どうしてか、なんてわからない。
ただ、気が付けば
目はあいつの姿を追っていて
耳はあいつの声を聞くために澄まされていて
鼻はあいつの香を探していて
何故か、なんて知らない。
ただ
身体が 心が
あいつを求めていた。
狼と子羊
京楽が俺のことを避けていることは知っていた。
表立ってあからさまに、ってわけではないけれど、俺に声をかけられたり傍に近寄られたりするのを好んでいないってことは、
あいつが俺の前でだけ見せる少しだけ強張った表情や、どことなくぎこちない動作から、なんとなく気付いていた。
どうして俺に苦手意識を持っているのか、なんてあいつに直接聞いたことは無いけれど
答えはなんとなくわかる。
きっと俺があいつに比べて子供だから。
京楽はクラスの中でも飛び抜けて大人びている。
時々寮を抜け出して花街に行っている、とか
泣かせた女は数知れず、だとか
とにかく華やかな噂が多い。
青年というより、明らかに男の域に達している京楽は
正直言って男の俺から見ても格好良い。
しかも根っからの性格なのか、女性にはすこぶる優しいときている
女に困らない、って言うのも肯ける。
何から何まで俺とは正反対
別世界の住人だ。
俺といえばキスどころか、妹以外の女性と手を繋いだことすらない。
勿論、女性とお付き合いをする、なんて夢のまた夢だ。
そもそも俺はまだ女性に対して興味を持つ、ということがどういうことなのかよくわからない。
確かに学院に入ってから数ヶ月、何度か告白されたこともあるし、男友達とどの女生徒がかわいいか、なんて話をしたこともある。
でも、正直言えばイマイチぴんとこない。
自分でも子供だな、とは思うけれどこれが俺なんだから仕方がないとあきらめている部分もある。
もともと家族以外の他人への興味は薄いほうなんだ。
人から与えられる好意に対して、戸惑うばかりで同じだけの思いを返すことが出来なくて悩んだこともある。
執着心の欠けている、冷めた感情しか持つことの出来ない己を蔑んだこともある。
でも今は、それも自分なのだと、これが俺なのだと受け入れていた。
胸を焦がすほどの熱い思いも
心臓を貫かれるような激しい心の痛みも
自分には無縁だと思っていた。
だから
どうして京楽にだけは心を動かされるのか、なんて知る術もない。
ただ
あいつの傍にいたい
あいつと言葉を交わしてみたい
あいつに俺を見て欲しい
それだけで。
それ以上でもそれ以下でもなく。
ただそれだけを望んでいた。
だから柄にも無く俺のほうから歩み寄る、なんてことをしているわけで。
*****
(来るものは拒まず去るものは追わず、が俺の信条だったはずなのに。なんでこんなウサギが穴から出てくるのを待つ狐のような真似をしてるんだろう)
なんてことを考えながら俺は京楽の部屋の前であいつの帰りを待っていた。
暇つぶしにでもと思って持ってきた教科書はとっくに読み終えて傍らに放ってある。
(いったいいつになったら帰ってくるんだ。もういい加減待ちくたびれたぞ。)
と心の中で悪態を付きながら、あくびを噛み殺して俺は大きく伸びをした。
と、その時。
「何やってるの、そんなところで。」
両手を伸ばしたままの格好で目を開けると、俺の頭上に少し呆れたような京楽の顔があった。
寮を抜け出してどこかへ出かけていたのか初めて見る京楽の私服からは酒と香の混ざったような、ひどく甘ったるい匂いがした。
「何って、お前を待ってたに決まってるだろう?」
「もう真夜中過ぎてるのに?」
「それはお前が早く帰ってこないのが悪いんだろう!」
夕食を終えてすぐここに来たのだから、もうかれこれ4時間以上ここで京楽を待っていたことになる。どうりで本を一冊読み終えてしまうわけだ。
「で、君は一体僕に何の用なのさ。」
相変わらず京楽は俺に対して素っ気無い。
俺と目を合わせようともしない。
どうしてそんなに俺と距離を取ろうとするのかと掴み掛かって尋ねたら京楽はどうするのか、なんて柄にも無いことを思ってしまうほど、京楽は俺に対して無関心を装う。
「縛道の課題、二人組みで明後日までに練習して来いってさ。お前今日休んでいたから知らないだろうけど、俺と組むことになったんだ。だから練習しようと思って。」
