ドン、ドドン。
ヒュルルルルル。
ドン。
ドンドン。
パラパラパラパラ。
「これまた豪勢な花火だなあ。まあある意味京楽家の威信に関わることだから派手になるのも仕方がないんだろうけど」
京楽家所有の大庭園の上に次から次へと現れる大輪の夜空の花を遠くに見ながら、春水は呆れたように溜息をついた。
真夏の夜の夢
今日、7月11日は京楽家次男春水の8歳の誕生日である。
春水の年頃の子供にとって誕生日といえば普通、一日中家族や友人からちやほやしてもらえる上にプレゼントをもらえてご馳走を食べられるとても幸せな一日である。
しかし、春水にとって誕生日とは退屈で面倒な厄日としか言いようのない日だった。
朝から晩まで上級から下級まで多くの貴族が入れ替わり立ち代わり「京楽家の子息」への祝いの品を携えて尋ねてきてはその度に畏まって挨拶をさせられていたのである。
更に夜には瀞霊廷に住む貴族全てを招待した宴会に出席しなければならなかった。
本当はそんな大仰な宴会になど参加してもつまらない思いをするだけだとはわかっていたが、一応本日の主役である春水は適当に理由をつけて逃げ出すことが出来なかったのである。
自分の誕生日が大人達の政治的駆け引きに体よく利用されていることなど聡い春水は気付いていたが、だからといって子供らしくわがままを言うことなど上級貴族に生まれた春水には許されなかった。
しかし、貴族の子息として恥ずかしくない振る舞いをしなさいと親にきつく言いつけられていたために一日中猫を被っていた春水は、疲れと苛立ちが頂点に達していた。
折角の誕生日なのだから貴族であることなど忘れて自由に好きなことをしたかったのだ。
だから、宴会の余興として始まった打ち上げ花火に皆が気を取られている隙に、そっと祝いの席を抜け出してきたのである。
あれ程大勢の客がいればしばらくは春水が宴会の場からいなくなったことに気付かないだろうと計算してのことだ。
(さて、と。逃げ出したはいいけどどこにいこうかな)
取り合えずあの場から出て行きたかっただけで何をしようと考えていたわけでもない春水は、当てもなく瀞霊廷の街並みを歩き出した。
普段は夜遅くでも人通りがありにぎやかな瀞霊廷は、今夜はひどく静まり返っていた。春水の屋敷に招待されている貴族は勿論、瀞霊廷の住人の殆どは花火見物に出かけているのだ。
こんな時間に子供が出歩いていても見つかる心配はないと言う点では春水にとって好都合だったが、今は何故かそれを喜ぶことは出来なかった。
薄暗く人気の無い街を一人ぼっちで歩きながら、幼い春水は不意に泣きたい気分に襲われた。
もうすっかり陽は落ち、濃紺の空が春水の頭上に広がっている。
あと一、二時間もすれば日付が変わるだろう。
「折角の誕生日なのに、全然楽しくないや」
自分はただ、両親と兄に誕生日を祝ってもらいたかっただけなのに。
誕生日くらい、家族水入らずで過ごしたかっただけなのに。
朝から客人達の対応に追われろくに顔も合わせていない家人を思いながら、春水は気だるげに歩を進めた。
一筋の涙が頬を滑った。
「ねえお兄ちゃん、こんなところで何してるの?」
突然頭上から声が降ってきた。
驚いた春水は慌てて涙を拭うと辺りを見回した。
「誰?どこにいるの?」
「ここだよ。木の上だよ」
声を頼りにきょろきょろと周りの家々を見遣ると、前方の茂みに囲まれた家から覗く木の上で動く影が見えた。
「ちょっと待っててね。今降りるから」
「え?いいよ、そんなこと」
しかし春水の静止も聞かずに声の主は木から降りてしまったようで、とさ、という何かが落ちるような音が茂みの向こう側で聞こえた。
そして少ししてから生い茂る葉の隙間からにゅっと小さな腕が突き出した。
「ここから庭に入れるんだ。こっちにおいでよ」
「君ねえ・・・」
人の話を聞かない声の主に、春水は困惑を隠せない。
いつまで経っても引っ込む様子のない小さな手に、深く溜息を付いた。
(仕方ないなあ・・・)
何だかおかしなことになったと思いながらも、春水は声に導かれるままに茂みを抜けたのだった。
「こんばんは」
「こ、こんばんは」
