「僕に隊長の振り、ですか?」
心底困ったような表情で京楽は山本と卯ノ花を交互に見比べた。
*****
色々考えているうちに眠りに落ちてしまった京楽は、誰かが扉を叩く音で眼を覚ました。慌てて京楽がベッドの上に起き上がると、卯ノ花と、隊長羽織を着て杖を突いた老人が部屋に入ってきた。
黙っていても威厳のある姿に只者ではないと思ったが、卯ノ花の紹介でその老人が護廷隊総隊長の山本元柳斎重国だと知り、京楽は成るほどと納得した。
死神統学院(現在では真央霊術院と呼ばれているらしい)の設立者の山本のことは京楽も良く知っていたのである。
山本の話によれば、現在諸事情で護廷十三隊の内3人の隊長が不在らしい。従って、今ここでまた一人隊長を欠くことは護廷隊にとって致命傷ともなりかねないため、京楽には隊長職を続けてほしいとのことだそうだ。
しかし隊長はおろか死神になった記憶すらない自分に隊長など勤まるはずがないと思い、京楽は出来ることなら断りたかった。
「振り、ではない。お主は隊長なのじゃ」
「でも・・・総隊長殿、僕は・・・」
ぴくりと山本の眉が動いたのを見て京楽は思わず言葉を切った。
「いや、すまぬ。お主に総隊長殿と呼ばれるのは、不思議な気がしてのう」
「はあ・・・僕は何とお呼びしてたんですかね」
「山爺、と呼んでおったわ」
総隊長相手にそんな不敬な呼び方をしていたなんて、その辺は二千年経っても変わっていないのかもしれないと思い京楽は少し安心したような申し訳ないような複雑な気分になった。
「もともとお主は仕事をまともにしたことなどないのじゃ。実質的な仕事は全て伊勢副隊長に任せておればよい。虚討伐などにはなるべく他の隊を行かせる故、戦闘に参加する必要も無い。
ほとんど以前と職務内容は変わっておらぬわ」
やっぱり今も昔も自分は隊長なんて堅苦しい仕事を大人しくやる男ではないのだと知って、ほっとしたような、そんな自分が隊長をやっている八番隊に同情したいような、
何とも言えない気分になって京楽は思わず苦笑いを零した。
「万が一八番隊が戦闘に参加せざるを得ない事態になったとしても、十三番隊と合同にすることで何とかなるとわしは踏んでおる。その際お主は常に浮竹と行動していれば間違いは無いじゃろう」
「浮竹さんと・・・」
山本の口から浮竹の名が出て、俄かに京楽の顔に影が差した。総隊長ですら自分と浮竹の仲を知っているということは、瀞霊廷で二人のことを知らぬものはいないということだろう。
京楽を除いては。
「兎に角、現時点で最も重要なのは護廷隊の秩序をこれ以上乱さぬことである。頼まれてくれるな」
有無を言わさぬ山本の迫力に、京楽は首を縦に振ることしか出来なかった。
「では早速、死覇装に着替えて八番隊隊舎へ行ってもらおうか」
「え?今からですか?!」
「さよう。卯ノ花隊長によれば外傷はないとのことじゃ。少しでも早く隊長が戻る方が隊のためじゃからのう」
「はあ・・・」
用件が済むと山本と卯ノ花は出て行ってしまったので、京楽は仕方なく身支度を整えるほか無かった。
*
(気が進まないなあ・・・)
死神でもない自分が隊長だなんて、冗談にもほどがある。すぐにぼろが出るに決まっていると京楽はひとりごちた。
確かに京楽が隊長を続けることで一時的に混乱は免れるかもしれないが、それでも京楽がすぐに記憶を取り戻す保障などどこにもない。いつまでも実力の無い名ばかりの隊長を据えておくわけにもいかないのだ。
(きっと僕が一日でも早く記憶を取り戻すのを待っているんだろうなあ、皆)
求められているのは「現在」の京楽であって今ここにいる京楽ではない。
二千年分の記憶を失った今の自分は必要ないのだと暗に言われているようで京楽は悔しさに唇を噛んだ。
もしいつまで経っても記憶を取り戻すことが出来なかったら。
そんな不吉な考えが頭に浮かんできて、京楽は恐怖で目の前が真っ暗になるような錯覚に陥った。
(しっかりしなきゃ・・・!信じられるのは自分だけなんだから)
ぎゅっと死覇装の帯を結びながら京楽はそう自分に言い聞かせるのだった。
退院する準備の整った京楽が病室を出ると、右方向から卯ノ花と若い女性の死神がやってくるのが見えた。
眼鏡を掛けて大きな本を脇に抱えているその死神は、少し目つきがキツイけれどなかなかの美人だった。
「こちらは伊勢七緒八番隊副隊長です。京楽隊長の直属の部下になります」
「京楽隊長、御無事で何よりです」
「へええ。こんな可愛い子が僕の副隊長だなんて、これなら隊長職も悪くないですね。よろしくね、伊勢副隊長」
