手を出して、と言われて素直に差し出した浮竹の両手にじゃらじゃらと小気味のいい音を立てて落ちてきたのは沢山の小石だった。
両手一杯に積まれたそれはひんやりとして気持ちの良いものだったが、予想していたものとは随分と違っていて浮竹はいささか拍子抜けした気分だった。
「お前が現世の土産だと言うから何か上手いものでも買ってきたのかと期待したのに。」
「まあまあ。今回の現世任務は自由時間がなかったからね、買い物なんか出来なかったんだよ。でもこのお土産は凄いよ。」
いたずらっぽく笑うと石の入っていた黒いビロードの袋を雨乾堂の畳に置き、京楽はずずと茶をすすった。
京楽がわざわざ現世から持ち帰ってきたということはただの石ではないらしい。
そう思って注意深く観察すると、両手いっぱいのそれは透明な八面体の何かの結晶だと言うことが浮竹には見て取れた。
もっとよく見ようと先程京楽が敷いた袋の上に、散らばらないようにその結晶を置いて一粒だけ手に取ると、蝋燭の火に翳して見た。揺らめく炎に照らされてそれは柔らかな七色の光を放つ。
「何かの結晶だと言うことはわかるのだが。俺は鉱物には詳しくないからなあ。一体何なんだ、これは?」
「これはねえ、ダイヤモンドの原石だよ。」
「え?!これが?」
なんと浮竹の目の前に山と積まれたこれは全てダイヤモンドの原石だと言うのだ。しかも磨かれて無い状態とはいえ、どれもかなり大粒である。
宝石などにはとんと興味の無い浮竹でもダイヤモンドが高価なものであることは知っている。一体いくら分あるのだ、と思わずごくりと唾を飲み込まずにはいられなかった。
「お、おい春水。まさかお前これを買ってきたんじゃないだろうな!」
京楽とは長い付き合いであり、お互いのほぼ全てを分かり合っていると言っても過言ではないが、それでも時々浮竹は京楽との価値観の違いに驚かされることがある。
三つ子の魂百までと言うか、やはり幼い頃の生活環境の違いであろうか、時々京楽は浮竹には思いも付かないような金の使い方をするのだ。以前二人で現世に出かけた時に、何気なく入った美術館にあったシャガールの絵を浮竹が褒めたら、なんとその場でその絵を買う交渉を始めたのだ(勿論浮竹は止めた)。だから今回も、と浮竹は不安になったのだ。
「違うよ。さっきも言った通り今回は時間が無かったから何も買ってこれなかったんだ。だからこれは買ったんじゃなくて見つけたの。」
「見つけた?」
「そう。今回の現世任務ってね、紛争地域で大量発生した魂魄を虚になる前に僕の隊が魂葬するってものだったんだ。
まあ何万という単位で人間が死んだわけだから隊の子達にとっては結構大変だったんだけど、指揮をするのは七緒ちゃんで充分だったし僕は何かあったときために待機してただけだったから結構暇だったんだよね。ま、それでちょっと散歩してたらさ、数十の魂魄が必死で何かを守ろうとしているのに出くわした。で、興味を引かれて見てみたらこのダイヤの原石の入った袋を見つけたって訳さ。」
「え。それじゃあ…」
「そうだよ。これは所謂紛争ダイヤモンドって奴さ。これが今回の紛争の資金源だったって訳。」
ダイヤモンドなどの宝石は国際市場で高値で取引されるため、産出国にとっては非常に重要な外貨獲得資源となる。
しかしその産出国が紛争地域であれば輸出したダイヤモンドによって得た外貨を武器や兵器の購入に宛てる。
そしてそういったダイヤモンドを紛争ダイヤモンド、あるいはブラッドダイヤモンドと呼ぶのだ。
「だからこっそり持って帰ってきちゃったんだ。こんなものがあるから紛争が長期化して沢山の人間が死んでいくのだから。」
そう言って京楽は悲しそうに目を細めた。
京楽はおそらく今回の任務で多くの死体を目にしたのであろう。