春水を迎えたのは満面の笑みを湛えた小さな男の子だった。年の頃は春水より二つ三つ下であろうか。何故か頭巾を被っているが、それ以外はくるくると動く瞳が印象的な、ごく普通の少年だった
。人見知りというものを知らないのか、初対面の春水に対しても全く物怖じした様子は無い。
真っ直ぐ自分を見詰めてくる少年に春水は好感を持った。
「こんなところで何をしているの、お兄ちゃん?」
「僕?僕はただの散歩だよ」
「花火は見に行かないの?今日はじょうきゅうきぞくのおたんじょうびのお祝いに花火大会が開かれてるんだって」
「僕は・・・あんまり打ち上げ花火は好きじゃないんだよ」
まさか幼いこの少年が自分を京楽家の者だと知っているはずが無いとは思ったが、それでも春水は少年に正体がばれるのを恐れ話題を変えることにした。
「そういう君はどうなの?」
「ぼく?」
「あの木の上で花火を見ていたんでしょ?どうしてもっと近くに行ってみないの?」
「ぐあいがわるいから人ごみには行っちゃだめってちちうえとははうえに言われたの。だからここでおるすばんしてるんだ」
「君、具合が悪いのに木登りなんかしていいの?」
言ってから、しまったと思ったが遅かった。
春水の何気ない言葉に、みるみる少年の表情は曇っていく。
年下を泣かせてしまったかのかと春水は柄にも無く慌ててしまう。
「ごめんね。責めてるわけじゃ・・・」
「花火、どうしても見たかったんだ。でも」
ひとりで見ても楽しくない。
消え入りそうな声でそう呟くと少年は俯いてしまった。
幾つもの涙の雫がぽたぽたと音を立てて地面に落ちるの。
(この子もひとりで寂しいんだ―)
自分と同じように。
そう思うと、きゅっと締め付けられたように春水の幼い胸が痛んだ。
「・・・ねえ、一緒に見ようか、花火」
春水の言葉に少年は驚いて顔を上げる。
驚きと期待が入り混じった顔は涙でぐちゃぐちゃで、春水は思わずぷっと吹き出してしまった。
「な、何?どうして笑ってるの、お兄ちゃん?」
「ご、ごめん。なんでもないよ。ほら、顔拭かなきゃダメだよ」
笑いを堪えながらも春水は自分の着物の袖で少年の涙に濡れた顔を拭ってやる。
そんな春水に不満そうな様子の少年だったが大人しくされるがままになっていた。
「・・・ねえ、さっき言ったことほんとう?いっしょに花火見てくれるって」
「うん、君さえ良ければだけどね」
「ぼ、ぼく、お兄ちゃんさえよければ・・・」
とってもうれしいよ、と照れながら少年は春水の耳に囁いた。
たったそれだけのことなのに、不思議と胸がぽかぽかと温かくなったのを春水は感じたのだった。
自分の言葉でこの少年が笑ってくれる、それがひどく嬉しかった。
「こんな誕生日も悪くないかな」
「え、何?何か言った?」
「ううん、何でもないよ。それよりどこで花火を見ようか?京楽の屋敷に近付けばすぐ見つかっちゃうし、君だって人込みに行って具合が悪くなったら困るよね」
「うん、ぼくがびょうきになるとちちうえとははうえが悲しくなるの」
「そうだよね。うーん、どうしようかなあ」
二人の少年が難しい顔をして考え込む姿は微笑ましいものだったが本人達は至って真剣だった。
と、何か思いついたのか突然少年が声を上げた。
「そうだ!お兄ちゃん、ちょっとここで待っててね」
「え?いいけど・・・」
「どこにもいっちゃだめだよー!」
春水を庭に残して家の中へ駆けていく少年の後姿を見送りながら、ふと彼は一体何者だろうかという疑問が春水の頭に浮かんだ。瀞霊廷に住んでいる以上貴族か死神の息子なのだろうが、初めて見る顔だった。
貴族同士で歳も近いのであれば、どこかで会う機会がある筈だが少年の方でも春水に会ったことがないようだった。だとすれば、平隊士の息子なのかもしれない。
どっちにしろ少年が春水のことを知らないのは好都合だった。上級貴族の京楽家の次男坊としてではなく、ただの子供として少年に接してもらえることが嬉しかったのである。
「おにいちゃん」
気が付くといつの間にか少年が戻ってきていた。
興奮しているのか顔が紅潮している。
「はい、これ。これをいっしょにやろうよ」
少年が差し出したのは、小さな両手いっぱいの不思議な物体だった。
「何、これ?」
「ちちうえが作ってくれたの。ちっちゃな花火だよ」
