欲しいものは
放課後、誰もいない教室で京楽と浮竹は机を挟んで向かい合って座っていた。
浮竹は昨日休んでしまった分の授業内容を京楽に借りた帳面から書き写すのに忙しく、京楽はといえばすらすらと進む浮竹の筆の動きをぼんやりと眺めているのだった。
「今日、お前の誕生日なんだって?」
不意に浮竹の筆を持つ手が止まる。
どうしたのかと思って京楽が顔を上げると、真っ直ぐ自分を見詰める翡翠の瞳とぶつかった。
「どうして知ってるの?」
「昼休み女子が話してるのを耳に挟んだんだ」
女性というものはどこからそんな情報を手に入れてくるのだろうかと京楽は心の中で苦々しく舌打ちをした。
「どうして教えてくれなかったんだ?」
「・・・誕生日なんて一つ歳を取るだけでじゃない。大したことじゃないよ」
それは京楽の本心からの言葉だった。自分がこの世に生を受けた日がどうして目出度いことなのか、どうしても理解できないのだ。
「誕生日って言うのは、お前が生まれてきたことに感謝する日だろう。生まれてきてくれてありがとう。この一年無事でいてくれてありがとう。どうか来年も元気でいてくれますように、って祈る日なんだから」
だから、俺はお前の誕生日を祝いたい。
そう真剣な顔で諭され、京楽は言葉に詰まった。
生まれてきてくれてありがとう、暗に言われたのだ。喜びと照れ臭さに思わず顔が火照るのがわかった。
「ありがとう、浮竹。嬉しいこと言ってくれるねえ」
「何言ってるんだ、当たり前のことだろう?」
「そうかな?」
「ああ。それより」
「ん?」
「何か欲しいものは無いのか?」
「え?」
「だから、誕生日なんだから、何か贈るよ。と言っても大したものはあげられないけど出来る限りのことはするつもりだから」
「そんな、別にいいよ・・・」
「遠慮するなよ」
「遠慮なんてしてないよ」
「いいから言ってみろよ」
誕生日を祝ってくれる気持ちだけで京楽にとっては十分すぎるほどなのに、浮竹はそれでは納得がいかないようだ。
「うぅん、困ったなあ・・・じゃあ」
ちゅ
「これでいいよ」
そう言って京楽は悪戯っぽく片目をつぶってみせた。
突然の出来事に一瞬何が起こったのか理解できなかったが、キスされたと気付いた瞬間浮竹の顔は真っ赤になった。
「京楽、お、お前!・・・」
「照れてるの?可愛いなあ、浮竹は」
揶揄するような京楽の言葉に、浮竹はぱくぱくと口を開いたり閉じたりするだけで声は出ない。
そんな浮竹を京楽は面白そうに眺めていた。
「お、お前なあ!初めてだったんだぞ、俺は!」
「へええ。じゃあ僕浮竹のファーストキスをもらっちゃったんだ。うん、やっぱり良い誕生日プレゼントだよ」
「~~~!!!!」
不意に黙って俯いてしまった浮竹に、京楽はふざけ過ぎたかと不安になった。
「う、浮竹?ごめん、ちょっとからかいすぎたよね。キスなんて大したことじゃないんだからそんなに」
「大したことじゃないなら」
搾り出すような浮竹の声が、京楽の言葉を遮る。
「大したことじゃないなら、どうしてお前の唇は震えてたんだ!!」
真っ赤な顔でそう言い放つと、浮竹はぐい、と京楽の顔を両手で引き寄せた。
勢いに任せて重ねられた唇は、僅かに震えていた。
あなたに会いたい
12月21日。
その日、久しぶりに帰った実家では、ささやかながらも浮竹の誕生日を祝う宴が開かれていた。
普段は死神としての業務が忙しくて中々帰って来られない浮竹だが、今年の誕生日にはたまたま休暇が取れたのだ。
何年か振りで可愛い息子の誕生日を祝えると喜んだ母親が腕によりをかけて作ってくれたごちそうに、浮竹も弟妹達も舌鼓を打つ。普段は物静かな父親も、立派になった息子と酒を酌み交わすことが出来るのが嬉しいのか、いつもよりずっと饒舌である。
弟妹達も大好きな兄の帰還が嬉しくて、浮竹の傍から片時も離れようとはしなかった。
しかし、愛する家族に誕生日を祝ってもらいながらも、浮竹の心はどうしても晴れない。
「十四郎、どうしたのですか?箸が止まっていますよ」
「!すみません、母上。少しぼーっとしていたようです」
「考え事ですか?」
「い、いえ・・・」
やはり母の目は鋭いのか、浮竹のほんの僅かな表情の翳りさえ見逃さないようだった。
折角の家族団欒なのに浮かない気分でいる自分を浮竹は恥じるが、それでも心に巣食う寂しさを拭い去ることは出来なかった。
「春水君がいないから、楽しくありませんか?」
突然母親の口から出された名は、先程から浮竹の心を占めている男のものだった。
予想外の出来事に一瞬面食らってしまう。
「は、母上?一体何を・・・」
「図星ですか?全く仕方ありませんね、私達総出でお祝いしてあげているというのに」
「母上!俺は・・・!」
ころころと鈴を転がすように笑う母親に浮竹は慌てて弁解しようとするが、「良いのですよ、責めているのではありません」という母の言葉に開きかけた口を閉じる。
「私は嬉しいのです。貴方が家族以外で大切な人を見つけることが出来て」