「だからって何も部屋まで来なくても・・・。」
「お前が明日授業に来るかわからなかったし、とりあえず部屋に帰ってきたところを捕まえようと待ってたんだ。」
いくらなんでもこれでは逃げられないだろう。
課題のことは事実だし、京楽が俺と組むことになったって言うのも事実だ。
確かに俺のほうから進んで京楽と組むことを申し出たけれど、それはこの際黙っておこうと思った。
「課題のことはわかったからさ、今日はもう遅いんだ、帰ったほうがいいよ。明日一緒に教室で練習すればいいだろう?」
「そんなこと言ってお前が明日ちゃんと授業に出てくる保障なんて無いじゃないか。」
「約束するよ。」
嘆願するように俺を見つめる京楽を俺はきっぱりと無視してやった。
最早、折角ここまで追い詰めたのに逃がしてなるのものか、という意気込みだったのかもしれない。
断固として部屋の前から動かない俺に観念したのか、ひとつ大きく溜息を付くと京楽は
「わかった。じゃあ少しだけだよ。」
と言って俺に部屋に入るように促した。
*****
「なんか・・・物が少ないな・・・」
初めて入った京楽の部屋は、なんだかひどく空虚だった。
片付いている、というよりはむしろ生活感がない部屋だった。
いつでも出て行けるような、まるで最初から誰も住んでいないような、そんな寂しい部屋に、京楽の着けている香の匂いが僅かに漂っていた。
「どうせ6年しかいないんだよ、余計なものなんか増やしてどうするのさ。」
「それはそうだが・・・」
「僕の部屋のことはどうでもいいから課題に集中して早く終わらせてしまおう。」
有無を言わせぬ口調でそう言われてしまい、俺は仕方なく殺風景な部屋で京楽と二人、畳に直に座ったまま課題を学習することにした。
といっても俺はもう術式を暗記していたから、京楽の準備が整うのを待っていただけだが。
本当に一刻でも早く俺をここから追い出したいのか、京楽はいつに無く真剣に教科書を読んでいる。
横目で盗み見た京楽の表情は、思わず見惚れるほど凛々しくて、男の色気、見たいなものを醸し出していた。
「浮竹。あんまり見詰めないでくれないかな。気が散るんだけど。」
「え?あ、ああ。すまない。」
とはいうものの、手持ち無沙汰な俺は居心地の悪い沈黙の中で何をすればいいのかわからない。
きょろきょろと視線を彷徨わせていると、ふと部屋の隅に積まれた本に気が付いた。
タレス、パルメニデス、ゼノン、キケロ、エピキュロス、ピタゴラス、プラトン、アリストレテス
聞いたことも無い名前が並んでいる。
「なあ、京楽、この本って何なんだ?」
「ああ、それは現世のギリシャって所の哲学者達の書物だよ。」
「ギリシャ・・・」
俺は現世のことはよく知らないしギリシャがどこにあるのかとか、哲学者とは何なのかなんて分からなかったけれど、とにかく現世の書物に京楽が興味を持っているってことに少し驚いた。
でも、考えてみれば俺は京楽のことを何も知らない。
何を考え、何を思うのか
京楽の内面は俺にとっては謎でしかない。
同じ部屋にいて手を伸ばせば触れ合えるほどの距離にいながら、俺には京楽が遠い。
俺の視線を避けるように教科書に集中する横顔は、まるで仮面のようだ。
でも、俺はどうしても京楽に惹かれてしまう。
京楽に近付きたいと希う。
知りたい
京楽のことをもっと知りたい
胸が張り裂けそうなほどに膨らんだこの思いを
一体何と名付ければよいのだろう。
「京楽・・・」
京楽と俺の間の距離をゼロにする為には何をすればいいのだろう。
「俺は・・・」
どうしてこんな熱に浮かされたような声で切なげに京楽の名を呼んでいるのだろう。
名前を呼んだからといって、何が変わるわけでもないのに。
俺達の距離は埋まりはしないのに。
うきたけ、と京楽の唇が俺の名前を形作ったのが目に入ったけれど
夢でも見ているかのように非現実的だった。
(キスをすれば心の距離が無くなるといったのは誰だったかな・・・)
そんなことを頭の片隅でぼんやり思いながら
気が付くと俺は身を乗り出して
京楽の唇に自分の唇を重ねていた。
(確かに物理的な距離は縮まったけど、これで心の距離は縮まったのか?)
