「授業の方は心配しなくて良いからな。先生には俺達から説明しておくよ」
「ちゃんと大人しく寝てろよ」
「ありがとう、皆。ちょっと気分が悪くなっただけだから少し横になればすぐ良くなると思うよ」
「ま、無理すんなよ?浮竹ならちょっとくらい休んでもすぐ追い付くんだから」
「お前とは大違いだな」
「ひっでぇ~」
どっと上がった級友達の笑い声に合わせて、俺も無理矢理笑顔を作る。
引き攣った笑顔の裏では、いいから俺を一人にしてくれ、なんて友達甲斐の無いことを思っていた。
休み時間に具合が悪くなった所を級友に見咎められて、有無を言わせず救護室に連れて来られてしまった。
ただでさえ寝込んで授業を休むことが多いことを気に病んでいるのだ。折角学院に出て来られた日を救護室でなんて過ごしたくは無い。
本当は体調不良を隠して次の授業に出ようと思っていただけに、たまたま近くに人がいたのは運が悪かったとしか言い様が無い。
そんな訳で、顔には出さないが俺の機嫌はあまり良くなかった。
無論、級友達と他愛の無いおしゃべりをする気にはなれない。
付き添ってくれた皆には悪いけど早く出て行ってくれないだろうか、と恩知らずなことを考えていたら、今まで黙っていた保健室の先生が「さあ、いいかげんに浮竹君を休ませてあげないとね。君達も授業に遅れるよ」と助け舟を出してくれた。
「はーい。それじゃあ浮竹、後でな」
「安静にしてろよ」
「ああ、ありがとう、皆」
級友達が去ると保健室は途端に静かになった。
やれやれと大きく肩で息を吐いて、俺はベッドに身体を預ける。
皆の前では大したことの無いふりをしていたが、実はかなり体調はきつかったから、こうやって横になると少し身体が楽になった。
窓の外からは、院生達の稽古の掛け声が風に乗って運ばれてくる。
その単調な音に耳を済ませていると、知らず知らずの内に瞼が重くなってきた。
「浮竹君、私ちょっと用事があるから留守にするけど、一人で大丈夫?」
「はい。俺はもう少しここで横になっていていいですか?」
「気分が良くなるまでゆっくり休むといいわ。無理は禁物よ」
「そうですね……」
うとうとしながらの会話は、半分以上が頭に入ってこない。
ただ、静かなこの部屋で一人になれるという事実に安心感を覚えていた。
睡魔に負けて瞼を閉じると、先生が扉を閉める音が遠くに聞こえる。
僅かに開いた窓から吹き込む微風が、火照った額に心地良い。
カーテン越しに浴びる初春の陽光はぽかぽかして温かかった。
そうしてしばらくまどろんでいたところ、ふとカタ、という音が耳に入ってきた。
音が聞こえてきたのは出入り口の方からではなく、もっと俺に近い……そう、窓の方からだ。
窓から入ってくるなんて、泥棒みたいだ……
と、そこまで考えて俺は一瞬で現実に引き戻された。
だが、泥棒が侵入してきたのかと慌てて起き上がった俺の目に映ったのは、意外な人物だった。
「京……楽……?」
そこにいたのは、同じ特進科の生徒である京楽春水だった。
「あれ?起こしちゃった?」
「いや、それは別に構わないが……」
どうして京楽がここにいるのかという俺の困惑が顔に出ていたのか、京楽は苦笑しながら「そこから入ってきたんだ」と大きく開け放された窓を指差した。
「昼寝の場所を探していたら、たまたまここのベッドが空いてるのが見えてさ。先生も出掛けていないみたいだし、君も眠ってたから丁度良いと思ったんだけどねぇ」
そう言いながら、京楽は隣のベッドに腰掛ける。
京楽の重みに、ギシリと鉄パイプが啼いた。
「昼寝って、授業はどうしたんだ?」
「そりゃあ勿論、サボってるのさ」
京楽は特進科でも一、二を争うほどの実力の持ち主なのに、やる気に欠けるのか隙を見ては教室を抜け出して授業をサボることが多い。
噂では放蕩三昧だったところを無理矢理学院に入学させられたらしいから、本当はこんな所で死神になる勉強などしたくないのかもしれない。
授業に出たくても持病のせいでなかなか出られない俺とは対照的だ。
「浮竹は、また具合が悪いのかい?」
「……ああ。大したことはないんだけどな。皆が保健室に行けってしつこいから――」