不安そうな表情の七緒を安心させようと冗談を言う京楽に、七緒は複雑そうに微笑んだ。
「京楽隊長に伊勢副隊長と呼ばれるのは、何だか不思議な感じがしますね。いつもは『七緒ちゃん』としか呼んでは下さいませんから」
「七緒ちゃんかあ。なんだか馴れ馴れしいですね」
今の京楽からすれば死神である七緒の方が年上なのである。どうしても目上の者に対する言葉遣いになってしまう。
もしかすると若輩者でしかない自分が隊長の振りをするにはかなりの努力が必要なのかもしれないと、今更ながらに京楽は不安になった。
「京楽隊長の普段の振る舞いや八番隊の様子など、伊勢副隊長に教えて頂いて下さい。それから、隊舎に戻る前にこれをどうぞ」
卯ノ花が差し出したのは刀と脇差だった。
「これは・・・僕の斬魄刀ですか?」
「はい。京楽隊長がここに運ばれてきてから私が預かっておりました」
「でも・・・どうして二刀も?二刀の斬魄刀なんて聞いたことも無い・・・どちらも僕の斬魄刀なのですか?」
「・・・はい、どちらも京楽隊長の斬魄刀です」
京楽からすれば至極当然の質問だったが、京楽は卯ノ花が答えるのを一瞬躊躇ったような気がした。
「ソウルソサエティ広しと言えど、二刀一対の斬魄刀を持つのは京楽隊長と浮竹隊長のお二人だけです」
「僕と・・・浮竹さん?」
たった二組しかない二刀一対の斬魄刀。それを持つのが自分と浮竹であると聞かされて、京楽は眩暈がした。
偶然にしては出来すぎている。これではまるで自分と浮竹の間には切っても切れない因縁でもあるようではないかと京楽は戸惑いを隠せなかった。
死神の魂の形を映し出す斬魄刀が「対」の形式を取るなど、まるで二人が共に歩むことを魂によって宿命付けられているようではないか。
(冗談じゃない・・・!)
只でさえ男が恋人だといわれて困惑しているところに、さまざまな方面から京楽と浮竹との間の繋がりを見せ付けられて、京楽は憤りを覚えずにはいられなかった。
「二千年後の京楽」は浮竹を愛していたのかもしれない。でも、「今」の京楽にとっては浮竹との関係は重荷以外の何物でもなかった。
二人の間に何があろうとも、京楽には記憶が無いのだ。覚えていなければ存在していなかったに等しい。
浮竹を愛した自分と今の自分とは全くの別人なのだと、京楽は叫んでしまいたかった。
今の京楽にとっては、浮竹との絆など雁字搦めに自由を奪う枷にしか過ぎない。浮竹のことを思い出させるもの全てを、京楽は捨て去ってしまいたかった。
「そんなもの・・・僕は要りません。始解すら出来ない僕がそんなものを持っていても意味が無いでしょう?」
「京楽隊長!」
驚いた七緒が抗議の声を上げる。京楽が、死神の証である斬魄刀をそんなもの呼ばわりすることが衝撃だったのである。
記憶を失ったからと言って京楽は京楽のまま変わるはずが無いと信じていた七緒は、自分の知らない、まるで死神を軽蔑しているかのような京楽の姿を目の当たりにして途方に暮れた。
ここにきて初めて事の重大性を実感したのである。
「伊勢副隊長。今の僕にはこの斬魄刀の名前すら分からない・・・それに、正直言って知りたいとも思いません。
確かに山本総隊長には隊長の振りを続けることを了承しましたが、だからと言って僕は死神になることを受け入れたわけじゃあないんです。代わりの隊長が見つかるまでの代役を引き受けただけなんですから」
「そんな・・・!お言葉ですが」
京楽隊長の代わりなど誰にも勤められませんと言う七緒の言葉は、突然堰を切ったように溢れ出した涙に遮られて声にはならなかった。
「も、申し訳ありません・・・!」
次から次へと溢れ出す涙を拭いながら、七緒は感情を制御できない自分に戸惑っていた。ここにいるのは京楽の姿をしているけれど、自分の知る京楽ではないのだと理解して、七緒はどうしようもない不安に襲われていた。
突然泣き出してしまった七緒を前に複雑な表情をしている京楽を横目で見ながら、卯ノ花はもう一度花天狂骨を京楽に差し出した。
「京楽隊長の仰ることも尤もですが、隊長が斬魄刀を所持していないとなっては大問題になります。幸い平時は瀞霊廷内での斬魄刀の携帯は禁止されていますので、普段は自室に置いておけば支障はありません。
ですからここは私の顔を立ててどうぞお受け取りください」
「でも、卯ノ花さん・・・」
「お願いします」
美しい笑顔を湛える卯ノ花に丁寧に頭を下げられてなお否と言えるほど京楽は物分りの悪い男ではなかった。それに卯ノ花の言うことにも一理ある。
部屋に置いておくだけならば構わないだろうと自分を納得させると、気が進まないながらも京楽は花天狂骨を受け取ったのだった。
