卯ノ花の精密検査は徹底的で、血圧から脳波まで調べられたかと思うと更には霊圧測定、心理テストまで行われ、全ての検査が終わった頃にはとっぷり日が暮れていた。
検査結果は、異常なし(もっとも肝臓が少し弱っていると言われたが)。二千年分の記憶がすっぽり抜け落ちていると言うこと以外、京楽は至って健康であった。
疲れきってふらふらの体で綜合救護詰所を出た京楽は、重い身体を引きずって雨乾堂に向かった。
本当は今すぐにでも布団に入って眠りにつきたかったが、きっと浮竹は検査結果を知りたいだろうと思ったからだ。
帰りの遅い京楽にもしや検査結果が芳しくなかったのではと心配していた浮竹は、京楽は(身体的には)健康であると聞いてひどく安心したようだった。
どこにも異常は無いにも拘らず京楽の記憶は戻る気配が無いことについては京楽も浮竹も触れなかった。
京楽はずっと検査だったためまだ夕食をとっていなかったし、浮竹も食事もせずに京楽の帰りを待っていたため二人で少し遅い夕食にすることにしたが、
京楽の疲れて少し青褪めた顔を見た浮竹はどこからか京楽用の着替えとタオルを取り出すと、有無を言わせぬ口調で京楽に先に風呂に入るように言い付けた。
風呂まで十三番隊の厄介になっていいものかという考えがちらりと京楽の頭を掠めたが、卯ノ花の検査(というよりその凄まじさは何かの実験台になっている気分だったが)によって眩暈がするほど疲れていたため、
大人しく浮竹の言うことを聞いて十三番隊の隊舎の風呂でゆっくりと湯船に浸かって一日の疲れを癒したのだった。
京楽が風呂から戻ってくると、他愛無い会話をしながら二人は浮竹が用意した簡単な夕食をとった。しかし、腹が満たされると途端に睡魔が京楽を襲う。
あまりの眠気に京楽は目を開けているのもままならない状態だった。しばらく頑張って浮竹の話に相槌を打っていたがやがてどうしても睡魔に勝てず、やっとの思いで
「十四郎さん・・・申し訳ないんですが少しだけ横にならせてください」
とだけ言うと、そのまま倒れこむようにごろりと床に突っ伏してしまった。
「こら、京楽。そのまま寝ると風邪を引くぞ。布団を敷いたからこっちに来い」
「うぅぅ・・・」
浮竹が何か言っているのだが、既に半分以上眠りに落ちてしまっている京楽は返事すらままならない。
柔らかい布団の感触に包まれたところで京楽は完全に眠りに落ちた。
それからどれくらい経ったのだろうか。
京楽が目を覚ますと浮竹の姿はどこにも無かった。寝惚けた頭で眠りに落ちる直前のことを思い返そうとしたが、眠くて眠くて仕方が無かったこと以外思い出せない。
いつの間に布団に入ったのだろうか、浮竹はどこにいったのだろうかとぼんやり考えながら、京楽は大きく伸びをした。
「お、起きたのか?」
京楽が布団から出ようと腰を上げた所に浮竹が帰ってきた。
風呂に入りに行っていたらしく、寝間着に着替え、首にはタオルが掛けてある。
「すみません、眠ってしまって・・・」
「構わないさ。疲れていたんだろう?」
そう言って京楽の隣に座ると、浮竹はごしごしと乱暴に髪を拭く。
それでは髪が傷んでしまうと思った京楽は、咄嗟に浮竹の手首を掴んでいた。
「京楽?」
「え?あ、すみません、つい・・・・・・でも、そんな風にしたら髪が傷みますよ。折角の綺麗な髪なのに勿体無い」
浮竹の手からタオルを取り上げると、京楽は浮竹の背後に座って浮竹の髪を乾かし始めた。浮竹は一瞬驚いた顔をしたが、直ぐに何も言わずに前を向くと身体の力を抜いて京楽の好きにさせた。
優しく包むように京楽は浮竹の長い髪をタオルで撫でていく。浮竹の髪は手入れがきちんとされているのか、艶があって美しかった。
髪に気を遣っているようには見えないのに、と先程の乱暴な仕草を思い出しながら京楽は少し意外だった。
遺伝によるものなのか雪のように白い髪は、珍しいが、それでもひどく浮竹に似合っている。真っ直ぐで真っ白な髪は浮竹の清い心を象徴しているようだと京楽は思う。
今は湿り気を帯びている髪は、乾けばきっとさらさらで触り心地が良いことは容易に想像できた。
今まで床を共にした女性にもこんなことしたことがないのに一体自分は何をやっているのだろうかと京楽は心の中で呟いた。
確かに浮竹は整った顔立ちをしているし、綺麗な男だとは思う。肌だってその辺の女性よりもずっと白くて綺麗である・・・
そんなことを考えながらふと浮竹の首筋に目を遣ると、今まで髪に隠れていた項に薄っすらと桜色の鬱血の痕があるのが目に入った。
もう消えかかってはいたが、それでも浮竹の白い肌にその色は鮮やか過ぎるほどだった。
