桜月夜
藍碧の夜空に、ふわりと桜の花びらが舞う。
澄んだ夜の空気には桜の芳香が満ち
乳白色の月は、淡く静謐な光で世界を白銀に染める。
月の光を浴びてより一層美しさを増した桜の大木の下
淡紅の花びらの絨毯に敷かれた薄桃色の着物の上
愛し合う月影が二つ。
「願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ、 か。」
浮竹を己の身体の下に組み敷いたまま、京楽は静かに呟いた。
中に入ったまま動きを止めた京楽に、行為に夢中になっていた浮竹は薄っすらと目を開けて恋人の姿を視界に入れる。
「どう、した…?縁起でもない。」
京楽の右手の指を浮竹の左手が絡めとった。
聞こえていたのかと、少し驚いて京楽は身体を起こすと浮竹を見下ろした。
「いやね、どうして西行法師が月と桜をあれほど愛したのか、少しわかる気がしたんだ。」
そう言って浮竹の髪を一房掬うと京楽はそっと口付けを落とした。
月の光を反射して、桜の花びらがまるで春の雪のように辺り一面を白く染め上げている。
そんな幻想的な光景の中で、京楽には浮竹の白い髪や肌までもが空に浮かぶ月のように淡い光を放っているように見えた。
それは、この世のものとは思えぬ程美しく
それ故に儚げで。
「ねえ、浮竹。初めて君に会った時、僕は君の事を太陽みたいだなって思ったんだ。」
そう囁きながら京楽は律動を再開する。
「あ・・・!っ京楽!」
「太陽の光ってさ、全てを強く照らし出すでしょ。光と闇をはっきりと区別する、強烈な光だ。僕は、僕という真っ黒な闇を、光り輝く君によって暴かれるんじゃないか、って怖かったんだ。」
そして君という光に拒絶されるのが怖かった。
そう呟いた京楽の言葉は浮竹の嬌声に掻き消されて、浮竹の耳には届かない。
「でもね、違ったんだ。」
浮竹の額に口付けながら、京楽は一際激しく腰を打ち付ける。
強すぎる快感に浮竹の目から涙がこぼれ落ちた。
「君の光はとても優しいものだった。君は、闇を友として柔和に光り輝く、夜空に浮かぶ月だったんだ。闇すらも優しく包み込む、美しい月だった。」
恍惚と紡がれた京楽の言葉が月の光に溶けていく。
銀色に染め上げられた清澄な世界の中で、京楽と浮竹は交わり続ける。
重ね合った唇
触れ合う肌
絡まり合う吐息
森羅万象が渾然と融合する月光世界の中
二人を隔てるもの
二人を二個の存在として成り立たせるもの
主体と客体の区別
そんなもの全てが消え失せて
二人は一つに混ざり合ったような錯覚をした。
いのちといのちが触れ合って
世界と一体化するような
この瞬間が永遠に続けばいいと
桜吹雪に捧げられた二人の祈りは
冴え渡る月だけが知っていた。
*****
その陽だまりで
私の敬愛する浮竹隊長は太陽みたいな方だ。
You are my sunshine
My only sunshine
You make me happy
When skies are grey
You’ll never know dear
How much I love you
Please don’t take my sunshine away.
「今日は随分と機嫌がいいな、清音。」
「え?あ!あああああ!!!す、すみません、浮竹隊長!私声に出して歌ってたなんて全然気付かなくって!」
私の馬鹿!隊首室で書類の整理中に歌うなんて!恥ずかしいぃぃぃぃ!
穴があったら入りたい!
「いいんだよ、気にするな。お前は歌がなかなか上手なんだな、知らなかったよ。聞いていてとても気持ちが良かった。」
「あ、ああああああああありがとうございます!!」
私の歌を褒めてにっこりと微笑んだ浮竹隊長はあまりにも素敵で可愛らしくて。
私の顔は今真っ赤になっているに違いないわ。
仕事中なのにこんな風に浮竹隊長とお話ができるなんて、なんてラッキーなの!
