―――私は女であることに絶望していた。
都忘れの憂愁
私には現世で生きていた頃の記憶がある。
イギリスの良家の娘だった私の毎日を支配していたのは、終わりの見えない退屈だった。
男勝りな性格だった私は、家でピアノや裁縫、絵を習うよりも、馬に乗って外を駆け回り、当時は「女性らしくない」学問と言われていた数学や科学関連の本を読むことを好んだ。
実際、私は結婚して家庭を持つことに興味は無く、むしろ大学に行って医者になる勉強をしたいと思っていた。
けれど、当時のイギリスでは女が大学に入ることなど許されてはいなかった。
いや、女が勉強をして何になるのだというような風潮だったから、もしかしたら大学に行きたいと思う女がいるなんて誰一人思わなかったのかもしれない。
私の夢は、抱くことすら許されないものだったのだ。
*
家での生活は窮屈で息が詰まった。
まるで真綿で首を絞められていくように、私はゆっくりと死んでいく―――
そんな表現がぴったりの、緩慢な腐敗に満ちた暮らしだった。
狩猟や馬の世話だけが生き甲斐で、家族のことには何の興味も示さない父親。
口を開けばゴシップばかりで、娘を金持ちの家に嫁がせることしか考えない母親。
道楽にかまけ借金ばかり作る兄。
男のことしか頭に無い姉と妹。
誰も私のことを理解してくれなかった。
誰も、「私」を見てくれなかった。
こんな家、逃げ出してしまいたかった。
*
私が家から出る唯一の方法は結婚だった。
でも、それは私を支配するものが「父親」から「夫」に変わるだけのこと。
男に頼らなければ、私は自分で自分の運命を切り開くことも出来ないのだ。
仕来りや慣習に雁字搦めで、「私らしく」生きることなんて出来なかった。
苦しかった―――
女に生まれたばかりに、望み通りの人生を生きることが出来ないなんて。
なんてこの世は理不尽なのだろうと、夜毎枕を涙で濡らしながら、私は女に生まれた自分を呪った。
結局、私は自分の人生に嫌気が差していたのだ。
家という檻の中で、愛玩動物のように生温い不自由な生を生きるのはもう沢山だった。
こんな人生なら、生きる意味など無かった。
そう感じていたからこそ、私には生きる意志が乏しかった。
だから流行り病であっけなく死んでしまった時も、ああ私の人生は何だったのだろうと虚しくはなったけれど、現世での生そのものに未練は無かった。
ただ、死後の世界が少しはマシであることを祈っていただけだった。
そして死神に魂葬され流魂街に辿り着き、そこで初めて自分には死神になる力があることを知った。
*
私にとって「死神」になることは、至上の幸福だった。
自分の力で運命を切り開いていける。
「私」を認めてくれる環境がある。
男にとってはきっと当たり前の、そんな単純な事実が嬉しかった。
流魂街で暮らすことになった時、私は現世での名前を捨て代わりに「都」と名乗ることに決めた。
それは、現世での無力な私はもういない、私は生まれ変わったのだということの象徴だった。
私は「都」として、自由に生きていく。
もう、男に手を差し伸べられるのを待つこともない。
私は私のために生きていくのだ。
そう、決意した。
そして、真央霊術院を卒業してすぐに護廷隊に入隊した。
護廷隊は戦闘集団だから、当然の如く男性の数の方が勝っている。
それでも、幸運なことに死神としての能力は霊力によって決まるから、平均よりも霊圧が高くそのコントロールに長けていた私は、男達と同等、いや、それ以上の働きをした。
男達の中に混じって手柄を立てることの喜び。
自分の力だけで出世していく快感。
その頃の私は、正に水を得た魚のように生き生きとしていたに違いない。
だって、初めて生きることの喜びを知ったのだから。
*
そんな時、十三番隊に配属され、志波海燕と出会った。
元五大貴族だと言う彼は、今まで私が出会った男達とは何かが違っていた。
飾らない性格で真っ直ぐな心根の持ち主の彼は、「誇り」なんて言葉や綺麗事を平気で口に出来て、尚且つそれが嘘にならない人だった。
勿論それは浮竹隊長の影響なのだろうけれど、志波海燕は浮竹隊長とどこか違っていたのだ。
護廷隊の隊長ともなる死神達は、皆、良い意味でも悪い意味でもどこか常軌を逸している部分がある。
それは浮竹隊長も例外ではない。
浮竹隊長は、その優れた人柄で誰からも好かれる方ではあるけれど、時折冷たい刃物のような鋭利さを垣間見せる。
そんな浮竹隊長を目にする度に、「ああやはりこの人も狂気を身の内に潜めているのだ」と私は改めて思うのだ。
けれど、志波海燕は違った。
彼は「普通」そのものなのだ。
