目が覚めると同時にひどい頭痛に襲われて、京楽は思わず呻き声を上げた。
ずきずきと痛むこめかみを押さえながらもう一度目を開け起き上がると、既に部屋は明るく、外では小鳥が囀っている。
(うう…頭が痛い…。昨日は久しぶりに飲みすぎたかなあ…)
二日酔いでうまく回らない頭で京楽は昨夜の出来事に思考を巡らせた。
久し振りに休みが重なったのを理由に、昨夜京楽は自分の隊首室へ浮竹を飲みに誘った。
普段なら流魂街の居酒屋にでも行くところだが、昨夜は二人とも静かに飲みたい気分だったのだ。
ここのところ現世で虚が大量発生したため、京楽の八番隊も浮竹の十三番隊も討伐任務に忙殺され、長年の親友である二人はゆっくりと酒を飲むどころか、顔を合わせることすら叶わない状態だったのである。
気の置けない仲である浮竹と仕事を忘れ、たわいない話に花を咲かせることの楽しさに夢中になって、いつもより随分多くの酒を飲んでいることに気が付かなかった。その結果がこの頭痛である。
(数か月ぶりに浮竹とゆっくりできてはしゃいじゃったのかな、僕。)
年甲斐もなく記憶を失くすまで飲んでしまった己に苦笑いをしながら京楽は辺りを見回すと、ふと自分が布団に寝ていることに気が付いた。京楽には自分で敷いた記憶はない。浮竹が先につぶれてしまった自分を床に就かせてくれたのだろうかと京楽は考えたが、それにしては何かがおかしい。
布団の中にいる京楽は、何一つ身に着けていないのだ。
寝間着に着替えるのが面倒で隊長羽織と死覇装を脱ぎ捨てたのだとしても下帯すら着けていないとはどういうことなのか。これではまるで、花街で一夜を過ごした朝のようではないか。
京楽が混乱していると、不意に布団がもぞもぞと動き出して白い頭を覗かせた。
「…ん、もう朝か…?」
眠そうな目をこすりながら布団から出てきたのは、浮竹である。寝ぼけているのか隣で驚きに固まっている京楽に気付かず、小さく伸びをしている。
死神統学院の頃はよく雑魚寝をしたし、もう二千年も付き合ってきた友人である、今更一緒の布団で寝ることに抵抗はない。しかし浮竹の姿を見て京楽は驚きに言葉を失った。
なんと浮竹は裸だったのである。
まさか、と京楽は思った。
いくら酔っていたからといってそんなことがあるなんて信じられなかった。
しかしこの状況から導き出される結論は一つしかない。
京楽はあまりのことに呆然とするしかなかった。
そんな京楽の動揺とは対照的に幸福そのものの表情の浮竹は、ゆっくりと京楽の方へ振り向いた。
びくり、と浮竹の身体が震えたのが京楽にはわかった。
まさか京楽が先に起きているとは思わなかったのだろう、京楽と目が合った浮竹の表情は見る見るうちに驚愕と恐怖に強張った。
今にも泣き出しそうな浮竹に我に返った京楽は理性を総動員して冷静を装うと、出来る限り落ち着いた声で浮竹に尋ねた。
「う、浮竹。これは一体…?」
言ってから後悔した。
問わなくとも、浮竹の表情が真実を物語っていたからだ。
「覚えてないのか…?」
何を、とは聞かれるまでもなかった。
一瞬、京楽は嘘を付こうかと思ったが、そんな嘘などすぐにばれると考え直した。
「うん…。」
「そうか…。」
俯いてしまった浮竹を前に、京楽はどうしていいのかわからなかった。
確かに若い頃は放蕩に耽り、酒に溺れ見ず知らずの女と一夜を共にしたことも一度ならずある。
しかし行為の記憶が全く無いというのは京楽にとっては初めての経験だった。
「浮竹…僕は…。」
「気にするな。お互い酔った上での一夜の過ちだ。」
そう言って顔を上げると、浮竹はにっこりと笑った。
「合意の上だったし、男同士だからな。責任取れなんて言わないさ。一夜限りの夢だと思って忘れよう。」
どこまでも明るい口調で、何事も無かったかのように話す浮竹に京楽は戸惑いを隠せなかった。
何かがおかしい、と頭の中で警鐘が鳴る。
何か言わなくてはと思うのに、まるで言葉が浮かばない。
「ま、そう言う訳だから、本当に気にするなよ。」
そう言って立ち上がろうとした浮竹が、途端にバランスを崩した。
咄嗟に京楽は浮竹を抱きとめる。
「大丈夫かい!?」
「…あ、ああ。ちょっと驚いただけだ。」
そんな言葉とは裏腹に浮竹の顔は痛みに歪んでいる。
「馬鹿なこというんじゃないよ。どこが痛いんだい?」
「大丈夫だから、放してくれ…。」
自分から逃れようと暴れる浮竹を放すまいと、京楽は浮竹を抱く腕に力を込めた。
不意に目の端に赤いものが映った。
次の瞬間、それが布団に出来た赤い染みであると気が付いて。
頭の中が真っ白になった。
「浮竹、僕は君にひどいことをしたんだね。」
浮竹を捕らえていた腕を緩めると、京楽は力なく呟いた。
その染みが何なのかわからないほど京楽は馬鹿ではない。
浮竹を傷付けてしまった。
その事実に愕然とした。
「何を言ってるんだ!合意の上だと言っただろう!」
「僕を庇うためにそんな嘘を言わなくてもいいよ。酔った僕が君を無理矢理犯したんだろう。君は優しいから僕を傷つけまいと…。」
「違う!」
「じゃあどうして君は僕に抱かれたんだ!