長いこと死神をやっていれば人間同士の戦争は珍しくも無い。しかし現世での技術が発達するにつれ軍事兵器も発達し、簡単に人を殺す方法が世界に蔓延すればするほど、戦争は悲惨なものになっていった。虚との戦いで壮絶な光景を目にしたことのある京楽や浮竹ですら、そのあまりにもむごい殺し方に言葉を失う程だ。
本当は死神が現世の出来事に干渉するべきではないのだけれど、このダイヤモンドが現世から消えることで少しでも早く紛争に終止符が打たれるようにと願った京楽の優しさが、浮竹には愛しかった。
「こんな小さなもののためにどうして人間は血を流すのだろうな。綺麗だって言っても結局はただの石じゃないか。」
手の内にあるダイヤモンドの原石は曇ったガラスの破片のようで、とても浮竹の記憶の中にある存在感の強い白い光を放って虹色に輝く宝石と同じものだとは思えなかった。
「そうだねえ、人間ってのは不可解だよね。鉱物学的に見ればダイヤモンドだって炭と同じ成分の炭素から出来てるっていうのにさ。
それでも人間にとってダイヤモンドは彼らを魅了してやまない宝石の王様なんだよね。
知ってるかい?ダイヤモンドの語源は「征服されざる、何者にも侵されない」って意味のギリシャ語adamasから来ているんだよ。和名の金剛石も「完全なるもの」って言う意味だしね。
きっと人間はいつまでも形を変えずにいるダイヤモンドに不変性を見出したのかもしれないね。」
この世の全てのものは常に移り変わっていくものだからこそ、外部からの影響を受けず長い間姿形を変えることの無いダイヤモンドに人は永遠不変の夢を見たのだろうか。
だからといって永遠の象徴を巡って殺しあっていては本末転倒ではないか。
「征服されざるもの、か。お前みたいだな。いつも何があっても変わらずお前自身であり続ける。お前も何者にも侵されないで、決して己を失わない。」
そうだろう?と聞いてくる浮竹に京楽は目を丸くした。
無意識に言っているのであろうが浮竹の言葉は凄い褒め言葉である。
「十四郎。それすごい殺し文句だよ。僕をダイヤモンドに例えてくれるなんて。」
にやりと口角を上げて笑う京楽に、浮竹は意図しなかったとはいえ告白めいたことを言ってしまったことに気付き顔を真っ赤にした。
そんな浮竹をにやにやと見つめる京楽の目尻は下がっている。愛されているなあ、僕などと揶揄するとますます浮竹の顔は赤くなった。
「でもね、僕はやっぱりダイヤモンドじゃなくて真っ黒な炭だよ。十四郎こそ永遠にその白い輝きを失わないダイヤモンドだと僕は思うけどね。」
「…っっっ!どうしてお前はそういう歯の浮くような台詞を真面目な顔で言えるんだ。」
恥ずかしい奴だと京楽の悪態をつく浮竹だが、耳まで赤くしていては説得力が無い。なんだかんだいっていつまで経ってもラブラブな二人なのである。
「それにしてもこれだけのダイヤモンドをどうするつもりなんだ?」
我に返った浮竹が至極当然の疑問を口にする。京楽がこっそり持ち帰ってきたということは護廷隊に知られるわけにはいかないのだろう。どこかに隠すべきなのだろうか。
「うーん、どうせだから磨かせて装飾品でも作らせようか?現世ではダイヤの指輪とかが人気らしいよ。
あ、でも十四郎はそういうの興味ないんだよね。僕もあんまり宝石の類を着飾る趣味は無いしなあ。」
もともと京楽も浮竹も宝石を着飾ることには興味が無い。
勿論職人によって磨かれた宝石を美しいとは思うが、どちらかというと二人ともそういった人工的な美しさより、野に咲く花や木々の緑といった自然の美しさを好んだのである。
だからこれだけのダイヤの原石を前にしても平然としていられるのだが。
「なあ、春水。別にお前はこんなものいらないんだろう?」