突然の俺の行動に京楽は何の反応も無く、身動きひとつしない。
俺はなんだか自分の行為がひどく無意味で滑稽なものに思えて、がっかりして京楽から離れようとした。
でも。
俺が身体を離そうとした瞬間、不意に京楽の瞳に今まで見たことも無い光が宿って、大きな手が俺の肩を掴むとそのまま俺の体を床に押し倒した。
それから先はよく覚えていない。
京楽の唇が俺の唇に押し付けられたかと思うと
肉厚の舌が俺の口内に入ってきて
めちゃくちゃにされた。
唇も
舌も
何もかも
京楽の激しい舌の動きに翻弄されて
息をするのもままならなくて
俺は何が起こっているのかわからなくて。
思考も
心も
身体も
何もかも
京楽の成すがままだった。
そんな状態がどれほど続いたのだろうか。
不意に京楽が俺の唇を解放した。
「僕はね、君みたいなコドモが興味半分で近付いていい男じゃないんだ。迷える子羊を食べようと狙ってる悪い狼なんだよ。」
俺を見下ろす瞳には獰猛な光が宿っていて、その瞳に見つめられると身体の芯が痺れるような、身体の自由が奪われたような、そんな甘い混乱に襲われた。
「だからこれに懲りてもう僕に関わるのはやめたほうがいい。」
京楽の掠れた声の忠告は、俺のぼんやりとした頭ではうまく理解できない。
ただ京楽に拒絶されるのが怖くて
剥き出しになった京楽の心を失いたくなくて。
何かをいわなければと心は焦るばかり。
「俺、お前になら食べられてもいい・・・。」
結局
回らない頭で、必死に考えて出てきた台詞はひどく陳腐なものだった。
京楽、俺達の距離は永遠に埋まらないのだろうか?
24.04.09
浮竹さんは自分が狼のつもりで京楽さんという羊を捕食しようと思ったら、実は京楽さんは羊の皮を被った狼で浮竹さんのほうが捕まってしまった、というお話です。
ちなみにキケロとピタゴラスを哲学者の括りに入れていいものか・・・そもそもプラトンとアリストテレス以外の人たちはちゃんとした本を残していないのでこの辺は全て捏造です。
もっと東洋の文献を取り入れようと思ったのですが、思いついたのがリグ=ヴェーダと孔子くらいしかなかった上に、二千年くらい前にその当時としては最先端の本を京楽さんが読んでいる設定にしたかったのでギリシャ人に登場してもらいました。エキゾチックだしね。
最後の京楽さんの「狼」発言と浮竹さんの「食べられてもいい」発言を書きたいがために出来たお話です。
この後の京楽さんの反応がどうもよくわからなかったので、すごいところで終わっています。
いろいろ考えたのですが
1.「後悔しても知らないよ」といってそのまま浮竹さんをおいしく頂いてしまう黒楽さん
2.「痛い目を見ないとわからないみたいだね」といって浮竹さんをいじめながら頂いてしまう鬼畜楽さん
3.「あのねえ、意味わかって言ってるの?」と脱力してしまうどこまでもいい人な京楽さん(へたれともいう)
4.「意味もわからないオコサマのくせに馬鹿なこと言わないでよ」と怒る常識人な京楽さん
などなど。
要望があれば続きを書きたいと思いますww