環境保全型農業
<問題意識>
どんな背景から環境保全型農業は生まれ、どんな具体的事例があるのか。
また環境保全型農業を推進することで何が変化し、有機農業との違いはあるのか。
環境保全型農業という概念が成立する前から現在に至るまでの流れをまとめることにする。
<基本概念>
「環境保全型農業」(日本固有の呼称)=持続可能な農業(アメリカ)=粗放的農業(ヨーロッパ)
*農業の持つ物質循環機能を生かし、生産性との調和などに留意しつつ、化学肥料、農薬の使用等による環境負荷の軽減に配慮した持続的な農業(農林水産省による定義)
*環境に(マイナスの)負荷を与えない、あるいは環境と調和した、という意味で「環境面で持続可能な」農業を意味する(桜井)
*農業生産を安定させながら、化学肥料、農薬の使用量を減らし、環境(水・土・空気)と調和した将来的にも持続可能な農業(加藤・2007・20p)
「有機農業」 化学肥料や農薬の使用を控え、有機肥料を利用して、安全で味のよい食料の生産をめざす農業。
概念的には環境保全型農業のひとつとして位置づけられる。(蔦谷・2009・5p)
「地産地消」 地域内で生産した農産物をその地域で消費すること。地産地消運動自体は1990年代から始まっている。
具体的な取り組み:農産物直売所・学校給食・福祉/観光施設・外食/中食産業・量販店での販売
生産者と消費者が近代農業や食のあり方を問いただすことを理念としたもので、地産地消運動の特質は次の通り。
①遺伝子組み換え農産物、食品偽装表示、残留農薬問題などを背景にした「食の見直し運動」
②輸入農産物への食糧依存が高まる中での「農業見直し運動」
③バブル崩壊以降続く平成不況のもとでの「地域見直し運動」
「農産物直売所」(=ファーマーズ・マーケット) 新鮮で安くておいしい、顔の見える安全・安心な農産物に対する消費者のニーズに応えるために設置された。
近年注目されている農産物直売形態のひとつに「道の駅」がある。「道の駅」は国土交通省が1993年から開始した施設で、全国約800カ所が登録されている。
<基礎的データの整理>
●農業の持つ公益的機能
(1)緑地機能…目と心を和ませ災害時の避難場所になる。
(2)景観機能…自然物と(半)人工物が混然一体となり、美しい景観を形成している。その土地や歴史、文化を体現し、人々の心――美的感覚やノスタルジーなど――に
訴えかけ、その効用を高める。
(3)遊水機能…低地における洪水調節機能。
(4)水源涵養機能…森林の土壌が、降水を貯留し河川へ流れ込む水の量を平準化して洪水を緩和するとともに、川の流量を安定させる。
●農業が環境に及ぼす影響
プラスの影響
・水・土・大気を保全する
・緑空間の維持
詳細には(水涵養機能・洪水防止機能・水質浄化機能・土砂崩壊防止機能・生物相保全機能・居住快適性/保健休養的機能等がある)
今回はマイナスの影響を重点的に触れることにする。
マイナスの影響
・地下水汚染
農薬に含まれる窒素は微生物によって硝酸イオンに変化するのだが、農薬を多量にまくことによって硝酸イオンは土壌中にため込めなくなり地下へ流出する。
硝酸イオン濃度の高い水が人体に与える作用は、硝酸イオン(硝酸塩)が腸管内で亜硝酸塩に還元され、血液中に移ることがある。
特に4カ月未満の乳児の場合解毒ができないため亜硝酸がヘモグロビンと結合して酸素を運ぶ能力が低下する。その結果チアノーゼ(ブルーベビー)を起こす。
(環境保全型農業大辞典① 2005 48p)
・温室効果ガスの発生
まず温室効果とは、大気中に増えると地表の熱が宇宙空間に拡散しにくくなり、大気が温暖化する。この効果を持つ二酸化炭素、メタンやフロンなどの気体を
温室効果ガスという。これらのガスは太陽光の主成分である紫外線の一部や可視光線を通す一方、地表から宇宙に出る紫外線を吸収する性質を持つ。
水田からはメタンの発生が問題となっている。主に稲の残根や施用された稲わらの分解に伴い著しいメタンの生成がみられる。
ちなみにメタンは温室効果が二酸化炭素の約30倍もあるとされている。
・湖沼等の閉鎖性水域の富栄養化 などがある。
新鮮な食べ物の味覚や風味、地域の風土に育まれた伝統的な食文化から切り離されてしまった。(桝潟・2002・16/17p)
生産の面から、農薬の使用量の推移については多くの国で横ばいか減少傾向にある中、日本は依然として農薬消費量は世界第1位なのである。
また日本農業の有機農業比率は0,6%で、OECD30カ国中22位となっている。(小泉・2010・25/26p)
これらを受けて21世紀の日本農業の課題として、新たな方向性として環境保全型農業の中に含まれるような社会・環境・文化・福祉面に注目した農業の多面的機能に、
よりいっそう光を当てていくことが重要なポイントになる。