自分と正反対な京楽のことを、俺はあまり快く思っていなかった。
単なる僻みだとは分かっているが、どうしても健康な身体を持ち才能にも富にも不自由の無いこの男と自分の病弱な身体を比べて卑屈になってしまう。
要するに、俺は京楽春水に嫉妬しているのだ。
今まで誰かに対して負の感情を持つことなんて無かったから、正直俺自身混乱している。
俺はこんなに嫌な奴だったのかと、自分の汚い部分を見せ付けられた気分だった。
だから、八つ当たりだとは知りつつも、自身の醜さを俺に気付かせた京楽が好きになれなかった。
勿論、勝手に京楽のことを嫌っていることを心苦しく思う時もある。
でも、それもお互い様だと思うことにしていた。
というのも、どうやら京楽も俺のことが気に入らないらしいのだ。
京楽に何かした覚えは無いし、そもそも級友だというだけで俺と京楽の接点など殆ど無い。
それでもたまに会話をすると、京楽の俺に対する言葉の端々に棘を感じるのだ。
今だって、心成しか「また」という単語が強調されていた気がする。
保健室にお世話になることの多い俺を遠回しに皮肉っているのだろう。
どうして京楽に嫌われるのかは分からないけど、嫌われている相手を嫌うことはそれ程気が咎めない。
これも京楽に出会って知った感情だった。
「皆浮竹のことが心配なんだよ。具合が悪くても平気な振りをするからね、君は」
「あんまり面倒を掛けたくないんだ。それに、寝込んで授業に出られないことが多いから、少し調子が悪いくらいで休みたくないんだ」
「はは、サボってばかりのボクには耳が痛いよ」
そう言って京楽は肩を竦めて見せたが、その言葉を本気で言ってるのではないことは明らかだった。
表向きは普通の友人同士の会話なのに、俺と京楽の言葉の裏には何か得体の知れない緊張感のようなものが流れている。
当たり障りの無い会話を隠れ蓑にして、本音の刃を交えている錯覚に陥ってしまう。
京楽といると、自分の奥深くにある感情が剥き出しにされていくようだった。
一体いつまでここに居座るのだろうかと苛立つ俺を嘲笑うかのように、京楽は暢気に「それにしても」と言葉を続けた。
「浮竹は本当によく頑張ってるよね。そこまでして死神になりたいのかい?」
言外に、死神なんてそこまで立派なものだろうかという揶揄を含んでいるのはすぐ分かった。
以前から感じていたことだが、京楽は死神を侮蔑している節があった。
死神なんて、所詮戦うしか能が無いくせに無闇に威張っているだけの、くだらない存在じゃないかと同級生相手に口にするのを何度か耳にしたことがある。
そんな京楽にとっては、俺のように必死になって死神を目指す輩は軽蔑の対象なのだろう。
俺だって、戦うことに迷いが無い訳じゃない。
死神になれば、戦闘で誰かの命を奪うことになる。その事実が怖くないと言えば嘘になる。
死神は斬魄刀の力によって虚の犯した罪を清め整に戻すのだから、厳密に言えば誰も殺してはいないのかもしれない。
それでも、整に戻れば虚の「人格」は消滅してしまうのだから、虚にとって死神に倒されると言うことは殺されるのと同義なのだと俺は思う。
魂を喰らうことでしか生き延びることが出来ない虚を、世界の秩序を守るためと言う大義名分の下に殺すことに、躊躇いを感じずにはいられない。
それでも、俺は死神になると決心したのだ。
なぜなら―――
「……死神になって、家族を支えてやりたいんだ」
そっと目を閉じれば、瞼の裏に家族の姿が浮かぶ。
俺の病気のせいで皆に苦労を掛けた分、今度は俺が皆を養う番だった。
「家族思いなんだね」
「そうじゃないさ。ただ、昔から俺の病気の治療費を捻出するために、家族には不自由な思いをさせたから……特に弟達には小さい時から我慢をさせてばかりで、申し訳なく思ってるんだ」
「そう浮竹が思うのは家族を大切に思っているからなんだろう?やっぱり浮竹は家族思いなんだよ。家族のために、自分の身を削ってまで死神になるなんて、立派じゃないか。ボクにはとても真似出来ないや」
意味深な京楽の口調にはっとして顔を上げるが、京楽の眼には揶揄の色は無く、ただ無表情に俺を見詰めるだけだ。
「俺は……」