「これが花火?」
和紙で出来たこよりに火薬が包まれたそれは、今で言う線香花火である。
おもちゃのような何のひねりも無い単純な構造のその花火を、高価で仕掛けの多い花火しか目にしたことの無い春水が知らないのも無理は無かった。
「おっきな花火を見に行けないから、代わりなんだって」
「そっか・・・いいお父さんだね」
「うん!」
「でも、いいの?僕とじゃなくて、お父さんやお母さんと一緒に花火をしなくて」
「うん。だってお兄ちゃんやさしいから・・・ぼく、お兄ちゃんといっしょにこの花火したいんだ」
優しいなんて誰かに言われたのは初めてで、我知らず顔が火照るのが春水にはわかった。少しの恥ずかしさと喜びが入り混じった感情は春水にとっては初めて経験するものだったが、それはひどく心地よいものだった。
上辺だけの世辞や諂いばかりを耳にしてきた春水にとって、不純な動機の一切無い真っ直ぐな少年の言葉は、乾いた砂漠に落ちた一滴の雫のように胸に染み渡ったのである。
「で、でも、花火をするって言っても火はどうするの?」
「え?あ、そうだね、忘れてた!!どうしよう・・・」
照れ隠しに少年の気を逸らせるために春水はそう言ったが、実際どうやって線香花火に火を付けるのかは大きな問題だった。
少年の手が届くようなところには当然のことながら火種などない。
「仕方が無いなあ。僕に任せて」
そう言って、春水は右手に霊圧を集中させると小さな炎を指の先に作り出した。
「すごい!!!!お兄ちゃん、きどうが使えるんだ!!!」
「少しだけどね」
京楽家の者としての修練の一端として無理矢理受けさせられていた斬拳走鬼の授業だったが、こんな風に役に立つのなら一応価値はあったのかもしれないと、少年の尊敬の眼差しを受けながら春水はひとりごちた。
「じゃあ、火を付けるよ」
「うん」
一本ずつ手にした花火の先に、そっと火を近付ける。
ジ・・・
パチ
パチパチパチ
「「うわあ・・・」」
同時に、感嘆の声をあげる。
こよりの先に橙色の火の玉ができたかと思うと、次の瞬間二人の少年の手の中で小さな光の花が咲き乱れた。
それは本当に小さくささやかな火花だった。
しかし、二人の目にはどんなに豪華な打ち上げ花火よりも美しく映ったのだった。
「きれいだね・・・」
「うん」
ちりちりと耳触りのよい音を立てながら、次から次へと光の玉が可憐な炎の花を生み出していく。
その幻想的な光景に春水は息をするのも忘れた。
ついさっき会ったばかりの少年と、こんな風に親密な時間を過ごすなんて、春水はなんだか夢でも見ているような心持だった。
もしかしたら、この少年は誕生日に寂しい思いをしていた自分を可哀想に思った神様が、自分の下へ遣わしてくれた天使なのかもしれない。
そんな想像をしながら、春水は一心不乱に花火を見つめている少年の横顔を盗み見た。
踊りまわる光に照らされた少年の顔は、どこか別世界の住人のもののようだった。
「あ」
だんだんと火花が弱まったかと思うと、ついに炎の玉はぽとりと地面に落ちた。
小さな星屑のように輝く夏の花は、ほんの短い間だけ咲き誇り儚く散ってしまった。
それはまるでこの満ち足りた時間の終わりを告げるようで、春水は胸に一抹の寂しさを覚えたのだった。
「・・・花火、綺麗だったね」
「・・・うん、きれいだったね」
火の消えてしまった花火を手にしたまま、春水も少年も身動きひとつせず、黙って虚空をみつめるだけだった。
少しでも音を立てればこの脆弱な幸福が壊れてしまいそうで、少年と共有しているこの空間を息を潜めることで守ろうとすることしか春水には出来なかった。
カタ
「あ!」
不意にどこかで物音がして、少年の小さな身体がびくりと強張った。
「ちちうえとははうえがかえってきた!」
「え?本当?」
「ぼく、ふとんでねてるように言われてたんだ。もどらなきゃ!」
「ちょ、ちょっと待ってよ・・・!」
「ごめんね、お兄ちゃん。さっきの穴から外に出られるから」
「待ってってば!」
突然の展開に思考が付いていかず、春水は思わず今にも駆け出しそうな少年の腕を掴んでいた。
その反動で少年の頭巾が脱げ、隠されていた髪が外気に曝される。
(・・・!)