<展開過程>
1961年 農業基本法制定(経済・産業政策に引っ張られた展開)
1980年代 日本国内で意識的に関係者や研究者の間で「環境保全型農業」という用語がつかわれるようになったが、政府当局である農水省の政策文章等に
「環境保全型農業」という文字はない。
1987年 農業白書で、政府が「環境保全型農業」に先だって「有機農業」に初めて言及。
1989年 有機農業対策室を発足(農林水産省)
1991年 農業白書に初めて「環境保全型農業」という言葉が登場する。
1992年 有機農業対策室→環境保全型農業対策室へと改組
6月 国連環境開発会議(地球サミット)が開催され、「環境と開発に関するリオ宣言」が採択。それに沿って各国が今後取るべき行動計画として「アジェンダ21」が示される。
これを受けて同年農水省では将来の農業にあるべき姿を示した「新しい食料・農業・農村政策の方向(=新政策)」を公表。
→政策指針を示した文書で「環境保全型農業」という用語が初めて明記された。
1994年 農水省が主体となり「全国環境保全型農業推進会議」を設置。
主な活動としては環境保全型農業推進憲章を定め、提言や研修を行う。
1999年 食料・農業・農村基本法(新基本法)制定
1961年制定の農業基本法に比べ環境・社会政策に軸足を広げる点に特徴がある。
2000年 食料・農業・農村基本計画を策定
①食料消費に関する施策の充実②事業基盤の強化、農業との連携の推進などを通じた食品産業の健全な発展③農産物の安定的輸入の確保
④不測時における食料の安全保障⑤世界食糧需給の安定に資する国際協力の推進
2005年 食料・農業・農村基本計画を改変し、新たな食料・農業・農村基本計画が成立
基本計画は5年ごとに見直すことになっている。
見直しの背景として、①食の安全や健全な食生活に対する関心(BSEや不正表示事件の発生)②多角化・高度化するニーズ
③農業の構造改革の立ち遅れ(農業者の減少・高齢化、規模拡大の遅れ)④グローバル化の発展(WTO/EPA交渉、アジア諸国の経済発展)
<環境保全型農業の具体的事例>
第7回環境保全型農業推進コンクール受賞事例より
岐阜県羽島市 アイガモ稲作研究会の「地域への貢献を目指した 環境にやさしい米づくり」
取り組みの内容
(1)環境に配慮した農業技術
①土づくりの励行 冬季に牛糞堆肥を散布し稲ワラとともにすき込む。
②農薬等の資材の適正使用と削減 アイガモ米の生産で、出穂まで水田にアイガモを放飼し、除草と害虫駆除にあてるため農薬の削減率は100%。
さらに、細植、粗植で病害虫にかかりにくい栽培に努めている。
(2)家畜糞尿のリサイクル利用 畜産農家が協力し、牛糞堆肥を使用することで地域内循環につなげるとともに、特色ある稲作り、無理のない生産調整へも寄与している。
取り組みの成果
米価の低迷、生産調整の強化とともに年々米づくりへの関心が薄れる中、特色ある米づくりにより他のコメと差別化でき、直接消費者とふれあうことで
生産への意欲が高まりつつある。また市街化区域では宅地化が進み、農業を知らない世帯が増えてきている。そのため体験イベントを通して交流がなされ、
地域社会の活性化にも寄与すると思われる。
自分の考え:他のどの取り組みを見ても、消費者の中で食の安全性や健康面での意識が年々高まり、良質で安心・安全なものを求めるようになり、
生産者がそれに応えようと環境にやさしい農業を始めたのが多い。また、事例の中のほとんどで消費者との交流活動も行っており、環境にやさしい
農業の普及・定着には、消費者の理解が不可欠であるようだ。
<環境保全型農業の中の地産地消(産直)>
環境保全型農業というのは生産者の農薬削減の努力・景観の保全だけで成立するものではないことが今回文献にあたっていく中で判明した。
交流という点で地産地消運動を取り上げる。これは量を中心とした消費ではなく、質を中心としたローカルな生産と流通、消費の動きがそこにはある。
農産物直売所が急速に増加し始めたのが80年代後半。当時は、直売所などは卸売業者を介さないため安価、短時間の運搬で新鮮であるなどと、
もっぱら価格と流通の合理化を目指していた。しかし、21世紀に入り、現代の直売所に共通する特徴として3点あげられる。
①商品の大部分が地場産
②生産者が毎朝、自分で搬入し、自分の判断で値付けをし、売れ残ったものは引き取る。
③商品には生産者の電話番号などが記されており、生産者自身が売り場に立つこともある。
つまり、以前向けられていた価格の安さへの視線だけではなく、生産者自身が責任を持って販売し、生産者と消費者が、じかに対話することで
「顔の見える関係」が構築され、信頼が生まれた。直売所は商品とともに信頼を売るのであり、消費者はそこで安心を買う。
