こうして元に戻った魂魄達は、また輪廻の輪に組み込まれるためにソウルソサエティへ送るために魂葬されるのだ。
「ぐ・・・ぅがぁ・・・!」
不意にどさりと音を立てて術を行っていたはずの鬼道衆の一人が倒れこんだ。どうやら非常な注意力を要する今回の術に心身ともに耐え切れなくなったらしい。印を結んだままの両手からは異常な霊圧が迸っている。
このままでは中断された術が暴走しかねないと判断した京楽と浮竹は、直ちに地を這って苦しげに呻いている鬼道衆を皆から少し離れた場所へと移動させた。
「やれやれ、鬼道衆なんだからしっかりしてほしいなあ」
「仕方ない、他の者達が巻き込まれないように俺が結界を・・・」
術の暴走によって他の鬼道衆や隊士達に危害が及ぶのを防ぐため、浮竹がその鬼道衆の周りに結界を張ろうとした、その時だった。
どがああああああん!!!
突然ものすごい爆発音がして、鬼道衆を囲んで護衛に当たっていた隊士達が吹き飛ばされた。
「うわああああ!」
「虚だ!!大虚だ!!」
激しい煙幕の中から現れたのは大虚だった。
鬼道衆を囲んで陣を組んでいた隊士達だが、突然現れた虚に気が動転したのか何人かの者が陣を離れ虚に斬りかかるのが浮竹の目に映った。
「皆!持ち場を離れるな!鬼道衆の護衛に集中しろ!」
そう叫びながら浮竹は京楽と目配せをすると、倒れた鬼道衆を京楽に任せ陣形を立て直すために前へ出て虚と対峙した。
「皆下がれ!」
そう言うが早いか、瞬く間に刀を抜くと浮竹は流れるような動きで大虚を一刀両断した。
「流っ石浮竹隊長!」
「目にも留まらぬ速さです!」
「二人ともまだ気を抜くな!」
清音と仙太郎が喜びの声をあげる中、浮竹は気を緩めることなく双魚の理を構え直した。
真っ二つに切ったはずの虚だが、そのまま消滅する気配が無い。
(一体これはどういうことだ・・・?)
目の前の敵は只の虚ではないと浮竹は直感した。
あの、海燕が死んだ雨の日に相対した虚と同じ感じがするのだ。もしや藍染の実験の生き残りかと、浮竹は双魚を握りしめる手を一層強くした。
ぐわぁぁぁぁぁ!
二つに切られたはずの虚は浮竹の目の前で姿を変えたかと思うと、突然物凄い速さで浮竹に襲い掛かってきた。
(斬撃は効かないか・・・!ならば)
「破道の三十一、赤火砲」
どぉん!
浮竹の放った火塊が虚に命中して大爆発を起こす。
「やったかい?」
「分からない・・・」
倒れた鬼道衆の周りに結界を張り終えた京楽がいつの間にか浮竹の隣に来て刀を抜いている。
「もしこの虚が藍染の実験体だとすれば、まだ能力を隠し持っている可能性がある」
「やれやれ、また面倒臭いねえ」
口では気が乗らないようなことを言ってはいるが、京楽の目には真剣な光が宿っているのを浮竹は知っていた。正体の分からない敵を前にして京楽も浮竹も少しだけ緊張しているのだ。
直接攻撃をするのは敵の能力が分からない以上避けるべきだと判断した二人は、鬼道による捕獲及び追撃を試みることで考えが一致していた。長年戦場を共にしてきた二人は互いの思考を熟知していたのである。
言葉にしなくても通じ合える相手が隣にいることは、戦闘の真っ最中でも奇妙な安心感を二人に与えていた。
「俺が鎖条鎖縛で抑える」
「じゃあ僕は大事を取って黒ひつ・・」
ばっっ!
突然何かが背後から襲う気配がして京楽と浮竹は同時に上へ跳んだ。
「な、何だこれは・・・!?」
円陣の中央に集まっていたはずのブランク達が物凄い速さで虚のいる方へと吸い込まれているのである。
いや、ブランクだけではない。記憶と融合しかかって半分魂魄の形を取り戻したものまで次々と吸い込まれていくのだ。
「・・・気持ち悪いなぁ・・・」
「のんきなこと言ってる場合か!」
ブランクを取り込んでどんどん虚の霊圧が高まっていく。手遅れになる前に倒さなければ何が起こるかわからない。
「浮竹!後ろ!」
虚に吸い込まれているものとばかり思っていたブランクが突然背後に現れ、浮竹の腕にしがみついて動きを妨げる。
(ブランクを操ることまで出来るのか?)
