二日後、山本元柳斎の命にて緊急隊首会が開かれた。
技術開発局による毒の分析が完了したため、結果報告を兼ねた対策会議を行うことになったのだ。
八番隊が遭遇した虚に関しての通達は、京楽達が帰還した時点で既に各隊に渡っている。
従って、隊長達は今回の敵が只の虚ではないことを承知している筈だが、それでも浦原の口から語られた虚の毒の恐ろしい効果に動揺を隠せない者は多かった。
「……と、いうわけでして、八番隊を攻撃した虚の毒には、圧倒的な負の霊力が凝縮されていることが分かりました。霊力というものは、いわば魂魄が持つ根源的な生命力ですから、普通は正も負もありません。
だから持ち主次第で霊力を攻撃に利用することも出来れば、治癒鬼道のような利用法もありますし、縛道のような使い方も出来ます。
つまり、使い方次第で創造も破壊も可能な力、それが霊力なのです。しかし、この虚の毒を構成している霊力は負の力そのものです。
この虚の霊力は、破壊することしか出来ない、何かを壊すためだけに存在する霊力なのです」
「そないけったいな霊力、なんで虚が持ってるねん?」
それまで大人しく浦原の説明を聞いていたが、初耳の情報の連続に遂に我慢出来ず声を上げた平子を山本がじろりと一睨みする。
その迫力に平子は慌てて「うわ、すんません」と小声で謝るが、やはり先程口にした疑問が気に掛かるのか、問いかけるような視線は浦原に注がれたままだ。
平子の視線の意味を理解しているのか、浦原は小さく肯いて見せると平子の質問に答えるべく言葉を続けた。
「え~平子隊長が仰るように、こういった類の霊力は普通の魂魄や死神、虚が持つことはありません。これは推測の域を出ませんが、この毒の源は『無生物』、つまり非常に強力な霊力を秘めた道具や武器のような物質だと考えられます。京楽隊長が倒した虚は、恐らく元々の霊力も強かった所にその『無生物』の霊力の影響を受けたために、あのような特殊な力を持つこととなったのでしょう。言わばその『無生物』があの虚の親玉といいますか、本体ということになりますかね。現場にはそれらしき物質は発見されませんでしたので、今回出てきた虚と本体となる物質は別々の存在を保っているようです。ということは、その物質の発する霊圧の影響を受けた、特殊な力を持った強力な虚がこれからも出てくる可能性があるということです」
浦原の言葉に浮竹と京楽は顔を見合わせる。
二人とも長いこと死神の職を務めているが、周囲に影響を与えるほどの強い力を持つ無生物など聞いたこともなかった。それは山本も同様らしく、未知の敵の出現に難しい顔をして考え込んでいる。
「つまり、今回八番隊が相対したような特殊な能力を持った虚を殲滅するには、本体の破壊が最優先事項というわけじゃな」
「無生物」の発する霊圧に、周囲の虚や整が巻き込まれて厄介な力を持ってしまうというのなら、力を生み出す原因を取り除けばいい。その点では確かに山本の判断は正しい。
しかし、どんな姿形をしているか見当も付かないのだ。目的の物質を見付けるには相当の時間が掛かるに違いない。
だが、浮竹のそんな考えに反して、浦原は意外にも
「はい。該当物質の位置は既に特定してあります。座標は――、――、現世の―――――という地域です」
と、既に探索がある程度完了していることを知らせてきたのである。
「ほう……技術開発局には随分と優秀な人材が揃っておるようじゃのう」
たった二日で虚の霊力の分析を終えただけでなく、危険物質の位置まで発見したという浦原に、山本が感心したような声を出す。浦原が技術開発局を設立してからまだ数年しか経っていないが、浦原以下の局員達の日夜にわたる研究は、着実に成果を上げているようだった。
