「ねえ、浮竹ってキスしたことある?」
それは他意の無い問いだった。
本当に、単なる興味本位でそう聞いてみただけで、まさか答えが返ってくるなんて予想もしていなかったんだ。
切っ掛けはよく覚えていない。
ただ、放課後居残りで課題をさせられているのに飽きただけなのかもしれないし、教室に二人きでいる沈黙に耐えられなくなったからかもしれない。
重要なのは僕がその問いを発したことと、彼が僕のその問いに答えたこと。
キスの行方
「キスなんてしたこともないし、したいとも思わないかな。」
驚いて思わず顔を上げた僕の目に映ったのは涼しい顔で机に向かっている浮竹だった。
授業をサボることの多い僕が居残りをさせられているのは珍しいことではないけれど、優等生の浮竹まで一緒になって居残って課題をしているのは
彼がここ一週間ほど体調を崩して学校を休んでいたからだ。
死神統学院に入学して三ヶ月。
こうして浮竹と二人きりで話をするのはこれが初めてだった。
放蕩三昧を繰り返していたところを親に無理矢理この学院に入学させられた僕は、これまでの素行を改めることも無くやっぱり隙を見てはサボりを繰り返していた。
僕は死神になんてなれなくても構わなかったから落第してもいいと思っていたし、それに僕自身この学院にいるのがあまり好きじゃなかったから。
勿論かわいい女の子がいっぱいいるのは目の保養になって嬉しいけれど、それでも出自に関わらず才能のあるものには平等に死神になる機会が与えられるようにと山爺が設立したこの学院でもやっぱり身分差別ってものがあって、僕にはそれがなんだか興醒めだった。僕が京楽の家のものだと知って媚を使ってくる中級貴族の者、ことあるごとに流魂街出身のものをいじめる下級貴族の者、そして流魂街出身の者は貴族達を敵視していて。学院の外と何も変わらないそんな状態に僕は入学早々から嫌気が差していた。だからことあるごとにここから逃げ出していたんだ。
そんな僕が浮竹の存在に気付いたのは、入学式当日のことだった。雪のように白い髪と碧玉のようにきらきらと光る瞳が印象的な少年。
その時は綺麗な子だな、と思っただけでそれ以上興味も無かったから特に関わり合いになることも無かったけれど、毎日同じ教室で学んでいれば自ずと彼の人となりはわかってくるもので。
人懐こい性格なのか、それとも人徳のなせる業なのか、気が付くと彼はいつも人の輪の中心にいた。
身分や出自に関わらず誰とでも分け隔てなく接する彼は誰からも好かれていて、彼のことを知りたがる輩は多かった。
だから、彼が下級貴族の出身であること、白い髪は幼い頃から患っている肺病のせいであること、そのせいで時々授業を休むことなど、彼に関する情報は嫌でも僕の耳に入ってくるようになった。
その上彼はひどく優秀で先生達からも一目置かれていたから、問題児の僕なんかとは殆ど接点が無くて、今日こうして二人だけで居残りをさせられるまで数えるほどしか言葉を交わしたことがなかったんだ。もっとも言葉を交わしたといっても、ごくたまに僕が朝から授業に出てきたときなどに彼のほうからおはようと挨拶してくるのに答えただけだけれど。
そんな訳で僕と浮竹は単なる級友というだけで、まともに会話をしたこともなかったんだ。
それなのにいきなりキスをしたことがあるかなんて立ち入った質問をしたのは、多分、純真そうな顔の裏に何が隠れているのかに興味があったから。
実際話題は何でもよかったんだけど、キスについて質問してみたのは昼休みに彼の周りで幾人かの男子生徒が集まって誰がキスしたことがあるかなんて、僕からしてみれば実にお子様な話題について盛り上がっていたからだ。
そのとき浮竹は笑顔で彼らの話を聞いているだけだったから、正直こういう方面には疎いのだと思ってた。だから、僕の唐突な質問に顔色一つ変えずに答えた浮竹に、僕はいささか拍子抜けした気がしたんだ。
「まさか本当に答えるなんて思わなかったよ。」
「何言ってるんだ?聞いてきたのはお前だろう?」
手を止めて訝しげに僕を見る浮竹の顔には羞恥の色は無い。尋ねられたから答えるのがさも自然だといわんばかりだ。
「でも、普通こういうのって秘密にしておきたいとか思わないの?」
「そういうものか?」
もしかして浮竹って天然なのかな、なんて考えが僕の頭をよぎる。思い出してみれば僕は授業中教師の質問に的確に答えてる浮竹しか知らないわけで。
彼にはしっかりしているイメージがあったからなんだか少し意外だった。
「キスしてみたいと思わないの?」
「思わないな。」
「どうして?」
「どうしてって・・・」
少し困ったように眉根を寄せると浮竹は顎に手を添えて考える仕草をした。まるで難解な問題に初めて取り組むような表情に、僕は何の気なしに変な質問をしてしまったことを少し後悔した。
「俺はそもそも、唇を合わせる行為に何の意味があるのかわからないし、それが気持ちのいいことだとも思えないからじゃないかな。」
「え・・・?」
何というか子供だとは思っていたけれど、ここまで幼いとは思っていなかった。
唇を触れ合わせるだけがキスだと思っていたり、キスという行為に意味を求めたり、これじゃ思春期前の餓鬼じゃないか。
