―――ああ、これが恋に落ちるということなのか―――
これからの俺の人生を左右するかもしれないという劇的瞬間だというのに、頭の中は随分と冷めていた。
恋とは、本当に何の前触れも無く始まるものなのだな、と妙に納得までしてしまったものだ。
色恋沙汰には無頓着な俺ですら気付かずにはいられないほどの衝撃と鮮やかさをもって。
その恋は訪れた。
そもそも何故こんなことになったのか。
俺、浮竹十四郎が、長年の親友であるはずの、京楽春水に。
恋に落ちるなんて。
友情が、恋にかわるなんて。
それは、ある日突然に
「と、いうわけで、浮竹隊長ならうちの隊長の隠れてそうな場所、知っとるやろ?」
だから、捕まえて八番隊の隊舎まで連れてきてな、といって俺の返事も聞かずに八番隊副隊長矢胴丸リサは走り去ってしまった。
相変わらず元気だなあ。
そんなことを思いながら彼女の後姿を見送った。二つに結われた髪が元気良く揺れている。
「折角来たんだから、お茶でも飲んでいけばいいのに・・・。」
といっても、ここ十三番隊舎に来たのは、京楽を探すためだから、もともと長居をするつもりなど無かったのだろう。
京楽がサボる分、彼女に仕事が回されるのだから、忙しいんだな。
そう考えると、彼女が少し気の毒になって、俺はさっき矢胴丸に頼まれたことを実行するべく、京楽の霊圧を探そうと神経を研ぎ澄ませた。
相手が京楽ではなかったら、わざわざ人探しの手伝いを進んでするほど、俺は人が言い訳ではない。
今日は俺の仕事が早く終わって、体調も良いから、たまには俺の方から友の顔でも見に行こうかと、ちょうど思っていたところなのだ。しかし、この様子だとどうやら俺の親友、八番隊隊長京楽春水
は、この瀞霊廷内にはいないようだ。廷内であいつのいそうなところはおそらく矢胴丸が探したはずだ。
とすると、流魂街か。花街の馴染みの女のところにでも言っているのだろう。
京楽は、昔から女遊びの激しい男だった。
自他共に認める女好きで、院生の頃からよく寮を抜け出しては女に会いに行っていた。相手は花街の女郎だったり、女生徒だったり、流魂街で知り合った娘だったりと様々だった。
女性には優しいくせにどの娘との関係も長続きしないのはどうしてなのだと、問うたことがある。
「もっと、真剣に付き合わなければ、相手に失礼だろう。」
「心外だなぁ、僕はいつも真剣だよ。」
でも、去るものは追わない主義なんだ、と呟いて京楽は笑った。俺は京楽と違って色恋沙汰には疎く、あまりそういったことに興味も無かったので、その時はそんなものかと思うだけだった。ただ、俺
が去ってもこいつは追おうとはしないのだろうかと、ふと思ったことは覚えている。
「お。」
予想通り花街の辺りに京楽の霊圧を感じて、俺は瀞霊廷を後にした。
*****
勿論、京楽ほどの実力のあるものなら、霊圧を完璧に消すことなど造作も無い。実際、俺だって本当にあいつの霊圧を察知しているわけではない。ただ、なんとなく分かるのだ。
理屈ではなく、感覚として。
それはどうやら京楽の方も同じようで、これも長年の付き合いの賜物だろう。
ああ、だから最後の手段として矢胴丸は俺のところに来たんだな、と妙なところで納得しながら歩いていると、目的地に到着した。
「しかし、なんといって入ればいいのだろう・・・」
京楽の居場所を突き止めたはいいが、何分花街などには入ったことも無い。それに、ここがどういう場所か知っているだけに気恥ずかしさもあって表から堂々と入っていくのは気が引けた。
幸運なことに、京楽は庭に面した一室にいるようだったから、俺は誰にも気付かれないように屋敷に入って用件を伝えてさっさと帰ろうと、そっと庭に忍びこんだ。
縁側に下り、襖の向こうにいるであろう男の名を呼ぼうとしたその時、それは起こった。
「・・・春水様っ。」
そう女が啼くのと、京楽の眼が俺の眼を捉えるのと同時だった。
これは誰だ。
最初に浮かんだのはそんな問いだった。
どうしてこんな場所にも拘らず障子が少し開いているのか、これでは中の様子が誰かに見られてしまうではないか、などといったよく考えてみれば至極当然な疑問は全く思いつかなかった。それほど
俺はそこにいた京楽の姿に衝撃を受けた。
俺は知らない。
あんな京楽を、俺は知らない。
肉欲に濡れて妖しく光るあいつのあんな眼を、俺は知らない。
京楽が抱いている女は、俺に背を向けているため、表情は分からない。俺に見えるのはむき出しになったその白い背中と、乱れた長い黒髪だけ。だが、俺の目は初めて見る京楽の姿に釘付けだっ
た。
額に浮かぶ汗。
白い背中にまわされた浅黒く、力強い腕。
汗で首に張り付いた一筋の髪。
そこには俺の知らない京楽がいた。
そこにいたのは、ただ快楽を追い求めるだけの「男」だった。
お前は誰だと、叫びだしそうになるのをぐっとこらえながらも、俺は京楽から眼を逸らすことが出来なかった。俺の全てが、あいつの双眸に飲み込まれていくようだった。まるで、逆らえない引力によっ
てその場に吸いつけられているような錯覚さえした。
そうしてどれくらいの時が経ったのだろう。俺には永遠のように思えたけれど、実際にはほんの数秒だったのかもしれない。
不意にあいつの唇が動いた。
「覗きは駄目だよ、浮竹。」
肉厚の唇が紡いだ言葉は声にはならなかったけれど、俺には確かに聞こえたんだ。まるで、耳元で囁かれたように。あいつの吐く息まで聞こえたんだ。
ぞくりと、身体中に電流が走った。
これが、男の色気なのか。
あいつに抱かれた女は皆、この眼で見つめられ、この声で愛を囁かれたのか。
そう思った瞬間、身の内が焦げそうなほどの嫉妬に目が眩む思いをした。
欲しい、と。
あの「男」が欲しいと。
あの眼もあの声もあの身体も。
全て手に入れたいと。
心の底から、京楽が欲しいと。
そう願った。
―――ああ、これが恋に落ちるということなのか―――
「春水様?」
動きを止めた京楽を不思議に思ったのか、甘い声で女が囁く。気を逸らせた男を少し責めるようで、それでいて気を引くようにねだるような声音。
「ああ、ごめんね。なんでもないよ。」
そういって、京楽は女に視線を戻すと、その白い首筋に口付けながら、再び行為を開始した。
京楽の乱れた息遣いを聞きたくなくて、俺は、何も言わずにその場を去った。
*******
どうしてこんなことになったのか。
俺、浮竹十四郎が、長年の親友であるはずの、京楽春水に。
恋をするなんて。
友情が、恋に変わるなんて。
ただ、俺の知らないあいつがいる。
そんな当たり前のことに、今更驚いて。
あいつの全てを知りたいと、そう思ってしまった。
恋に、落ちてしまったのだ。
01.02.09
初書き京浮です。浮竹さんは意外と五感に訴えるものが(声とか、匂いとか)に敏感なのでは、と思って書いたものです。