「いやぁ、勿体無いお言葉です、総隊長殿。詳細な情報を得るには十分な量の霊力を採集出来たおかげです。京楽隊長の結界が密閉容器の役割を果たしたみたいですね。それに、不幸中の幸いといいますか、今回は対象となる物質が非常に変わった霊圧を発していましたので、霊圧探査もし易かったんです」
「な~に謙遜しとんのや。折角総隊長が褒めて下さってるんや、素直にはい、その通りです、って言っとったらええねん」
「平子の言う通りじゃ、喜助。技術開発局には皆期待しておる」
「はは、夜一さんまで褒めすぎですよ」
浦原は謙遜するが、短期間でこれだけの情報を集めた事実はやはり賞賛に値する。
浦原喜助という男は、当初自分が考えていたよりもずっと優秀なのかもしれないと、照れ臭そうに頭を描く浦原を見詰めながら、浮竹は十二番隊隊長に対する認識を改めていた。
照れて俯いてしまった浦原の注意を引くために、山本が一つうぉほん、と大きく咳をする。
浦原が慌てて姿勢を正すのを見届けると、山本は徐に立ち上がってぐるりと一同を見回した。
「では虚の本体となる物質を破壊する任務には、問題となる物質の性質を理解しておる十二番隊隊長、浦原喜助、及び副隊長猿柿ひよ里、更に六番隊隊長、朽木銀嶺、副隊長朽木蒼純……」
最後の一人を決めかねるのか、山本の視線が彷徨う。
その視線が浮竹の上で止まった時、浮竹はお願いします、というように真っ直ぐ山本の視線を見詰め返した。浮竹の視線を受けても、山本は表情を崩さない。
だが、無表情の裏で山本が一瞬逡巡するのを浮竹は見逃さなかった。
「そして、十三番隊隊長、浮竹十四郎の五名に当たってもらう。皆の者、異存は無いな」
「はっ!!!!」
皆が承知の意を示す中、山本にだけ分かるように浮竹は小さく会釈した。
驚いた京楽がこちらを見ているのが視界の端に映ったが、敢えて視線を合わせなかった。
*
三時間後、穿界門前の広場には浮竹、浦原、ひよ里、朽木銀嶺、蒼純の五人の姿があった。
集合までに時間が掛かったのは、隊首会の後、卯ノ花が今回の任務に選抜された者の身体検査を主張したからだ。
現場に到着した途端、例の物質の放つ霊圧の影響を受けた虚が攻撃してくるかもしれない。
虚が毒を吐き出したとしても、隊長格の死神が万全の体調であるならば問題は無い筈だが、虚の毒の性質を考えると、どんな小さな体調の変化も危険に繋がる可能性がある。
念には念を入れて、ということで浮竹達の健康状態を確認しておきたいということであった。
「目標となる物質はどんな形状をしているか分かりませんが、皆さんが今までに感じたことの無いような異様な霊圧を発している筈なので、直ぐに発見出来ると思います。物質自体には移動能力が無いと思いますが、巨大な力に引き寄せられた虚が大勢いるかもしれませんので、気を付けて下さい」
「御託はええから早よ出発させんかい、ハゲ!」
現世に着いてからの行動について説明する浦原を、隣にいたひよ里が乱暴に遮った。
四番隊で行われた検査の数々に苛々が最高潮に達していたのか、今にも浦原を殴りかねない勢いだ。
「ははは、それではお願いします」
ひよ里のきつい口調も気に留めず、浦原は頭上近くを浮遊していた地獄蝶に話しかける。
すると、「了解しました」という通信技術研究科の局員の声と共に、門の開錠が始まる音が聞こえ始めた。
ふと慣れ親しんだ霊圧を背後に感じて、浮竹はくるりと振り返った。
すると、浮竹達から少し離れた場所にいる京楽の姿が目に入った。遠目からでも京楽が心配そうな表情をしているのが分かる。
