矢胴丸リサは、女であることに絶望していた。
リサにとって女であるとは、仮面を被ることを強いられるということだった。
「女」という仮面の下に、素顔の矢胴丸リサを隠すことだった。
「矢胴丸リサ」は、仮面を被らなければ生きていけない。
リサは、偽りの自分しか受け入れてくれないこの世界に心底嫌気が差していた。
***
七番隊第五席矢胴丸リサを八番隊副隊長の任に命ずる辞令が出た日の夜、リサは同期の猿柿ひよ里と久南白と共に行き付けの居酒屋で少し遅い夕食をとっていた。
流魂街にあるその店は、安いが美味い酒を出すと評判で、死神だけでなく流魂街の住人にも人気がある。
それ程広くない店内は、嬉々として酒を飲み交わす客で賑わっていた。
リサが重い口を開いたのは、そんな陽気な喧騒の中でのことだった。
「八番隊副隊長!?!?」
「本当に!?」
「……そや。今日の午後、正式な通知が来た」
「何ではよ言わんのや!?勿体振ることあらへんやろ?」
「別に、勿体振ってたわけやない」
「そうと分かれば祝杯や、祝杯!とうとううちらの中から副隊長が出たんや、めでたいやないか」
「流石リサだね。すごいよー」
「凄いことなんてあらへん」
「何言うてるねん。凄いやないか、五席から一気に副隊長に昇進やなんて。しかも八番隊やろ?京楽隊長の隊やないか」
「京楽隊長ってなかなか副隊長を置かないことで有名なんだよね?その京楽隊長に選ばれたなんてびっくりだよ~」
「まあ副隊長を置かないと言えば浮竹隊長もやけどな。親友二人して変わってるわ。ま、真子のアホが隊長なんてやってるんやから、護廷隊の隊長っつーんは変人が多いのかも知れんけどな」
ひよ里や白が言う通り、京楽が副隊長を置くことは稀である。
業務に支障がない限り副隊長を持つかどうかは隊長の自由だが、京楽(浮竹もだが)の場合はあまりにも長いこと副隊長不在を徹底しているため、隊士達の間では最早京楽が副隊長を選ぶことは有り得ないとすら思われていた。
だからこそ、である。
「……何でウチなんやろ」
辞令の通達があった瞬間からリサの中で募っていたわだかまりは、そんな呟きとなって漏れた。
――何故、京楽は自分を選んだのか。
真っ先にリサの頭を過ぎったのは、突然の知らせに対する驚きでも昇進の喜びでもなく、そんな疑問だった。
「何であの京楽隊長がウチを選んだんやろ。しかも副隊長やなんて。ウチ、あの人のことよく知らんのに」
そう言って顔を曇らせるリサに、ひよ里と白は不思議そうに顔を見合わせる。
「らしくないやんか?自信がないんか?心配せんでも、リサなら大丈夫やって」
「そうだよ。京楽隊長がリサを選んだのは、リサの実力を認めたってことでしょ?リサは強いし美人だし、副隊長の資格充分だからじゃないの?」
「美人は関係ないやろ?まああの京楽隊長なら顔で選ぶ、っちゅーこともありえるかもしれへんけどな。あの人の女好きは有名やし」
「ひよりん、言い過ぎだよー」
あははは、とひよ里と白の明るい笑い声が店内に響く。
そんな二人とは対照的に、リサの表情は固いままだった。
*
リサが護廷隊に入隊した当時の京楽春水は、八番隊の隊長として、そして百年以上隊長職を勤める古参の隊長の一人として、他の隊長達とは既に一線を画していた。
女物の着物を隊長羽織の上に身に着け編み笠を目深に被った珍妙な格好とは裏腹に、明晰な頭脳と確かな実力を兼ね備えた京楽は、総隊長山本元柳斎からの信頼も篤く、親友である十三番隊隊長浮竹十四郎と共に瀞霊廷の双璧として並び賞されていた。
もっとも、京楽の普段の様子を見たら、とても彼がそんな立派な人物だとは信じられないだろう。
勤務態度はだらしなく、仕事はサボってばかり。
いつだって昼寝をしているか、酒を呑んでいるか、あるいは女性を口説いているかなのだ。
駄目な男、頼りにならない男の典型だ。