星一つ無い夜空のような、暗い京楽の瞳と眼が合った。
瞬間、違う、と叫び出したそうになった。
違う、俺はそんな立派な奴じゃないんだ、と。
腹の底から込み上げる叫びを、唇をキツク噛み締めることでぐっと抑える。
同時に、きっと京楽を真正面から見据えた。
「浮竹?」
顔を強張らせた俺をどう思ったのか、京楽が小さく首を傾げる。
薄っすらと浮かぶ微笑にふと、京楽はとっくに俺の正体気付いているのかもしれないと思った。
この男だけは、醜悪な俺の本心を初めから見透かしてい。
京楽が俺を嫌うのは、笑顔の裏に隠した俺の本当の姿を知っているからだ。
京楽の瞳に映った自分の姿に見入りながら、俺の脳裏を過ぎったのはそんな考えだった。
家族を守りたい、なんて綺麗事だ。
俺は病に蝕まれたこの身体に引け目を感じているだけだ。
何の役にも立たない俺の生に、何らかの意味を見出したいだけなのだ。
俺の記憶の大部分は、身体中を襲う苦痛と病床から見た風景、そして両親や弟達の泣き顔で構成されている。
一番古い記憶は、肺に巣食う痛みに耐えられずもう嫌だと流した涙と、そんな俺を見詰める悲しそうな両親の顔だった。
肺病を抱えて生きていくのは辛い。
でも、もっと辛いのは、自分のせいで大切な人達が悲しむことだった。
俺さえいなければ、皆もっと幸せになれるのに―――
俺さえいなければ―――
そんな思いを抱えながら生きるのは苦しかった。
だから、俺が死神になりたいのは、家族が大切だからじゃない。
家族にとって重荷でしかない自分が許せないからだ。
俺はただ、罪の意識に苛まれているだけだ。
死神になることで、罪深い俺の生を贖おうとしているだけだ。
俺が家族に犯した罪を償うために、可哀想な虚の命を犠牲にしようとしているだけなんだ。
「俺は…………」
そうして、俺は自分の惨めな生にしがみ付いている。
自分の卑しい命にちっぽけな価値を与えようとしている。
でも―――
でも、本当は―――
「もう、立ち止まってしまいたいんだ」
ぽつりと呟いた俺の言葉に、京楽がはっと息を飲む。
「どんなに努力しても、この病弱な身体のせいで思うようには生きられない。どんなに頑張っても、何時だって俺自身の健康が障害となって俺の行く手を阻む。
そんな人生に、何の意味がある?」
どうして京楽相手にこんなことを喋っているのだろうと頭の片隅で不思議に思いながらも、俺は堰を切ったように溢れ出す言葉を止めることが出来なかった。
既に嫌われている相手になら、今更何を言ってもこれ以上幻滅されることは無いという安心感があったのかもしれない。
「本当は、苦しくて苦しくて仕方無い……もう、これ以上前に進めないんだ」
俺の心の一番深い所にある、今まで誰にも漏らしたことの無い本音。
誰にも知られてはならないと必死に胸の中に閉じ込めていた思いは、抑え付けられれば付けられる程どんどん大きくなっていった。
行き場を失くした感情は、いつしかどす黒く変貌し、俺の心を侵食していた。
けれど今、ずっと否定してきた弱音を口にすることで、俺は不思議な解放感を感じていた。
やっと自分の中の醜さと向き合うことが出来たのだという、喜びと安堵感の入り混じった、不思議な感覚だった。
「全てを忘れて、どこか遠くへ行ってしまいたい。跡形も無く、消えてしまいたいよ―――」
もう、苦しいのは嫌だ。
悲しいのも嫌だ。
俺は、もう疲れてしまったんだ―――
「なーんてな」
「え?」
それまでの雰囲気とは打って変わって明るい声を上げた俺に京楽が驚いて眼をぱちくりさせる。
そんな京楽を見て俺はさも可笑しそうに満面の笑みを浮かべた。
「京楽、今思いっ切り騙されてただろう?」
「騙された……って、じゃあ、今のは……」
「まさか本当に信じるとは思わなかったなあ。俺がそんな弱気なこと言う奴に見えるか?」
「いや、だって……君……」
「俺の演技に騙されるようじゃ京楽もまだまだ甘いな!あんまりお前が俺のことを過大評価するから腹が立ってしまってな。つい、薄幸の佳人の振りをしてみたんだ」
「薄幸の佳人って……そんなこと自分で言うかい?」
「ま、とにかくこれでお前が思うほど俺は立派な奴じゃないってことが分かっただろう?真面目な顔して嘘が吐けるんだからな」