「そんなの試してみなきゃわからないでしょうが。キスっていうのはさ、好きな相手との距離を0にする特別な儀式なのさ。
手を繋いだり、肩を抱いたりするだけじゃ埋められない距離が、唇を触れ合わせるだけで一瞬で消えてしまうんだ。」
その点で言ったらキスよりもセックスのほうがもっと良いけどね、というのは流石に口にしなかった。お子様にはまだ早いと思ったし、よく考えてみたらどうして僕が浮竹にキスについてレクチャーしているのかわからなくなったから。質問したのは僕なのに、どうしてこんなことになったんだろう?やっぱり浮竹みたいなタイプには慣れていないから調子が狂ってしまう。
「そんなこと言われてもなあ。お前はキスに慣れているからそう錯覚してるだけなんじゃないのか?」
どうして僕がキスに慣れてると知ってるのか、なんて野暮なことは聞かなかった。
僕がいろんな女の子と付き合っていることは学院では有名だし、入学する前から浮名を流していたのを隠してはいなかったから。でも浮竹の耳にまで僕の噂が入ってるとは意外だった。
僕になんて全く興味が無いと思っていたのに。なんだか今日は浮竹の新しい一面を発見してばかりだ。
「試してみる?」
だからふざけてそう尋ねたのは、なんとなく意地悪してみたくなったからなんだ。
天然でお子様な、僕とは対極に位置するような浮竹を、困らせてみたいなんて柄にも無く子供っぽいことを思ったから。
でも、そんな僕の思惑に反して浮竹はさも当然の如く
「ああ、いいよ。」
なんて言うものだから、僕は余計に面食らってしまった。
「いいの?」
「いいよ。」
思わず聞き返してしまった僕を不思議そうに首を傾げて見つめている浮竹は、僕が変なことを言ってるなんてことにまったく気付いていないみたいだ。
試しにキスをしてみようと誘われたから承諾した、本当にそれだけみたいだった。
キスの重要性に気付いていないからなせる業なのかもしれないけれど、そのあまりの無防備さに、僕は心の中で苦笑せざるを得なかった。
本当にオコサマだ。
お子様相手にこんなことをしている自分に少しだけ罪悪感を感じたけれど、まあキスなんて減るもんじゃないからいいか、なんて思って僕は浮竹の誘いに乗ることにした。
もともと暇つぶしで始めた会話だから、たいしたことではないと高をくくっていたのかもしれない。
もう少し意地悪をしたいと思ったのかもしれない。
「じゃあ目をつぶって。」
僕に言われたとおり、浮竹はゆっくりと瞼を閉じる。
ふる、と浮竹の睫が揺れた。
思ったより睫が長いんだな、とか
目を閉じるとひどく儚げな表情になるんだな、とか。
浮竹が目を閉じているのをいいことに、浮竹の顔をじっと見詰めながら、ぼくはそんなとりとめのないことを考えていた。
いや、正直言って目を閉じた浮竹があまり綺麗だったから、見惚れていたんだ。
「京楽?」
「だめだよ、目は閉じていて。」
反応の無い僕に痺れを切らしたのか、開かれようとした浮竹の瞼を、僕はそっと右手で覆った。
なんだか、今浮竹の瞳を見てはいけない気がしたから。
そっとかざしただけの僕の掌に、浮竹の睫の感触がして、変な気分になった。
自分でしたことなのに、目隠しされた浮竹が倒錯的だと思った。
「京楽の手、いい匂いがする。」
「手首に練り香水を少し着けてるんだ。」
「そっか・・・かっこいいな。」
まるで睦言を囁いているみたいだと、他人事の様に冷静に観察している自分がいた。
ただの暇つぶしのはずだったのに、妙に胸がざわめいていて。
ただのいたずらのつもりだったのに、気が付けば喉は渇いていて。
オコサマ相手のキスにどうしてこんなに緊張しているのだろう。
遊びのキスにどうしてそれ以上の何かを求めようとしているのだろう。
自分の手で浮竹の目を隠したまま、僕はゆっくりと唇を近付けた。
浮竹の吐息が
心臓の鼓動が
浮竹の匂いが
すぐ傍にある。
ふいに
ちろりと浮竹の舌が覗いて彼の唇を濡らすのが目に入って。
一瞬だけ見えた舌の赤さに、目の前が真っ白になった。
「やっぱりやめた。最初のキスは好きな人とした方がいいよ。」
そう言って浮竹の目を覆っていた手を外すと、僕はちゅ、と音を立てて浮竹の額にキスをした。
「なんだよ、自分から言ってきたくせに。」
「からかってみただけだよ。ごめんね。」
「変な奴。」
僕はいたずらっぽく笑って見せたけど、心臓はどきどきして今にも破裂しそうだった。
だって、一瞬浮竹が垣間見せた艶めいた仕草に
不覚にも心を奪われてしまったから。
彼の全てを奪うような凶暴なキスを
してみたいと思ったから。
「僕今日はもう帰るよ。」
深みにはまる前に逃げなければ、と頭が警告する。
オコサマに関わるなんて厄介ごと、僕はごめんだから。
「また明日な、京楽。」
そう言って笑った浮竹はやっぱりとても綺麗で
僕は思わず息を呑んで、さよならも言わずに駆け出した。
13.04.09
意気地なし!と思わず京楽さんに叫びたくなる今日この頃。
もう思いっきり浮竹さんの魅力にまいっていますね、この若楽さんは。
浮竹さんは…一応天然のつもりで書いていましたが、計算でも萌えるかも。
遊んでる割に本気の恋には臆病な若楽さんが好きです。
つづ・・・くかも(?)