*****
卯ノ花に礼を言って別れた後、京楽は七緒に連れられて八番隊隊舎までやってきた。
途中で浮竹に会ってしまわないかと内心では浮かない気持ちの京楽だったが、そんな京楽の予想に反して八番隊までの道のりは何事もなく、時折平隊士に挨拶をされる以外は他の隊の隊長格にすら出会わなかった。
幸い執務時間内だったため隊舎外に出ている死神は少なかったのである。
ここが隊長のお部屋です、と七緒に言われて八番隊隊首室に足を踏み入れた京楽だが、部屋を見回してみてもやはり自分がここに住んでいるのだという実感が湧かなかった。
確かに調度品は京楽の好みそうなものばかりだが、何と言うか生活感の薄い部屋なのだ。本当に自分はここで寝起きしていたのかと京楽は思わず七緒に尋ねていた。
「仕事以外では隊長は殆ど雨乾堂で過ごされていましたからね。もしかしたらあちらの方が馴染み深いのかもしれません」
「うげんどう・・・」
「雨乾堂」と言う名は京楽の耳にひどく懐かしく響いた。同時に胸が温かくなるような、安心した気分になるのだった。自分をそんな心地よい気分にしてくれる場所があるなんて京楽は思っても見なかった。
記憶にある限り、京楽には「自分の居場所」というものが無かった。何時でも何処にいても「ここにいてはいけない」、「ここにいるべきではない」という思いに付き纏われていた。
根無し草のように色々な場所を渡り歩きながら、本当は何時だって安心できる場所、自分が自分でいられる場所を求めていたのだ。
「うげんどうってどこにあるんですか?」
「雨乾堂は十三番隊の隊首室です。浮竹隊長のお部屋ですね。行かれるのでしたら案内しますが?」
「・・・いえ、結構です」
まただ、と京楽は思った。まるで京楽とって浮竹の存在は必要不可欠とでも言うように、ありとあらゆる京楽の生活の場面で浮竹の姿がちらつく。
確かにそれまでの京楽にとって浮竹は大切な存在だったのかもしれない。しかし、今の京楽は別人なのだ。今の京楽にとって浮竹という人物には何の価値も無い。決して愛してなどはいないのだ。
それなのに、まるで呪縛のように浮竹はその存在を否が応でも京楽に知らしめる。
(僕は浮竹さんなんか知らない!僕には関係ないんだ!!!)
京楽はそう心の中で叫びながらも、浮竹の悲しげな表情が頭の中から離れなかった。
「京楽隊長?気分が悪いのですか?」
「いえ、大丈夫です。ちょっと疲れただけですよ」
「そうですか・・・今日は色々ありましたからね。でしたら私はこれで失礼します。食事はここに運ばせますので、今日のところはゆっくりお休みください。
何か必要なものがありましたら、地獄蝶を置いていきますのでそれで伝えて下されば結構ですから」
私用に地獄蝶を使うことは禁じられているはずなのに今回許されると言うことは、それだけ皆気を使ってくれているということなのだろうと京楽は悟った。
一人になりたいであろう京楽の気持ちを見越して、山本元柳斎は他人との接触を最小限にするために地獄蝶による伝達を許可してくれたのだ。
「ありがとうございます、伊勢副隊長」
「『七緒ちゃん』です」
「え・・・?」
「京楽隊長は私のことは『七緒ちゃん』と。私は好きではないのですが、それが京楽隊長ですから。それに今まで通りの振る舞いをするのでしたら突然私の呼び方が変わったらおかしいでしょう?」
そっけない口調だが、七緒の頬は少し染まっている。不器用だがこれが七緒なりの親愛の表現なのだろう。そう思うと、京楽は極上の笑みを浮かべて七緒に礼を言った。
「ありがとう、『七緒ちゃん』」
「こ、これも副隊長の務めですから!」
「まあまあ照れなくても」
「照れてません!!!」
つかの間だが八番隊にいつもの雰囲気が戻った瞬間だった。
*****
「いけない、忘れるところでした。八番隊隊士名簿と各隊の隊長副隊長の名簿です。それからこちらが過去二百年の瀞霊廷の歴史を纏めたものです。
京楽隊長は明日、明後日と非番ですのでその間にでも読んでおいて下さい」
「えええ?!」
「必要最低限のことは知っておかないと隊長の振りは出来ませんからね」
「で、でも、これ物凄い量・・・」
「では、私はこれで失礼します」
「そ、そんなぁぁぁ・・・」
困惑顔の京楽を無視して七緒はすたすたと歩いていってしまった。後に残された京楽は両手一杯の本を手にして立ち尽くすことしか出来なかったのだった。
06.06.09
京七?!と一瞬思ってしまうほど京浮の絡みが無いですね・・・
二千年の絆は今の春水君にとっては重いのです、って話でした。もう少し春水君の苦悩が続く予定です・・・