ずしゃぁっ!
「なっ・・・!?」
「京楽!?」
浮竹に襲い掛かるブランクを京楽が一太刀で倒した。しかし、ブランクが消滅すると同時にそれまでブランクを囲んでいた霊子の糸が物凄い速さで巻きつき始めたのだ。
鬼道衆の術が未完成のまま円陣から解き放たれたために、ブランクに掛けられていた術が暴走して京楽に襲い掛かったのである。
「浮竹!僕に構うな!」
「くっ・・・!縛道の六十三、鎖条鎖縛!」
浮竹が叫ぶと同時に太い鎖が現れ虚の動きを封じる。身動きの取れなくなった虚はけたたましい金切り声をあげてのた打ち回った。
「破道の九十、黒棺」
うぎゃああああああああああ!!!!!!!!!!
鎖に縛られた虚は、漆黒の直方体に囲まれ耳を劈くような断末魔の叫びをあげて消滅した。それと同時に吸収されたブランクが一斉に解放され飛び散っていく。
「京楽!」
虚の霊圧の完全消滅を確認すると、浮竹は急いで京楽のもとへ向かった。傷は負っていないはずだが暴走した術の影響を直接受けたのか、京楽は片膝をついて苦しげ息をしている。
「京楽!大丈夫か!?」
「来るな!」
はあはあと肩で息をしながらも京楽は浮竹に近付くことを許さない。京楽の強い拒絶の言葉に、びくりと浮竹の身体が跳ねる。浮竹が暴走した術に巻き込まれないために京楽がそう叫んだことは浮竹にも分かっていた。
しかし、京楽は浮竹を守るためにブランクを倒したのである。そのせいで傷付いた京楽を浮竹は黙って見過ごすことなど出来なかった。
京楽の言葉を無視して浮竹が駆け寄ると、そこには額に汗までかいて苦痛に耐える京楽の姿があった。京楽の身体の周りには霊子で出来た細い糸が幾重にも絡まりながら巻き付いている。
傷を負ってはいないにもかかわらず胸を押さえながら苦しげに呻く京楽に、まさか術の暴走によって内臓がダメージを受けたのかと危惧して浮竹は京楽を覗き込むように屈みこんだ。
「・・・浮竹・・・来ちゃ、駄目だって言ったのに・・・」
「しゃべるな、京楽。胸が痛むのか?見せてみろ!」
「・・・駄目だ・・・」
「何を馬鹿なことを!」
汗だくになって必死で苦痛に耐えている京楽だがどうしても胸を押さえる手を退かそうとはしない。そんな京楽の様子にますます心配になった浮竹は、京楽が止めるのも聞かず無理矢理手を動かした。
「これは・・・!?」
「・・・まいったよ・・・こんなことが起こるなんてね・・・」
京楽が手で隠していた部分には、何と手の平程の大きさもある記憶の結晶が突き刺さっていたのである。
いや、突き刺さっているというよりも溶けて吸い込まれていこうとしていると言う方が正しい。
「まさか・・・お前にこの記憶が融合しようとしているのか・・・?」
「そう・・・みたいだ・・・」
「そんな!!そんなことが起きたら・・・」
他人の記憶と融合などしたら京楽はどうなってしまうのか。魂魄と記憶がひとつになって魂魄本体が無事である保障などどこにもない。
京楽が死んでしまうかもしれない。
浮竹は恐怖に一瞬我を忘れそうになった。
「仙太郎!清音!鬼道衆を連れてきてくれ!早く!!!」
「無理です浮竹隊長!先程の虚の攻撃により術全体が暴走しそうになっています。
伊勢副隊長率いる八番隊は引き続き鬼道衆の警護、うちの隊は虎徹三席が指示を出して鬼道衆の周りに結界を張っていますが、鬼道衆は全員暴走を食い止め術を完了させるので手一杯です!」
「そんな・・・!」
仙太郎の報告を受けている間にも、浮竹の目の前で結晶が京楽の胸に少しずつ吸い込まれていく。それと共に苦痛が増し、遂に京楽はバランスを崩して浮竹の腕の中に倒れこんだ。
(・・・このままでは、京楽は・・・!)