「え?うん、まあ、そう言われるとそうなんだけど。」
そう京楽が答えるやいなや浮竹は右手でダイヤを掴み左手で障子を開けると、勢いよく池にダイヤの原石をばらまいたのだった。
あまりに突然の事態に呆然とする京楽に構わず、浮竹は次々とダイヤを池に撒き散らす。
虚空を舞うダイヤに月光が反射してきらきらと光る様子は幻想的だった。
そうして最後の一粒まで池に投げてしまうと浮竹は満足した顔で京楽の元に戻ってきた。
「君って子は、相変わらず突拍子も無いことをするねえ。」
やっと我に返った京楽にはそう言うのが精一杯だった。確かにダイヤなんて自分達には必要ないが、それでもまさか池に投げ捨てるなんて豪快なことは京楽にはとても思いつかなかったのだ。
「自然が生み出したものは自然に返すのが一番良いと思ったんだ。ほら、見てみろよ。池の底で淡く光っているだろう。まるで星空が水の中に閉じ込められたようだ。」
確かに浮竹の言う通り、池の底でダイヤの原石が光り輝いている光景は息を呑むほど美しかった。
「春水。宮沢賢治の『十力の金剛石』という話を知っているか?その話の中では色とりどりの宝石の雨が降ってくるんだ。
でも、辺り一面宝石で埋め尽くされたその光の丘はとても美しいのに、りんどうの花や野ばらの木は悲しいと歌うんだ。
どれほどの宝石が降ろうとも十力の金剛石が来ないから悲しくて仕方がないと。」
そう言って浮竹は口ずさみ始めた。
きらめきのゆきき
ひかりのめぐり
にじはゆらぎ
陽は織れど
かなし。
青ぞらはふるい
ひかりはくだけ
風のきしり
陽は織れど
かなし。
にじはなみだち
きらめきは織る
ひかりのおかの
このさびしさ。
こおりのそこの
めくらのさかな
ひかりのおかの
このさびしさ。
たそがれぐもの
さすらいの鳥
ひかりのおかの
このさびしさ。
十力の金剛石はきょうも来ず
めぐみの宝石はきょうも降らず、
十力の宝石の落ちざれば、
光の丘も まっくろのよる。
「結局光の丘の花たちが恋焦がれた十力の金剛石とは露だったんだ。いや露ばかりではなく、青い空、輝く太陽、丘をかける風、花弁や草、丘や野原、全てが十力の金剛石だったんだ。十力の金剛石とは正に自然界のことだったんだと俺は思う。どんなに美しい宝石でも自然の恵み、美しさに勝るものはない。人間が磨くことで光り輝く宝石も、太陽の光にきらめく露の美しさには敵わない。だからあのダイヤモンドの原石も人間を飾るよりも、元いた場所に帰るべきなんだ。」
満面の笑みでそう語る浮竹に京楽は、ああやっぱりこの子には敵わないと改めて思うのであった。浮竹が美的センス0と言ったのは誰であろうか。確かに芸術方面には疎いけれど、浮竹はちゃんと本当に美しいものを見分ける目があるではないか。
「そうだね。あのダイヤ達も戦争の資金源になるよりは雨乾堂の池の底で鯉達と戯れてたほうがずっといいよ。」
そう京楽が答えると、浮竹は嬉しそうに微笑むと再び光の丘の木々や草花が歌ったという十力の金剛石の歌を口ずさんだ。
十力の金剛石は今日も来ない。
その十力の金剛石はまだ降らない。
おお、あめつちを充てる十力のめぐみ
われらに下れ。
ほろびのほのお湧きいでて
つちとひととを つつめども
こはやすらけきくににして
ひかりのひとらみちみてり
ひかりにみてるあめつちは
…
「僕には十力の金剛石なんて必要ないよ。だって君が僕の世界そのものだから。」
甘い囁きと共に落とされたキスは瞼の裏に金剛石の雨を降らせた。
16.03.09
浮竹さんが雨乾堂の池にダイヤモンドをぱーっと勢いよく投げる、っていうシーンだけを書きたくて出来たお話です。
うーん、やっぱりイメージが先行して上手く文に出来ていないですね。
だれかこんな絵を描いてくれないかなあ…。