ローマの休日
「京楽、なあ、泣くなよ。いい年した男がみっともないぞ。」
「そんなこと言ってもさあ、可哀想じゃないか。好きなのに結ばれないなんて。」
「仕方ないだろう、身分が違いすぎるんだ。」
「身分の違いなんて愛し合う二人には関係ないよ。」
「それはそうだが現実は上手くいかないものなんだ。それに二人の互いへの想いは永遠に胸に刻まれたんだから、それでいいだろう。」
「どうして浮竹はこんな時だけそんなに冷静なんだいっっ。」
大きな身体を丸めて可哀想だと涙を流す京楽に俺は心の中で溜め息をついた。
オードリー=ヘップバーンが美人だからといって「ローマの休日」を観ようと誘ったのは京楽なのに、こんなに泣いては彼女の綺麗な顔など見えないだろう。
確かに主役の二人が結ばれないのは悲しいけれど、アン王女には国民への義務があるのだ、それを放棄することなど出来ないだろう。
愛する男のために全てを投げ打つことが出来ればいいと思うのは理想だろうけど、現実はそんなに優しくないのだ。
京楽だってそれをわかっているはずなのに、こうしてこの悲しい恋の話に涙するのは、こいつが(むさ苦しい外見とは違って)意外とロマンチストだからだ。
俺には決して言わないけれど、京楽が時折全てを捨てて俺と一緒に二人だけでどこかへ逃げてしまいと思っていることを知っている。
俺も京楽も守りたいもの、守らなければいけないものが多すぎてそんなことは不可能だけど。
それでも京楽はそんな夢物語を捨てきれない。だからこうして作り事の悲恋に俺たちを重ねて涙する。
そして悔しいけれど、俺はこいつのこんなところを愛しいと思ってしまうのだ。
だから俺は根気良く京楽を慰める。
現実の恋は御伽噺のようにHappily ever afterではないけれど、それでも一生を誰も愛することなく終えるよりも、例え結ばれなくても誰かを愛することが出来た人間は幸せなのだと、
俺らしくも無い陳腐な台詞で。
誰にも邪魔されない場所でお前と二人だけで生きていければどんなにか幸せだろうなんて子供じみた願いを俺も抱いていることは、俺だけの秘密にしておこう。
グリーン・マイル
僕の腕の中で、浮竹は肩を震わせて子供のように泣きじゃくる。
僕は何も言わずに、少し低い位置にある浮竹の頭を優しく撫で続けた。浮竹の流した涙が僕の死覇装を濡らす。
「どうしてあんなに優しい人間が死ななければいけないんだ。」
しゃくり上げる合間に浮竹はそう呟いた。
「ひどすぎる…。」
巨大な体躯に似合わず、心優しく不思議な力を持った黒人の男は無実の罪で死刑になった。他人の痛みを己の痛みの如く感じ、ただ罪無き人々を救おうと努力しただけなのに、殺人の罪を着せられ多くの人々に憎まれながら電気椅子で処刑された男のために、浮竹ははらはらと大粒の涙を流す。ひどすぎると、あんまりだと、不条理な世界の犠牲になった男のために涙する。
でも僕は、あの男は死ぬことでしか救いを得られなかったのだと思う。死ぬことでやっと平穏を知ることが出来たのだから、それなりに幸せな結末だったのだと。
他人の痛みや苦しみを、文字通り己のもののごとく感じることが出来る者にとって、この世界はあまりにも生き辛いものだろう。戦争、紛争、殺人、暴行、強盗が日常茶飯事の現世において、そんな力を持っていたら毎日地獄のような苦しみを味わわなければならないのだ。だから、そんな日々に疲れて死を願う気持ちが僕にはわかるような気がする。
浮竹だって、心の底ではあの男が真の安らぎを得るには死ぬ以外に無かったのだと、知っているのだろうけれど。それでも、僕の心優しい恋人は、残酷なこの世界の中で、為す術も無くただ傷付いていった男を思い、悲しいと嘆くのだ。人間はいつだって戦いに明け暮れて殺し合い、そうして死んでいった者達の魂魄が虚になり、魂魄を襲う。現世でもソウルソサエティでも、この世界は殺し合いに溢れている。死神として虚を倒すことで魂魄を救うといっても、僕らが出来るのは本当に僅かなことだけだ。
世界を変えることが出来るなんて不遜なことは思わないけれど、それでも僕でさえ、時に非情な世界に絶望を覚えずにはいられない。道化の皮をかぶった僕は浮竹のように素直に泣くことは出来ないけれど。
「ひどすぎる…。」
だから浮竹は、泣けない僕の代わりに、子供のように泣きじゃくる。残酷な世界を嘆き、心優しい男の死を憂い、泣けない男が可哀想だと涙を流す。
そして僕は浮竹が泣き疲れるまで、黙って彼をこの腕に抱くのだ。
フーコーの振り子
「ねえねえ浮竹、フーコーの振り子って知ってる?」
「フーコーの振り子?ああ確か地球の自転を証明する実験のことだろう?」
「そうそう。フランスの物理学者フーコーが1851年にパリのパンテオン宮殿で長さ67m、錘の質量27kgの振り子を用いて地球の自転を証明したっていう、フーコーの振り子。原理は結構簡単で、例えば北極点で振り子を振ってみると、その振り子には地球の重力しか働いてない、つまり振動面を変えようとする力は働いていない。だから振り子の振動面は変わらないで、その下の地球が回転してるだけなんだって。といっても宇宙から見れば振動面が変わらないだけで、地球から見ればだんだんと振動面が移動しているように見えて、その内回転するように見えるんだって。いやあ、人間っていうのはすごいこと考えるよね。浮竹はどう思う?」
「…宇宙から見える振り子なんてものすごく巨大なものになるんじゃないか?それにその振り子を動かし続けるのだって大変だろう。」
「うーんと、それはまあ確かにそうなんだけど…僕が聞きたいのはそういうことじゃなくてさ、こう地球って言う惑星の神秘の一端を知ることの出来るこの実験にロマンを感じないかなあ?」
「地球が自転しようと公転しようと俺たちにはあまり関係ないだろう?それに振り子を見たからといって地球の自転を体感するわけじゃないんだから、いまいちぴんと来ないんだよな。」
「あはは、そう言われるとそうかもしれないな。フーコーの振り子に関係なく地球は毎日回ってるし、僕たちはその上で生きるのに精一杯なだけだからね。でもさ」
「ん?」
「やっぱり目に見える形で証明されるって、安心しない?例えその存在を疑っていなかったとしても、わかりやすい形でちゃんとここにあるよ、って言われるのって大切だと思うけどな。」
「それって、もっと俺からの愛情表現が欲しいって遠回しに言ってるのか?」
「御名答。地球の自転も浮竹の愛も疑ってないけどさ、僕は欲深だから証を求めちゃうんだ。」
「…馬鹿。」
次の日、京楽の机の上にはガラスで出来た地球儀とQEDと書かれた紙が置かれていたのだった。
11.04.09