「それで何ていう歌なんだ?」
「あの、私も良く知らないんですけど、なんでも最近の現世の歌だそうです。なんだか歌詞もメロディーも凄く覚えやすくて、つい口ずさんでしまったんです。」
確かに耳に残る歌だっていうのは確かだけど、本当はこの歌を気に入っている理由は他にある。
『貴方は私の太陽です』なんて、まるで浮竹隊長のことを歌ってるみたいじゃない?
おひさまみたいにあたたかくって、いつだってどんな時だって一緒にいるだけで私の心をぽかぽか優しい気持ちにしてくれる、浮竹隊長そのものだわ。
勿論、恥ずかしくてそんなこと浮竹隊長には言えないけど。
「君は僕の太陽だ、か。京楽のことを歌っているみたいだな。」
「え!!!!???」
驚いて叫んでしまったところを慌てて口を塞いだ。
だってまさか京楽隊長が太陽だなんて、あまりにもイメージと違いすぎるんだもん。
「お言葉ですが浮竹隊長。私は隊長の方がずっと太陽みたいだと思います。」
京楽隊長はどちらかといえば太陽を浴びて昼寝をしている猫じゃないかしら。
いつだって仕事をサボって浮竹隊長の後をついて回っているんだもん。日向を探して場所を移動する猫と同じだわ。
うーん、我ながらうまい喩えかも。
「ありがとう、清音。そう言ってくれるのは嬉しいよ。でも、やっぱり俺にとっての太陽は京楽なんだ。」
「どうしてですか?」
納得のいかない私に浮竹隊長は少し困った顔で笑った。
浮竹隊長を困らせたいわけじゃないのに、私のバカ!
「太陽って、全ての生きとし生けるものにとって必要不可欠なものだろう?太陽の光を浴びることで植物は育ち、そして動物は植物を食べることで生きている。太陽は、言わば全ての生命の源なんだ。
俺にとっての京楽はそんな存在なんだよ。」
京楽隊長のことを話す時の浮竹隊長の表情は、きらきら輝いてとても綺麗だ。
普段は私たちの前では素っ気無い振りをしているけれど、ふとした瞬間に浮竹隊長はこうやって京楽隊長への想いの深さを覗かせる。
そんな時浮竹隊長は私たち十三番隊の隊長ではなくて、京楽隊長だけのものになるようで私は少し寂しい。
でも浮竹隊長はとても幸福そうで、きっと浮竹隊長にそんな顔をさせられるのは京楽隊長だけなのだと思うと、なんだか嬉しいような切ないような複雑な気分になるのだ。
「清音はプラトンの『国家』を読んだことがあるかい?」
「『国家』ですか?いえ、ありません。」
「じゃあ『洞窟の比喩』も知らないかな?『国家』の中でプラトンが「善のイデア」を太陽にたとえる一節があるんだよ。
洞窟の奥深くに生まれた時から壁の方を向いたまま鎖に繋がれている囚人がいてな。その囚人の背後には焚き火があってその周りで他の人間が話をしたり道具を使って何かしたりしているんだが囚人は壁を向くように固定されているから、壁に映る影しか見えない。だから囚人は洞窟の壁に映る影が世界の全てだと思ってしまう。彼にとって世界とは無色で輪郭のぼんやりとした不確かなものなんだ。でもある日その囚人は鎖から解き放たれて自由を得た。そして洞窟から出た時、太陽の光の下で生まれて初めて世界が本当はどれほど美しいものなのかを知るんだ。自分が今まで世界だと思っていたものはまやかしだと気付き、世界の鮮やかさを知るんだ。」
私は浮竹隊長の知識に感嘆するより、洞窟の比喩について語る浮竹隊長の横顔があまりに綺麗で見惚れていた。
「この話を聞いた時、俺にとっての太陽はきっと京楽だって思ったんだ。京楽は世界の意味を、いや、世界そのものを変えてくれたんだ。俺は京楽に出会って初めて世界の美しさを知った。」
きっと、今浮竹隊長の胸は京楽隊長でいっぱいなんだろう。
浮竹隊長は京楽隊長のことを考えるだけで
こんなに綺麗で
こんなに優しくて
こんなに穏やかな表情をするんだ。
わかっていはいたことだけど
二人の間には私の入る隙間なんて一ミリもなくて。
浮竹隊長をこんなに幸せに出来るのは京楽隊長しかいないんだ、なんて
今更過ぎることを実感した。
「まあ実際はプラトンは太陽を『善のイデア』に喩えて彼のイデア論を展開していくから本物の太陽とは関係ないんだけどな。」
そう言って少し気恥ずかしそうに笑った浮竹隊長は本当に可愛らしいくて!