だが、それは全て京楽の、世間を欺くための計算なのだとリサは知っていた。
既存の「男」の概念に囚われない、いや、敢えてそれを覆すような振る舞いは、煩わしい慣習を蔑んでいるから。
歌舞伎者を気取った風体は、「死神」や「護廷隊」という権威を体現する死覇装や隊長羽織を、くだらないと嘲笑っているから。
京楽は、偏見に満ちたこの世界を、愚かだとせせら笑っているのだ。
――あの人は、他の男達とは違う。
京楽はリサの嫌悪する男達とは全く違う存在なのだと信じていたからこそ、リサは京楽を密かに慕っていた。
瀞霊廷内で京楽の姿を見掛ける度に、憧れで胸の内が震えた。
いつしか、京楽の下で働くことを願うようになっていた。
だが、ある日リサは気付いてしまった。
京楽が女を見る時、実はその眼差しがどの娘でも一緒なのだということに。
優しい言葉を掛けるその声音が、いつも同じ響きを持っていることに。
リサは気付いてしまったのだ。
京楽にとって、女は皆同じなのだということに。
――「女」なら、誰でもいいのだ。
――京楽が求めているのは「女」という名の幻影なのだ。
そう理解した時、リサは心底絶望した。
男に。
そして、「女」である自分自身に――
京楽も、結局他の男と同じだった。
「女」というカテゴリーに自分の理想を押し付けて、目の前にいる彼女達の本当の姿を見ようとしない。
甘い言葉を囁きながらも、彼女達の個性など全く興味の範疇に無いのだ。
ただ、そこにあるのは「女とはこうあるべきだ」という男の、都合の良い自分勝手な価値観だけ。
女は貞淑であるべきだ。
女はおしとやかに振舞うべきだ。
女は男に守られるべきだ。
それら全ての「女のあるべき姿」を充たした存在を求めているのだ。
だが、男の望み通りに振る舞い着飾るのなら、人形と同じだ。
「女」という名の殻を被った人形なのだ。
しかしリサは人形ではない。
喜び、悲しみ、怒り、恐怖、欲望、快感、尊敬、後悔、嫉妬、愛憎。
リサの中には、様々な感情が息衝いている。
リサは生きている。
リサには心がある。
だから、リサは男の理想通りの人形になどなりたくなかった。
リサは、「矢胴丸リサ」として生きたかった。
京楽なら、きっとリサの思いを分かってくれるだろうと期待していた。
京楽なら本当のリサを見てくれる筈だと勝手に夢想していたのだ。
しかし、京楽も他の男達と同じだった。
京楽も、結局「女」が欲しいだけだった。
(男なんか、大っ嫌いや――――)
最初から男に期待する方が間違っていたのだ。
失望したくなければ、最初から何も望まなければ良い。
裏切られたくなければ、最初から信じなければ良い。
京楽への憧れを断ち切ったリサは、そう決心していた。
けれど―――
「何で京楽隊長はウチを選んだんやろ……」
京楽は、リサに何を望んでいるのだろうか。
京楽は、どちらの「リサ」を欲しているのだろうか。
リサには京楽の真意が分からない。
そんな状態で副隊長の任を受けることは、どうしても躊躇われるのだった。
***
しかし、翌日リサが京楽へ返事をする間もなく七番隊に緊急招集命令が下った。現世で突如として大量発生した大虚の討伐任務に七番隊が選ばれたのだ。
その突然の任務はリサにとって好都合だった。
ぐちゃぐちゃだった頭の中を空っぽにする良い機会だと思ったのだ。
辞令への返事は帰って来てから考えれば良い。
そんな軽い気持ちで現世に出発した。
だが、現場に着いてみると状況は当初の報告よりもずっと厳しかった。
斬っても斬っても現れる虚達。
圧倒的な数の虚に、死神達は次第に劣勢になっていった。
次々と倒れる隊士達に危機感を感じた隊長の愛川羅武が、瀞霊廷に救援要請をしたが、助けが到着するまで隊士達が持ち堪えられるかどうか保証は無かった。
羅武もリサや他の席官も、隊士達を守りながらでは存分に力を発揮できない。
そんな状態で、無尽蔵とも思える大量の虚を相手にしながら、皆少しずつ、しかし確実に消耗していった。