勿論、それの意味するところが分からない京楽ではない。思わずごくりと唾を飲み込んだ。
この印を自分が浮竹の肌に付けたのだと思うと、言いようの無い感情に京楽の心はざわめいた。
「京楽?」
手を止めてしまった京楽を不審に思ったのか浮竹が首だけを動かして京楽を見詰める。
しかし京楽の視線は浮竹の首筋に釘付けだった。
浮竹が動いたために濡れた髪から一滴の水滴が零れ落ち、ゆっくりと浮竹の首筋を伝うと、きっちりと閉められた寝間着の襟元に流れ落ちていく。
浮竹の首を這うのが雫ではなく自分の舌だったら、と思わず想像していた。
その肌に舌を這わせ、感じるところをきつく吸ったら浮竹はどんな反応をするのだろうか。
白い肌が桜色に上気するまで攻め立てたら、浮竹は白い髪を振り乱して答えてくれるのだろうか。
「おい、京楽?」
再び自分の名を呼ぶ浮竹の声で京楽ははっと我に返った。
「あ・・・何でもないです。終わりましたよ」
浮竹のあられもない姿を想像して興奮してしまった自分に京楽は激しく動揺していた。
いつの間にか身体も反応し始めている。
(どうしちゃったんだ、僕は・・・!十四郎さん相手に疚しい考えを持つなんて・・・)
思春期のやりたい盛りのガキでもないのに、女性経験は豊富なはずの自分が想像だけで男相手に欲情していると言う事実に京楽は愕然とした。
(そんな・・・違う、これは何かの間違いだ!僕は女の子が好きなんだ!決してゲイじゃない!)
僕はヘテロなんだと必死で自分に言い聞かせる京楽は完全に周りが見えていなかったため、浮竹にぽん、と背中を叩かれて思わずびくっっっと飛び跳ねてしまった。
「な、何ですか、十四郎さん?」
「だから今日泊まっていかないかって」
「ええ、いいですよ・・・って、ええ?!」
「いや、だってお前・・・じゃない、君は疲れてるんだろう?今から八番隊に帰るよりもここで寝ていけばいいと思ってな」
「で、でも・・・これ以上迷惑を掛けるわけには・・・・・・」
「構わないさ。色々あってゆっくり話も出来なかったしな。俺としては君が泊まってくれれば嬉しいんだが」
「でも・・・」
先程浮竹に対して邪まな妄想をしてしまった罪悪感からか京楽は返事を渋ってしまう。こんな悶々とした気分のまま浮竹と一晩を過ごすのはどうしても躊躇われた。
そんな京楽に何を勘違いをしたのか浮竹は不意に可笑しそうに笑い出すと
「心配しなくても、君を襲ったりはしないよ」
と言ったので、京楽は面食らってしまった。
「そんなことは思ってませんよ!」と慌てふためいて京楽は弁解したが浮竹は本気にしてないようだ。
「話がしたいだけだから、遠慮しないで泊まっていけばいいよ」
そう邪心の無い笑顔で言われてしまうと、京楽も断る理由が見つからず結局分かりましたと頷くしかなかったのだった。
*****
今夜は眠れないかもしれないな。
京楽の規則正しい呼吸を背中で聞きながら、浮竹はぼんやりとそんなことを思った。
自分の布団を既に敷いてあった京楽の布団の隣に敷くと、浮竹は灯りを消して床に就いた。いつもはぴたりとくっつけて敷かれる二組の布団は、今夜は腕一本分ほどの距離を間に挟んでいる。
手を伸ばしても届かない距離は、今の浮竹と京楽の心の距離を表しているようだった。
京楽は浮竹より先に布団に入っていたが、まだ眠りには落ちていない。
雨乾堂が暗闇に包まれると、京楽も浮竹も息を潜めるようにして互いの気配に耳を澄ませていた。
「・・・・・・今日は、他の隊長達には会ったのか?」
何とか京楽と会話を始めたくて、浮竹は当たり障りのない話題として護廷隊を選んだ。
ここのところ隊首会は開かれていないから京楽はまだ浮竹、卯ノ花、山本以外の隊長には会っていないはずだった。
「ああ、更木隊長に会いましたよ」
「剣八に?」
「いきなり攻撃されました」
「何だって!?」
「間一髪で躱すことが出来て良かったですよ。本当に突然だったからなあ」
「どうしていきなり剣八がお前を攻撃するんだ?」
「何でもずっと前から僕と戦ってみたかったらしいですよ。僕が記憶喪失になったって聞いて戦い方も忘れたんじゃないかって試したかったそうです」
「成る程・・・剣八らしいな」
「僕が躱せなかったらどうするつもりだったんでしょうね」
「そうだなあ。あいつはそこまで考えてなかったかもしれないぞ」
「ははは、ある意味凄いなあ、それも」
やはり記憶を失っても長年戦闘で培ってきたカンは京楽の身体に染み付いているのだろう。剣八の攻撃を避けることが出来たのも、殺気を感じて頭よりも身体の方が早く動いたからに違いない。