自分の腕の中で荒い呼吸をする京楽に、浮竹は一か八かの賭けに出るしかないと決意した。
そっと京楽の額の汗を自分の手で拭うと、浮竹は目を閉じて右手に霊力を集中させた。
「愛してるよ、京楽」
そう京楽の耳に囁くと、浮竹は自分の唇を京楽のそれに重ね合わせ、同時に力を込めて記憶の欠片を握り締めた。
そして、ゆっくりと欠片を引き抜いたのである。
その瞬間、眩い光が京楽と浮竹を包み、浮竹は自分の手の中で記憶の結晶がぱきんと音を立てて割れるのを感じたのであった。
*****
光が消えると、浮竹は急いで京楽の身体を地面に横たえた。絡み付いていた糸はいつの間にか消え、京楽の呼吸は随分と落ち着いたものになっている。
ただ意識を失っているだけでどこも怪我をしていない様子の京楽に浮竹はほっと安堵の息を漏らした。
「浮竹隊長・・・」
「伊勢君・・・鬼道衆は?」
「術を無事完了して帰還準備をしているところです。出現した魂魄達は全て両隊の隊士達によって魂葬されました」
「怪我をした隊士達は?」
「重軽症を負ったものが12人、現在治療を受けているところです。幸い命に別状はありません」
「そうか。報告御苦労だった。全員歩けるところまで回復次第瀞霊廷に帰還しよう。四番隊には?」
「既に連絡してあります。浮竹隊長、あの、京楽隊長は・・・」
意識を失ったままの京楽を伊勢七緒は不安げに見詰めた。自分の隊長の安否が気にかかるのだ。京楽が鬼道衆の術の暴走に巻き込まれたことを、七緒は自分の持ち場から目撃した。
身体を折り曲げて苦しむ京楽の姿は初めて見るもので、七緒は嫌な予感を拭えなかったのである。
「俺にも分からない・・・外傷は無いし、ただ意識が無いだけだとは思うのだが・・・」
「そうですか・・・」
京楽の汗で額に張り付いた髪をそっと除けてやりながら、浮竹は憂いを帯びた瞳で京楽を見詰めた。
非常事態とはいえ随分と乱暴な賭けに出たという自覚は浮竹にあった。記憶の欠片を力任せに引き抜くことで強制的に術の効果を無効化したのである。どんな副作用があるかわからないのだ。
(早く卯ノ花隊長が到着することを祈るしかないのか・・・)
「・・・ぅん・・・」
不意にぴくりと京楽の瞼が動いた。京楽の意識が戻ったのかと、浮竹は一瞬喜びに息を飲む。
「・・・うぅん・・・」
二三度瞬きをして、ゆっくりと目を開いた京楽に浮竹と七緒は安堵の息を漏らした。焦点の定まっていない瞳は少しの間浮竹と七緒の間を行ったり来たりしたが、やがて浮竹の姿を捉えると動きを止めた。
京楽が無事なことが分かり、浮竹は喜びのあまり泣きたいほどだった。他人の目がなければ今すぐ力いっぱい京楽に抱きついていたかもしれない。京楽の手を握ろうとして初めて浮竹は自分が今まで震えていたことを知った。
「京楽・・・本当に良かった・・・」
握り締めた手の温かさに、浮竹は全身の緊張がほぐれていくのがわかった。
「・・・れ・・・」
「何だ?」
京楽の唇が言葉を形作るのを見て取って、浮竹は京楽が何を言おうとしているのか聞き取ろうと顔を近付けた。
しかし次の瞬間耳に届いた言葉は、京楽の無事に喜ぶ浮竹を奈落の底に叩き落すものだった。
「・・・あ、なた・・・だれ・・・?」
21.05.09
設定捏造しまくりです。ありがちだけど京浮で記憶喪失のお話が書きたかったのです。でもそうするとFade to Blackとネタが被る気がしたのでMemories of Nobodyの方から設定を借りてきました。
ちなみに管理人はまだ鰤映画の第三作目は見ていません・・・
次回、記憶を失くした京楽に浮竹は・・・?