そして、全員の疲弊が限界に達した頃、一瞬の隙を突かれて他の部隊からリサの率いる部隊は引き離されてしまった。
リサが何が起こったのか理解した時には、既に四方を完全に囲まれていた。
孤立してしまったリサの部隊は、負傷者だらけで戦える者は殆どいない。
リサにももう殆ど戦う力は残っていなかった。
(ここまでか……)
もう駄目だと死を覚悟した。
その時だった。
「よく頑張ったね」
「もう大丈夫だ」
一陣の風のようにリサの目の前に現れたのは、京楽と浮竹だった。
「行くぞ、京楽」
「ああ」
呆然としているリサの目の前で、薄紅と純白の旋風が次々と虚を倒して行く。
それはまるで、一糸乱れぬ剣舞を見ているようだった。
それほどまでに、二人の全ての動きがぴたりと合った戦闘だった。
すごい……という呟きが背後の隊士達から漏れる。
まるで虚空を斬るかのように易々と虚を斬っていく二人は、神懸かったように強かった。
夜の闇に、虚の断末魔の叫びが木霊する。
その身の毛のよだつほどに恐ろしい声は、経験を積んだ死神にすら戦慄を走らせる。
だが、食い入るように京楽を見詰めるリサは、全く別の恐怖に全身を震わせていた。
(京楽隊長……あんた、何て目をしてるんや……)
戦闘の最中だというのに、京楽の瞳は酷く穏やかだった。
冬の湖のように澄み切った、静かで深い瞳。
けれどどこか虚ろな瞳。
最初、京楽は何も見てはいないのだとすら思った。
こんな激しい戦いの中ですら、京楽の心は何処か別の場所にあるのだと。
だが、すぐにそれは間違いだと気付いた。
京楽の瞳は、何時だってたった一つのものしか映していない。
浮竹しか映していない。
そうだ。
京楽の意識の中には浮竹しかいない。
リサ達も、目の前の虚ですらも、京楽の心には無い。
最初から、京楽の世界には浮竹しか存在していないのだ。
虚を倒しながらも、全く乱れることの無い呼吸。
しなやかな筋肉の無駄の無い動き。
弧を描いて踊る白銀の髪。
双魚理が虚の肉を切り裂く音。
地面を蹴る度に舞う土埃。
京楽の全身の神経が浮竹の存在だけに集中している。
(ああ、そうか――
京楽隊長にとって唯一確かなものは、浮竹隊長だけなんや――)
「女」だけではない。
京楽にとって「浮竹十四郎ではないモノ」は、皆同じなのだ。
京楽春水の心は、浮竹十四郎だけに開かれているのだ。
その事実に気付いた時、今まで味わったことも無い恐怖にリサは身体を震わせた。
結局、僅か十数分の間にあれ程多かった虚は全て倒されてしまった。
二人が刀を納めた途端、まるで機を計ったかのように救護隊が駆け付け、リサ達の手当てを始めた。
先程まで激しい戦場だった筈の場は、いつの間にか平穏を取り戻していた。
京楽と浮竹は、返り血一つ浴びていなかった。
***
その後、程無くしてリサ達は羅武を初めとした七番隊の他の部隊と、八、十三番隊の隊士達と合流した。
羅武の説明によると、京楽と浮竹の活躍のおかげで近隣の虚は殆ど倒したが、まだ虚が残っている可能性があるため油断は出来ないということだった。
七番隊は連日の過酷な戦闘によって多くの怪我人が出ていたが、それでもリサを含む席官の何人かはまだ十分戦う余力がある。
従って、怪我の酷い者以外は現世に残り、八、十三番隊と協力して任務を遂行することに決定したとのことだった。
その夜、酷く疲れてはいたが掠り傷しか負っていないということで、リサは早々に休息をとることを許可された。
しかし、野営地で与えられた天幕に戻ってもなかなか寝付くことが出来なかった。
身体は疲れきっているのに、妙に目が冴えているのだ。
原因は分かっている。
瞼の裏に焼き付いて離れない、戦場での京楽の姿だ。
(京楽隊長は、ウチが思っていた以上に複雑で、怖い人なんやろか……あの人は、どこか壊れてるんやろか――?)
