テーマ:職場におけるパワーハラスメント
<問題意識>
厚生労働省の労働局に寄せられた「いじめ・嫌がらせ」に関する相談件数は、平成14年度時点に約6,600件だったものが10年後にはその7倍に近い約46,000件にまで増加している。(厚生労働省 明るい職場応援団より)平成28年度の厚生労働省の調査によると、過去3年間にパワハラを受けたことがある人は1万人中32.5%である。(厚生労働省「平成28年度 厚生労働省委託事業 職場のパワーハラスメントに関する実態調査報告書」より)
多くの人が企業などで働いている今、パワハラは深刻な社会問題となっている。職場におけるパワハラは労働者のみならず企業や職場にまで影響を及ぼすことが認知されていく中で、国も対策に乗り出している。そこで、今日の職場のパワーハラスメントの現状や予防策、対応策を調べていきたい。
<基礎概念>
〇職場のいじめ
・「職場およびそれに隣接する場所、時間において従業員若しくは使用人らから一時的若しくは継続的になされる心理的、物理的、暴力的な苦痛を与える行為の総称」(水谷英夫著『職場のいじめ・パワハラと法対策』)
・「職場(職務を遂行する場所全て)において、仕事や人間関係で弱い立場に立たされている成員に対して、精神的または身体的な苦痛を与えることにより、結果として労働者の働く権利を侵害したり、職場環境を悪化させたりする行為」(東京都産業労働局パンフレット『職場のいじめ 発見と予防のために』)(どちらも、厚生労働省「職場のいじめ・嫌がらせ問題に関する円卓会議 ワーキング・グループ報告 参考資料集」より)
〇職場のパワーハラスメント
・「職務上の地位または職場内の優位性を背景にして、本来の業務の適正な範囲を超えて、継続的に相手の人格や尊厳を侵害する言動を行うことにより、就労者に身体的・精神的苦痛を与え、また就業環境を悪化させる行為」
職権や専門的知識、スキルといった職場にあるパワーを利用して行われる。なかには集団のパワーを使うものもある。最近では先輩・後輩間や同僚間、さらには部下から上司に対して行われることもある。相手より優位な立場にあることを利用して行われるいじめ。客観的に見て、仕事上必要のない命令や教育指導が該当する。(岡田、稲尾、2011)
・「職場において、地位や人間関係で弱い立場の相手に対して、繰り返し精神的又は身体的苦痛を与えることにより、結果として働く人たちの権利を侵害し、職場環境を悪化させる行為」(金子、2009)
・「職場のパワーハラスメントとは、同じ職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場内の優位性(※)を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は職場環境を悪化させる行為をいう。」
※上司から部下に行われるものだけでなく、先輩・後輩間や同僚間、さらには部下から上司に対して様々な優位性を背景に行われるものも含まれる。(厚生労働省「職場のいじめ・嫌がらせ問題に関する円卓会議 ワーキング・グループ報告 参考資料集」より)
・ザ・ウィンザー・ホテルズインターナショナル(自然退職)事件の一審判決(東京地判2012年3月9日労判1050号68頁)は、「企業組織もしくは職務上の指揮命令関係にある上司等が、職務を遂行する過程において、部下に対して、職務上の地位・権限を逸脱・濫用し、社会通念に照らし客観的な見地からみて、通常人が許容し得る範囲を著しく超えるような有形・無形の圧力を加える行為」をパワーハラスメントとする一般的基準を示した。(佐藤、2014)
・厚生労働省は、①身体的な攻撃(暴行、傷害)
②精神的な攻撃(名誉毀損、ひどい暴言)
③人間関係からの切り離し(無視、隔離)
④過大な要求(遂行不可能なことの要求)
⑤過小な要求(程度の低い仕事の要求)
⑥個の侵害、の6類型に分類している。(厚生労働省 明るい職場応援団より)
<研究者>
〇入江正洋
九州大学准教授。専門分野は健康科学、心身医学など。
