二人の間に異変が起きたことに気付いたのはどちらが先だったのだろうか。それは、本当に些細な変化だった。
合わない視線、ぎこちない動作。
傍からみれば、以前と何の代わりもないのかもしれないけれど、その違和感は、誰よりも長く同じ時間を共有してきた京楽と浮竹にとって、
はっきりとした質量をもってその存在示していた。
まるで噛み合わない歯車のように、何もかもが不自然で、落ち着かない。
穏やかで、心地よかった筈の二人の関係に立ち始めた漣を京楽も浮竹も感じていたけれど、なす術も無く、
ただ、知らないふりを装うことで今にも壊れてしまいそうなこの関係を、少しでも長く保とうとするだけだった。
けれど、そんな脆弱な均衡は必ず破られる時が来る。
「今夜は月が綺麗だから、雨乾堂で酒でも飲もうか。」
勇気を出したのは、浮竹が先だった。それが只の口実であることは明白だったけれど、京楽は何も言わない。見せかけの平穏を一秒でも長く伸ばすために。
「ああ、いいねえ。月見酒といこうか。」
二人ともきっかけを待っていただけなのだ。堰き止めていた言葉が、抑え付けていた感情が、溢れ出すきっかけを。
いつかこの関係に終止符が打たれる時が来ることを知っていたはずなのに、二人の胸はそれでも恐怖に震える。
動き出した時は、もう止まらない。
終わりが、始まる。
「行こうか。」
恐れていた時が刻々と近づいていることを感じながら、抗う術を持たない二人は、絶望に似た思いを胸に抱いて歩き出す。
雨乾堂までのこの道が永遠に続けばいいと、叶わぬ願いを胸に秘めて。
*****
沈黙が雨乾堂を支配していた。
静寂を破るのを恐れるかのように、京楽も浮竹も一言も発せず、ただ酒を酌み交わす。
こんなに不味い酒を飲んだのは何時以来だろう、と京楽は自嘲した。
浮竹と交わす酒は、どんな時だって美味かったのに。
例え女に振られてふさいでいても、任務でミスをして落ち込んでいても、浮竹と飲む酒はいつだって幸福の味がした。
それなのに。
今口に含む液体は、ただ、苦い。
まるで最後の審判が下るのを待っているようだと、京楽は苦笑する。
自分達の二千年は何だったのだろうか。
夜空に浮かぶ月に向かって、京楽は心の中で呟いた。
どうしてこんなことになってしまったのだろう、と浮竹は心の中で自問した。
俺はどこで道を間違えてしまったのだろうか、と。
京楽の隣はいつだって一番安心できる場所だったのに。
今は、二人の間に横たわるぴりぴりとした空気が肌を刺す。
何か言わなければと思うのに、言葉が見つからない。
何も言わなくても心は通じ合っていると思ったのは、全て自分の思い過ごしだったのだろうか。
夢に向かって共に精進したあの日々は、全て幻だったのだろうか。
水面に映る月を見つめながら、浮竹はそっと溜め息をついた。
ざあっ。
突然一陣の風が京楽と浮竹の間を吹きぬけた。
何の悪戯か浮竹の髪を結っていたはずの紐がほどけ、その透けるように白い髪がなびく。
乱れてしまった長い髪を無意識のうちに梳く浮竹の、その雪花石膏の手を京楽の視線が追った。
ふと、一片の花びらが浮竹の髪に絡まっているのが京楽の眼に入った。おそらく先程の風に運ばれてきたものが、舞い降りたのだろう。
自然に、ごく自然に、京楽はその花弁に手を伸ばす。
京楽の指先が花弁に触れるのと、何かの動く気配を感じた浮竹が京楽を見上げたのは、同時だった。
気が付けば、二人の顔はとても近くにあって。
刹那に唇を掠めた感触に二人の思考は停止する。
琥珀と翡翠の瞳が交錯する。
そして。
京楽の唇が浮竹の唇を捕らえた―。
絶望的な思いで京楽は目を閉じる。
伸ばされた手は、浮竹の髪に触れる寸前で止まったまま。
浮竹は驚愕に目を瞠る。
髪を梳いていた手が、力を失い落とされた。
それと共に、囚われていた花びらがふわりと舞い落ちる。
それは、触れるだけの口付けだった。
京楽はゆっくりと浮竹から身を離すと、そのまま崩れるように両手を付いて項垂れた。まるで浮竹の許しを請うかのように。
「ごめん。」
消え入るような声でそう言った京楽の顔は浮竹からは見えない。
我に返った浮竹が口を開きかけた時、ふと、京楽の手が小さく震えているのが眼に入った。
気が付けば、京楽の大きな身体は小刻みに震えていて。
おずおずと、浮竹の指が京楽の左手に触れる。
驚いて京楽は顔を上げた。その視線は、まるで信じられないものを見るかのように浮竹の白い指先と碧の瞳を行ったり来たりする。
うきたけ、と呼ぼうとした京楽の声は、喉が渇いて音にならなかったけれど、浮竹の耳には確かに届いていて。
浮竹は、何も言わず、ただ京楽の大きな左手を己の両手でそっと包み込んだ。そうすることで想いの全てが伝わるようにと願いながら。
泣き出しそうな顔で京楽は浮竹の細い肩を己の胸へと引き寄せると、すきだよ、と囁いた。
おれもすきだ、と答えた浮竹の声は涙のせいで少しくぐもっていたけれど、京楽の耳には確かに届いたのだった。
14.02.09
やっとくっついた。
雰囲気を重視したのですが駄目ですねえ。修行が足りません。
もっと精進しなければ。