現れたのは、目の覚めるような透き通るように純白の髪。
暗闇の中で少年の髪だけが淡い光を放っているようで、春水は思わず息を呑んだ。
「ごめんね、お兄ちゃん!またね!」
「あ・・・!待って!君、名前・・・!」
しかし春水の制止も聞かず、少年は家の中へと駆けて行ってしまった。
その場に立ち尽くしたまま春水は呆然と少年の後姿を見送るしかなかった。その間にもパタパタという足音がだんだんと春水のほうに近付いてくる。
(やばっ・・・!見つかったら面倒なことになる)
少年の両親が帰ってきたということは打ち上げ花火は終わり、宴会も終わりに近付いたということだろう。そろそろ春水の不在に気付いた家人が捜索隊を編制した頃かもしれない。
屋敷外に出ていたことがばれたら父にこっぴどく叱られるに違いない。
見つからないように急いで茂みを抜けると元来た道に出た。
通りにはまばらだが人の影が見え始めている。
京楽家の屋敷へと走り出す前に、春水はほんの一瞬立ち止まった。少年が座っていた木を記憶に焼き付けようと振り返るために。
いつかまた、あの少年を訪ねて来ようと心に決めていた。
「また、会えるよね・・・」
憂鬱だった誕生日に、重く垂れ込める暗雲の隙間から差した一条の光のようにきらきらと輝く思い出をあの白髪の少年は春水の心に残してくれた。
だから。
いつか再び出会えたら、ありがとうと言いたい。
そして、友達になってくれないかと尋ねるのだ。
そして
(いつか一緒に花火を見に行こう・・・)
夜空を彩る大輪の花の下で、彼と手を繋ぐ様を春水は心に描いたのだった。
*****
あれから春水は記憶を頼りに一生懸命少年の家を探したが、結局見つからずじまいだった。
心に焼き付けたはずの木の姿形さえ一晩経ってみるとひどくあやふやで、どうしてもはっきりと思い出すことが出来なかった。
あれは自分の寂しい心が見せた夢だったのかもしれない。
いつしか春水はそう考えるようになっていた。
そして月日は流れて。
死神統学院入学式当日、特進クラスの教室で春水は一人頬杖をついて窓の外を眺めていた。
そこへ不意に誰かが声をかけた。
「京楽、京楽春水!」
名前を呼ばれて振り返った春水は、一瞬我が目を疑った。
そこにあったのは、眩しいほどの笑顔と。
純白の髪。
「俺は浮竹十四郎だ。よろしく!」
28.06.09
子供が大人の監督なしに花火をしてはいけません(汗)
初書き子楽x子竹でした。難しい・・・
上級下級の違いはあれど、同じ貴族で年も近かったら学院に入る前に出会っていてもよさそうだよね、と思ったところからこの話が出来ました。
貴族ってそんな数いないはずだし。謎だ・・・
ちなみに線香花火は江戸時代に作られたそうです。本当に簡単な構造みたいですよ。