出世欲も無く、自分の信じる道をただひたすら突き進むだけの彼。
きっと、自分を否定されたことが無いのだろう。
貴族として生まれ育ち、自分は他人とは違い「特別」なのだと教えられた者特有の、絶対の自信のようなものが彼からは滲み出ていた。
それは、志波家が没落しても変わらないようだった。
悲しみも苦しみも、穢れも知らない、濁りの無い真水のような人だ、というのが第一印象だった。
それだけだったのだ。
だから、誰にでも分け隔てなく接する志波海燕副隊長を慕う者は隊には多かったけれど、私自身は彼には興味が無かった。
私にとって彼は、同じ隊の上司、というだけの存在だったのだ。
それでも、十三番隊の誰もが敬愛する志波海燕が私に好意を持っていると気付いた時、自分だけが特別だという気分がしてちょっとだけ気分が良かったのも事実だ。
彼に対して何の感情も持たなかった私が彼と付き合うことを承諾したのは、意地が悪いとは分かっていたけれど、正直分かり易い好意を向けてくる貴族の御曹司を手玉に取ることが出来るという誘惑に逆らえなかったからだ。
だから、最初はただの遊びのつもりだった。
結婚とか、将来のことなんて全然考えていなかった。
それにいくら元貴族と言っても、瀞霊廷出身の死神と流魂街出身の死神との間に真剣な男女の関係なんて有り得ないと思っていたのだ。
だから私は志波海燕と真剣に付き合うつもりなど毛頭無かったし、彼の気持ちに応えるつもりも無かった。
だけど、ある日「何故私を選んだの?」というからかい半分に私が尋ねた問いに、ひどく意外な答えが返ってきて、その時初めて私は自分が志波海燕に対して思い違いをしていたことに気が付いた。
「俺が都に惹かれたのは、都が俺から何も望まないからだ。都は俺から何も期待しない。俺を頼るわけでも、尊敬するわけでもない。俺はそんな奴をずっと求めていたんだ。だから、都と一緒にいると安心する。都の傍はとても居心地が良い」
そう、彼は気付いていた。
私が彼から何一つ欲していなかったことを。
だって、彼は「男」だから。
私は「男」からは何も望まない。
「男」とは、常に私を否定する存在でしかないのだから。
だから、私は「男」に何も期待しない。
私は「男」を信じない。
私は、決して「男」を愛しはしない―――
女であることに絶望していた私は、自分が「女」であることを呪い、私を絶望に追い込んだ元凶である「男」を憎んでいたのだ。
だから、私は「男」である志波海燕に何も求めなかった。
けれど、思いがけない彼の告白を聞いた時、初めて理解したのだ。
私が彼から何も望まない理由は彼が「男」だからだけど、それは同時に彼に何の役割も課さないということでもあったのだ、と。
そして彼もまた、「女」という役割に縛られて苦しんでいたかつての私のように、周囲の期待という名の鎖に雁字搦めになりながらもがき苦しんでいるのだ、と。
「五大貴族志波家の長男」
「護廷十三隊十三番隊副隊長」
「死神」
「優しい兄」
「優秀な部下」
「頼れる上司」
そして、「男」―――
彼もまた、誰かによって与えられた役割を演じることに疲れ切っていたのだろう。
だから、志波海燕は彼に何も求めない私を選んだのだ。
そう。
彼もまた、「彼らしく」生きることを求めているだけなのだ。
そのことに気が付いた時、心の奥底からどうしようもない程の愛しさが込み上げ、身体中に満ち溢れた。
その時初めて、私は彼を愛しく思った。
この時、「都」は「海燕」に恋したのだ。
**********
「ルキアちゃん、だったかい、あの新しく入ってきた子?」
十三番隊隊舎の庭で新入隊員に稽古をつけている夫を見守っていた私に声を掛けたのは、いつものように浮竹隊長を訪ねてきた京楽隊長だった。
確か浮竹隊長は今所用で雨乾堂を留守にしているはずだから、暇潰しにと隊舎を散歩でもしている所だったのだろう。
八番隊の隊長であるにもかかわらず、京楽隊長は頻繁に十三番隊を訪れるので今更京楽隊長の姿を見て驚く者は十三番隊にはいない。
こちらの様子に気付いた夫がぺこりと頭を下げ、それに続いて新人が慌てて京楽隊長に向かって深々とお辞儀をするのが見える。
軽く手を上げて二人に応える京楽隊長に、私は「彼女が朽木ルキアです」と先程の質問の答えを返した。
「そうかい、彼女がねぇ・・・・・・朽木隊長が流魂街出身の院生の子を朽木家の養子に迎えたって聞いた時は、僕も浮竹もそりゃあびっくりしたけどねえ。あの貴族の誇りの塊みたいな彼が、ってさ」
「そうですね。隊士達の間でも噂になっていました」
「まあ、でもさ。確かにルキアちゃんは緋真さんによく似てるから、気持ちは分からないでもないよ」
