危険から守り給えと祈るのではなく
危険と勇敢に立ち向かえますように
痛みが鎮まることを乞うのではなく
痛みに打ち克つ心を乞えますように
人生という戦場で味方をさがすのではなく
自分自身の力を見いだせますように
不安と恐れの下で救済を切望するのではなく
自由を勝ち取るために耐える心を願えますように
成功のなかにのみあなたの恵みを感じるような卑怯者ではなく
失意のときにこそ、あなたの御手に握られていることに気づけますように
ラビンドラナート・タゴール
「果物採集 LXXIX」 (石川拓治訳)
*****
朝食の膳が片付けられると、給仕の隊士と入れ違いに仙太郎がネムを連れてやって来た。
京楽にとっては二人とも初対面であるが、事前に七緒から渡された名簿から仙太郎が十三番隊の三席、ネムが十二番隊の副隊長であることはすぐに分かった。
もっとも二人とも各自の隊長から京楽の状態を聞かされているのか、ぎこちなくはあるが自己紹介をしてくれたので京楽が心配する必要は無かったが。
死神は好きではないとはいえ女好きで有名な京楽である。特にネムの特殊な死覇装は彼女のすらりとした綺麗な足を引き立て、男心をくすぐるものだ。
おしとやかな雰囲気なのに大胆な服装をしているところが対照的でちょっといいなあなどと、ついいつもの癖で京楽はネムに流し目を送っていた。勿論、ネムはそんな京楽に気付いてもいない。
しかし、一部始終を見ていた浮竹は誰にも悟られないように少しだけ辛そうに目を細める。確かに京楽は女性に弱いが、京楽の記憶があったころはそれでも呆れこそすれ浮竹も本気で嫉妬することはなかった。
京楽が女性に優しいのは一種の病気というか癖みたいなものだと割り切っていたし、そもそも京楽が愛しているのは自分だという自信があったからだ。
だが今は違う。京楽が他の誰かを選んでも構わないとは言ったけれど、もし本当に京楽が自分以外の誰かを愛してしまったら果たして平静でいられるだろうかと浮竹は不意に思った。
そんな二人のそれぞれの思惑を気にも留めず、ネムは浮竹に書類を渡すと淡々と報告を始めた。
「断界でのお二人の任務の際に現れた虚に関する調査結果です。現場に僅かに残されていた痕跡からですので完璧なデータは採れませんでしたが、あの大虚は確かに藍染の実験の生き残りです。
魂魄が人為的に改造された形跡がありました。虚の能力はブランクを操り、ブランクを吸収して負傷した身体の再生をすることが出来るというものです。あの場に出現したのも大量のブランクに引き寄せられたからでしょう。
他には何の特殊能力も発見されませんでした。」
「そうか・・・報告ありがとう、涅副隊長」
「では私はこれで」
「ああ。また何か分かったら連絡してくれ」
仙太郎に送られてネムが帰って行くと、それまで難しい顔をしてネムの言葉を聞いていた京楽が徐に口を開いた。
「・・・あの、今の虚の話って」
「あ、ああ。お前、じゃない、君が記憶を失う原因になった任務で現れた虚だよ。勿論君は覚えてないだろうけど・・・」
「そうじゃなくて、藍染って言ってましたよね。藍染惣右介のことですか?ソウルソサエティに反旗を翻した?」
「・・・ああ、元五番隊隊長藍染惣右介だ。だが一体どうしてそれを・・・?」
「伊勢副隊長からもらった資料にあったんです。でもどうしてその藍染が虚を使った実験を・・・?何の目的でそんなことをしたんですか?」
京楽が深刻な顔で尋ねてくるものだから、浮竹は破面や十刃のこと、藍染の目下の目的が王鍵の生成であること、そのために空座町という重霊地を狙っていること、
だが王族の居場所を見つけて藍染が何をしようというのかまではわからないということなどを掻い摘んで説明した。
そして崩玉の封印を解き空座町に藍染一味が侵攻してくるのはおそらく冬であること、それまでに総隊長の命を受けた浦原喜助が空座町とソウルソサエティの一部を移し替える準備をしていること、
最終的には空座町のレプリカの上空で藍染達を迎え撃つ作戦であることも。
「・・・藍染達はやはり強いでしょうのでしょうか」
黙って浮竹の話を聞いていた京楽が、ぽつりと搾り出すような声を漏らした。
「そうだな・・・厳しい戦いになるだろう・・・」
「そんな大変な時なのに、僕が死神としての記憶を失ったということは・・・僕が戦えないということは・・・」
京楽が記憶を失ったために、ソウルソサエティ側の戦況が一気に厳しくなったということである。自分の置かれている状況の厳しさに京楽は言葉を失った。
記憶を失って自分ばかりが不安だと思い込んで周りが見えていなかったが、浮竹の言葉に自分の現在の状態が周囲に与える影響の大きさに初めて気が付いたのである。
自分が戦えないせいでソウルソサエティが戦争に負けてしまうかもしれないのだ。記憶を失ったのは自分のせいではないとは言え、ソウルソサエティを危険に曝してしまった事実の前に京楽は責任を感じずにはいられなかった。
「・・・僕は、戦うべきなのでしょうか?」
力の無い自分が戦ったからといって何が出来るのかは分からない。それでも、護廷隊の隊長として皆の期待を裏切ることは許されないのではないか。
しかし、戦うことが怖いわけではないが、そんな風に無理矢理戦場に駆り出されることを素直に受け入れられるほど京楽は大人ではなかった。
「十四郎さんも僕に」