ああ、私はやっぱりこんな浮竹隊長が大好き!って改めて思った。
私は浮竹隊長のことが大好きだけど
私が好きな浮竹隊長は
きっと京楽隊長のことを好きな隊長だから
本当はちょっと悔しいけど
二人の仲を応援しようって、心の中でぎゅっと拳を作って決心したんだ。
「素敵ですね!この話京楽隊長にされたことはあるんですか?」
「な、何言ってるんだ!こんな恥ずかしい話あいつにするわけないだろう。」
「でもきっと喜びますよ?」
「だめだだめだ!この話は俺とお前だけの秘密だからな、誰にも言うなよ!」
真っ赤になった浮竹隊長に頼まれて嫌と言える私ではない。
それに私と浮竹隊長だけの秘密だなんて、ちょっと素敵じゃない?
京楽隊長に敵わないのはわかってるけど
これくらいの意趣返しはしたって罰は当たらないはず。
「じゃあ今度河上屋の栗きんとんおごってくださいね。それで手を打ちますからv」
浮竹隊長、やっぱり大好きです!
*****
Phosphor and Hesperus
「前から不思議に思ってたんだけどさ、明けの明星と宵の明星って両方とも金星を指すよね。でもさ、もしここにその事実を知らない人がいて、その人が明けの明星は好きだけど宵の明星は好きじゃないな、って思っていたとする。
この場合、その人は金星のことを好きなのかな、嫌いなのかな。」
のんびりとした口調でそんな問いを発する京楽に、リサは一瞬何を言われているのかわからなかった。
「何やねん。金星がどないしたん?」
「だからさ、金星を『明けの明星』と呼ぶか『宵の明星』と呼ぶかで違いはあるのかなってことさ。同じ物でも名前が違えばやっぱり何かが変わるのかな。」
京楽の視線の先にいるのが海燕と話している浮竹であるのを見て、リサは大きく溜息をついた。
「アホくさ。明けの明星でも宵の明星でも金星は金星やん。ごちゃごちゃ考えるからややこしくなるんや。シェイクスピアかて言ってたやろ、名前が何であってもバラの花は甘く香るもんや、って。
ほんま、隊長は何でも分析しすぎやで。どんだけ頭で考えても答えの出んことだってある。たまには何も考えんと心のままに行動したらええんや。」
そうすれば空に輝く星を地上から眺めるような真似をなどせずに、直接その手に彼を抱けるのに、という言葉は飲み込んだ。
浮竹を見詰める切なげな表情を見れば答えなど明らかだというのに。どうしていつもは聡い男がその事実に気付かないのかと、リサはもどかしく思った。
愛の女神ヴィーナスならこの滑稽な恋を笑うだろうか。
臆病な男の恋を。
*****
Beyond the end of the universe
浮竹が雨乾堂に戻ってくると、いつの間にやってきたのかだらしなく寝転んで雑誌を読んでいる京楽がいた。京楽はいつも好きなときにふらりとやってきて好き勝手なことをしていくため、浮竹も別段気に留めることは無い。
挨拶代わりに巻き毛に口付けを落とそうと浮竹が腰をかがめると、ふと京楽の雑誌の内容が目に入った。
「これは・・・宇宙か・・・?」
京楽が先程から熱心に読んでいたのは天文学関係の雑誌のようであり、今京楽が眺めているページに載っているのは3つの雲の柱の合間に輝く星を写した写真だった。
「ハッブル宇宙望遠鏡が撮影したわし星雲だよ。この柱みたいなのは只の塵とガスの集まりだけど、この中にはすごく密度の高いガスの塊があってそれがいつか星になるんだよ。
まあ言ってみれば新星を生み出す宇宙の子宮みたいなものだね。」
「綺麗だな・・・宇宙にはこんなものがあるのか・・・」
吸い込まれるように浮竹はその写真を見詰めた。