だとすれば、京楽の戦闘能力は失われていないのだろう。それならば万が一京楽が戦わなければならなくなった時も、対処できるかもしれない。
もっとも花天狂骨が機嫌を直さない限り、斬魄刀で戦うことは出来ないが。
何とか京楽が斬魄刀と対話する気になってくれればいいのだが、こればかりは斬魄刀と持ち主の間の問題なので浮竹が口を挟むことは出来ない。
「今日、更木隊長や副隊長の皆さんに会って思ったんですけど、死神って言っても色々なタイプがいるんですね。僕の知っている死神は、権威を笠に来て威張ってる奴が多かったから」
「そうだな。流魂街出身の死神が増えたからだろう。流魂街での苦しい生活を覚えているから、死神になっても横暴な振る舞いをするものは少ないのだろうな。総隊長殿の設立した真央霊術院のおかげだよ」
「瀞霊廷の住人にも流魂街の住人にも、能力のある者には平等に門戸を開くという理念に基き建てられた学院、か。眉唾物だと疑ってたけど、考えを改めるべきかもしれないな」
「でも、流魂街の魂魄達は今でも死神を嫌っているよ。無理もないがな。霊術院のおかげで少しは瀞霊廷と流魂街の貧富の差は埋められたとは言え、相変わらずソウルソサエティを取り仕切っているのは一部の霊圧の強い者や
貴族だけだからな。二千年経ってもソウルソサエティの体制は殆ど変わっていない。人間は二千年もあれば飛躍的な発展を遂げるのにな」
「それでも、少しずつでも変化があると言うのは良いことですよ。今日、色んな死神に会って、少しだけ死神に対する偏見が薄れた気がします」
「・・・・・・そうか、それは良かった」
学院に入ったばかりの頃、京楽は死神を嫌っていた。貴族と死神だけが優遇されるソウルソサエティのあり方について疑問を持ちながら、どうすることも出来ずに己の無力に絶望していたのだ。
その京楽が今の死神達と出会って見解を改めたと言うのなら、隊長になって後続の死神達を育てていくという道を選んだ自分達は正しかったのかもしれない。
もしそれが真実なら、例え記憶が戻らなくても京楽はまた同じ道を進もうとするかもしれない。
その時が来てもまた、京楽の隣にいられれば良いと浮竹は願わずにはいられなかった。
それから何となく浮竹は言葉を繋げることが出来ずに黙ってしまう。
京楽も何も言わない。沈黙が二人の間を支配する。
もしや眠ってしまったのだろうかと浮竹が思い始めたとき、京楽が小さな声で
「・・・十四郎さん」
と呟いた。
「何だ、寝てるのかと思ったよ」
「聞きたいことがあるんですけど・・・」
「聞きたいこと?」
「僕と、十四郎さんとで雪国に行ったことありますか?あるいは雪に関する特別な思い出とか」
「雪?」
京楽の突然の不可解な質問に浮竹は面食らってしまう。
それでももしかしたら京楽は何か思い出しかけているのかもしれないと考えて、急いで雪についての記憶を探った。しかし。
「瀞霊廷でも現世でも雪なら一緒に何度も見たし、現世の北国にも何度か行ったことはある。どれも大切な思い出だ・・・雪国ってだけではなあ・・・もっと他に手がかりのようなものはないのかい?」
「いえ、何となく僕と十四郎さんにとって雪が大切な意味を持つのかな、って」
「雪か・・・うーん、悪いが大切な思い出は沢山ありすぎてどれか一つを選ぶことなんて出来ないよ」
「そうですか・・・・・・それならいいんです。ちょっと気になっただけだから」
「すまない、力になれなくて」
「いいえ・・・」
それっきり京楽は黙ってしまった。浮竹も出来ることなら京楽の記憶を取り戻す切っ掛けを見つけたかったが、京楽に言った通り沢山ある京楽と過ごした思い出はどれもとても大事なもので、優劣など付けられなかった。
(今年の冬は、京楽と一緒に雪を見ることが出来るのだろうか・・・?)
このまま京楽の記憶が戻らなければ、浮竹は一人で戦場に向かわなければならない。
今までに無い厳しい戦闘になるであろう時に京楽が隣にいないかもしれないのだと気付いて、浮竹は突然どうしようもない不安に駆られた。
待ち受ける藍染との戦いを、初めて怖いと思った。
「お休みなさい、十四郎さん」
記憶を失って一番不安なのは京楽なのに、京楽に慰めて欲しいと願うなんて、自分は何て弱いのだろう。
今すぐ手を伸ばして京楽の腕に抱かれたいと思う自分を必死の思いで律しながら、浮竹は掠れた声で
「お休み」
と呟いたのだった。
30.08.09
がんばれ若造^^;
浮竹さんの色気にどきどきの春水くんでした(笑)
各隊にもお風呂場はあると思うのですが隊長格なら専用のお風呂があってもいい気がします。