・職場におけるいじめの増加の背景として、経済のグローバル化により企業間の競争が激化したこと、組織の再編や人員削減、長引く不況、あるいは能力主義・成果主義に基づいた賃金制度の導入、それに伴う雇用形態や就労環境の大きな変化が挙げられる。これまで以上に効率を求めた結果、業務の集中や過重労働、職場での人間関係の希薄化といった様々な問題が発生し、職場におけるいじめが増加するとしている。
・パワハラが生じやすい職場の特徴として、コミュニケーションの少ない職場や過重労働の職場、ミスができないなど緊張を強いられる職場を挙げている。特にコミュニケーションに関して、企業や上司に対し相談や会話がしやすいかどうかが、パワハラに密接に関与している可能性を指摘している。
・職場におけるパワハラ対策として、企業のトップや管理職自らがパワハラをしてはならないという意識を持ち、部下にもさせてはならない姿勢を示す必要がある。また、アンケート調査による実態調査、管理職や一般社員向けの教育・研修、相談窓口の設置などといったものを挙げている。お互いの人格を尊重する、ハラスメント行為を見過ごさずに支えあう職場づくりが求められる。相談窓口に関しても有効に活用される仕組みを作ったり、相談担当者への教育も必要である。研修ではハラスメント行為の禁止事項に加え、より良いコミュニケーションづくりを合わせて行うと効果的である。(入江、2015)
〇佐藤千恵
中京学院大学准教授。専門分野は民事法学。
・パワハラ増加の要因として、バブル崩壊後の経済悪化による職場環境の変化を挙げている。年功賃金・終身雇用体系の崩壊、成果主義や業績主義の導入、雇用形態の多様化など。
・パワハラが生じやすい職場の特徴として、体制変更などの業務変化に柔軟に対応できない職場、期限に追われ過重労働となり余裕のない職場、失敗に対する許容性の低い職場、コミュニケーション不足の職場、法令を守りにくい職場、上司の指導力が低い又は欠如した職場を挙げる。
・職場におけるパワハラ対策として、パワハラをなくそうとトップがメッセージを示す、予防・解決のための指針を定める、従業員アンケートを実施し実態を把握する、研修をする、パワハラを周知させ啓発する、相談、解決の場を作る、パワハラ行為者に再発防止の研修をすることを挙げている。研修の取り組みなどは一定の効果があるが、予防・解決のための指針を定めたり啓発することでは十分な効果は上げられないことも多いとする。表面的な取り組みだけでは企業や社員の意識は変化しにくい。(佐藤、2014)
〈基礎データ(量的)〉
〇厚生労働省「平成28年度個別労働紛争解決制度の施行状況」より
平成24年度以降、「いじめ・嫌がらせ」に関する相談数は「解雇」の相談数を超え、その後も右肩上がりを続けている。
※都道府県労働局、各労働基準監督署内、駅近隣の建物など380か所(平成29年4月1日現在)に設けられた総合労働相談窓口に寄せられた相談件数。
※「総合労働相談件数」:労働条件、募集・採用、いじめ・嫌がらせ等、労働問題に関するあらゆる分野についての労働者、事業主からの相談のこと。
※「民事上の個別労働紛争」:労働条件その他労働関係に関する事項についての個々の労働者と事業主との間の紛争(労働基準法等の違反に係るものを除く)。
〇厚生労働省「平成28年度 厚生労働省委託事業 職場のパワーハラスメントに関する実態調査報告書」より
規模の大きい企業ほど、パワーハラスメントの予防・解決のための取組の実施や、従業員のための相談窓口を設置している割合が高い。
※平成28年度企業調査 ※平成24年度企業調査
調査手法:郵送調査(回答については Web でも受付) 調査手法:郵送調査(一部回答については E メールで受付)
調査対象:全国の従業員(正社員のみ)、30 人以上の企業・団体 調査対象:全国の従業員(正社員のみ)30 人以上の企業
〈基礎データ(質的)〉
〇A保険会社上司(損害賠償)事件(東京地判 2004.12.1 労判914号86頁)
(事案の概要)
A保険会社に勤める所長Yが、課長代理Xの案件処理状況が悪いことから、Xとその職場の同僚十数名に対してXの名誉を毀損する、またはパワーハラスメントに当たる内容のメールを送り、これが不法行為を構成するとしてXが慰謝料を請求した。