そんな京楽に魅かれた自分。
そんな京楽に選ばれた自分。
それは一体何を意味するのだろうか。
これ以上考えると、踏み込んではいけない場所に思考が及ぶ気がして怖かった。
(……何をしてるんや、ウチは――)
こんな風に神経が昂ぶっていてはとても休むどころではない。
散歩でもして夜風に当たって頭を冷やそうと考えると、誰にも告げずにリサは天幕を後にした。
猫の目のように細い三日月が、辺り一面を蒼々と濡らしている。
夜行性の鳥の不気味な声が響く中、リサは熱に浮かされたように歩を進めた。
鬱蒼とした樹海の間に、息の詰まるような重苦しい空気が充満している。
まるで、海の底にいるようだった。
木々が急に途絶え、気が付くとリサの目の前には京楽と浮竹がいた。
浮竹は大木の根本に腰掛け、京楽は浮竹の膝に頭を預け眠っている。そんな京楽を見詰める浮竹の表情は、酷く優しかった。
先程までの戦闘が嘘のように静かで穏やかな空気。
二人だけの親密な時間。
神聖な場所に土足で立ち入ってしまった気がして、リサは動くことが出来なかった。
どうしようかとリサが逡巡している内に、浮竹がふと顔を上げた。
そして、リサと目が合うと、特に驚いた様子も見せずにこりと微笑んだ。
予想外の浮竹の反応に狼狽するリサなど意に介さず、浮竹はゆっくりと京楽を起こさないように立ち上がると、リサの方へと歩いて来た。
そして、す、と手を上げると、滑らかな手の動きで宙に線を引く。
布が裂けるように空間が切れるのを目にして、初めてそこに結界が張ってあることに気が付いた。
浮竹が結界から出てリサの隣に立つ間も、京楽は眠ったまま身動き一つしない。
京楽を起こさなくて良いのかと視線で訴えるリサに、浮竹は笑顔で「心配しなくて良いよ」と応えた。
「虚や未確認の霊圧を感知したらすぐ起きるから大丈夫だよ。あれでも一応隊長だからな。あいつがあんな風に熟睡しているのも、この結界は俺が張った物だからなんだ。
京楽の奴、俺の霊圧を感じていると安心するみたいなんだよ」
そう語る間に、浮竹は乱れた着物の襟を整え髪を結び直す。
照れも恥じらいも無い、自然な仕草だった。
「浮竹隊長、その、ウチは……」
「丁度良かったよ、矢胴丸君。君と話をしたいと思っていたんだ」
意図しなかったとはいえ、二人の逢瀬を覗き見するような形になってしまったことを謝ろうと口を開いたリサを、浮竹の言葉が遮った。
他隊の、しかも席官にしか過ぎない自分の名前を浮竹が知っている事実に一瞬驚いたが、しかしすぐに京楽から話を聞いているのだろうと思い当たる。
髪を結び終えた浮竹は、真っ直ぐリサへと向き直った。
「京楽への返事は、もう決まったかな?」
やっぱり、と心の中で呟く。
どうして十三番隊隊長の浮竹が八番隊の人事に口を挟むのか、などということは不思議と考えなかった。浮竹は、純粋に京楽のことを想っているのだと直観していた。
「……まだ、です」
浮竹から視線を逸らして首を振る。
目の前の男に自分の迷いも不安も何もかも見透かされている気がして、目を合わせるのが怖かった。
そんなリサの気持ちに気付いているのか、まるで世間話でもしているような口調で浮竹は言葉を続ける。
「勿論、君の意思に反してまで副隊長になることはない。ただ、無理にとは言わないけれど、京楽の申し出を受けてくれると嬉しいな。京楽は君にとても期待している。
あいつはああ見えてしっかりしているし、気も利くし、良い上司だと思うよ」
まあ俺が言っても説得力が無いかもしれないけどな、と笑ってみせる浮竹に、リサは思わず「どうしてウチなんですか?」と問い掛けていた。
「どうして、京楽隊長はウチを選んだんですか?ウチは、京楽隊長に期待されるような器じゃ……」
自分には京楽のために出来るようなことは何一つないのだと叫び出しそうな衝動を、拳を強く握ることでぐっと堪えた。
この、絶望にも悲しみにも似た胸のつかえを、優しい眼差しで自分を見詰める男にぶつけてしまいたかった。
「なあ、矢胴丸君」
労わるような優しい声に顔を上げると、慈愛に満ちた碧の双眸がリサを迎えた。
