あとがきという名の言い訳^^;
ここまでお付き合い下さった皆様、ありがとうございましたm(_ _)m
もうほんっっっっとに長かった^^;最初は「やっぱり記憶喪失はお約束だよね」という軽い気持ちで書き始めたこの話。気付くと17話まで続いてしまいました(汗)
基本的にらぶらぶばかっぷるな京浮が好きな管理人、なかなかくっついてくれない京浮にイライラして何度も挫折しそうになりました。浮竹さんに敬語を使う京楽さんを書くのもむず痒かったですし(笑)
更に執筆途中で本誌での京浮戦線離脱事件にどうしようもないほど打ちのめされて一瞬もう京浮を書けないと思ったほど落ち込む、なんてこともありました。
そんな私がこの話を何とか完結出来たのは拍手やこのシリーズへの感想や励ましの言葉を下さった方々のおかげです。本当に感謝してもし尽くせません;;
最初は「京楽さんに『十四郎さん』って言わせてみたいな~」とか「浮竹さんに欲情して余裕の無い若楽さんを書きたいな」とか「おにいさんに任せなさい、みたいな感じで京楽さんを床で手玉に取る浮竹さんって、
ちょっとマイナーだけど見てみたいv」とか馬鹿なことを考えていただけなのですが、気が付くと「Personal Identity、つまり自分が自分であるとはどういうことなのだろう」なんてことを考えながら書いていました。
哲学命題としてはメジャーなこのトピック、簡単に言えば「1歳の私と51歳の私では、身体の細胞やら何やらほとんど違うけど、それでも両方とも同じ『私』じゃないの?
もし物質的肉体的なもので『私』が決定されるのでないのならば、一体何が私を私たらしめるのか」という問いです。
有名所ではイギリス人哲学者ジョン・ロック(John Locke)の「私のアイデンティティとは記憶だ」というものがあります。
この説で行くと記憶を共有していない京楽さんと若楽くんは別人ってことになりますが、それはやっぱりどうだろうと思うんですよね。
私はブリーチ好きなのにそんなに幽霊とか魂とか信じてはいませんが(汗)、それでも「私を私たらしめるもの」は物質的肉体的なものを超越した何かじゃないかと思っています。まあそれが何かは未だによくわかっていませんが、
だから京楽さんと若楽くんも本質的には同一人物だと思ってエウダイモニアを書いていました。
だから、若楽くんに感情移入してもらえるように書いておいて最後は消えるなんてオチですが本人はハッピーエンドだと思っています^^;
記憶喪失者は記憶が戻ったとき記憶を失っていた頃のことは全く覚えていないということが多いそうなので最初からこの結末は決めていました。若楽くんは京楽さんの中に帰っていくべきだろうって。
長々と書いてしまいましたが、「エウダイモニア」を読んでくださって本当にありがとうございました。
これからも応援よろしくお願いします!
2009年9月12日 管理人 Erin