僕の知ってる浮竹は酒に酔ったからといって誰かと寝るような男じゃない!」
思わずそう叫んでしまってから京楽ははっとした。
京楽を見つめる浮竹の顔は青褪めていて。
「それはお前の思い違いだったってことさ。俺はそう言う男だよ。だからお前が罪悪感を感じる必要は無い。悪いのは全部俺だから。」
そんなことはないと言おうとして、不意にフラッシュバックのように瞼の裏に映像が閃いた。
(ごめん、京楽。好きになって、ごめん。)
それは、京楽に組み敷かれ、挿入の痛みに耐えながらも許しを請う浮竹の姿だった。
同時に昨夜の記憶が京楽の脳裏に蘇る。
―ほら、京楽。寝るんだったら着替えろよ。布団敷いてやったんだからな。
―えー、僕はまだ飲めるよー。
―何言ってるんだ。もう散々飲んだだろう?さっさと隊長羽織だけでも脱いでくれ。
―浮竹のえっちー。
―…馬鹿言ってると怒るぞ。
―怒んないでよー。大好きな浮竹に怒られると僕泣いちゃう。
―…大好き?
―そうだよー。僕は浮竹のこと大好きだよー。
―俺も、京楽のことが好きだよ。
―うん、知ってるよー。
―…いや、お前は知らないよ。俺がどれだけお前のことを好きなのか。
重ねられた唇の柔らかさに、思わず顎を掴み舌を差し入れ深い口付けを施したのは、夢と現実の区別がつかなくなっていたから。
夢ならば己の欲望に忠実になっても許されるのだと思ったから。
「夢だとばかり思ってた…。でも、あれは浮竹だったんだね。好きだと言ってくれたのは、本当に浮竹だったんだ。」
京楽の言葉にしばし逡巡していた浮竹だが、やがて諦めたように小さく肯いた。
「…謝って許されることではないとわかっている。
お前が酔って何もわからなくなっていたことは知っていた。誰かと間違えているんだってことも。
卑怯なことをしているのは分かっていた。
それでも。
一度でいいから、誰かの代わりでもいいから、お前に抱かれたかった。」
ずっと好きだったんだ。
掠れた声で囁かれた愛の告白は、ひどく悲しみに満ちたもので。
「きっとお前は朝になれば忘れていると思ったから…。本当はお前が目覚める前にここを出て行くつもりだった。」
そうして、全てを無かったことにするつもりだった。
想いを胸に秘めたまま、また親友に戻ろうとした。
でも、それはもう叶わない。
「いつから…?」
「統学院で初めて会ったときからだよ。一目惚れだったんだ。」
「そんな…。だってそんな素振りは少しも見せなかったじゃないか…。」
「お前はいつだって女性に囲まれていただろう。俺のこんな想いなんか邪魔なだけだと思ったんだ。それに俺はお前の親友でいられるだけで充分だった。お前の隣にいられればそれで良かったんだ。一生隠し通すつもりだった。」
どうしてこんなことになってしまったんだろう、と浮竹は自嘲気味に笑った。
切なげな浮竹の表情に、自分への想いの深さを垣間見た気がして、京楽は泣きたくなった。
「は、ははは。じゃあこの二千年浮竹はずっと僕のことを好きだったのに気付かなかったってことか。
なんてこった、僕としたことが。」
己のあまりの失態に京楽は笑うしかなかった。
二千年も一緒にいて自分は浮竹の何を見ていたというのだろうか。
どうして翠の瞳の奥に宿る恋慕の光に今まで気が付かなかったのだろう。
「親友の振りをしてこんな邪まな想いを抱いていた俺を軽蔑してくれて構わない。」
「軽蔑なんてするわけないでしょ。僕だって浮竹と同じ気持ちだったんだから。」
「え?」
浮竹が驚きに目を瞠る。
京楽は優しく微笑むと、そっと浮竹の頬に手を添えた。
「いくら僕でも酒に酔ったからって誰彼構わず抱くわけないよ。夢だと思ったから、夢の中でだけでも想いを遂げたいと思ったから君を抱いたんだよ。」
「そ、そんな。じゃあ。」
「僕も君のことがずっと好きだったんだよ。君に初めて会ったときから、ずっと好きだった。」
「う、嘘だ。同情してるんだったら。」
「あのねえ、僕が同情でこんなこと言う男に見えるのかい?」
「京楽…。」
今まで浮竹が見たこともないほどの優しい表情で、京楽は幼子をあやすかのように言葉を紡ぐ。
その穏やかな眼差しに、浮竹は京楽が真実を語っているのだと理解した。
「僕達、随分遠回りをしちゃったみたいだねえ。」
そう言ってくしゃりと笑う京楽に、たまらず浮竹の瞳から涙が零れた。
「順番が逆になっちゃったけど言わせてね。
好きだよ、浮竹。君のことが好きで好きでたまらない。」
「俺も、京楽のことが好きだ。」
そしてどちらからともなく目を閉じると、まるで厳かな儀式のように二人は口付けを交わした。
二千分の想いが伝わるようにと願いながら。
29.03.09
私のところの浮竹さんはどんだけ京楽さんが好きなんでしょうねぇ。
健気だ…
タイトルのOne Night Standとは「一夜限りの情事」と言う意味です。