瀞霊廷をぶらぶらと散歩していた京楽は、突然背後に鋭い殺気を感じて反射的にその場を飛び退いた。次の瞬間、ついさっきまで京楽が立っていた場所に木刀が突き刺さり土煙を上げる。
ちりんと微かな鈴の音が土埃の中で響いた。
「なんだ、記憶を失ったって言うからどんな様かと思えば、ちゃんと戦えるんじゃねーか」
「しゅんしゅんすごーい!剣ちゃん今ちょっとだけ本気だったのにー」
「な・・・!」
瀞霊廷内でいきなり京楽に斬りかかってきたのは、なんと十一番隊隊長更木剣八であった。肩には副隊長の草鹿やちるが乗っている。
「貴方は、更木隊長・・・!どうしていきなり・・・?」
七緒からもらった名簿には(当然のことだが)各隊の隊長副隊長の名前と略歴以外は書かれていなかった。従って京楽と彼らの交友関係がどんなものだったのかまではわからない。
まさか自分と目の前の男は往来で斬り合いを始めるほど仲が悪かったのかと京楽は柄にも無く焦りを覚えた。
当たり障りの無い付き合いしかしてこなかった自分が突然攻撃されるほど誰かに恨まれるようなことをしたとは思えなかったが、それでも万が一の可能性は捨てきれない。
「ああ?あんたが死神としての記憶を全部忘れちまったって聞いたから、戦い方も忘れたのかと試してみただけだ。前からあんたとは戦ってみたかったってのに俺が倒す前にあんたが戦えなくなっちまったらつまんねーからな」
「そ、それだけ?」
あまりに単純な理由に京楽は拍子抜けしてしまう。咄嗟に斬撃をかわすことが出来たから良かったものを、もし更木の気配に気付かなかったらどうなっていたのだろうかと恐ろしい想像をして京楽の顔は引き攣った。
「俺は強い奴と戦うのが何より好きなんだ。あんたと浮竹とはまだ戦ったことは無いが、二人とも強えーんだろ?」
「戦うって・・・」
「ま、頭はどーにかなっちまっても身体の方はちゃんと覚えてるみてーだな。安心したぜ。これならいつでも戦える」
「よかったねー剣ちゃん!」
更木という男は強い者と戦うことだけを生き甲斐にしているらしいと悟って、こんな男ですら死神なのだという事実に京楽は驚きを隠せない。しかし確かに強い者と戦うには死神は最適な職業であろう。
それに戦いが好きだから戦うというのは非常にシンプルで分かり易い理由である。この男なら自分のように戦うことに迷いはしないのだろうと先程の浮竹との会話を思い出しながら京楽は少しだけ剣八が羨ましかった。
「でも、しゅんしゅん可哀想だよね、うっきーのこと忘れちゃったなんて」
「え・・・?」
剣八と喋っていたはずのやちるがこちらを向いて言った台詞に京楽は一瞬面食らってしまう。
そもそも記憶を失ったと言う記憶さえないのだから、そんな自分をどうして可哀想だとやちるが言うのかわからなかった。
「僕が可哀想・・・?それを言うなら僕に忘れられた十四郎さんの方がずっと可哀想なんじゃないかな」
恋人に、自分のことも共有した思い出も、全てを忘れられてしまった浮竹は、どんな想いで京楽と接しているのだろうか。もしかしたら浮竹は自分と一緒にいることが辛いのかもしれない。
浮竹が時折自分の前で見せる切なげな表情を思い浮かべて、京楽は初めて記憶を失ってしまった事実を寂しいと感じた。
「うっきーも可哀想だけど、しゅんしゅんの方が可哀想だよ。だって、大好きなうっきーのこと忘れちゃったんでしょ?そんな悲しいことってないよ。自分が誰かを好きだったっていう気持ちも忘れちゃうなんて・・・」
そこまで言って何か思うところがあったのか、やちるは剣八の首筋に顔を埋めてしまった。桃色の小さな頭がふるふると震えている。
「草鹿副隊長・・・」
やちるを慰めるために頭を撫でてやろうと京楽が手を伸ばす。
その瞬間、どくんと心臓が大きく脈を打った。
そして、京楽の脳裏に昨夜の夢の風景が過ぎる。真っ白な世界の中で佇む人影が、ゆっくりこちらを振り向く姿が目蓋の裏にちらついた。
(何だ・・・?)