現世に赴いても魂魄のある場所にしか行ったことが無い浮竹は、地球以外の星を訪ねたことはない。世界にはまだまだ自分の知らないことが多いのだと、浮竹は改めて己の小ささを感じるのだった。
「この世には僕たちの知らないことが沢山あるよね。」
まるで浮竹の心を読んだかのような京楽の言葉に浮竹は驚いて顔を上げた。
「現世も、ソウルソサエティも、虚圏も、地獄も、断崖も。分からないことの方が多い。でもね、時々無性に知りたいと願う瞬間があるんだ。
宇宙には上下があるのだろうかとか宇宙の果てのそのまた向こう側には何があるんだろうとか、ビッグバンの前には何があったんだろう、とかね。
詮無いことなんだろうけど、知りたくて知りたくてたまらなくなることがある。」
おかしいだろうと呟く京楽はどこか遠い目をしていた。
ソウルソサエティは世界の秩序を守ることを第一として、魂魄の数を調整することに専心する。しかしそれは同時に純粋な知的好奇心による探求を軽んじることでもある。
もしかしたら、京楽は死神よりも学者をしているほうが幸せなのかもしれないと考え、浮竹は少し悲しくなった。
「現世に生まれていればお前は自分の好きな道に進めたのに・・・」
ぽつりと呟かれた浮竹の言葉に、京楽はふっと微笑んで浮竹の髪をくしゃりと撫でた。
「馬鹿だねえ。十四郎のいない世界になんて僕が興味持てるわけ無いだろう?」
君がいる世界だから僕の目には謎めいて映るのさ、と耳に囁かれて、浮竹の心はムーンサルトをしたのだった。
*****
星に祈れば
満点の星空の下、京楽と俺は刀を鞘に収めると一息ついた。
先程までの戦闘が嘘のように辺りは静寂に包まれている。
「折角現世に来たのに虚と戦うか魂葬ばかりじゃつまんないねえ」
「何言ってるんだ、遊びに来たわけじゃないんだぞ」
折角現世まで実習に来たというのに、京楽はいつも通りどこか眠そうな目で辺りを見回している。
俺も、口では京楽をたしなめるようなことは言ったけれど、本当は京楽の言葉に同感だった。
二人組みに分かれての現世実習は、思いのほか早く終わってしまって拍子抜けしていたのだ。
「わかってるんだけどねえ・・・でももう虚だって出てこないみたいだしこの辺には整もいないようだよ。集合時間までまだあるんだし、のんびりしないかい?星が綺麗なんだ、浮竹もこっちに来て一緒に見ようよ」
「全く・・・」
やれやれと溜息をつくふりをしたけれど、俺に京楽の誘いが断れるわけが無いのだ。
満面の笑顔で隣に座るように手招きされて、嬉しくないわけがない。
だって、俺は京楽のことが―
「ほら、こっちおいでよ」
「わかってる」
ほんの少しだけ緊張しながら京楽の隣に腰を降ろすと、改めて俺たちの頭上に広がる夜空を見上げた。
京楽の言う通り、空一面に散りばめられた星は、息を飲むほどの美しさだった。
「人間は、神話の登場人物が死んで夜空に昇ったものが星座になったと考えているらしい。ほら、あそこにある赤い星はさそり座のアンタレス。さそり座の隣にあるのがいて座だよ」
「へええ。浮竹よく知ってるね、そんなこと」
「この間お前がサボった現世知識の授業の時に出てきたんだよ」
「そうなんだ。あの授業でも意外と面白いこと教えるんだね」
「お前もたまには出てみるんだな」
「うーん、考えてみるよ」
人間が夜空に描いたという星座は、けれど俺の目にはひどく不恰好なものに映った。
どうして人間は星を繋いで模様を描かずにはいられなかったのだろう。
星は、ただこうやって輝いているだけでこんなにも美しいのに。