一般市場が匿名の不特定多数を相手としているのに対し、具体的な人と人とのかかわりが生じた。
<環境保全型農業と有機農業の違い>
有機農業は概念的には環境保全型農業の中のひとつとして位置づけられる。そのほか違いについて書かれた記述として、
環境保全型農業 有機農業
・行政が主導 ⇔ 民間ベース
・農薬・化学肥料の抑制等をはかりつつ近代技術を取り入れながら、 ⇔ 産消提携や無農薬・無化学肥料など運動的・哲学的要素を濃厚に持ち、
生産性の向上と経済性の確保にプライオリティーを置く。 商品としてもインパクトが強く相対的に差別化可能。
・「生産性と調和」しているので普及可能性が高く、
むしろこちらを推進すべき。 ⇔ 普及させる上で生産性や労働時間に困難。
<導入>
私たちはいまや「日本の農山漁村の自給力に合わせた食べ方」を失ってしまった。世界各地から食料を輸入し、食べ物の旬や季節感を失い、地元の農業の存在を忘れ、
*環境負荷型の従来の農業が持つ環境的マイナス面を削減する一方で、従来見過ごされてきた景観形成、環境・国土保全、文化・福祉機能など、
便益(プラス)側面を積極的に評価・重視する政策展開が必要。経済的手法としては、汚染抑制のための課徴金・課税制度を設ける一方で、条件
不利地域の維持や環境重視型農業を促進する助成制度の充実、福祉・教育・地域・人的資源の活性化につなぐ地域の個性・伝統文化の活性化
を促す多様な制度づくり、都市と農村の連携・交流、グリーンツーリズムなどの多角的展開が重要性を持ち始めている。こうした展開には、環境・
景観・福祉などの各種メニューを農家や市民の側がプログラム提案して、行政やNPOなどの協力体制のもとで発展させる下からの仕組みづくり
が今後は重要性を持つ。(戦後日本の食料・農業・農村 環境と農業 2005 39pより)
*「最大から最適へ」 目先だけの短期的な収益の極大化ではなく、資源や環境などの社会的費用をも考慮した最適化。
「点から面へ」 個々の農家単位で環境保全型農業に対応するのではなく、地域単位での環境目標の設定と対応。(桜井氏による)
<今後目指すべき方向>
*自身の意見 世界的に環境問題に対する関心が高まったのを背景に、その流れに流されるように環境保全型農業という言葉が広まり始めた。
影響が出てから、対策を講じ始めたため遅すぎたのが事実であり、さらに政府から出されるものは政策の大まかなビジョンはあるものの、
細分化された具体的提案に乏しいため、現代にあまり環境保全型農業が普及できないのではないか。環境保全型農業によって、「顔の
見える関係」「畑に合わせて食べる」「自給する農家の食卓の延長上に都市生活者の食卓を置く」「生産者は消費者の生命に責任を持ち、
消費者は生産者の生活に責任を持つ」などの標語があらわすように、単なる物の売買ではなく、人と人との友好的付き合い関係が成立した。
さらに追加すると、環境保全型農業は生産者による農薬の削減や生産段階での努力はもちろんのこと、消費者の口に入るまでの販売活動、
安心・安全・信頼の提供という一連の流れでもって初めて環境保全型農業といえる。
<参考文献>
【文献】
『明日を目指す日本農業』 2007 池戸重信編 幸書房
『グリーン・イノベーション』 2010 小泉健著 農林統計協会
『環境保全型農業論』 1996 桜井倬治編 農林統計協会
『環境保全型農業――10年の取り組みとめざすもの――』 2002 全国農業協同組合連合会編 家の光協会
『戦後日本の食料・農業・農村 第9巻 農業と環境』 2005 戦後日本の食料・農業・農村編集委員会 農林統計協会
『食と農を学ぶ人のために』 2010 祖田修・杉村和彦編 世界思想社
『環境保全型農業へのアプローチ』 1996 遠山明・橋川潮編 富民協会
『食料・農業・農村基本計画 平成16年度』 2005 農林水産省編 農林統計協会
『日本農政を見直す 農政の展開と環境保全シンポジウム』 1994 農政研究センター著 食料・農業政策研究センター
『環境保全型農業大辞典①』 2005 農文協編 農山漁村文化協会
『環境保全型農業とはなにか』 1996 農林中金総合研究所編 農林統計協会
『代替農業の推進――環境と健康にやさしい農業を求めて――』 2006 藤本彰三・松田藤四郎 東京農業大学出版会
『食・農・からだの社会学(シリーズ環境社会学)』 2002 桝潟俊子編 新曜社
【雑誌】
『農耕と園芸――総合特集環境保全型農業をどうすすめるか――』 2007 加藤哲郎 誠文堂新光社
『農業と経済――環境保全型農業へのステップアップ その評価と今後の展望 特集 ムラは甦るか!――』 2009 荘林 幹太郎 昭和堂
『農業と経済――世界と日本の有機農業・環境保全型農業の動向――』 2009 蔦谷栄一 昭和堂