(裁判所の判断)
第一審は、本件メールはXの業務成績の低下防止のため奮起を促すことが目的で、名誉毀損とパワーハラスメントには当たらず、直ちに業務指導を逸脱し違法であると認めることは無理だとして請求を棄却した。
第二審は、メール中に退職勧告とも取れる表現や、人の気持ちを逆撫でする侮辱的表現があったこと、さらに本件メールを同僚十数名にも送っていたことから、名誉毀損に当たるとし5万円の損害賠償を認めた。ただし業務指導という目的は認められることから、パワーハラスメントには当たらないとした。
・パワーハラスメントは法律用語ではないため、裁判上に登場させる必要はない。それにも関わらず、この事件の頃からパワーハラスメントという言葉が裁判で頻繁に使用されるようになってきている。(労働基準判例検索より)
〇静岡労基署長(日研化学)事件(東京地判 2007.10.15 労判950号5頁)
(事案の概要)
Xの夫であるAは医療担当情報者(MR) として勤務していたが、B係長から暴言を受け、家族や上司に対し8通の遺書を残し自殺した。Aが自殺したのはAが勤務していた本件会社における業務が原因の精神障害によるものであるとして、Xが静岡労基署長に対して労災保険法に基づき、遺族補償給付の支払を請求したところ、同所長が不支給処分をしたためXはその取り消しを求めた。
(裁判所の判断)
裁判所は、Aは平成14年12月末~15年1月中旬の時期に精神障害を発症したと認めた。Aの受けた業務上の心理的負荷、つまりB係長からの暴言は一般人を基準として、客観的に見て精神障害を発症させるほどに重いものであるとした。またAの自殺は、Aが精神障害により正常な行動や判断ができない中で起こったものであるとし、故意の自殺には当たらないとした。こうしてAの精神障害及び自殺について、業務起因性を認め、Xの請求を受け入れた。
・以上のように裁判所は労働者の精神障害発症及び自殺について、業務起因性を認めている。判決ではXの請求は受け入れられており、パワハラが原因で自殺した者に対して労災を認めることとなった。労働者の精神障害及び自殺は、パワハラが主な原因であったと結論付けた初めての司法判断である。(国・静岡労基署長(日研化学)事件(パワハラ・上司暴言・労災認定より)
〇総合労働相談
解雇、雇止め、配置転換、賃金の引下げ、募集・採用、いじめ・嫌がらせ、パワハラなどのあらゆる分野の労働問題を対象としている。都道府県の労働局長による助言・指導制度や、紛争調整委員会によるあっせん制度を利用して、労働問題の早期解決のための支援を受けることができる。(厚生労働省 総合労働相談コーナーのご案内より)
〇労働審判制度
労働者と事業主との間の労働関係の紛争を、3日以内の期日で審理していき、迅速な解決を目指すというもの。労働関係に関する知識経験を持つ労働審判員が関与する。労働審判に対する異議申し立てがあれば、訴訟に移行する。(裁判所 労働審判制度についてより)
〇JFEスチール株式会社(従業員数約42,480人)
この会社はパワハラ対策として研修啓発活動を行っている。入社時や役職昇進時に、ハラスメントとは何か、どのような言動がパワハラに該当するのかなどを理解してもらうために、事例に即した内容の研修を行っている。パワハラによる人権侵害の重大性と発生の防止の重要性に気付けてもらえるよう努めている。また研修では職場で起こりえるハラスメント事例を提示し、受講者にそれぞれハラスメントに該当するかの評価を行ってもらい、さらに意見交換もしている。パワハラ等の個別相談も行われている。
〈リサーチクエスチョン〉
