古代ギリシャ人は愛には三つの種類があると考えたらしい。
愛に種類があるなんて、京楽は思っても見なかった。というか、愛について哲学的に思索しようなんて思ったことがなかったのだ。好みの子がいれば声を掛け、上手くいけばその子と付き合い始め、その娘の欲しいものを買ってあげて、その娘の行きたいところに連れて行ってあげて、その娘がしてほしいことをしてあげる。そして愛を確かめるために口付けを交わし、床を共にする。情を交わす、なんて言葉どおり、愛することと欲情を抱くことは同じことだと京楽は思っていた。誰かを抱きたいと欲することが愛することだと思っていたのだ。それ以外の愛し方なんて考えたこともなかった。
だが、古代ギリシャの哲学者達によると、京楽の思っていた愛はエロスと言うものに分類されるらしい。彼らによればエロスとは対象に抱く欲情のことだそうだ。特に、対象の長所や美点に反応した結果による欲望だから、理由のある愛ということになるらしい。どうしてその人を愛しているのか、という問いに答えることの出来る愛、というわけだ。そういわれてみると、確かに今まで付き合ってきた子達には共通点があるかもしれない。僕はあの子たちの持つある特質を好きになっていたのであってあの子達自身を好きになっていたわけではなかったから、どの関係も長続きしなかったのだな、と京楽は納得する。
二つ目の愛の種類はアガペーである。神が人間に対して抱く愛、あるいは人間が神に対して抱く愛の事を指すらしい。僕は死神だから僕が人間を愛したらそれはアガペーになるのかな、などとくだらないことを考えて京楽は苦笑した。そもそもアガペーとはキリスト教的な神の愛を言い、人間やソウルソサエティの住人達の持つ感情を超越したものなのだ。悟りを開いたわけでもない京楽には関係ない種類の愛である。
アガペーは三種類の愛の中で唯一、何の理由も必要としない愛だ。アガペーとしての愛とは、何の理由も根拠もなしに、自然に、ある日突然生まれ、それ故に理性では理解し得ない愛なのだ。どうして愛しているのか分からないけれど、それでも愛している。アガペーとはそんな、ある意味理不尽な愛なのだ。なんだか恐ろしい愛だ、と京楽は思う。確かにキリスト教の神のような存在だけが扱うことの出来る感情なのかもしれない。
もう一つの愛はフィリアである。フィリアとは親愛の情、友情の事を指すらしい。エロスと同じく、あの人のこういうところが好きだ、と言うことが出来る愛である。
エロス、アガペー、フィリア。これが古代ギリシャの人々にとっての愛と言うわけだ。古代ギリシャ人達は、僕の何十分の一の時間しか生きていなかったのに、その間に随分と色々なことを考えたものだ、と京楽は思った。それによく考えたら、古代ギリシャ哲学者達は京楽と同じ頃に生まれた人達である。彼らが愛についてアゴラで議論している時、自分は何をしていたのだろうか、と京楽は自身の記憶を辿ってみるが遊び歩いていた記憶しかない。エロスを実践するのに忙しかっのだ、などと言えば聞こえはいいが、結局のところ女にだらしがなかっただけである。
そこまで考えて、ふと京楽はあることに気がついた。
もしエロスが肉欲を伴った愛で、フィリアが肉欲抜きの清い愛だとしたら、エロスとフィリアの違いは性交の有無だけではないのか、と。つまり、恋情と友情の違いはその一点だけになってしまうのではないか。だとしたら、友人に欲情したら、それは即ち恋愛感情ということなのか。
でも、と京楽は思う。
それでは、自分の浮竹に抱いているこの感情は何なのか、と京楽は心の中で問うた。親友であるはずの浮竹を抱きたいと思う己のこの感情は、一体何なのか。これは既に恋情だというのだろうか。だが、京楽の直感は自分の浮竹に対する想いが今まで夜を共にした女性達に対する想いとは全く別のものであると告げていた。もし後者が恋情だというのなら、それは恋情ではない。しかし、友情でもない。
何故浮竹を抱きたいのか、何故これほどまでに彼を愛するのかと言う問いに答える術を、京楽は知らない。ただ、自然に、ある日突然、己が浮竹を愛していることに気が付いたのだ。京楽は、浮竹を愛するのに何の理由も必要としない。それは理屈による説明を必要としないものなのだ。
しかし、それはアガペーのみに許される条件ではないのか。もしかしたら、自分は神を愛するかの如く、浮竹を愛しているのだろうか。もしそれが本当なら、神に欲情する己はなんと冒涜的な存在だろう、と京楽は自嘲した。
エロスでも、アガペーでも、フィリアでもないこの想いは、何と名付ければいいのだろう。
ソクラテスにもわからないかもしれないなあ、と京楽はひとりごちた。
02.02.09
アガペー云々って言うのはStanford Encyclopedia of Philosophyが出典です。
こんな同人小説のねたにされるとはまさかソクラテスも思っていなかったでしょう。古代ギリシャの皆さんごめんなさい。