「しゅんしゅん?」
はっとして京楽が顔をあげると、硬直してしまった京楽を不思議そうに見詰めているやちるがいた。
「何でも、ないです」
伸ばしかけた手で自分の顔を覆いながら、京楽は一体何が起こったのかと自問する。
あれは夢ではなかったのか。
あの白い花が降り積もる世界で一人佇むのは誰なのか。
何故、自分はあの白い世界を懐かしく思うのか。
何か大切なことを思い出しかけているような、ひどく落ち着かない感覚に京楽は戸惑いを隠せなかった。
もしや記憶が戻りかけているのかとも思ったが、あんな非現実的な風景がこの世にあるはずが無い。
「おい、大丈夫か?」
「え?あ・・・だ、大丈夫です」
「ならいいけどよ。俺と戦う前に死ぬんじゃねーぞ。じゃあな」
「またねー!早くうっきーのこと思い出せるといいね」
「ありがとう、草鹿副隊長」
去っていく剣八とやちるに向かって笑顔で手を振りながらも、京楽は頭に霧がかかったようなもやもやとした気分を拭い去ることが出来なかった。
*****
「きょーらくたーいちょ―」
剣八とやちると別れてからも気分が晴れなかった京楽は、そのまま散歩を続ける気にも慣れず、雨乾堂に戻る道を歩いていた。そんな時、どこからか京楽を呼ぶ声が聞こえてきた。
誰が呼んでいるのかときょろきょろ辺りを見回すと、少し離れたところにある建物の窓から明るい茶色の髪の女性がぶんぶんと元気良くこちらに向かって手を振っているのが目に入った。
「こっちでーす」
近付いてみると、部屋の中には女性のほかにも何人かの死神がいるようだった。皆、京楽に挨拶するためにか窓際にやってきている。
京楽に声をかけた女性は、死覇装の前を大きく広げ豊満な乳房をこれでもかというほど見せ付けた魅力的な女性だった。
(確か、この女性は・・・)
「乱菊さん、だめですよ。京楽隊長は私達のことを覚えてらっしゃらないんですから・・・」
「うーん、やっぱり私のことも覚えてないんですかぁ?」
「すみませんねえ、貴女みたいに素敵な女性なら一度会えば絶対忘れるはず無いんだけど・・・」
そう言って微笑んだ京楽は女なら誰もが見惚れるほど男前だったが、乱菊は顔を赤らめるどころか驚きに目を真ん丸にして京楽をじっと見詰めた。
「記憶を失くしたってホントなのねえ」
まさか私相手にそんなお世辞言うなんてねえ、と乱菊はほう、と大きな溜息をつく。
「ええっと、貴女は松本乱菊副隊長ですよね?それから・・・」
部屋の中をぐるりと見渡しながら、京楽は一人一人「虎徹勇音副隊長、吉良イヅル副隊長、阿散井恋次副隊長・・・檜佐木修兵副隊長」と名前を当てていった。
一応予習したから顔と名前をちゃんと覚えていると京楽は上機嫌だが、副隊長達はといえば、京楽に敬語で話し掛けられたのが気持ち悪いのか皆一様に額に冷や汗をかいている。
「それにしても皆さん副隊長さんばかり集まってるってことは、もしかして会議か何かですか?」
「え?あ、いえ、違いますよ~。ちょっと皆で休憩と言うか・・・」
「松本さん、そんなすぐばれる嘘ついても駄目ですよ・・・日番谷隊長が席を外してるからって、皆松本さんに呼ばれたんですよ」
「要するにサボりですね・・・」
「ちょっと吉良!勇音!何勝手にばらしてるのよ!」
「それにしても、本当に何にも覚えてないんですかい、京楽隊長?」
「うぅん・・・」
「まさかあの京楽隊長が浮竹隊長のことまで忘れちまうなんてなあ・・・」
思ってもみなかったぜと感慨深げに言う恋次を、修兵が視線で咎めるが恋次は気付かず言葉を続ける。
「あ、でももしかして今でも浮竹隊長に気があるんですか?」
「こら、阿散井!すみません、京楽隊長。こいつデリカシーが無いもんで」
「いやあ、気にしなくていいですよ。それに、正直言って僕は男はねぇ」
そう言って京楽は苦笑しながら「僕はヘテロだと思っていたんだけど」と肩を竦める。同性愛に偏見は無いし、浮竹も男にしては綺麗だとは思うがどうしても京楽には自分が男と恋愛関係だったという事実を受け入れられない。
そもそも京楽は男相手に興奮する性癖はない。どうやって自分が何故浮竹と恋仲になどなったのか京楽は未だに分からなかった。
(まあ十四郎さんは魅力的な人物ではあるけどね・・・)
浮竹の人柄には惹かれる部分はあるが、それは愛だとか恋だという甘い感情では決して無い。
そもそも誰かを好きになることなど自分には不可能だと京楽は思っていた。自分のようなどこか壊れた人間に誰かを愛することなど出来ないのだと自分自身を嘲笑うようなところが京楽にはあった。
そんな京楽が浮竹を愛し二千年もの長き時を共に過ごしたなどと信じろと言う方が無理だった。
「あら、でも浮竹隊長の色香には男も女も惑わされてしまうからわかんないですよ?それに恋に落ちる時は相手の性別なんて頭に無いんだよ、って京楽隊長が昔言ってましたよ」
「女性に弱い京楽隊長が言うと逆に説得力ありますね」
「こ、虎徹副隊長・・・」
「あ!すみません、京楽隊長!私ったらつい・・・」
「勇音!あんたねえ・・・!」
慌てて頭を下げる勇音に「まあ女性に弱いのはほんとのことだから」と京楽は笑って応える。
しかし記憶が無いとはいえ自分は相当浮竹に惚れていたらしい。普段の自分なら絶対に口説いているような乱菊相手に惚気るくらいなのだから、きっとその言葉も本音なのだろう。
もっとも、恋に落ちたことの無い自分にはその真偽は分からないがと京楽は苦笑する。
乱菊と勇音のじゃれ合いに耳を傾けながら、京楽は先程の乱菊の言葉について考えていた。
(でも、十四郎さんの色香って・・・あんな純粋で綺麗で清潔な人のどこに色気なんてあるんだろう?)