浮竹は隊首会の直後に卯ノ花に促されるまま四番隊を訪れたから、一番隊隊舎を後にしてから京楽と二人で話す機会は無かった。
だから、京楽とゆっくり話すのは帰ってきてからなりそうだと、浮竹はほんの少し後悔していたのだ。
隊首会が終わる寸前に京楽が浮竹に見せた表情は、浮竹が今回の任務を自ら進んで引き受けたことに気付いている表情だった。
京楽が浮竹と山本のやり取りを目撃したとは思えないが、浮竹の性格を熟知している京楽のことだから、何も言わなくても分かるのかもしれない。
分かるからこそ、浮竹が任務に志願した理由をあれこれ考えてしまって心配しているのだろう。
だが、京楽が危惧する必要は無い。
確かに浮竹がこの現世任務に願い出た理由は、京楽を傷付けたものを倒したいという思いだ。
しかし、それは仇討ちなどという大それたものではない。
本来ならば京楽が現世に赴きたい所だろうが、今の京楽の状態ではまともに戦うことなど不可能だ。
だから、せめて京楽の代わりに事件の決着を見届けたいと思ったのだ。
只それだけだ。
勿論自分一人で何もかも終わらせようなどと思ってもいないし、変に気負ってもいない。
それに、浦原からちゃんと敵の特徴も説明を受けたのだから、油断はしていない。
京楽が不安になることなど何も無いのだ。
「見送りに来てくれたのか?ありがとう」
京楽の傍まで歩み寄ると、浮竹はそう言ってにこりと笑ってみせる。
迷いの無い笑顔だった。
「行って来るからな。大人しく待ってるんだぞ」
出発の挨拶には、「必ず帰って来る」という浮竹の無言の約束が秘められている。
京楽の元に無事に帰還することが、浮竹にとって一番大切なことなのだ。浮竹はそれを見失っていない。
浮竹のそんな気持ちを理解したのか、京楽は参ったね、と言うように苦笑すると、ぎゅっと浮竹を抱き締めた。待つことしか出来ないのは辛いけれど、自分の元へ帰って来るという浮竹を信じようと、心の中で誓いながら。
浮竹を抱いていた腕を緩めると、京楽はちゅ、と掠めるように浮竹に口付けた。
京楽の優しい仕草に浮竹はふふ、と微笑みを漏らす。そして名残惜しそうに京楽から身体を離すと、浦原達のいる場所へと歩を進めた。
既に門の開錠は終わり、ギギィ、と重厚な音を立ててゆっくりと穿界門が開いて行くのが見える。
その先には現世へと通じる断界が続いている。
その筈、だった――。
「待ちたまエ」
「く、涅副局長?」
浦原と地獄蝶を通して会話していた通信局員に、涅マユリが唐突に声を掛けた。
涅の特徴ある声はよく響くのか、涅は直接送話器に話しかけていないのに、通信室でのやり取りがはっきり聞こえてくる。
何か問題でも生じたのかと浮竹が浦原に尋ねようとした時、「何ですって!?」という浦原の緊迫した声が耳に飛び込んできた。
「だから、座標の数値に僅かだが乱れがあるようだと言ったのだヨ」
涅がそう言った途端、開き始めた門の間からバチバチッ、と激しい火花が飛び散った。
予想外の出来事に、浦原が「緊急事態です!今すぐ穿界門を閉じて下さい!!」と叫ぶが、時既に遅く――――
「駄目です!正体不明の強大な力が外側から穿界門をこじ開けようとしています!」
完全に恐慌状態に陥った局員の悲痛な声が地獄蝶から響き渡る。
その間にも門番の死神が必死に門扉を閉じようとするが、物凄い力で押されているのかびくともしない。門の間から弾け飛ぶ火花はますます勢いを増している。
「穿界門、開きます!!」
「皆さん、門から離れてください!!!」
どぉん、と腹を抉るような轟音と共に、穿界門が完全に開く。