「・・・・・・俺は・・・君の好きにすればいいと思う」
「え?」
予想外の浮竹の言葉に面食らってしまい、京楽は思わず間抜けな声をあげてしまった。
「確かに君がいなければ戦力は激減するが、それでも俺は君が戦いたくないというのならそれでもいいさ。俺は君の選択を尊重するよ。
万が一、俺達が負けて藍染がソウルソサエティに侵攻してきたら力を持つものも持たざるものも、嫌でも戦わなければならなくなるんだ。その時が来るまで戦う必要の無いものが戦わなくて済むのなら、それでいい。
それに、そもそも刀を振るうだけが戦いじゃあない。前線に出なくとも、やれることは沢山ある。だから、君は君の戦いに一生懸命になればいい。
ただ、これから好むと好まざるとに限らず武器を持って立ち上がらなければならないときはやってくる。その覚悟はしておいて欲しい」
出来れば、誰も傷付けずに解決できるのが一番なんだろうがな、と浮竹は少し悲しげに苦笑した。
その表情は、浮竹が本当は争いを好んでなどいないのだと物語っていた。
「・・・十四郎さんは、どうして死神なんてやってるんですか?」
この心優しい男が、何故自ら争いの場に進むのか。
何故、虚相手とはいえ、自ら誰かを傷つけ殺す道を選んだのか。
「守りたいものがあるんだ」
「・・・そのために、貴方の手を汚すことになっても?」
京楽の問いに、浮竹は柔らかく微笑むだけだった。きっと、何を守りたいのかと京楽が尋ねても浮竹はそうやって笑うだけで答えてくれないだろう。そこまでの覚悟をして浮竹が守りたいものとは、一体何なのだろうか。
守りたいものなど無い京楽には、浮竹の静かな決意が眩しかった。
「・・・強いんですね、十四郎さんは」
京楽の言葉に浮竹は小さく首を振るだけだった。
*****
自分の執務中は暇だろうから散歩でもしてくればいいという浮竹の言葉に甘えて雨乾堂を出て行く京楽の後姿を見送りながら、浮竹はふぅと小さく息を吐いた。
(やっぱり変わってないな、お前は)
分かってはいたことだが、記憶を失っても京楽はやはり京楽のままだったと思うと嬉しかった。
遥か昔、まだ二人が院生だった頃、京楽は全く同じ質問を浮竹にしたことがある。
「その手を汚してまで、何故死神になりたいのか」と。
当時の浮竹はまだ子供で、死神になって家計を助けたいと、そんな単純な願いから死神を目指していただけだった。
それに魂魄を食らう虚は「悪」であり忌むべき存在なのだから、虚を退治する死神は「善」なのだと、何の疑問も抱かずに、ただ、己の正しさを信じていたのかもしれない。
だからこそ、京楽の言葉に突然冷水を浴びせられたように心が凍りついたのだ。確かに斬魄刀で虚を斬るということは虚として犯した罪を濯ぎ、整に戻すことだから厳密に言えば「殺し」ではないのかもしれない。
しかし、虚から整になることで虚としての意識は消滅し、事実上その虚は死んでしまうのだ。虚は確かに魂魄を襲い食らう。
だがそれが虚の本能でありそうすることでしか生きていけないというのなら、果たして虚とは単純に「悪」と割り切ってしまってよい存在なのだろうか。
もし生きるために誰かを殺しその死体を食べることが悪だというのなら、死神も人間も、動物でさえ悪ではないか。だとしたら、死神として虚と戦い虚を斬るということは、正義でもなんでもない、「命」を奪う行為でしかないのだ。
京楽の言葉によってその事実に気付かされたとき、浮竹は愕然とした。自分のそれまでの価値観を根本から覆されたのだ。それこそ本気で死神になるのを諦めようかと悩むほどに。
しかし浮竹は死神になることを選んだ。
どうしても守りたいもの、守るべきものが出来たからだ。例えそのために自分の手を血に染めることになっても、その罪を受け入れる覚悟すらした。
虚になって一番最初に襲うのは生前愛したものの魂であるという。初めてその事実を知った時、なんて可哀想なのだろうと浮竹は虚への憐れみから涙さえ流した。
己の愛するものを傷付けることでしか生き延びられなかったというのなら、そんな悲劇的なことは無い。虚とて誰かを大切に想うことが出来るはずだと浮竹は信じていた。そして大切な者を傷付けたい輩などいるはずがないと。
だから、浮竹は死神になる決意をした。もう、誰も愛する者を傷付けなくてすむように。もう誰も傷付かなくてすむように。整の魂魄が愛した者に襲われないように。虚が愛した者を殺さなくてすむように。
そのためにはこの身が穢れることすら厭わないと。
浮竹がそう覚悟できたのは、もうその頃にははっきりと京楽への愛を自覚していたからである。誰かを愛することがどれほど尊く美しいことなのか身に沁みていたからこそ、愛する心を守りたいと思ったのである。
だから、浮竹は戦い続けるのだ。愛する京楽を守るために。全ての愛し愛される者達を守るために。
(結局、京楽がいたから何かを守りたいと心から思うことが出来るようになったんだよな・・・・・・俺は、いつもあいつに助けられてばかりだ。あいつがいるから強くなれる。前に進む力が湧いてくる)
本当は一人でも強くありたいと願うけれど、二人でいるから強くなれる、そんな自分は嫌いではないと浮竹は密かに思うのだった。
20.08.09
短いのですが切りがいいのでここでUP。
京浮が死神になって理由って考えてみると謎です。浮竹さんは戦いとか好きじゃ無さそうだし京楽さんは面倒くさいこと嫌いだし・・・