厚生労働省「平成28年度 職場のパワーハラスメントに関する実態調査」の報告書によると、パワーハラスメントの予防・解決のための取り組みの実施状況を従業員規模別で見ると、規模が小さいほど実施している比率が低く、1000人以上の企業が最も比率が高かった。従業員向けの相談窓口の設置状況も、従業員数が増えるほど比率が高くなっている。そこで従業員1000人以上の企業や、そこの相談窓口を対象にインタビューを行う。例えば、先進的なパワハラ対策を行っている企業として、JFEスチール株式会社にインタビューを行う。実際にパワハラをどのような職場で誰から受けたのか、対策としてどのようなことを行っているのか、効果があったと思う取り組みは何か、などを質問してパワハラの発生しやすい環境や、有効な対策を明らかにしたい。
<論文>
・入江正洋、2015、「職場のパワーハラスメント:現状と対応」健康科学 37、pp23-35
・佐藤千恵、2014、「パワーハラスメントの増加に関わる職場環境要因の分析:労働判例の諸事案を素材として」中京学院大学研究紀要 21、pp.1-29
・安達元彦、2012、「職場の人権侵害に関する研究:パワー・ハラスメント撲滅への提言」21世紀社会デザイン研究(11)、pp.129-138
・山田陽子、2012、「パワーハラスメントの社会学:「業務」というフレーム、次世代への影響」青土社 40(16)、pp.142-149
・山田陽子、2013、「「パワーハラスメント」のフレーム・アナリシス:労働者の自死の「動機の語彙」と「精神障害」フレーム」日本社会病理学会(28)、pp.41-57
・内藤忍、2013、「最新労働事情解説 職場のパワハラをなくすための労使の対応:職場のいじめ・嫌がらせ、パワーハラスメントの予防と解決に向けた取組みと今後の課題とは」労働法学研究会報 64(9)、pp.4-25
・古谷紀子、2011、「パワー・ハラスメントの実態と企業の防止策(特集 職場のパワー・ハラスメント)」労働調査 (498)、pp.22-28
・橋本佳代子、2016、「職場におけるパワーハラスメントに対処するために」人権のひろば 19(4)、pp.22-25
<書籍>
・水谷英夫、2014、『職場のいじめ・パワハラと法対策.第4版』民事法研究会
・岡田康子、稲尾和泉、2011、『パワーハラスメント』日本経済新聞出版社
・大和田敢太、2014、『職場のいじめと法規制』日本評論社
・金子雅臣、2009、『パワーハラスメントなぜ起こる?どう防ぐ?』岩波書店
〈参考URL〉
・厚生労働省 明るい職場応援団(http://www.no-pawahara.mhlw.go.jp/foundation/statistics/)
・厚生労働省「平成28年度 厚生労働省委託事業 職場のパワーハラスメントに関する実態調査報告書」
(http://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-11208000-Roudoukijunkyoku-Kinroushaseikatsuka/0000164176.pdf)
・厚生労働省「職場のいじめ、嫌がらせ問題に関する円卓会議 ワーキング・グループ報告 参考資料集」
(http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r98520000021hkd-att/2r98520000021ien.pdf)
・厚生労働省「平成28年度個別労働紛争解決制度の施行状況」(http://mobile.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000167727.html)
・労働基準判例検索(https://www.zenkiren.com/Portals/0/html/jinji/hannrei/shoshi/08450.html)
・国・静岡労基署長(日研化学)事件(パワハラ・上司暴言・労災認定)(http://hanreinoheya.blogspot.jp/2014/05/blog-post.html)
・厚生労働省 総合労働相談コーナーのご案内(http://www.mhlw.go.jp/general/seido/chihou/kaiketu/soudan.html)
・裁判所 労働審判制度について(http://www.courts.go.jp/saiban/wadai/2203/)