それに、もし俺があのアンタレスと呼ばれる赤い星なら、「さそり座の星のひとつ」だと思われるのはきっと寂しいと思う気がする。名前など無くてもいい、ありのままの自分の輝きを見て欲しいと願うだろう。
「でもさあ、人間ってよっぽど想像力が逞しいか、よっぽど目が悪いんだろうねえ。星は星、それだけで充分綺麗なんだから、何も考えずに観賞すればいいのにね。
人間の作り出した絵なんて星空に押し付けなくたって、世界を覆うこの空はこんなにも美しい。
まあ、無秩序なものに秩序を、無意味なものに意味を無理矢理にでも押し付けようとするのは人間の悲しい性なのかもしれないけどね・・・ってなんだい、その顔?」
「いや、丁度俺も同じことを思っていたからちょっとびっくりしたんだ」
京楽と、同じ空を見て同じことを考えていたのかと思うと、何だか照れ臭かった。
「・・・でも、それも手に入らないものに少しでも近付こうとする、悪あがきなのかもしれないな。人間は自分の理解を超えたものを恐れずにはいられない生き物だ。
だから見せ掛けでも偽りでも、理解したと思い込みたいんだよ。星星を星座という模様に作り変えて天上の神秘を知った気になって安心するのかもしれない」
そんな風にしか世界を見ることの出来ない人間を、哀れだと俺は思う。
俺なら、例え理解できなくても構わない。
だって星が綺麗なことには変わりないのだから。
星の輝きに魅せられることに変わりはないのだから。
それが、京楽という星にどうしようもなく惹かれてしまう俺なりの愛し方。
「そうだねえ。ま、どっちにしても人間より僕の方が星座を作るのは上手だと思うけどね。ほら、あそこにあるのは扇。あっちにあるのは蝶だね」
「え?どこだ?」
「ほら、あそこだよ」
「ええ?見えないぞ」
「仕方ないなあ」
不思議に思う間も無く、気が付くと京楽は俺の背後に移動していた。
「ほら」
どきん。
心臓が大きく飛び跳ねた。
「僕の指の指す方向にあるのが蝶だよ」
京楽の一回り大きな手が、俺の手を空へと導く。
耳にかかる吐息と背中越しに伝わる体温に心臓が早鐘を打つ。
聞こえてくるのはどきどきという心臓の鼓動だけで、とても京楽の声なんて耳に入らなかった。
「分かる?」
「あ、ああ」
平静を装って、京楽の指が指し示す方角を見上げたけれど、とても星の形なんて頭に入ってこなかった。
「「あ」」
前触れもなく、俺たちの手からひとつの星が滑り落ちた。
「きょ、京楽!」
「ああ、流れ星だねえ」
そう京楽が言うや否や、またひとつ星が零れた。
あ、と思わず息を飲む。
次から次へと光の粒が空を流れては消えていった。
「流星群だよ」
「すごい・・・」
まるで、俺と京楽の上に光の欠片が降ってくるようだった。
「知ってる?流れ星が消える前に願い事を三回言うと、その願いは叶うんだって」
俺も聞いたことがある、現世での迷信。
流れ星はすぐ消えてしまうから、三回も願い事を言うなんて難しいことが出来れば、確かにどんな願い事でも叶うかもしれない。
「浮竹はどんな願い事するの?」
「誰かに教えたら効果は消えるんじゃなかったのか?」
この広い夜空いっぱいの流れ星に願えば、俺の望みは叶うのだろうか。
京楽が欲しいと
京楽の心を手に入れたいと
そう願うのは、愚かだろうか。
「お前はどうなんだ?」
「僕?僕はお願い事したよ。『今から僕がする質問に、浮竹がうんって言ってくれますように』って」
「何だそれ。そんな簡単な願い事、流れ星に聞いてもらわなくてもいいだろう」
「そんなことないよ」
背後から俺をぎゅっと抱きしめると、京楽が耳元で囁いた。
(ねえ浮竹、僕のものになってくれる?)