そう言って、俺がもう一度にこりと笑って見せると、一瞬京楽はぽかんとした顔をしたが、すぐに「参ったねえ、どうも」と呟いて苦笑した。
「一本取られたよ。思ったより人が悪いねえ、浮竹は」
「だからさっきからそう言ってるだろう?」
「はいはい、分かりました。普通そういうことは自分では認めないものだけどね」
「そうなのか?」
呆れた口調の京楽は、俺の言葉を疑っているようには見えない。
どうやら騙されてくれたようだと、そっと心の中で安堵の息を吐いた。
やっぱり俺は悪い男だ。
笑って嘘が吐けるのだから。
京楽に告げたのは真実。
消えてしまいたいという願いは俺の本心。
それを嘘だと偽ったのは、無防備に曝け出してしまった俺の本音に京楽がどう反応するかを知るのが怖かったからだ。
だから俺は嘘を吐いた。
嘘と笑顔で塗り固めることで、真実から逃げたのだ。
「あーあ、何だかすっかり昼寝する気分じゃなくなっちゃったな」
「そもそも昼寝なんかしないで授業に出るべきじゃないのか?」
「うーん、それを言われると弱いんだけどねぇ。どっちにしてもボクはもう行くよ。浮竹の休養の邪魔しちゃ悪いからね」
「え?あ、そうか。俺は調子が悪いんだったな。すっかり忘れてた」
京楽との会話に夢中になって、そもそも自分がここにいる理由を忘れていた。
京楽は暢気な俺に呆れたのかいつもよりほんの少し柔らかく微笑んで見せると、ベッドから立ち上がって開け放されたままだった窓へと向かう。
穏やかな春の陽に照らされた京楽の横顔は、何故かとても優しかった。
「じゃあね、浮竹」
「ああ」
しかし短い挨拶の後も京楽は出て行く様子を見せない。
どうしたのかと声を掛けようとした時、唐突に京楽が振り返った。
真っ直ぐ俺の眼を見据えて、京楽は「さっきの嘘なんだけどさ」と口を開いた。
京楽の言葉に心臓がどきりと大きく跳ねる。
「もし君の言葉が本当だったら、こう言うつもりだったんだ」
その言葉の続きを聞くのが怖くて俺は京楽から眼を逸らそうとするが、強い意志を湛えた瞳は俺を捉えて放さない。
俺はただ、身動き一つ出来ずに京楽の次の言葉を待っていた。
「『君が苦しいなら、逃げ出してしまえばいい。一緒に誰もいない遠くの場所へ行こう。全て忘れてしまえばいいよ。何もかも投げ出して、一緒に消えてしまおう』って――――――」
*
「浮竹君、ごめんなさいね、すっかり遅くなっちゃって。あら、もう起き上がって大丈夫なの?って、浮竹君!貴方顔が真赤よ!大変、熱もあるわ。駄目じゃない、すぐ横になりなさい!」
先生の小言を上の空で聞きながら、俺はばたりとベッドに倒れ込んだ。
顔が紅潮しているのが自分でも分かる。
思い掛けない言葉を残して京楽は去っていった。
最初から、あいつは俺の嘘なんて見抜いていたんだ。
でも、俺の本心を知りながら、あいつは憐れみも蔑みもしなかった。
ただ、優しさと慈愛に満ちた眼差しを俺に向けただけだった。
そして、折れそうな俺の心にそっと手を差し伸べてくれたのだ。
「一緒に、か―――」
京楽の言葉を思い出すと、火照った顔が更に熱くなる。
心臓の鼓動も早くなる。
でも、不思議なことに悪い気分はしなかった。
「京楽春水―――」
昨日まで嫌っていた筈の男なのに、気が付くと次に京楽に会うことを楽しみにしている自分がいた。
京楽のことをもっと知りたい。
もっと話をしてみたい。
あいつと、友達になりたい。
「取り合えず、明日朝会ったら『おはよう』って言ってみるか……」
京楽が開け放った窓辺では、真っ白なカーテンが春風に乗って揺らめいている。
窓の外には、抜けるような青空が広がっていた。
01.04.10
エイプリルフールネタとして何か書こうと思ったのですが、気が付いたら「嘘」がテーマの短編が出来上がっていました(謎)
京浮じゃないし、二人は友達ですらないのですが(しかも浮竹さんの性格が・・・)、一応二人が恋に落ちた瞬間のつもりで書いていました^^;
浮竹さんの言葉の意味や京楽さんの応えの意味などは色んな解釈が出来ると思います。
タイトルは「背理法、帰謬法」という意味です。