次の瞬間、真っ白な閃光が広場を覆い尽くした。
ぐにゃり、と空間が歪むような気持ちの悪い感覚が浮竹を襲う。
「くっ……これは一体……――!?」
目が眩むほどの激しい光が収まったのを感じて浮竹が恐る恐る目を開けると、そこには信じ難い光景があった。
「な、何だあれは……――?」
穿界門の外にある筈の空間がねっとりとした粘液状の物質に変わり、今にも瀞霊廷内へと溢れ出ようとしていたのだ。奇怪な光景に、浮竹達はなす術も無く立ち尽くすことしか出来ない。
ゴボッ――ゴボゴボゴボ――――
不快な音が聞こえてくる。何かが向こう側から瀞霊廷に侵入しようとしているのだ。
ズルッッッ――
穿界門を満たす不透明な粘膜を突き破って現れたのは、一本の青白い腕だった。
「これは一体何なんだね、浦原隊長!?」
「……どうやら、目的の物質が放出する霊圧が周囲の空間に影響を及ぼしていたようですね……穿界門を開いた瞬間に空間が捻じ曲がり、断界を介することなく現世と瀞霊廷が直接繋がってしまったのでしょう」
「だから待てと言ったのダヨ」
地獄蝶から呆れたような涅マユリの声が聞こえてくるが、銀嶺も浦原も目前の不可思議な光景に顔面蒼白で見入っており注意を払う余裕など無い。
ぐちゃり、と気味の悪い音を立てながら、白い手が徐々に伸びてくる。
正体の分からないそれに近付くことも出来ず、その場にいる全員、ごくりと固唾を呑んで見守ることしか出来なかった。
浮竹達が見詰める中、腕から肩、そして顔という順に現れる。
そして出てきたのは、ぼろぼろの服を着た黒髪の女性だった。
「整、なのか……?」
信じられないものを見るかのように朽木蒼純が呆然と呟く。
確かに穿界門から出てきたのは女の魂魄だが、その異様な姿はとても普通の整とは思えなかったからである。
女は、右手に蒼い焔のようなものを抱えていた。
しかし奇妙なことに、その焔はまるで生きているかのように右手から手首にかけてちろちろと蛇のような青白い舌を絡ませているのである。
焔から感じる不気味な霊圧に、浮竹の背筋が凍り付く。
「何だ、あの焔の玉から感じる奇妙な霊圧は……――」
「あれは京楽隊長が倒した虚から採取した霊圧と同じものですね。恐らくあの青い焔は霊力の塊でしょう。本体となる物質に圧縮されていた膨大な量の霊力だけが、現世から瀞霊廷に飛ばされた際に離脱したのだと思います。
現世の物質はソウルソサエティには持ち込めませんからね」
「あれが……」
もう何百年と死神の職に就いている浮竹が、これ程までに気持ちの悪い霊圧を感じたことは無かった。
浦原が何故この霊力を「負の霊力」と表現したのか、今ならはっきりと理解出来る。まるで強烈な憎悪が形を持って襲い掛かってくるかのような、異常に凶暴な霊圧があの焔からは発せられていた。
「あの魂魄は一体……?」
焔の不気味さに気を取られて気付くのが遅れたが、よく見ると女性の魂魄の胸には孔が開きかけている。半虚ならば早く魂葬をしないと虚になってしまう。
「恐らくあの焔の霊圧に誘き寄せられた魂魄でしょう。もう胸の孔が完全に開きかけている……虚化も時間の問題」
オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!
浦原の言葉を遮るように、耳を劈くような絶叫が瀞霊廷に響き渡る。
胸の孔が開いてしまったのだ。
同時に、女の手の中の焔が激しく燃え上がったかと思うと、あっという間に大きくなった焔は女の身体を包み込み、真っ黒に色を変えた。
次の瞬間、浮竹の視界は漆黒の闇に飲み込まれていた。
12.09.10