やっぱり、京楽には流れ星に願い事なんて必要ない。
京楽の願いを叶えるのは俺だから。
「 」
流星群の降り注ぐ空の下で、俺は、輝く星を手に入れた。
*****
(Baby Baby Babyの続きです)
「京楽!一体どこに連れて行く気だ!?」
「着けばわかるよ。それよりあんまり暴れないでくれるかい?」
「突然攫われた上に目隠しまでされて無理矢理連れまわされているんだぞ!暴れない奴がどこにいる!」
「まあまあそう言わないでさぁ。僕を信じてよ」
「この状況でお前の言うことなんて信じられるか!!!!」
いきなり雨乾堂にやってきて仙太郎と清音の目の前で俺を肩に担ぎ上げたかと思うと、こいつは驚いている俺に構わず走り出したのだ。しかも(悔しいことに)どうやったのか俺に目隠しまでして。
今まで散々こいつの変態的な行為の被害にあってきた俺が慌てないわけがない。
何度どこへ行くのかと尋ねても、京楽は「着いてのお楽しみ」(これもまた俺の不安を誘う言葉だ)だからと教えてくれない。頭にきた俺が思いっきり暴れても文句は言えないはずだ。
とはいっても、目隠しをされてはいるがどこにいるのか辺りに満ちる霊子の変化から大体の見当は付く。
多分今俺達が通っているのは断界で、京楽は俺を現世に連れて行くつもりなのだ。
死神用の穿界門の通行が許されるはずがないから、多分京楽家専用の穿界門を通ったのだろう。
そこまでして一体何が現世にあるというのか。
京楽がここまでするのだから、きっと何かよっぽどすごいことなのだろうとは思うが、だとしても何故目隠しが必要なのかさっぱりわからない。
「お前・・・後で元柳斎先生にこっぴどく怒られても知らないぞ」
「うん、覚悟してるよ」
口ではそう言いながらも京楽の声は笑みを含んでいる。
すごくいいことを思いついて、嬉しくて嬉しくてたまらないって声だ。
こいつのこういう声を聞くと院生の頃に戻った気分になる。
あの頃も時々二人で授業を抜け出しては元柳斎先生に怒られたっけ。
「着いたよ」
「やれやれやっとか。いい加減目隠しも外してくれよ」
「それはもうちょっと待ってね」
やっと降ろしてくれたはいいが、まだ目隠しを取ってはいけないなんて一体こいつは何がしたいんだ。
毟りとってやろうかとも一瞬思ったがそんなことをしたらこいつが悲しむのが想像できてしまったから、やっぱり考え直した。
どこまでお人よしなんだ、俺は!
「浮竹、もういいよ。目を開けて」
「全く、一体なんだって・・・」
そうして開いた俺の目に映ったのは、漆黒の空に浮かぶ巨大な細い光の輪だった。
いや、正確には完全な円ではない。
環の一部が玉のように膨らんで強い輝きを放っている。
「すごい・・・」
「ダイヤモンドリングっていう現象だよ。皆既日食の際、太陽が全て隠れた直後に太陽の光が一部分だけ漏れ出て輝く瞬間をそう呼ぶんだって」
「皆既日食・・・」
日食は何度か見たことがあったが、こんな現象を目撃したのは初めてだった。
京楽は、この空に浮かぶ指輪を俺に見せたかったのだ。
「言葉では言い尽くせない美しさだな・・・」
この美しい光景を俺と分かち合いたいと、京楽は思ってくれたのだ。
「ありがとう、京楽」
本当に、素直に嬉しかった。
「お礼はいいよ。それより浮竹、これを」
不意に何か小さくて冷たいものが手の中に転がってきた。
「僕は、君のためなら空に浮かぶダイヤモンドリングだって手に入れてみせる。でも、今の僕に出来るのはこれが精一杯なんだ。君がもし、それでもいいと言うのならこれをもらってくれないか?」
それは小さなダイヤモンドの指輪だった。
「母上の形見だよ」
「京楽!こんな大事なもの・・・!」
「いいんだ。君に持っていて欲しいんだよ。それに」
気が付くと、月に隠れていたはずの太陽が顔を覗かせ始めていた。
白く眩い光が、俺たちの上に降ってくる。
「僕の、大事な人にあげるように言われていたから」
「きょうらく・・・」
「ねえ、十四郎」
Will You Marry Me?