そう言った母の瞳は慈愛に満ちていた。
本来ならば、京楽もこの日休みを取って浮竹の実家に泊まりに来る予定だった。
浮竹の無二の親友である京楽を、浮竹家は温かく迎え入れ、まるでもう一人の息子のように愛した。だから、京楽が浮竹の誕生日を浮竹の家族と一緒に祝うことに異議を差し挟む者などいなかった。
しかし、三週間前現世で突然大量発生した虚を退治するために、京楽の隊が現世に派遣されることになったのである。
必ず君の誕生日までには戻ってくるからと浮竹に言い残して現世へと向かった京楽だが、今日になっても帰ってこない。
浮竹の隊の隊士達の話によれば、どうやら当初の報告よりも虚の数が多かったらしく予想よりもてこずっているということだった。
京楽ほどの強さならば心配は無いと自分に言い聞かせながらも、やはり浮竹は不安だった。
自分の誕生日に間に合うようにとあいつは無理をしていないだろうか、無茶な真似をして怪我などしていないだろうかと、家族と話をする間もそんなことばかり考えていた。
自分の誕生日などどうでもいいから、とにかく京楽に無事に帰ってきてほしい。
浮竹の望みはそれだけだった。
「今度休みが取れた時には、春水君と一緒に帰って来なさい」
「母上・・・」
「大丈夫ですよ」
そっと浮竹の手を取ると、母はにこりと微笑む。
昔は大きく思えた母の手は、今は浮竹の手にすっぽり収まるくらい小さい。それでも、母親に手を握られると不思議と幸せな気持ちになるのは、昔も今も変わらなかった。
「必ず帰ってきます。あの子を信じなさい」
母の言葉は穏やかだが確信に満ちている。
温かな声に励まされた浮竹は、こくりと肯いて母の手を握り返したのだった。
*
子供達が完全に寝静まったのを確認すると、浮竹はそっと身を起こした。
そして、しばし弟妹達の可愛らしい寝息に耳を澄ます。
皆、久し振りに浮竹と会えて興奮していたのか、疲れてぐっすりと眠っているようだった。
それ程広くない浮竹の自室で兄弟全員が思い思いに、それでも少しでも浮竹の近くにいられるようにと、布団を敷き眠っている。
昔のように大好きな兄と一緒に眠ることが出来て嬉しいのか、皆ひどく幸せそうな寝顔だった。
「俺は贅沢だな・・・こんなに可愛い弟や妹達に誕生日を祝ってもらっているのに春水のことばかり考えているなんて・・・」
ぽつりと漏れた呟きに、浮竹は思わず息を呑む。
意図せずして口にした言葉は、そのまま浮竹の思いを映す鏡だった。
「・・・っ・・・」
―寂しくて寂しくてたまらない。
一度認めてしまえば、後は堰を切ったように寂しさが押し寄せてくる。
つん、と鼻の奥に痛みを感じて、浮竹は急いで寝室を後にすると、家族を起こさないようにそうっと扉を開けて縁側に出た。
「寒い・・・」
澄んだ冬の空気は、寝間着だけの身には少し肌寒い。
火照った頬に刺すような冷気がぴりぴりした。
「早く帰ってこい・・・」
両腕で自身を抱きながら、星一つ見えない夜空に向かって浮竹は呟く。
吐く息の白さに一層寂しさが募った。
「お前がいないと、折角の誕生日なのに楽しくないんだ・・・お前がいないと、誕生日なんて意味が無い・・・」
京楽に会いたい。
京楽に会いたくて会いたくてたまらない。
ずっと我慢していた涙が、今にも溢れ出しそうだった。
「・・・十四郎・・・」
突然聞こえてきた声に驚いて顔を上げると、そこには浮竹が今一番会いたいと願っていた男が立っていた。
「しゅん、すい・・・」
死覇装は返り血や泥で汚れ、自身もほこりまみれというぼろぼろの格好だったが、そこにいたのは紛れも無く京楽だった。
「ごめんね。誕生日には間に合わなくて」
それに今帰ってきたばかりだから手ぶらで来ちゃったんだ、とすまなさそうに言う京楽を、浮竹は言葉無く見詰める。
「でも、どうしても君に会いたくて・・・一目でいいから君の顔が見たかったんだ」
「っ・・・!馬鹿野郎!」
「十四郎、って・・・!うわぁ!!」
その言葉にたまらず京楽の胸に飛び込んだ浮竹だったが、勢いが付き過ぎて体当たりする形になってしまい、浮竹の体重を受け止めきれずにバランスを崩した京楽共々地面に倒れ込んでしまう。
「いたたたた・・・」
「春水が」
「え?」
「春水が、生きて帰って来てくれただけで充分だ」
京楽の胸に顔を埋めたまま、浮竹が囁く。
きつく死覇装を握り締めた白い手が小刻みに震えていた。
「十四郎・・・」
京楽が優しく浮竹の肩を抱く。
「誕生日、おめでとう」
「ああ」
「来年もお祝いさせてね」
「ああ」
「それから・・・」
―ただいま
京楽の言葉に驚いて顔を上げた浮竹だが、すぐにくしゃりと破顔すると「おかえり」の言葉と共に京楽に口付けたのだった。
*
次の日の朝
「あれえ??どうして春水がここにいるの?」
「春水だけ兄様とくっついて寝ててずるーい!」
「私も兄様に抱っこされたーーーい!!!」
「貴方達、もう少し十四郎と春水君を寝かせてあげなさい。折角二人とも幸せそうに熟睡しているのですから」
27.12.09