浮竹は性欲とは無縁なのではないかとまで考えて、ふと京楽は自分に口付けられた時の浮竹の表情を思い出した。
「・・・!!」
眼を閉じて京楽の与える快感にうっとりと身を任せる浮竹の、近くで見ると意外に長い睫や肌理の細かいすべすべした肌の感触を思い浮かべて、途端に京楽の身体はかっと火が点いたように熱くなった。
(な、何だこれ?どうしたんだ、僕は?こんな・・・まるで・・・)
まるで浮竹に興奮してるみたいだ。
「京楽、こんなところで何してるんだ?」
「うわああ!!」
動揺しているところに突然後ろから声を掛けられ、思わずびくりと京楽の身体が跳ねた。
「何だ?どうしたんだ?」
「十四郎さん!」
丁度浮竹のことを考えていたときに本人が現れて京楽の心臓は驚きにどきどきと激しく脈打っている。
まさか先程の話を聞かれてはいないと京楽は内心で冷や汗をかいていた。
「副隊長の皆さんと話してたんですよ。それより十四郎さんはどうしてここへ?」
「ああ、そろそろ昼休みだから呼びに来たんだよ。それから卯ノ花隊長から昼休みの後救護詰所に来て欲しいって言伝を頼まれたんだ。その後お前の様子を聞きたいし、精密検査もしておきたいからって。
俺はこれから雨乾堂に戻るがお前はどうする?」
京楽と副隊長5人を交互に見ながら浮竹が尋ねる。
京楽が返事に迷っている隙に乱菊は「私達のことは気にしないで下さいね」と言うと小さくウィンクして見せた。
「じゃあ僕も一緒に戻りますよ」
「そうか。それじゃあ皆、またな」
*
連れ立って歩いていく京楽と浮竹を見送りながら、修兵が誰に向かって言うとも無く
「やっぱり、京楽隊長と浮竹隊長が付き合ってるなんて、おかしなことだったんだな・・・」
と呟いた。
「どういう意味ですか、檜佐木さん?」
「いや、だって京楽隊長ってどっからどう見ても女の方が好きだろう?それなのに浮竹隊長に惚れてるなんて、やっぱり何かの間違いだったんだろうな、って思ったのさ。
一時の気の迷いがどこかで道を間違えて二千年も続いてしまったんだろうなあ」
「でも、僕から見ても京楽隊長は浮竹隊長にベタ惚れでしたよ?気の迷いとはとても思えませんけど・・・」
「でも、京楽隊長があんなことになっちゃって、浮竹隊長お辛いでしょうね・・・」
「そうっすかね?結構普通だったと思うんすけど?案外『忘れてしまったのなら仕方が無いな』とか言って吹っ切れてるんですよ、きっと。元々浮竹隊長はそんなに京楽隊長に執着してるようには見えなかったし・・・」
「あんた達何にもわかってないのねえ。浮竹隊長はああ見えて京楽隊長にベタ惚れなのよ。それに、私は京楽隊長は記憶を失ってもきっとまた浮竹隊長のことを好きになると思うわ」
「どうしてそう思うんですか?」
「だってあの二人」
浮竹と京楽が消えた方へ視線を向けると、乱菊はふ、と眩しいものでも見るかのように目を細めた。
「ソウルメイトだもの」
27.08.09
京浮以外の死神達も出してみよう編でした。
周りの人はあの二人のことをどう思ってるんだろう・・・