白哉君も意外とロマンチストだったんだなあ、という京楽隊長の呟きに私はただ笑うだけだった。
四大貴族である朽木家に嫁いだ緋真様は、私と同じように流魂街出身だった。
未だに瀞霊廷と流魂街の間には大きな格差がある。
私と海燕の時も、対等な死神同士の結婚である筈が、没落したとは言え元五大貴族である彼と流魂街出身の私が一緒になることに眉を顰めた者はやはり少なからずいた。
ましてや四大貴族の当主と死神でもないごく普通の魂魄との間の縁談など、前代未聞の出来事だった。
それでも周囲からの反対を押し切って結婚した二人は、きっと本当に愛し合っていたのだろう。
貴族であることに異常とも言える程の誇りを持つ朽木隊長が、それでも緋真様と結婚したという事実は、それだけ朽木隊長が緋真様を愛していたということの証に他ならない。
だから、たった5年しか愛する方と過ごせなかったけれど、緋真様は幸せだったに違いない。
でも、だからこそ、緋真様に似ているからという理由で朽木ルキアを養子に迎えた朽木隊長の行動が私にはどこか奇妙に思えた。あれ程緋真様を愛していた方が、容姿が似ているからといってそこまでするのだろうか、と。
それに、兄妹仲があまり上手くいっていないようだという話も聞いていたから、余計に腑に落ちなかった。
「都ちゃん」
「はい、何でしょう?」
いつの間にか考え事に耽っていた私は、京楽隊長に名を呼ばれて我に返る。
慌てて振り向くと、京楽隊長の視線は夫と朽木ルキアの方に向けられていた。
「都ちゃんとしては、いいのかい?」
「何がですか?」
「海燕君とルキアちゃん。ルキアちゃんの海燕君を見る目ってさ、やっぱり、ねえ・・・・・・」
そこまで言って京楽隊長は言葉を切った。
京楽隊長が何を言いたいのかは理解出来る。
本人は気付いていないのだろうけれど、朽木ルキアの夫に対する態度はあからさまで、目聡い者なら彼女の想いを推測することは容易いだろう。
「分かりますか?」
「そりゃあね」
夫に想いを寄せる少女に対して何の反応も無い私を不思議に思ったのか、京楽隊長が怪訝そうに編笠の下から私の表情を窺う。
そんな京楽隊長が可笑しくて、私は「平気です。何とも思ってませんから」とくすくすと笑って見せた。
「彼女のあれは単なる憧れでしかありませんわ。ルキアさんが欲しいのは、『四大貴族朽木家の者』ではなく、ありのままの自分を優しく受け入れてくれる存在です。
そんな理想の存在を、あの人に求めているだけですわ。愛情を注いでくれるのなら誰でもいいんです。そんなの、本当の恋でも、ましてや愛でもありません。
そんな子供が、私からあの人を奪えるわけ無いですよ」
朽木ルキアもまた、夫に期待を寄せる者の一人なのだ。
―――そうさせるのは、流魂街出身なのに貴族の一員となってしまい周囲から孤立している彼女の寂しさ。
―――義兄から愛してもらえない彼女の悲しみ。
だから、優しく接してくれるあの人を慕うのだ。
あの人も、きっと彼女の気持ちを理解しているのだろう。
でも、あの人は―――私の愛する「海燕」は―――朽木ルキアに同情こそすれ、決して彼女を愛しはしない。
ただの「海燕」を愛してくれる者しか、あの人は愛しはしないのだ。
私の言葉に目を丸くした京楽隊長が苦笑交じりに「流石だねえ」と言う声が耳に入る。
「私の考えなんて、京楽隊長ならお見通しだと思いますけど」
「いやいや、買いかぶりすぎだよ」
そう言って笠を目深に被ると京楽隊長はわざとらしく笑い声を上げた。
私もまた何も言わずに微笑むと、夫と少女のいる方へと視線を戻す。
そして、私と京楽隊長は黙って二人の稽古を見詰めた。
まだ本当の愛を知らない少女を哀れみながらも、
いつか彼女にも本当に愛する相手が現れることを祈りながら―――
*
女であることに絶望していた私は、女である私自身が憎かった。
「女」も「男」も、誰一人愛してはいなかった。
でも
「海燕」を愛することを知った私は
もう、「私」であることに絶望してはいない――――――
03.03.10
都のキャラ捏造しまくりです^^;
一応海燕の性格について色々考えてから、じゃあそんな海燕が好きになった都ってどんな女性だったんだろうなあ、って考えてみた結果なんですけどね(汗)
でも海燕の性格ってよく分からないんですよね、実は。ルキア視点で語られることが多いからどうしても美化されちゃうし。
私はアーロニーロの言葉には海燕の本音も入っていたんじゃないかな、って思ってます。
アーロニーロ海燕は、海燕の持っていた負の部分が極端に増幅されたキャラだったんじゃないかなあ。