*****
星の涙
す、と白い爪先が降り立ち、静かな水面に幾重もの波紋を描く。
見上げれば、濃紺のびろうどの天幕に宝石を散りばめたような星空が広がる。
降るような満天の星空を背景に、長い髪を風に靡かせて浮竹はひっそりと漆黒の水の上に佇んでいた。煌く星の光を受けて、白い髪が朧に浮かび上がる。
さながら泉の妖精か湖の乙女だねと、盃を傾けながら京楽は呟いた。
「お前もこっちに来ればいいのに」
顔だけを京楽の方に向けて浮竹は微笑んだ。
「僕はここでいいよ。君のそうしている姿を見ながら飲む酒は美味いからね」
「物好きな奴だな」
「そうかい?」
「ああ」
くすくすという浮竹の笑い声が夜風に乗って京楽の耳に届く。
「酒に火照った身体を冷ますのに、わざわざ池の上を歩くほうが物好きだと思うけどねえ」
「いいんだよ。素足に水が気持ちいいし、酔狂って奴だからな」
「はは、違いない。じゃあ僕も酒のせいにしようかなあ」
「お前は酒なんて飲んでなくても物好きじゃないか」
「あれ、手厳しいね」
「日頃の行いが行いだからな」
「ひどいなあ」
浮竹の言葉に大げさに傷付いた振りをしてごろりと雨乾堂の縁側に寝転ぶ京楽を見て、浮竹はまたくすりと笑った。池の上で涼んでいる自分も酔狂だし、それを肴に酒を呑む京楽も酔狂だが、そんな京楽さえ愛しいと思ってしまう自分が一番酔狂が過ぎるのかもしれないと思ったのだ。
京楽もそんな浮竹を黙って見つめるだけだった。
ぽちゃ、と池の鯉の跳ねる音が夜の空気に響く。
霊圧を集中させた足の下で、池の水が小さく震えるのが浮竹にはわかった。
眼下に広がる漣を見詰めながら、浮竹の心は安らかだった。
「京楽」
「何だい?」
「やっぱりこっちに来てくれ」
弾んだ声の浮竹に、何か楽しいことでも思いついたのだろうかと考えながら、京楽は身体を起こすと軽く床を蹴って、一瞬で京楽が浮竹の隣に降り立った。
「で、一体どうしたの?」
そう尋ねながら覗き込んだ浮竹の眼は、きらきら輝く星屑を閉じ込めた天球儀のように美しくて。
この瞳に映るのが自分だけであればいいのにと、京楽は不意にそんな思いに駆られた。
「下を見てみろよ」
言われるがままに視線を下ろした京楽は、次の瞬間はっと息を飲んだ。
波一つない水面が映し出したのは、辺り一面の星、星、星。
自分達の周りに広がる荘厳な風景に京楽は言葉を失った。
「こうしていると星の海でお前と二人漂っているみたいだろう?光の粒で出来た広い海の中を泳ぐ二匹の海月みたいに」
そう言いながら自分の喩えが気に入ったのか浮竹は嬉しそうに顔を綻ばせた。
広い星の海原を浮竹と二人だけで永遠にたゆたう幻想はひどく魅力的だと京楽は思った。浮竹と二人でなら、光の海で溺れて星屑になって消えてしまっても構わなかった。
「京楽?」
黙ってしまった京楽の頬に、浮竹がそっと手を添える。
「泣きそうな顔してる」
優しく頬を撫でる浮竹の手をとると、京楽はそっとその白い指先に口付け「君が好きだから」と囁いた。
「君が好きで好きで堪らないんだ。泣きたくなるほどに」
そう言って京楽は微笑んだけれど、そのどこか痛々しい笑顔に浮竹はどうしようもなく切なくなった。
「馬鹿な奴・・・」
両手で京楽の顔を包み込むと、浮竹はもう何も云うなと言うように京楽の唇を塞いだ。
この口付けが少しでもこの男を癒すことが出来ればと、叶わぬ願いを胸に抱きながら。
零れ落ちた一滴の涙が、星の海に消えていった。
18.07.09
と言うわけで「天体シリーズ」でした。全体的に甘い話が多いのですが結構好きでした、このシリーズ。
管理人は天文学が好きなのです(あんまり知識はありませんが^^;)
一応テーマは順に
月
太陽
金星
わし星雲
星座と流れ星
皆既日食(ダイヤモンドリング)
天の川
でした。