「京楽も俺も、副隊長を選ぶ時はとても慎重になる。やはり、俺達が信頼出来て部下からも慕われて、実力がある者でなければ副隊長の任は任せられないからだ。でもそれだけじゃない。
副隊長ともなると一緒に過ごす時間も多くなる。それだけ情も移ってしまう。でも、副隊長という役柄上、戦場では前線に出て戦うことが増えるだろう?それはつまり、それだけ死の危険が増えるということだ」
一瞬、浮竹の表情に影が奔る。
だが、次の瞬間にはもういつもの浮竹の笑顔がそこにあった。
「折角大事にしている部下をすぐに失うのはあまりにも辛いからな。だから、俺達にとって副隊長を選ぶのは、とても勇気がいることなんだよ」
「ならやっぱりウチじゃ……」
「京楽は臆病な奴でな。他人になかなか心を開かない。でも、君になら――君なら信じられる気がするみたいなんだ」
「ウチを……信じる?京楽隊長が?」
信じられないといった表情のリサに、浮竹はこくりと肯いてみせる。
「君と京楽は似ているんだよ。京楽は、君に自分と近いものを感じているのだと思う。矢胴丸君は、自分と世界の間に超えられない壁がある、そんな風に感じたことは無いかい?」
「それは……」
「女」の自分を求める世界と本当の自分。
その間に横たわる深い深い溝を痛烈に感じていたリサだからこそ、京楽に惹かれたのだ。
「京楽はさ、そんな君になら自分の隊を任せられると思ったんだよ」
リサが感じていたことを、京楽も感じていたのだろうか。
「……過大評価やったらどうするんですか?」
「女」という仮面の下にある本当の自分は、京楽が期待するほど強くは無いかもしれない。
それでも京楽はリサを必要としてくれるだろうか。
「君なら大丈夫」
幼子に言い聞かせるかのように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
その声は自信に満ちていた。
「あいつの目に狂いはないから」
そう言って笑った浮竹は、眩しいほどに綺麗だった。
***
「ええっと……矢胴丸副隊長、その格好は?」
副隊長任命式を終え、八番隊執務室にやってきたリサの姿に京楽は驚きを隠せない。
鳩が豆鉄砲を食らったようなとは、こんな表情を指すのかもしれないとリサは内心苦笑した。
「何やねん。文句でもあるんか?」
文句があったとしても聞く耳は持たないと言外に響かせる。
「いや、僕は構わないけど――」
「ならええねん。さっさと仕事しいや」
そう言ってドン、と京楽の机の上に山のような書類を置くと、リサはまだ何か言いたそうな京楽を無視して自分の机へと向かった。
リサが辞令を受けると決めた時、同時に決心したことがある。
京楽の前ではありのままの自分でいること。
京楽の部下である限り、自分らしく生きること。
死覇装の袴を短く改造したのは、その決意の一端だ。
以前から、長くて想い袴は暑苦しいし動きにくいと思っていた。
けれど、女が素足を見せるなどはしたないと言われることを恐れて、なかなか改造に踏み切れなかったのだ。
短い裾から伸びる足は、空気に晒されて気持ちが良い。
そこにはこれまでに感じたことの無い開放感があった。
「あのさ……何読んでるの?」
「エロ本や。見たい言うても仕事が終わるまで貸してやらんぞ」
「ええええ!僕だけ仕事なの!?」
「アホか、アンタが書類仕事しないからこんなに溜まってるんやろ!ウチの今日の仕事は、アンタの監視や!ちょっとでも逃げようとしたら遠慮なく殴るからな」
「そんなぁ……」
情けない顔の京楽を無視してリサは頁を捲る。
そんなリサの横顔を少しの間じっと見詰めていた京楽は、やがて観念したかのように筆を取った。
「リサちゃんにはやっぱり敵わないね」
誰にとも無く呟かれた声は、どこか嬉しそうだった。
当たり前やと応えたリサの耳は、ほんのり紅く染まっていた。
23.05.10
リサちゃんと京楽さんの関係を真剣に考えてみたらこんな話が出来ました。
リサちゃんの京楽さんへの想いって複雑だと思います。
ドイツでは矢車草を胸に挿すのは「独身」を意味するらしいのですが(正確には独身男性かな^^;)、タイトルはリサちゃんの独立心みたいなイメージでつけました。